スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典レディスプレリュード&不毛な議論

2015-10-02 19:03:06 | 地方競馬
 昨夜の第12回レディスプレリュード。出馬投票に不備があったとのことで,笠松のユーセイクインサーには本村騎手が騎乗することになりました。
 先手を奪ったのはブルーチッパー。1馬身差の2番手にホワイトフーガ。さらに1馬身差で3番手のインにトロワボヌール。半馬身差で外にサンビスタという隊列。前半の800mは49秒0でこれはスローペースに近いミドルペース。このペースでアムールブリエがあまりついていかれなかったのは意外でした。
 向正面ではサンビスタがトロワボヌールを交わして3番手。しかし前の4頭は勝負圏内で直線に。頑張っていたブルーチッパーは一杯。ホワイトフーガは脚を残してはいたものの,サンビスタの末脚とは比べるまでもなく,抜け出したサンビスタが優勝。インから外に切り返したトロワボヌールが2馬身差の2着。ホワイトフーガが1馬身差で3着。
 優勝したサンビスタは4月のマリーンカップ以来の重賞5勝目。ここは最も重い57キロを背負っての快勝。JBCレディスクラシックは斤量関係が楽になり,なおかつ同じ舞台ですから,連覇に向けて視界良好といえるでしょう。4着のアムールブリエは能力を十全に出し切っていないと思いますし,2着のトロワボヌールも良績の少なかった右回りで一定の結果を出しましたから,絶対的とまではいえないかもしれませんが,牝馬戦で大きく崩れることは考えにくい馬だと思います。父はスズカマンボ。母は2002年のフェアリーステークスを勝ったホワイトカーニバル。Sambistaはポルトガル語でサンバダンサー。
                         
 騎乗した岩田康誠騎手は第8回,9回を優勝していて3年ぶりのレディスプレリュード3勝目。管理している角居勝彦調教師はレディスプレリュード初勝利。

 書簡六十七には,スピノザは悪魔に誘惑されて理神論に陥っているので,改心しなければ神Deusの怒りを買うことになるという主旨の主張がされています。これに対してスピノザは理神論者として答えています。その主旨は,神は悪魔を何ら罰することなく人間を誘惑することを許し,悪魔に誘惑されてしまった人間については許さずに罰することになるので,アルベルトAlbert Burghが信仰している神は不正に満ちた不条理な神であるというものです。
 論理的にいうなら確かにスピノザのいっている通りなのでしょうが,カトリック信者のアルベルトと理神論者のスピノザのやり取りであると考慮するなら,これは明らかに不毛な議論です。スピノザはあまりこのような反論をすることはなく,僕はこの部分には別種の意味を感じるのです。たとえば思想の自由に寛容であったヨハン・デ・ウィットJan de Wittが,カトリックについては不寛容的な発言をファン・ローンJoanis van Loonにしたのと同じような不寛容性が,この部分のテクストにはあるように思えるからです。
 すでに説明したように,スピノザはローマ教会の規律は,人心を抑制する最適な方法であるとは認めていましたが,その方法は大衆を欺くものであると考えていたのでした。この欺くというのが,悪魔が人を欺くというのと同じ意味に解すれば,スピノザがカトリックに不寛容な姿勢をとる理由は分かります。ですがこれはアルベルトに向けていうことではありません。たぶんスピノザは,一読すると不毛と思えるこの議論を,アルベルトにではなく,自分に引きつけてしていたのではないかと思うのです。
 スピノザは哲学する自由を守ろうとして『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』を書いたのでした。そして理神論者でした。したがって人間的自由のうち,能動的自由についてここで語っているのだと解するのが適当のように思います。いい換えればアルベルトの主張が,神云々ではなく,理性ratioを用いて考えるconcipere行為自体を否定しているとスピノザは考えたのだと思います。アルベルトが信仰している神は哲学する自由を危機に陥れる神であって,だから自分は理神論の立場を選択するというのが,この不毛と思える議論の真の意味ではないでしょうか。
コメント
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