スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

新人王戦&信仰と行動の一致

2015-10-14 19:58:50 | 将棋
 第46回新人王戦決勝三番勝負第二局。
 大橋貴洸三段の先手で菅井竜也六段のノーマル四間飛車。角交換から相穴熊に進展。千日手になりそうでしたが,先手が待ち方を変えたところで後手が仕掛けて戦いになりました。
                         
 先手が両取りを掛けた局面。飛車が逃げると▲4六歩を与えるため,ここで△5七角成と攻め合いに。善悪は分かりませんが,決断としてはよかったのではないかと思います。
 ▲5ニ桂成△6六桂▲6三歩△7八桂成▲同金△6六歩▲6ニ歩成△6七歩成▲同金△同馬▲7二と△同金まで,ほぼ足を止めての殴り合いに。
 ここでの手番は大きそうなのですが,すぐに攻め合うと先手が勝てないようです。なので▲7九金と受けました。対して△7八銀。
                         
 ここは▲6四桂と攻め合う手が有力で,そう指した方がよかったようですが▲6八歩とさらに受けに回りました。ですが△8九銀成▲同金△同馬▲同飛に△7八金と攻め込まれ,かえって受け難くなってしまいました。
 菅井六段が勝って1勝1敗。第三局は19日です。

 スピノザを説得するために有効なのはひとつしかありません。それは理性です。もちろん第三種の認識すなわち直観も,スピノザが真理を知るために有効ではありますが,直観による認識は,説得による認識とは異なっていると考えるべきでしょう。第二部定理二九備考にあるように,知性の秩序によって事物を認識する場合にのみ精神は事物を十全に認識するのです。したがってスピノザを説得するために有効なのは,知性の秩序に訴えることです。このこともおそらくステノには分かっていたのではないでしょうか。ステノの書簡の記述には,ローマカトリックの正当性を知性の秩序と整合させたいという痕跡があるように僕には感じられます。
 書簡が本論に入ったところから,カトリックの正当性に関する記述が長々と続きます。そしてそれが一段落したところで,ステノはその権威がローマ教皇に認められているのは,聖書の記述から明らかだとしています。ですがステノは聖書の該当部分を示すことは避けています。それはスピノザの聖書の解釈に関する信念が,ローマ教会だけが唯一の聖書の解釈者であるとするカトリックの所説とは異なっているからだとしています。この部分のステノのスピノザに対する認識は正しいものですし,記述の内容は明らかにスピノザの信念を尊重したものになっています。
 これはおそらく,聖書の解釈の相違を論じても,スピノザを説得するには至らないとステノが考えていたためでしょう。その代案としてステノは,ローマ教会にはイエスが説いたように,信仰と行動の統一があるべきだという教義があるのであり,このことだけでカトリックの支配が必要であるということはスピノザには分かるだろうといっています。
 信仰と行動の一致というときの行動とは,敬虔であるということを意味するのは間違いないと思います。ですからステノからの書簡のうち,スピノザが最も同意できた部分は,ここであったと僕は考えます。確かにスピノザは聖書は服従することによって人びとを敬虔にするという意味において有用であると主張しているのであり,部分的にはステノがいっていることと明確に重なっているからです。
コメント
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