第44回佐賀記念。
それぞれが出方を窺うような感じからリッカルドがハナへ。単独の2番手がロンドンタウン。3番手はカツゲキキトキトでしたが,内を回っていたタムロミラクルとコーナーごとに入れ替わるような追走。少し離れてキョウワカイザー。また間が開いてストロングサウザーという隊列。スローペースだったと思われます。
3コーナーを回るとロンドンタウンがリッカルドに並び掛けていき,コーナーの途中でこれを交わして直線では先頭。タムロミラクルがその外に出しましたが,直線ではロンドンタウンの方が一方的に差を広げていき,4馬身差の圧勝。タムロミラクルが2着。タムロミラクルのさらに外から追ったカツゲキキトキトを,2頭の中を突いたストロングサウザーが捕えて半馬身差で3着。カツゲキキトキトが1馬身差で4着。
優勝したロンドンタウンは昨年の10月に1600万を勝ってオープン入り。その後の重賞2戦はさほど離されていたわけではありませんが,掲示板を確保できていませんでした。ただその2戦と比べるとここは相手関係が格段に楽になっていたので,優勝候補の1頭だろうと評価していました。大きく差をつけた点は評価しなければならないでしょうが,相手がさらに強くなって通用するのかどうかは何ともいえません。このレベルのレースに出走するなら優勝候補になるのは間違いないでしょう。父はカネヒキリ。
騎乗した川田将雅騎手は第39回以来5年ぶりの佐賀記念2勝目。管理している牧田和弥調教師は佐賀記念初勝利。
『知の教科書 スピノザ』における『国家論Tractatus Politicus』の批判は,同時代の思想家の政治論との比較の上でなされているわけではありませんし,スピノザの哲学との関連が言及されているわけでもありません。なので僕はジャレットの批判は,間違っているとは少しも思いませんが,同時に批判として十分であるとはいえないのではないかと思うのです。
実際のところ,スピノザと同時代に,女も男と同等の権利jusをもって政治に参加するべきであると主張した思想家が存在したわけではありません。そもそもこの時代は民主制自体が一般的ではなかったわけですから,すべての男が同等の権利をもって政治に参加するということの方が稀であったのです。そういう意味でいえば,たとえば封建制や貴族性を主張した思想家と比べたときには,民主制を最良の政治と主張したスピノザの方が進歩的であったといえます。よって,同時代の思想家と比較した上でスピノザが展開した政治論を批判するというのは,事実上は不可能であるといっていいのかもしれません。ですが,その政治論がスピノザの哲学からは帰結しようがないというのが僕の見解であり,この方面からの批判は,僕がしたように可能であるといえるでしょう。そうした批判を企てているものとしては,『ある哲学者の人生Spinoza, A Life』があります。
ナドラーSteven Nadlerはそこで,スピノザの哲学が主張しているのは,性別と関係なくすべての人間が等しく知性intellectusを授けられ,等しく理性ratioの自立を享受できるという原理であるのだから,スピノザが『国家論』において,女は政治に参加するべきでないと主張したことは奇妙であるといっています。ナドラーはこうした政治論を,スピノザの哲学の何ものも必然的にそんな結論を導くことはないと断言していますが,僕もその見解に同意します。そしてナドラーは,確かにスピノザ自身の哲学と関連させてスピノザの政治論を批判している,つまりその間には著しい齟齬があるという仕方でスピノザを批判しているわけですから,こうした批判はスピノザの政治論に対する批判として十分なものであると僕には思えます。
ただし,ナドラーが奇妙だといっている点にはいくらかの注意が必要です。
それぞれが出方を窺うような感じからリッカルドがハナへ。単独の2番手がロンドンタウン。3番手はカツゲキキトキトでしたが,内を回っていたタムロミラクルとコーナーごとに入れ替わるような追走。少し離れてキョウワカイザー。また間が開いてストロングサウザーという隊列。スローペースだったと思われます。
3コーナーを回るとロンドンタウンがリッカルドに並び掛けていき,コーナーの途中でこれを交わして直線では先頭。タムロミラクルがその外に出しましたが,直線ではロンドンタウンの方が一方的に差を広げていき,4馬身差の圧勝。タムロミラクルが2着。タムロミラクルのさらに外から追ったカツゲキキトキトを,2頭の中を突いたストロングサウザーが捕えて半馬身差で3着。カツゲキキトキトが1馬身差で4着。
優勝したロンドンタウンは昨年の10月に1600万を勝ってオープン入り。その後の重賞2戦はさほど離されていたわけではありませんが,掲示板を確保できていませんでした。ただその2戦と比べるとここは相手関係が格段に楽になっていたので,優勝候補の1頭だろうと評価していました。大きく差をつけた点は評価しなければならないでしょうが,相手がさらに強くなって通用するのかどうかは何ともいえません。このレベルのレースに出走するなら優勝候補になるのは間違いないでしょう。父はカネヒキリ。
騎乗した川田将雅騎手は第39回以来5年ぶりの佐賀記念2勝目。管理している牧田和弥調教師は佐賀記念初勝利。
『知の教科書 スピノザ』における『国家論Tractatus Politicus』の批判は,同時代の思想家の政治論との比較の上でなされているわけではありませんし,スピノザの哲学との関連が言及されているわけでもありません。なので僕はジャレットの批判は,間違っているとは少しも思いませんが,同時に批判として十分であるとはいえないのではないかと思うのです。
実際のところ,スピノザと同時代に,女も男と同等の権利jusをもって政治に参加するべきであると主張した思想家が存在したわけではありません。そもそもこの時代は民主制自体が一般的ではなかったわけですから,すべての男が同等の権利をもって政治に参加するということの方が稀であったのです。そういう意味でいえば,たとえば封建制や貴族性を主張した思想家と比べたときには,民主制を最良の政治と主張したスピノザの方が進歩的であったといえます。よって,同時代の思想家と比較した上でスピノザが展開した政治論を批判するというのは,事実上は不可能であるといっていいのかもしれません。ですが,その政治論がスピノザの哲学からは帰結しようがないというのが僕の見解であり,この方面からの批判は,僕がしたように可能であるといえるでしょう。そうした批判を企てているものとしては,『ある哲学者の人生Spinoza, A Life』があります。
ナドラーSteven Nadlerはそこで,スピノザの哲学が主張しているのは,性別と関係なくすべての人間が等しく知性intellectusを授けられ,等しく理性ratioの自立を享受できるという原理であるのだから,スピノザが『国家論』において,女は政治に参加するべきでないと主張したことは奇妙であるといっています。ナドラーはこうした政治論を,スピノザの哲学の何ものも必然的にそんな結論を導くことはないと断言していますが,僕もその見解に同意します。そしてナドラーは,確かにスピノザ自身の哲学と関連させてスピノザの政治論を批判している,つまりその間には著しい齟齬があるという仕方でスピノザを批判しているわけですから,こうした批判はスピノザの政治論に対する批判として十分なものであると僕には思えます。
ただし,ナドラーが奇妙だといっている点にはいくらかの注意が必要です。