北國新聞会館で指された第42期棋王戦五番勝負第二局。
渡辺明棋王の先手で千田翔太六段は2手目に☖3二金。先手は振飛車にはせず☗2六歩。ここで☖4一玉と寄ったら別の将棋になったのかもしれませんが☖8四歩だったので,先手は矢倉を目指すことになりました。後手は角換りよりは矢倉の方がよいと思っていたかもしれません。脇システムのような形に。先手が手損で角を交換した代償に棒銀から端を攻め,後手が馬を作って飛車を取っての攻め合いに。
後手が2八にいた飛車を成ったところで先手が歩を突いた局面。☖1五龍と取れますが☖同歩☗同銀☖同銀☗同角と進めました。受けきって勝つのは難しいとみたか,攻め合って勝てるとみたかのどちらかです。
☖7七歩と叩き☗同桂に☖8五歩。7七に引けなくなっているので☗同桂☖同銀☗同銀と進みまた☖7七歩と叩きました今度は☗同王の一手。ここから☖7三桂☗7四銀と進んだところで思わしい攻め方がなかったようで☖2三金と受けに回ることに。ですがここまで進めてしまってから受けに回るのでは苦しそうですから,それで勝てるかどうかは別に,攻める前に何らかの受け,☖2三金と飛車の横利きを通す手以外なら☖2三歩と打つとか☖2二玉と上がっておくとかしておいた方がよかったのではないでしょうか。先手は☗1二歩☖同飛と飛車筋をずらしてから☗6八角と逃げました。
ここで☖5七銀と捨て☗同角に☖8五桂打☗6七王。さらに☖7八龍と切って☗同王☖1八飛成☗4八銀☖7七金☗6九王☖6七歩と垂らして攻めていきましたが☗5九銀打と受けられて詰めろが続かなくなりました。仕方なく☖5六歩と打ちましたが☗1三歩と詰めろで垂らした局面は先手の勝勢になっているのでしょう。
渡辺棋王が勝って1勝1敗。第三局は来月5日です。
3人のうち,ピエール・ベールにはやや特殊な事情があったようです。
ベールは1647年産まれのフランス人です。父はカルヴァン派の牧師でした。1669年にカトリックに改宗し,またカルヴァン派に戻ったことで迫害され,ジュネーブに逃げ出さなければならなくなりました。そこでデカルト哲学を知りました。その後,ジュネーブやフランスのルーアン,パリなどで家庭教師を務め,1675年にフランスのスダンで大学教授となり,1681年にはオランダのロッテルダムの大学に移って教授を続けています。しかし1693年に,宗教に対して懐疑的な面をもっているとされ教職を追われ,それ以降は1706年に死ぬまで,在野の批評家として活動しました。
スピノザからみるとデカルトの哲学にはよき面と悪しき面があります。その悪しき面のひとつが,方法論的懐疑という,どんな事柄も疑ってみるという方法です。第二部定理四三から理解できるように,スピノザは精神mensのうちに真の観念idea veraが存在するなら,それが偽であると疑うことは不可能としているからです。これに対していえば,ベールはその悪しき面を極度に見倣った人でした。デカルトは最後は疑っている自分の精神が存在することは疑い得ないと結論し,この結論を基に合理主義的哲学を構築したのですが,ベールはその合理主義に対しても疑いをもつ人であったようです。
この結果としてベールは,神学と哲学,信仰fidesと理性ratio,宗教と倫理というのを,切断して考えるようになりました。したがってある人間が信仰心をもつかもたないかということと,ある人間が道徳的であるか不道徳であるかということ,いい換えれば行動の上で敬虔pietasであるか無神論者であるかということも,切断して考えるようになったのです。なので,明らかに信仰心をもたないのに敬虔である人物が現実的に存在するなら,それはベールの考えの正しさを証明するようなものでした。よってスピノザという人物の発見は,ベールにとって喜びlaetitiaであり得たのです。
スピノザが敬虔であったことは,聖書に心服しながら放埓な生活を送るような人間がいるのと同じで,驚きには値しないとベールはいっています。
渡辺明棋王の先手で千田翔太六段は2手目に☖3二金。先手は振飛車にはせず☗2六歩。ここで☖4一玉と寄ったら別の将棋になったのかもしれませんが☖8四歩だったので,先手は矢倉を目指すことになりました。後手は角換りよりは矢倉の方がよいと思っていたかもしれません。脇システムのような形に。先手が手損で角を交換した代償に棒銀から端を攻め,後手が馬を作って飛車を取っての攻め合いに。
後手が2八にいた飛車を成ったところで先手が歩を突いた局面。☖1五龍と取れますが☖同歩☗同銀☖同銀☗同角と進めました。受けきって勝つのは難しいとみたか,攻め合って勝てるとみたかのどちらかです。
☖7七歩と叩き☗同桂に☖8五歩。7七に引けなくなっているので☗同桂☖同銀☗同銀と進みまた☖7七歩と叩きました今度は☗同王の一手。ここから☖7三桂☗7四銀と進んだところで思わしい攻め方がなかったようで☖2三金と受けに回ることに。ですがここまで進めてしまってから受けに回るのでは苦しそうですから,それで勝てるかどうかは別に,攻める前に何らかの受け,☖2三金と飛車の横利きを通す手以外なら☖2三歩と打つとか☖2二玉と上がっておくとかしておいた方がよかったのではないでしょうか。先手は☗1二歩☖同飛と飛車筋をずらしてから☗6八角と逃げました。
ここで☖5七銀と捨て☗同角に☖8五桂打☗6七王。さらに☖7八龍と切って☗同王☖1八飛成☗4八銀☖7七金☗6九王☖6七歩と垂らして攻めていきましたが☗5九銀打と受けられて詰めろが続かなくなりました。仕方なく☖5六歩と打ちましたが☗1三歩と詰めろで垂らした局面は先手の勝勢になっているのでしょう。
渡辺棋王が勝って1勝1敗。第三局は来月5日です。
3人のうち,ピエール・ベールにはやや特殊な事情があったようです。
ベールは1647年産まれのフランス人です。父はカルヴァン派の牧師でした。1669年にカトリックに改宗し,またカルヴァン派に戻ったことで迫害され,ジュネーブに逃げ出さなければならなくなりました。そこでデカルト哲学を知りました。その後,ジュネーブやフランスのルーアン,パリなどで家庭教師を務め,1675年にフランスのスダンで大学教授となり,1681年にはオランダのロッテルダムの大学に移って教授を続けています。しかし1693年に,宗教に対して懐疑的な面をもっているとされ教職を追われ,それ以降は1706年に死ぬまで,在野の批評家として活動しました。
スピノザからみるとデカルトの哲学にはよき面と悪しき面があります。その悪しき面のひとつが,方法論的懐疑という,どんな事柄も疑ってみるという方法です。第二部定理四三から理解できるように,スピノザは精神mensのうちに真の観念idea veraが存在するなら,それが偽であると疑うことは不可能としているからです。これに対していえば,ベールはその悪しき面を極度に見倣った人でした。デカルトは最後は疑っている自分の精神が存在することは疑い得ないと結論し,この結論を基に合理主義的哲学を構築したのですが,ベールはその合理主義に対しても疑いをもつ人であったようです。
この結果としてベールは,神学と哲学,信仰fidesと理性ratio,宗教と倫理というのを,切断して考えるようになりました。したがってある人間が信仰心をもつかもたないかということと,ある人間が道徳的であるか不道徳であるかということ,いい換えれば行動の上で敬虔pietasであるか無神論者であるかということも,切断して考えるようになったのです。なので,明らかに信仰心をもたないのに敬虔である人物が現実的に存在するなら,それはベールの考えの正しさを証明するようなものでした。よってスピノザという人物の発見は,ベールにとって喜びlaetitiaであり得たのです。
スピノザが敬虔であったことは,聖書に心服しながら放埓な生活を送るような人間がいるのと同じで,驚きには値しないとベールはいっています。