スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

春日賞争覇戦&ジャレットの批判

2017-02-05 19:11:48 | 競輪
 被災地支援競輪として行われた奈良記念の決勝。並びは山崎‐内藤の北日本,郡司‐根田‐岡村‐大西の南関東,三谷‐村上‐椎木尾の近畿。
 内藤がスタートを取って山崎の前受け。この後ろが牽制になったためにかなり差が開きました。村上が3番手から前を追っていきましたが,周回中とはいえいくぶんかスタミナをロスしたのではないかと思います。村上が内藤に追いついたところで三谷が上がって3番手に。6番手から郡司という周回に。隊列が定まったところでもうすぐ残り3周。このホーム前から郡司がすぐに上がっていき,ホームでは三谷に蓋。三谷はなかなか引かず,あるいは分断作戦かとも思いましたがバックに入ると引いて7番手に。残り2周のホームの手前から郡司が発進。山崎を叩いてそのまま先行。一時的に山崎が5番手だったのですが,三谷も動いて打鐘すぎに5番手になり一列棒状。バックから三谷が発進するも前に届く前に根田が番手捲りを敢行。そのままフィニッシュまで粘った根田が優勝。直線で追い詰めた岡村が4分の1車輪差の2着で南関東のワンツー。三谷が1車身差で3着。
 優勝した千葉の根田空史選手は記念競輪初優勝。2011年ごろから頭角を現し,記念競輪制覇は近いと思っていた選手。2013年に高知記念の優秀競走で追走義務違反の出走停止処分を受けたのですが,復帰後は思いのほか伸び悩んでいました。このレースは郡司が捨て身で駆けるのかがひとつの焦点で,そう走れば絡まれない限りは根田と岡村が圧倒的に有利。結果的に郡司は早くから全開で駆ける気に溢れていたようで,三谷としては蓋をされたところで分断策に出るほかありませんでした。引いてくれたので根田には楽な展開に。かなり大柄の選手で,それは強みに出る場合もあればエネルギーの消耗が大きいという意味で弱みとなってしまうところもあるのですが,自力でのパワーも戻りつつあるようなので,今日は郡司の助けを借りたものでしたが,自力でも出走停止以前くらいの活躍は期待できるかもしれません。

 スピノザが第四部付録第二〇項で,結婚する両者を男と女に限定し,精神の自由に基づくなら,その両者の結婚は理性ratioと一致するのが確実だということは,非現実的で不可能なことをいっているわけでなく,男であれ女であれそうした精神の自由に基づく認識が可能であることは,スピノザの哲学のほかの部分と齟齬を来すことはありません。よってここでスピノザが暗黙の裡に女が理性的であり得るということを前提していることは,真理veritasであって虚偽falsitasでも誤謬errorでもありません。一方,『国家論Tractatus Politicus』で女は本性の上で男と同等の権利jusを有さないと主張するときは,やはり暗黙裡にかもしれませんが,女は理性的であることはできないと主張しているのであって,それは真理に反します。いい換えればスピノザの哲学からの帰結自体と相反します。なぜ僕がスピノザが誤謬を犯しているのは『国家論』の方であって,『エチカ』の方ではないと考えているのかということについては,これで理解してもらえるものと思います。
 『国家論』で展開されている政治論のこの部分は,研究者からの批判も招いています。
 スピノザは男の現実的本性essentia formalisについて説明した後,これについて,すなわち女が民主政治に参加するべきではないということについてはもう十分だという意味のことをいっています。つまりそれについてはもう十分に説明し終えたと判断したことになります。そしてそれが,未完に終わった『国家論』の最後の一文となっています。
                                     
 『知の教科書 スピノザ』では,その一文を踏まえて,スピノザは十分にいったというよりはいい過ぎたという主旨のことが述べられています。つまりジャレットはスピノザのその見解は誤りであると認識していることになるでしょう。
 僕はジャレットが誤ったことをいったとは少しも思いません。むしろその批判は正当なものであるでしょう。ですが,僕にはこの批判には感心できない部分もあります。ジャレットはアメリカ人ですが,現代の民主主義国家に生きる人間であれば,女が民主政治に参加するべきではないという政治論を批判することは容易であるからです。実際,ただそれだけの批判なら,だれにでもできるでしょう。
コメント
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