スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ゴールデンイーグル&政治論への適用

2023-11-07 18:56:07 | 海外競馬
 4日にオーストラリアのローズヒルガーデンズ競馬場で行われたゴールデンイーグル芝1500m。
 オオバンブルマイは概ね6番手の内でレースを進めました。直線になって馬群が凝縮し,進路の確保に不安が生じたのですが,すぐ前を走っていた馬が少し外に膨れたところでその内を突いて3番手に。逃げた馬と外から追ってきた馬の間にその後の進路を取ると,残り50mを過ぎてから3頭の真ん中から前に出て優勝しました。
 優勝したオオバンブルマイはアーリントンカップ以来の勝利で重賞3勝目。NHKマイルカップで3着に入っていましたので,今年の3歳馬の中ではこの路線の上位クラス。オーストラリアでどの程度まで通用するかは不明でしたが,勝ち負けできる能力があったということでしょう。ずっと内を回って進路が開いたというのは幸運だった面もありますから,能力がはっきりと上だったという見方はできないかと思います。母の父がディープインパクトで祖母の父がサクラバクシンオー。母のひとつ上の全姉が2015年の函館2歳ステークスと2016年のキーンランドカップを勝ったブランボヌールで,3つ下の半妹が2019年の函館2歳ステークスと2020年の葵ステークスと2021年の函館スプリントステークスを勝ったビアンフェ
 騎乗したオーストラリアのジョシュア・パー騎手は日本馬に騎乗しての重賞初制覇。管理している吉村圭司調教師は海外重賞初勝利。日本馬による海外重賞制覇はコリアカップ以来。オーストラリアでは2019年のコックスプレート以来。
 ゴールデンイーグルは創設後間もないため,日本馬の出走自体がこれが初めて。未格付けになっているのも創設から間がないためで,将来的には格付けされるとの前提の下に,ここではビアンフェが勝った葵ステークスと同様に,未格付けの重賞として扱いました。ただ格付けされないケースもあり得ますので,その場合は重賞として扱わなくなることもあるとご理解ください。

 実情は群衆multitudoを構成する成員のそれぞれが有している自然権jus naturaeはほぼ同等となっています。ところが,群衆の中のある成員は,ほかの成員より強力な自然権を有しているというように僕たちは表象するimaginariことがあります。たとえば大統領が有している自然権は一市民が有する自然権よりも強大であるという表象imaginatioを,その大統領によって統治される群衆の成員が有するということがあり得るということは,とくに説明するまでもなく明らかなのではないでしょうか。すると,当然ながらそのような強力な自然権を有していると表象している人物に対して阿るということが容易に生じることになります。公務員が首相や大臣に忖度を行うというようなことも,こうした現象のひとつであるといえます。そしてこのようなことが実際に生じてしまうと,高慢な人間と阿諛の徒adulatorが生じるということになります。第四部定理五六系により,こうした人びとは諸々の受動感情に隷属することになるので,これは群衆の道徳心や平和paxにとっては悪影響を及ぼすとしかいえません。つまり群衆が,実際には成員の個々が有している自然権はほぼ同等であるということを見誤ると,むしろ群衆の道徳心や平和が損なわれる結果effectusを齎すことになるのです。
                                   
 現実的な世界はこのような一面を有しているのであって,なぜそのような一面を有してしまうのかということも,上述したようにスピノザの哲学によって説明することができます。ですから,僕が解しているような群衆の理論をそのまま政治論に適用する際には,このような一面があるということを見失ってはいけません。個人は群衆の成員となることによってその自然権を拡充することに成功することになり,そのこと自体は群衆のあるいは諸個人の道徳心にとっても平和にとってもきわめて有益なことです。しかし一方で人間は表象から逃れることができないのであって,その表象像imagoによって容易に引きずられてしまうということ,とくに第四部定理一により,真理veritasが何であるかを知っていたとしても引きずられてしまう場合があり得るという点を無視してはいけません。このことを無視すれば,この政治論は政治論として成立することはないと僕は考えます。
コメント
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