スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

大垣記念&意識と無意識

2010-05-10 18:54:48 | 競輪
 ゴールデンウィークの最後を飾る記念競輪は大垣記念で,昨日が決勝(動画)でした。
 並びは渡辺-岡部の福島,深谷-柴崎-山口-志智の中部,北津留に望月-宮倉の南関東。
 Sは望月が取って北津留の前受け。4番手に渡辺,6番手から深谷で周回。残り2周のホームでは早々と深谷が上昇し,北津留を叩いて中部が前に。深谷はそのままほとんど流すことなく先行。残り1周のホームに入るところでインを単独で上昇した渡辺が5番手に入り,北津留が6番手。しかしこの両者は動けずに一列棒状のまま,バックでは柴崎が番手から発進。こうなっては後ろは成す術がなく,直線から踏んだ山口が差して優勝。柴崎が2着に残り,3着も志智で中部の上位独占。
 優勝した岐阜の山口富生選手は2008年末の防府記念以来となる記念競輪8勝目。ここもGⅠ直後でS級S班は不参加。その中で新鋭の深谷が記念で初めて決勝に乗ってきたのは大きく,中部勢の結束の強さを示した優勝であったと思います。

 第二部定理一四は,人間の精神が多くのものを知覚するのに有能な適性を有していることを示しています。このことは経験的にも明らかです。たとえば今現在,僕の周囲には目の前のパソコンをはじめとする様ざまな外部の物体がありますが,たとえば視覚という知覚だけをとってみても,僕はそれら数多くの物体から刺激を受けているということができます。いい換えれば,僕の視野には数多くの物体が入っています。そして第二部定理一七によれば,僕はそれら数多くの物体を現実的に存在すると知覚していることになります。
 しかし,だから僕がそれらの物体を逐一何から何まで意識しているのかといえば,そんなことはありません。これはだれでも同じで,やはり経験的に明らかなことだといっていいと思います。そしてこのことから分かるように,人間の精神のうちにある表象像があるということと,人間の精神がその表象像を意識するということは,実は別のことなのです。スピノザの哲学に則っていえば,人間の精神のうちにAの表象像があるということは,この精神がAの混乱した観念を有しているということであり,人間がAの表象像を意識するということは,この精神がAの観念の観念を有しているという意味になるからです。この差は,後者が意識であるのに対して,前者は無意識であるということになるでしょう。もちろん第二部定理四三証明が示しているように,Aの観念とAの観念の観念は平行論における同一個体です。しかしこのことの意味は,AとAの観念が同一個体であるということと同じ意味でなければなりません。したがってAの観念とAの観念の観念というのは,同じ思惟の様態ではありますが,それぞれの属性が異なっているAとAの観念との間にある相違と同種の相違もまたあると考えるべきだろうと思います。
 このことから次のことが出てきます。もしも僕たちの身体に一定の量以上の尿が溜まれば,僕たちの精神には尿意という観念が生じます。だからといってその場合に必ず僕たちが尿意を意識するとは限りません。同様に僕たちの身体が排尿という運動を我慢するとき,僕たちの精神はそれを知覚します。しかしだから僕たちが排尿を我慢している自分自身の身体を必ず意識するのかといえば,これもまた必ずしもそうではないということになるのです。
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NHKマイルカップ&観念と身体

2010-05-09 19:03:41 | 中央競馬
 3歳マイル王決定戦にして,ダービーへのステップという趣も濃厚になりつつある第15回NHKマイルカップ
 先手を奪ったのはエーシンダックマン。この馬が3馬身ほどのリードをとって,コスモセンサー,サンライズプリンス,キングレオポルドの3頭が並ぶように追い掛けました。前半の800mは44秒8でこれはハイペース。
 サンライズプリンスとしてもかなり厳しい競馬だったと思うのですが,それでも残り300mでは先頭に立ち,一旦は抜け出しました。好位の内を追走していたダイワバーバリアンとその直後にいたリルダヴァルが並んでこれに迫るところ,後方3番手でがっちりと控え,直線は大外に持ち出したダノンシャンティが強襲。あっさりと内の3頭を捕まえ最後は1馬身半の差をつけて優勝。ダイワバーバリアンが2着でリルダヴァルが3着。
 優勝したダノンシャンティは前走の毎日杯でかなり強い勝ち方。皐月賞はパスしてここに回ってきました。展開的に嵌った部分もありますが,その強さを再度見せ付けた形。1分31秒4という途轍もないレコードタイムで走った反動は怖いですが,無事なら一流馬として走り続けられるでしょう。父はフジキセキで,祖母の弟にDevil's BagとSaint Ballado,祖母の産駒にはSingspiel,Rahy,グランドオペラがいる世界的な名牝一族です。シャンティはフランスの地名で,フランスダービーが行われる競馬場があるところ。
 鞍上は安藤勝己騎手。昨年のオークス以来の大レース制覇で,2004年のキングカメハメハ以来のNHKマイルカップ2勝目。管理しているのは松田国英調教師。一昨年の有馬記念以来となる大レース制覇で,2001年クロフネ,2004年キングカメハメハに続くこのレース3勝目。

 意志と身体,もっと具体的にいえば,ある人間の精神mens humanaのうちに生じる何らかの意志作用volitioと,この人間の身体corpusの何らかの運動motusの状態が,平行論における同一個体であるということは,論理的には次のような仕方で説明することができます。このとき注意しておくべきことを最初にひとつだけ挙げておけば,ここでいっている我慢の観念ideaというのが,その人間の身体の状態に関する知覚であるということだけです。
 第二部定理一九というのは,人間が自分の身体を知覚する際の,唯一の方式を示しています。つまりこれ以外の仕方で人間は自分の身体を知覚しません。そしてそれによれば,人間による自分の身体の知覚とは,その身体が外部の物体corpusによって刺激を受ける様式の観念なのです。このことから,この刺激状態,すなわち延長作用としてのある運動と,この運動の様式の観念というのが同一個体であるということが帰結します。
 次に,第二部定理四九は,観念は観念であるかぎりにおいて何らかの肯定,すなわち意志作用を含んでいるということを示しています。したがって,この刺激状態の様式の観念と,この観念を肯定する意志作用は同一のものです。よって,ある刺激状態とこの刺激状態の様式の観念が同一個体であるのなら,当然のごとくこの刺激状態の様式の観念を肯定する意志作用と,その刺激状態自体も同一個体であるということが帰結するでしょう。
 このようにして,排尿という運動を我慢することを肯定するような意志作用は,実際にある運動として排尿を我慢している自分の身体と同一個体であるということになります。なぜなら,思惟の様態cogitandi modiとして排尿を我慢する意志作用が肯定するのは,排尿を我慢している自分自身の身体の観念にほかなりませんが,この観念は,実際にある運動として排尿を我慢している自分自身の身体の知覚にほかならないからです。また,この説明により,なぜ僕たちの精神のうちに排尿を我慢する意志作用が生じるのが,実際に自分の身体が排尿を我慢する運動をしているときのみであり,それ以外のときではないのかということも明らかになったといえると思います。
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風光る&意志と身体

2010-05-08 19:23:27 | 競輪
 S級S班18名のみが走ることができるSSカップ風光る。今年は静岡競輪場を舞台に争われ,決勝は5日でした。
 並びは山崎-伏見-成田の福島,武田-神山の茨城栃木,村上義弘-村上博幸-加藤の近畿中部で海老根が単騎。
 村上博幸が出て行きましたが成田が前に入って山崎の前受け。村上義弘が中団で7番手に武田,海老根は最後尾で周回。武田の上昇に村上義弘も車を上げ,バックでは山崎を叩いて先頭も打鐘から武田がさらに叩き,引いた山崎の巻き返しに合わせるように抑え先行。3番手を村上義弘と山崎で取り合いましたが,やや強引に村上義弘が取りきって捲り発進。しかしこれは神山の牽制に遭い,前には出られず。武田が逃げ込みを図りましたが直線で外を強襲した村上博幸がゴール寸前でこれを捕えて優勝。武田が2着で村上義弘が3着。
 優勝した京都の村上博幸選手は3月に日本選手権を優勝,続くいわき平記念も制していました。ビッグは3勝目でGⅠは2勝目。その後の2場所は決勝は外していましたが最終日は1着をとっていて,好調はまだ持続していたようです。前がある程度まで連れて行ってくれれば直線の差し脚は堅実。展開には左右されますが兄と連係できる利は大きく,すぐに大きく落ち込んでしまうということは考えづらいように思えます。

 第二部定理七により,観念と物体はその秩序において平行関係にあります。そして第二部定理一三により,ある人間の精神とその人間の身体は同一個体ということになりますから,この両者の間では平行関係が成立します。さらに第二部定理四九系により,知性と意志,いい換えれば個々の観念と個々の意志作用とは同一ですから,意志作用と物体,現在の考察に合わせてもっと具体的にいえば,ある人間の精神のうちに生じる何らかの意志作用とこの人間の身体の何らかの運動の間においても平行関係が成立するということになるでしょう。そしてこのことは,まさに僕たちが排尿という運動を我慢するような場合において,経験的にはっきりと裏打ちできるものだと思います。
 どういうことかといいますと,僕たちの精神のうちに現実的に排尿という運動を我慢するような意志作用が生じるとき,あるいはもっと限定的に第二部定理二二を利用して僕たちがその意志作用を意識するときといってもいいですが,このときに僕たちの身体がどのような運動をなしているかといえば,実際に排尿という運動を我慢しているのではないでしょうか。よく自分自身の経験を思い出していただきたいのですが,確かにこの意志作用は実際に身体が排尿を我慢しているときにのみ自分の精神のうちに生じたのであって,そうでない場合,すなわち身体が排尿を我慢していないときには精神のうちに生じたことなどただの一度もなかったのではないでしょうか。少なくとも僕自身はそうですし,きっとこれはだれでもそうだったのではないかと思います。そしておそらくはだれの場合でも同様と思われるこの経験こそは,個々の意志作用が,この意志作用によって肯定されるような観念の対象となっているもの,この場合には自分の身体,もっと確実を期していうならば自分自身の身体のある運動と同一個体であるということの,何よりの経験的観点からの証明ではないかと思うのです。
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東京湾カップ&意志と運動

2010-05-07 18:41:54 | 地方競馬
 1着馬には東京ダービーの優先出走権が与えられる第24回東京湾カップは,4日に好天の船橋競馬場で争われました。
 ここもナンテカがやや強引にハナを主張。外の2番手にマグニフィカ。ネオアサティス,ツクバソヴール,ボヘミアン,テラザクラウドといったあたりがその後ろを形成しました。ペース自体はハイペース。
 2番手追走のマグニフィカはかなり楽な感じで3コーナーでは先頭に並び掛け,直線入口では単独先頭。そのまま後ろとの差を広げていき直線半ばではセーフティーリード。結局,5馬身という大きな差をつけての圧勝となりました。2着は4頭による接戦で,中団からよく伸びたブンブイチドウが確保。わずかの差でテラザクラウドが3着。
 優勝したマグニフィカは昨年6月のデビューから4連勝。その後,強敵相手に連敗して休養に入っていました。早熟であったのかと思わせましたが,この勝ち方ですから,当時は体調面に問題があり,立ち直っていたということなのでしょう。本番でも期待させるだけの内容であったと思います。スムーズにレースを進められたのもよかったのでしょう。父は2004年のJRA賞年度代表馬のゼンノロブロイ
 騎乗した船橋の石崎駿騎手は2008年8月のスパーキングサマーカップ以来となる久々の南関東重賞制覇。東京湾カップは初優勝。管理している船橋の川島正行調教師はこのレース4勝目です。

 人間が排尿という運動を我慢しているときに,その人間の身体のうちにはどのような運動が生じていて,またその同じ人間の精神のうちにはどのような思惟作用が生じているのかということがこれで明らかになりました。ところで,このことは,今回の考察とセットであるともいえる第三部定理二ともかなり関係してきます。このことは,第三部定理二が正しいということをそれ自体で確証できるわけではありませんが,一方で,この定理が誤っている,なかんずく人間は自分自身の精神の力,とくに意志作用によって自分の身体をある運動に決定できるということを主張しようとする際の,論理の立て方にはおかしなところがあるということを示していると思えるからです。
 すでに明らかになったように,排尿を我慢する意志作用というのは,自分の身体が排尿を我慢していることの観念の肯定です。しかるにもしも人間の意志が自分の身体をある運動に決定し得ると主張するならば,この肯定によって身体は排尿を我慢するような運動をなすといわなければなりません。しかしもしもそう主張することが可能であるならば,これとは逆のこともまた主張し得るということになります。すなわち,人間の身体が排尿という運動を我慢しているから,このことを肯定するような意志作用がその人間の精神のうちに生じてくるということもできる筈です。実際に僕たちの精神のうちにこの意志作用が生じるのは,現実的に自分の身体がこの運動をしている場合に限られているからです。
 もちろん第三部定理二自体が示していますように,これらの主張はどちらも正しいものではありません。身体が排尿を我慢する運動と,排尿を我慢することを自分の身体に対して肯定する意志作用は,平行論における同一個体なのであって,一方が他方の,また他方が一方の,原因であったり結果であったりするわけではないからです。しかし少なくとも意志と運動とをこのような経験的観点から反省的に観察するだけで,意志が身体を運動に決定し得るという論理を立てることはできないということは明らかになっていると思います。
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平塚記念&我慢の観念

2010-05-06 19:08:19 | 競輪
 日程の関係でS級S班の選手は出場できなかった平塚記念は,ゴールデンウイーク中の2日に決勝(動画)が争われました。
 並びは三宅-南-坂上の西日本,阿竹-香川の四国,坂本-立石の九州に中村で,地元の加藤は先行の番手勝負。
 前受けは坂本。4番手に三宅,加藤を挟んで8番手から阿竹で周回。阿竹から上昇し坂本を抑えると,このラインに続いた三宅が打鐘で阿竹を叩いて先行。加藤は番手勝負を挑むもこれは南が確保。加藤が3番手で坂上が4番手に。バックで坂上が内から位置を取り返しにいったところで阿竹の捲り。これを南がうまく牽制しながら踏み込みましたが,7番手からの捲り追い込みとなった坂本がゴール前で届いて優勝。南が2着で立石が3着。
 優勝した福岡の坂本亮馬選手は昨年暮れの岐阜記念以来となる記念競輪3勝目。ここもメンバーの関係で,自力タイプでは力量最上位。レースの組み立て自体はやや失敗気味であったかと思いますが,7番手から捲ってしまったのですからやはり強かったといえるとは思います。さらに力をつけて,もっと上位で戦ってほしい選手です。

 次に,我慢というのを思惟作用としてみた場合,つまり思惟の様態に限定して考える場合に関しての注意点をあげておきます。
 人間の精神のうちに排尿という運動を我慢する意志作用が生じるとき,これと同一の観念というのは,排尿という運動を我慢している自分自身の身体の観念であるわけですが,僕はこの観念についてはこれを表象像,とくに表象の種類でいうなら,知覚,それも第二部定理一九で示されている自分自身の身体についての知覚であると考えます。混乱した観念の意志というものがスピノザの哲学では認められていますから,この知覚が意志作用を含んでいるということについては問題ありません。また,なぜこれが知覚であると僕が解するのかということについては,すでに尿意についてこれを説明しています。これに関して説明できる事柄はそれと同じになりますから,ここでは繰り返しません。
 すでに我慢の秩序で明らかにしたように,我慢の観念自体は尿意を部分的原因として生じます。したがって第三部定理三により,我慢の観念が混乱した観念であるということは明白で,この点に関してスピノザの哲学と齟齬を来すということはありません。何より,そもそも尿意もまた混乱した観念であると規定しているのですから,同様のことは第二部定理四〇4つの意味がすべて成立するということからも,我慢の観念もまた混乱した観念でなければならないということは明らかです。しかし僕はこの観念もまた自分自身の身体についての表象像である,すなわち混乱した観念であると考えているわけですから,スピノザの哲学全体とこれは矛盾しません。よってこれらのことに関して考察してきたここまでのすべての事柄は,スピノザの哲学の枠の中できちんと矛盾なく妥当するというように考えます。
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かしわ記念&我慢

2010-05-05 18:50:28 | 地方競馬
 大レースの勝ち馬が5頭出走してきたかしわ記念
 ポートジェネラルの逃げは想定された展開のひとつ。気合いをつけられたフリオーソが2番手を追走し,この後ろにエスポワールシチー。前半の800mは48秒5で,これはスローといっていいくらいのミドルペース。
 ポートジェネラルの逃げは直線入口まで。すぐにフリオーソが先頭に立ちましたが,エスポワールシチーはこれを楽々と交わして優勝。フリオーソも2着に残り,3着はこれらの後ろに位置していた2頭の争いとなりましたが,サクセスブロッケンをゴール前で交わしたアドマイヤスバルが入線しました。
 優勝したエスポワールシチーはこれで昨年のこのレースを皮切りに南部杯,ジャパンカップダート,フェブラリーステークス,さらに今日と大レースばかりを使って勝ち続け5勝目。現役のダート馬では間違いなく最強馬で,まだ衰えるような年齢でもありませんから順当な勝利といえますし,まだまだこの馬の天下が続きそうだと思わせる貫禄の勝ち方でした。父はゴールドアリュール,母系はチップトップジーゲリンの分枝。エスポワールはフランス語で希望。
 騎乗した佐藤哲三騎手,管理している安達昭夫調教師とも,フェブラリーステークス以来の大レース制覇,このレース連覇で2勝目です。

 個々の尿意という観念のうちに,自分の身体に対して排尿という運動を肯定する意志作用が含まれているということ,ならびに,ある場合に,僕たちが排尿という運動をむしろ否定する,すなわちその運動を我慢するような意志作用を精神のうちに有するとしても,このことはそれと矛盾しないということについては,もうこれで十分に説明ができたと思います。そこでこの点について,注意しておくべきことを最後にひとつだけあげておくことにします。
 今回の考察のテーマでもある第二部定理四九系によれば,知性と意志は同一です。いい換えれば,個々の観念と個々の意志作用というのは同一です。したがって排尿を我慢するような意志作用というのがある人間の精神のうちに現実的に存在するならば,それと同一のものと考えられる観念もこの人間の精神のうちに現実的に存在しているということになります。これはそれ自体で明らかでしょう。
 第二部定理四九によれば,意志作用というのは観念が観念である限りにおいて含んでいる肯定です。排尿を我慢する意志作用によって肯定され得る観念というのは,まさに排尿を我慢している自分の身体の観念にほかなりません。したがって,排尿を我慢する意志作用が現実的にある人間の精神のうちに生じる場合に,この意志作用と同一であるような観念というのは,排尿を我慢している,いい換えればそのように運動している自分自身の身体の観念,もっと限定するなら知覚という表象像であるということになります。
 そこでまず最初に注意を喚起しておきたいのは,排尿を我慢するという場合には,意志作用として,つまり思惟の様態としてそのようにもいえますし,ある運動として,つまり延長の様態としてもいえるという点です。本当はどちらかに絞るべきなのですが,うまいことばが見つからないので僕はこのように用いています。くれぐれも思惟作用と延長作用を混同しないようにしてください。
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兵庫チャンピオンシップ&実例

2010-05-04 18:59:40 | 地方競馬
 ジャパンダートダービーへのステップレースのひとつとなる第11回兵庫チャンピオンシップ
 先手を奪ったのはタマモアルプスで,これをミッキーデジタルが追っていきました。距離が中途半端ということもあり,はっきりとしたラップは不明ですが,これまでのレースではある程度の先行力をみせていたアースサウンドが,3番手とはいえかなり離されましたので,猛烈なハイペースだったのではないかと思います。
 4番手に控えていたバーディバーディは向正面から徐に進出開始。飛ばした前が止まったということもあったのでしょうが,3コーナーを過ぎたあたりでは早くも先頭。手応えもまだ楽な感じで,その通り,そのまま後続を寄せ付けずに5馬身差の圧勝となりました。この馬が前を掃除したので2着も追い込んだサンライズクォリア。3着は地元2頭の争いとなり,先んじていたフィオーレハーバーが確保しています。
 優勝したバーディバーディは未勝利,500万,オープンとダートで3勝。芝では結果が出ませんでしたが,実力は上位と目され,その通りの快勝。それにしてもこれだけの圧勝ですから今後が楽しみな馬だといってよいでしょう。
 鞍上は松岡正海騎手で管理しているのは池江泰郎調教師。共にこのレースは初制覇です。

 ではこの人間の身体の複数の刺激というのを,今度は今回の考察の主旨に合わせて,経験的な観点から説明してみましょう。
 ある人間が街中を歩いているときに尿意を感じたとします。大抵の場合には,この人間は,その場で排尿をするという意志をもつのではなく,むしろその場では排尿という運動を我慢する意志の方をもつでしょう。あるいはそう意識するでしょう。これは,自分の身体に一定以上の量の尿が溜まった知覚と,それが街中であるという状況の知覚の両者から発生するものです。ただし,この人間は,我慢する状態をいつまでも延々と続けるということを意志するわけではなく,この場合には,排尿という運動をなすのに適した状況を模索するような意志も同時にもちます。簡単にいえば近辺のトイレを探そうとするということです。この仮定は経験的に無理がないといえると思います。
 僕が思うに,このような意志が我慢する意志と同時に人間の精神のうちに発生するということは,尿意の中に,自分の身体に対して排尿という運動を肯定するような意志作用が含まれているということの何よりの証明だと思うのです。もちろんこの意志は,その時点における状況が,排尿するに適さないという知覚があるからこそ生じるものではあるのですが,ただそれだけでは,こうした意志が発生する秩序というものを説明することはできないでしょう。尿意を感じたときに,排尿という運動をなすことを肯定するからこそ,こうしたトイレを探そうとする意志もまた発生するといい得ると思うのです。
 そして実際に適した状況が出現したとき,要するにトイレを発見して排尿する準備が整ったとき,排尿をするのに相応しくない状況の知覚はこの人間の精神のうちから消滅します。この知覚は我慢する意志が発生する秩序の部分的原因を構成するものですから,我慢する意志もまたこの人間の精神のうちから消滅します。第一部公理三により,結果として生じる意志は,原因を構成する観念が消滅するなら消滅しなければならないからです。しかし,排尿を肯定する意志は,尿意の方にのみ含まれているのであり,こちらの知覚は第二部定理一七により排尿という運動が終焉するまでは消滅しませんから,この時点ではまだ消滅しないということになるのです。
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かきつばた記念&複数の刺激

2010-05-03 18:53:42 | 地方競馬
 ゴールデンウィークは交流重賞が連続開催。今日は名古屋でかきつばた記念(動画)でした。
 好発からスマートファルコンの逃げ。内にサンキンスピーチで外にミリオンディスク。その後ろにスーニという隊列。最初の600mは36秒6で,これはスローに近いくらいのミドルペース。
 向正面でサンキンスピーチが後退すると前の3頭が後ろを大きく引き離しての争いに。直線入口あたりでミリオンディスクが脱落。外を回ったスーニが追いましたが,楽に逃げていたスマートファルコンが並ばれることなく逃げ切って優勝。スーニが2着でやや水は開けられたもののミリオンディスクが3着を確保。
 優勝したスマートファルコンは昨年8月のブリーダーズゴールドカップ以来となる重賞9勝目。間隔を開けて立て直していたようで,立ち直ってきたならこれくらいは走っても当然。またこうした路線で使ってくるなら快進撃がみられるかもしれません。このレースは昨年も制していて連覇となります。父はゴールドアリュール
 騎乗した岩田康誠[やすなり]騎手,管理している小崎憲調教師ともにこのレース連覇の2勝目となりました。

 人間の精神のうちに生じる自分自身の身体の排尿という運動を我慢することを肯定する思惟の様態に対して,尿意そのものが原因の一部であるということは,要するに尿意は排尿を我慢することを肯定する意志作用の部分的原因であるということを意味すると考えていいでしょう。
 第二部定理一八というのは,表象の種類のうち,想起というのがどのようにして人間の精神のうちに生じるのかということを示した定理です。ところでこの定理によく注意すれば,スピノザが,人間の身体が,複数の外部の物体から同時に刺激を受けるということを認めているということが明らかです。また,このことは,ここでは詳しい説明は省略しますが第二部定理一四からも導けるだろうと僕は思います。
 排尿を我慢する意志の秩序というのは,おそらくこの人間の身体の特徴から導き出せます。すなわち,尿意というのは,自分の身体のある状態に関する知覚ですが,人間がこれを知覚する場合には,必ずしもそれだけを知覚するわけではなくて,同時にほかの事柄も知覚します。いい換えれば,排尿という運動をなすのには適さない状況であるということを同時に知覚するような場合もあるのです。というか,僕たちは多くの場合は尿意を感じた後にトイレに行くでしょうから,経験的にはほとんどの場合がそうであるといっても過言ではないのかもしれません。
 我慢する意志は,これら複数の刺激状態の表象像として人間の精神のうちに生じます。確かに尿意が現在しなければ我慢する意志は生じないでしょうが,例示した排尿という運動をなすに相応しくないような状況という知覚に関しても,これは我慢する意志の絶対必要条件であるわけです。このことからも,尿意そのものと排尿を我慢する意志というのは,同じ人間の精神のうちに,異なる秩序によって発生する別の思惟の様態であるということは明らかだといえると思います。したがって,我慢する意志が発生するからといって,尿意のうちに排尿という運動を自分の身体に対して肯定する意志作用が含まれているということを,少なくともそれだけの理由では否定できないと思います。
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天皇賞&秩序の発生

2010-05-02 18:53:08 | 中央競馬
 フルゲートと頭数こそ集まったものの,大レースの勝ち馬がわずか1頭というやや貧弱なメンバー構成となった第141回天皇賞
 ミッキーぺトラの逃げは予想された通り。外からマイネルキッツが2番手を追走し,フィールドベアーとゴールデンメイン。テイエムアンコール,メイショウドンタクまではそれほど差がなく続きました。最初の1000mは60秒7。これはスローペース。
 後方待機の馬に先んじてマイネルキッツが動き,直線に入ると一気に後ろとの差を広げていきました。会心のレースだったと思うのですが,前を占めた馬たちの直後に位置していたジャガーメイルだけはぐんぐんと追ってきて,ついにはマイネルキッツを交わして優勝。マイネルキッツが2着で伏兵のメイショウドンタクが3着。
 優勝したジャガーメイルは海外遠征も含めてこれまで幾度となく好走しながら重賞は勝ち切れなかった馬。ただ高い能力を持っていたことは間違いなく,このメンバーであればこの結果も納得がいくもの。今年に入ってからのレースぶりは一皮剥けた印象があります。父はジャングルポケット。メイルはmailという綴りで,英語で鎖帷子という意味。
 騎乗したのはオーストラリアのクレイグ・ウィリアムズ騎手でこちらも日本の重賞初制覇。管理している堀宣行調教師は3月の高松宮記念に続く大レース2勝目。いずれの勝利も馬を長持ちさせた結果で,今後もこういう結果を残し続けていくのか注目です。

 排尿を我慢するという思惟の様態をある意志作用であるとみなしたとき,この意志作用の消滅を人間の身体の刺激状態の変化によって説明することができるならば,これを逆に考えることによってこの意志作用の発生,すなわち我慢の秩序がある人間の精神のうちに発生する秩序も明らかにすることができます。つまり排尿の準備が整ったという刺激状態が生じることによってこの意志作用が消滅するということは,要するにその刺激状態が生じない限りは我慢するという意志作用は持続するということになるでしょう。つまり排尿の準備が整っていないという刺激状態がこの意志作用を持続させているということになりますから,この意志作用が人間の精神のうちに生じてくる場合にも,その刺激状態が大いに関係しているということになるからです。
 したがって我慢の秩序というのは,排尿の準備が整っていないという刺激状態から発生してくるのであって,単に自分の身体のうちに尿が溜まっているという刺激状態から生じてくるのではありません。したがって前者の刺激状態の同一個体として生じてくる排尿を我慢することを肯定するような意志作用と,後者の刺激状態の同一個体として生じる尿意の肯定,すなわち自分自身の身体に対して排尿という運動を肯定するような意志作用は,別々の秩序によって説明し得ますから,矛盾するものではなく,同時に同じ人間の精神のうちにある,実際にあるというのではなく,あることは可能であるということができると思います。
 ただし僕は次の点は認めます。だれも,尿意を感じなければ排尿を我慢することはしないでしょう。したがって排尿を我慢する意志作用ならびにこの意志作用によって肯定される観念は,尿意そのものを十全な原因として生じるのではありませんが,尿意は我慢する意志作用の部分的原因ではあります。いい換えれば,排尿を自分自身の身体に対して肯定する意志作用,あるいはこの意志作用によって肯定されている観念は,逆に排尿という運動を自分自身の身体に対して否定する,つまり我慢する意志作用の原因の一部ではあるのです。
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ホワイトウォーターアフェア&刺激状態の変化

2010-05-01 19:16:59 | 血統
 皐月賞を勝ったヴィクトワールピサの母は1993年にイギリスで産まれたホワイトウォーターアフェアという馬。ファミリーナンバー8-d
               
 繁殖生活1年目はイギリスでスタートしましたが,産駒は輸入されました。この後,2年目の産駒を受胎中に輸入されたので,産駒はすべて馬の国籍でいうところの日本馬,日本調教馬です。
 イギリスで産まれた唯一の産駒で輸入されたのが2005年の安田記念を勝ったアサクサデンエン。初年度産駒が大レースを勝ったのですから,これ以上ない繁殖生活のスタートを切ったということになります。
 輸入されると3年続けてサンデーサイレンスと交配されたことからも,期待の繁殖馬であったことがうかがえますが,サンデーサイレンスとの間の最初の産駒は2006年の小倉記念をレコードで勝ったスウィフトカレント。この年のサマー2000シリーズのチャンピオンとなり,多少の幸運はありましたが同年の秋の天皇賞でも2着となっています。ちなみにこのときの7着がアサクサデンエンですから,兄弟で同じ大レースを走ったということ。
 ヴィクトワールピサはスウィフトカレントの6歳下の弟ということになり,ホワイトウォーターアフェア産駒としては2頭目の大レースの勝ち馬,3頭目の重賞勝ち馬となりました。
 アサクサデンエンもスウィフトカレントもどちらかといえば古馬になってから力をつけてきた馬。ヴィクトワールピサが早くから活躍しているのは父がネオユニヴァースになったという点が影響しているのかもしれません。兄2頭の競走成績から考えれば,無事なら長くの活躍が見込めるのではないでしょうか。

 排尿という運動motusを我慢することを肯定するような思惟の様態cogitandi modiがある人間の精神mens humanaのうちに現実的にあるとき,この思惟の様態をある意志作用volitioであると考えてみます。このこと自体はそう無理がある仮定ではないと思います。するとこの意志作用というのは,第二部定理四九により,やはりこの人間の精神のうちに現実的にある何らかの観念ideaに含まれているということになります。いい換えれば,この意志作用がある人間の精神のうちに現実的に存在する場合には,この同じ人間の精神のうちに,この意志作用によって肯定されている観念が必然的にnecessarioあるということになります。今はこうした観念があるということさえ理解できれば十分ですから,この観念がどんな観念であるのかということまでは探求しません。
 そこで,もしもある時点において,この意志作用がある人間の精神のうちから消滅するということが生じるならば,具体的に現時点で考察の対象としている場合に関していえば,トイレで排尿をする準備が整った時点でこの意志作用は消滅するのですが,この際には,同時にこの意志作用によって肯定されていた観念も同時に消滅するということになります。これはそれ自体で明らかだといっていいでしょう。
 このように,これを意志作用の消滅としてではなく,観念の消滅という観点から考えるならば,これは第二部定理一七によって十分に証明できると僕は考えます。すなわちこの観念が消滅するときには,あるものの現実的存在を排除するような刺激を自分の身体corpusが受けたと考えることができるからです。つまり自分の身体の刺激状態の変化によって,表象像imagoすなわち観念が消滅し,したがってそれを肯定していた意志作用も同時にその人間の精神ないしは知性intellectusから消滅するのです。そしてその刺激状態とは,まさに自分の身体が排尿という運動をなす準備が整ったということにほかならないのではないでしょうか。
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