スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。
12日の四日市記念の決勝。並びは坂井‐和田の東日本,浅井‐川口の中部,脇本‐南の近畿,小川‐橋本‐栗田の四国。
スタートを取りにいったのは浅井と坂井と小川。小川が誘導の後ろに入って前受け。4番手に浅井,6番手に坂井,8番手に脇本の周回に。それぞれの車間が開くところはあったものの,打鐘周回のホームまで上昇の動きはありませんでした。バックに入って脇本が上昇の構えをみせると坂井がそれを制するように発進して打鐘。ホームで小川を叩いた坂井の先行となり,3番手に小川,6番手に浅井,8番手に脇本という一列棒状に。ホームの出口から脇本が発進しましたが,今度はそれを制して浅井も発進。浅井の外を回らざるを得なくなった脇本は一杯になって不発。自力で前の5人を捲り切った浅井が優勝。坂井マークの和田が浅井と川口の間を突いて半車身差で2着。浅井マークの川口が4分の1車輪差で3着。
優勝した三重の浅井康太選手は6月の大垣記念以来の優勝で記念競輪32勝目。GⅢは33勝目。四日市記念は2014年,2015年2月,2015年8月,2018年と優勝していて5年ぶりの5勝目。今年の4月のベイサイドナイトドリームも優勝しています。このメンバーでは脚力上位の脇本はこの開催が骨折からの復帰戦。決勝までは無難に勝ち上がってきていたのですが,ここは不発になりました。3日間を走った後でのレースということで,疲労が蓄積していたということもあったでしょうが,まだ決勝では勝てるまでの調子に戻っていなかったということだったのだと思います。浅井は楽な位置ではありませんでしたが,そこから自力で捲り切って勝ったのは,地元開催ということを割り引いても評価できるところで,こちらは復調してきていて,ビッグでも戦える状態に戻っているかもしれません。
メンデルスゾーンMoses Mendelssohnのスピノザの解釈に対して,それは誤りであって,本来はこのように解釈するべきであるという指摘をヤコービFriedrich Heinrich Jaobiがすることがあります。こうした指摘がなされるとき,正しいのはヤコービであって,メンデルスゾーンはスピノザの哲学を誤解しています。こうしたことから理解できるように,スピノザの哲学に対する正しい解釈者はメンデルスゾーンではなくヤコービであるといわなければなりません。こうしたことも,メンデルスゾーンが汎神論論争に参加したのは,止むを得ない事情があったからで,メンデルスゾーンの本意ではないところがあったと僕に思わせる理由になっています。

ところで,メンデルスゾーンが死んでしまったレッシングGottfried Ephraim Lessingに代わってヤコービに反論するとき,普通はヤコービはレッシングがスピノザ主義者であるといっているけれど,本当はそうではなかったというのではないかと僕は思います。スピノザのことを死んだ犬と評したレッシングは,そう評したという事実からして,スピノザの哲学に関心を抱いていたというのは事実だと思いますし,実際はヤコービが暴露したようにスピノザ主義者であった可能性もあると僕はみています。しかし表面上は死んだ犬とこき下ろしていたわけですから,もしレッシングが生きていたら,レッシング自身は自分はスピノザ主義者ではないと反論したでしょうし,そのように反論するほかなかったろうと僕は思っています。ところがメンデルスゾーンはそうせずに,たとえレッシングがスピノザ主義者であったとしても,スピノザの哲学は優れた哲学である,少なくとも優れた点を含んでいるというような仕方で,スピノザの哲学を擁護するような方法で反論したのです。
メンデルスゾーンがそのようにした真意は分かりません。もしそこに積極的な理由を探すとするなら,メンデルスゾーン自身のうちにそのような考え方があった,つまりレッシングがそう考えていたのではなく,メンデルスゾーンがスピノザの哲学を好意的に評価していたということになるでしょう。それが実際にどうであったかを確定するために,メンデルスゾーンのスピノザ受容に関する研究は,大きな意義をもつのです。
5日に玉野競輪場で争われた防府記念の決勝。並びは高久保‐村上の京都,古性‐稲川の大阪,犬伏‐取鳥‐清水‐松浦の四国中国で中本は単騎。
清水と古性がスタートを取りにいき,清水が誘導の後ろを確保して犬伏の前受け。5番手に古性,7番手に高久保,最後尾に中本で周回。残り3周のバックの出口から高久保が上昇を開始。犬伏が誘導との車間を開けて待ち構えました。高久保は残り2周のホームから犬伏を叩きに出ました。犬伏は当然のように突っ張り,高久保は取鳥の外で併走になって打鐘。この後のコーナーで取鳥が高久保を弾いて高久保は後退。バックに入って取鳥が番手から発進すると古性の捲り。この捲りを清水が牽制し,古性も不発に。返す刀で取鳥を差し切った清水が優勝。取鳥が1車輪差の2着。松浦も8分の1車輪差の3着に続いて中国勢の上位独占。
優勝した山口の清水裕友選手は3月の前橋のFⅠ以来の優勝。記念競輪は昨年の防府記念以来の9勝目。防府記念は2018年,2019年,2020年,2021年も制していて,六連覇となる6勝目。このレースはこの並びになった以上は犬伏が先行して取鳥の番手捲りという展開になるのが有力。高久保が思いのほかに抵抗しようとしたのですが,これも近畿の4人が結束せずに京都と大阪で分かれて戦ったので,想定できないものではありませんでした。犬伏が頑張りましたので高久保が早めに一杯になってしまったことで,力量上位の古性の捲りも止めることができました。ここは四国中国勢の結束力が強かったということでしょう。
ここからは僕が汎神論論争というのをどのようにみているのかを説明していきます。あくまでも僕の見方ですから,実際に汎神論論争がそのようなものであったということを保証することができるものではありません。
汎神論論争の契機となったのは,ヤコービFriedrich Heinrich JaobiがレッシングGottfried Ephraim Lessingのことをスピノザ主義者であったと暴露したことです。レッシングはスピノザのことを死んだ犬と非難したのですが,実際にはスピノザ主義者であったとヤコービは暴露したのです。ですがこの暴露は,レッシングの死後に行われたものでした。よってレッシング自身は,ヤコービのこの暴露に対して反論することができませんでした。ヤコービがレッシングの死後にこの暴露を行ったのは,もしかしたらレッシングがすでに反論する機会を失っているということを見越したものであったかもしれません。ただ,もしもレッシングが生きている間にこのような暴露が行われていたとしたら,たぶんレッシングは自身がスピノザ主義者であるということを否定するような反論をしたのではないかと想定されます。実際にレッシングはスピノザのことを批判していたわけですから,そのような仕方で反論する以外の方法をもち得なかったと思われるからです。

レッシング自身は死んでしまっていて反論することができなかったので,レッシングの代理としてヤコービに反論したのが,レッシングの弟子にあたるメンデルスゾーンMoses Mendelssohnでした。このゆえに僕は,メンデルスゾーンが汎神論論争に参戦することになったのは,レッシングの本意であったわけではなく,レッシングの弟子としてレッシングに対する非難に応えるという止むを得ない事情があったから,仕方がなかったのではないかとみているのです。ですから,レッシングがどの程度までスピノザのことを研究していたのかは分かりませんが,メンデルスゾーンの場合はスピノザのことをそれほど深く研究していなかった可能性が残ります。このことは実際にヤコービとメンデルスゾーンの論戦からも想定することができます。ヤコービはスピノザの反対者ですが,間違いなくスピノザのことを深く研究していました。メンデルスゾーンはそれには及びません。
10月31日の京王閣記念の決勝。並びは新田‐佐藤の福島,藤井‐柴崎の中部,中釜‐東口の近畿,晝田‐香川の瀬戸内で北井は単騎。
少しばかりの牽制となりましたが晝田がスタートを取って前受け。3番手に新田,5番手に中釜,7番手に藤井,最後尾に北井で周回。残り3周のバックから藤井が上昇開始。北井は続かなかったので,中釜が東口の後ろにスイッチ。ホームで藤井が晝田を抑えると,中釜が上昇して藤井の前に。バックから北井が発進。中釜を叩いて先行。新田が北井を追う形になり,ラインの切れ目に差がある縦長の一列棒状に。バックから北井との差を詰めにいった新田がコーナーの出口で北井を捲り,マークの佐藤と直線勝負。差は詰まりましたが凌いだ新田が優勝。佐藤が1車輪差の2着で福島のワンツー。佐藤の後ろにいた中釜が流れ込んで半車身差で3着。
優勝した福島の新田祐大選手は4月の高知記念以来の優勝で記念競輪11勝目。京王閣記念は初優勝ですが2015年の日本選手権を京王閣で優勝しています。ここは力では北井と新田が上位ですが,北井は単騎になりましたので新田が有利でした。北井が単騎でかましていったのは意外でしたが,そのときの位置の関係から追うことができたので,展開も有利に運べました。北井はかますにしてもタイミングがあまりに早かったように思います。ただ,もしも追い掛けてくるのが新田でなかったら,あれだけ早い段階で捲られることはなかったかもしれませんので,作戦として理解できないものではありません。道中の並びがかましていくにはあまりよくなかったということになるでしょう。
簡単ですが,ライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizに関してはこれまでに何度も言及してありますので,今回はこれだけにしておきます。

『スピノザーナ11号』はこの後,平尾昌宏の「メンデルスゾーンとスピノザ主義の水脈」,後藤正英の「スピノザ『神学政治論』からメンデルスゾーン『エルサレム』へ」と,メンデルスゾーンMoses Mendelssohnに関連する論文が続いています。スピノザとの関連でメンデルスゾーンが主題になっているものは,僕が知る限りでそう数が多いわけでなく,これらは希少でありかつかなり有益なものであるといえるでしょう。ただし僕はメンデルスゾーンの思想についてはほとんど知るところがないので,メンデルスゾーンについて論考できる力は持ち合わせていません。まず最初に,なぜ事情がそのようになっているのかということを説明しておきます。
メンデルスゾーンがスピノザと関連して探求の対象となるとき,それはいわゆる汎神論論争との関連を抜きにして考えることができません。ただ,この論争にメンデルスゾーンが参加するとき,それはメンデルスゾーンの本意であったというより,止むを得なかったという側面があるように見受けられるのです。いい換えれば,メンデルスゾーンはある積極的な理由があって汎神論論争に参加したわけでなく,消極的な事情から汎神論論争に参加せざるを得なかったという面があるように思われるのです。しかしこれは僕にそのように見えているというだけであって,実際にはそうでなかったかもしれません。このような意味で,メンデルスゾーン自身がスピノザの哲学をどのように解していたのかという研究は,貴重なものですし,また有益なものとなってきます。仮に汎神論論争に参加したこと自体はメンデルスゾーンにとって本意ではなかったのだとしても,メンデルスゾーンがスピノザの哲学と触れたとき,そこに積極的なものが何もなかったということはあり得ないのであって,その積極性が具体的にどのような事柄であったのかということは,様ざまな角度から検証されるべきことであろうと僕は考えます。つまりこの点では,汎神論論争の当事者としてのメンデルスゾーンという観点だけに注目するべきではないのです。
第48回エリザベス女王杯。
ジェラルディーナは立ち上がって2馬身の不利。アートハウスが逃げて1馬身ほどのリードを取ると2番手にはローゼライト。3馬身差でハーパーとゴールドエクリプス。ブレイディヴェーグとマリアエレーナが続いてさらにルージュエヴァイユとジェラルディーナ。ククナとシンリョクカも並んで続き,ライラックとディヴィーナ。イズジョーノキセキが13番手。サリエラとビッグリボンが並んで最後尾というという隊列。最初の1000mは61秒1の超スローペース。
直線の入口でもアートハウスが先頭。追い掛けていたローゼライトの方が一杯になって,やや外へ出したハーパーが単独の2番手に。大きく開いたアートハウスとハーパーの間からブレイディヴェーグが鋭く伸び,瞬く間に抜け出して優勝。ブレイディヴェーグのさらに内から伸びてきたルージュエヴァイユが4分の3馬身差で2着。ハーパーがクビ差で3着。
優勝したブレイディヴェーグは重賞初勝利での大レース制覇。初戦の新馬を2着になった後,未勝利と1勝クラスを連勝。前走のローズステークスが重賞初挑戦で2着。底は見せていない馬でした。キャリアの4戦はすべて出走馬の中で最も速い上りタイムをマークしていて,持ち味は鋭い切れ味。今日はそれが生きる展開になったことで,重賞初制覇を大レースで達成するに至りました。3着馬が今年のクラシックで善戦を続けていた馬ですから,その程度の力量を備えているという見方でよいと思います。父はロードカナロア。母の父はディープインパクト。母のふたつ下の全妹に2015年のJRA賞で最優秀3歳牝馬に選出されたミッキークイーン。Brede Wegはオランダ語で広い道。

騎乗したクリストフ・ルメール騎手は天皇賞(秋)以来の大レース制覇。第45回以来となる3年ぶりのエリザベス女王杯2勝目。管理している宮田敬介調教師は昨年のJBCスプリント以来の大レース2勝目。
伊豆蔵の論考に関連する考察はこれで終了にします。その次に掲載されている論文は松田毅の『ライプニッツはスピノザをどう読んだか』というもので,これには『神学・政治論』・「自然主義」・ライプニッツという副題がついています。この論考に関してはここで詳しく探求しなければならないものは含まれていません。なので素通りしてもよいのですが,論考に関して探求するべき内容が含まれていないのは,ライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizとスピノザの関係についてはこれまでにも考察があったからという理由が大きいので,ライプニッツとスピノザの関係を僕がどのように解しているのかということだけ,簡潔にまとめておきます。
まずライプニッツはスピノザの思想がいかなるものであるかということについては,よく理解していたと僕は思っています。それを理解した上で,その反対者になったというのが僕の見解です。逆にいえばそれはライプニッツがスピノザの哲学を高く評価していたという意味でもあって,だからライプニッツは,もしもライプニッツ自身が誤っているのであれば,スピノザの哲学が正しいというようにいったのではないでしょうか。
ライプニッツがスピノザに対する反対者の立場を選択したのが,ライプニッツ自身の思想のゆえであるかどうかは不分明だと僕は思っています。ライプニッツは宮廷に仕える学者でしたから,キリスト教の立場は守る必要があり,その立場のゆえにスピノザの思想を否定したというのも,可能性としては排除することができないと僕は思うからです。ライプニッツがスピノザをどのように受容し,それに対してどのように反駁したのかということを考察するときに,ライプニッツがこのような立場にあったということを無視することはできないというのがぼくの基本的な視点です。
ライプニッツがスピノザに関して言及してることだけで,ライプニッツとスピノザの関係を把握するのは危険を伴うのは間違いないでしょう。表面上ではライプニッツはスピノザのことを全面的に否定しているといって過言ではありませんが,わざわざスピノザに会いにいき,死後に遺稿集Opera Posthumaを入手しているのは,その何よりの証明だと思います。
岩手から1頭,金沢から1頭が遠征してきた8日の第34回ロジータ記念。

リコシェが逃げて2番手にメイドイットマム。3番手にマテリアルガール。その後ろはフークエンジェルとスギノプリンセスとミニアチュール。その後ろにエオリエンヌとショウガタップリ。3馬身ほど開いてソフィアクラウンとワイズゴールド。6馬身ほど離れた最後尾にダイアモンドモアで発馬後の向正面を通過。正面に入ってこの差は詰まっていきました。ミドルペース。
2周目の向正面に入ったところでリコシェのリードは2馬身くらい。この後,メイドイットマムの外にマテリアルガールが上がってきて,後方のワイズゴールドが捲り上げてきたことでペースアップ。3コーナーではリコシェとメイドイットマムが併走になりました。その後のコーナーではメイドイットマムが先頭に出てその外にマテリアルガール。リコシェは後退してスギノプリンセスが上がってきました。直線に入るところでメイドイットマムが少し外に出たので,マテリアルガールはさらにその外になって,スギノプリンセスはメイドイットマムの内へ。さらにその内からフークエンジェルが追い上げてくる形に。メイドイットマムはここから2番手以下を離していって快勝。その内にいったスギノプリンセスが4馬身差で2着。直線の伸びをやや欠いたマテリアルガールが1馬身差で3着。フークエンジェルがクビ差の4着でマテリアルガールのさらに外から追い込んできたショウガタップリがクビ差で5着。
優勝したメイドイットマムは桜花賞以来の勝利で南関東重賞3勝目。その後の2戦は勝てなかったものの善戦。秋の初戦となったこのレースのトライアルはマテリアルガールの2着でしたが,そのときは57キロを背負っていましたので,逆転は可能とみていました。南関東での実績は断然でしたから,順当な優勝とみてよいかもしれません。ただすぐに古馬を相手にして通用するほどの記録は残していないようにも思えます。母の父はゼンノロブロイ。10代母がシュリリーで4代母がリンデンリリー。3代母の7つ下の半妹が2003年にフィリーズレビューを勝ったヤマカツリリー。
騎乗した船橋の本橋孝太騎手はブリリアントカップ以来の南関東重賞33勝目。ロジータ記念は初勝利。管理している船橋の石井勝男調教師は南関東重賞3勝目。ロジータ記念は初勝利。
ここまでみてきたことから分かるように,僕が解する群衆multitudoの理論を政治論に適用する場合は,この方面でも注意が必要です。現実的に存在する人間は,論理的には自身の自然権jus naturaeが拡充しているのに,それを自然権の拡充と表象せず,むしろ自然権の侵害と表象するimaginariことがあるのであって,このことを無視して政治論を構築してしまうと,むしろ群衆間に亀裂を齎すことになりかねません。もしそのような事態が生じれば,国家Imperiumが有する力potentiaは減少するでしょうし,ひどい場合には国家の消滅を招くことすらあり得るでしょう。それは国家が有しているコナトゥスconatusに反するといわなければなりませんから,国家あるいは国家の統治権imperiumを有する者は,単に国家を構成する市民Civesの自然権を拡充させていけばよいというものではないのです。
詳しい政治論には踏み込みませんが,政府が市民を統治する際に何が重要であるのかということは理解できたと思います。ひとつは群衆を構成する市民の自然権はほぼ同等であるということ,もうひとつは群衆を構成する成員の自然権が拡充するということは群衆全体の自然権が拡充するということであって,したがってそれは成員個々の自然権が拡充するということであるということを,市民の個々が見誤らないようにすること,いい換えればそれは真理veritasであるのですが,それが真理であるということを説明するだけでなく,表象imaginatioの上でもそうなるように仕向けていくことなのです。第四部定理一により,真理が真理であるというだけでは虚偽falsitasの中にある積極的なものは除去し得ないし発生することを妨害することもできません。つまり政治論というのも,何が真理であるのかということを説明すればよいというものなのではなく,発生を妨害できず,除去することもできないような虚偽に,どのように対応するべきなのかということが含まれていなければなりません。いい換えれば政治論というのは,単に政治理論だけで成立するものなのではなくて,人間の現実的本性actualis essentiaに根差した方法論を同時に必要としているのです。もしもその方法論が欠けてしまえば,その政治論は実践として用いることができないような空虚な理論であるといわなければなりません。
7日にオーストラリアのフレミントン競馬場で行われたメルボルンカップGⅠ芝3200m。
ブレークアップは16番手の外を追走。先頭からは15馬身ほどの差がありました。道中はほとんど動かずコーナーに入ってから差を詰めていきました。枠順の関係からずっと外を回っていたこともあり,直線の入口ではずらりと並んだ外から2頭目に。ここからは徐々に内に切れ込んでいくような形で伸びを欠き勝ち馬から14馬身4分の1ほどの差で16着でした。
距離が延びることはプラスに作用しそうなので楽しみにしていたのですが,結果からみると力が足りなかったようです。枠順もコース取りも不利なものではありましたが,何より位置取りが後ろになってしまったことが大きく響いてしまったように思います。
健常者が有している自然権jus naturaeを,障害者が新たに獲得するという場合は,それを権利の侵害であると表象するimaginari健常者が多くなることになります。これは第三部定理三六に合致するからです。あるいは健常者をひとりの人間,障害者をひとりの人間というように考えれば,第三部定理三二を援用することもできるでしょう。実際は健常者が有している権利であるとしても,障害者がその権利を新たに獲得するときに,それが障害者であるがゆえに享受することができるような権利であるとすれば,それはこの定理Propositioにおけるただひとりしか所有し得ない権利というのを,障害者だけが所有することができる権利と読み替えることで,この定理がそのまま成立することになるからです。たとえば,原子力発電所の事故で直接的な被害を受けた人が,被害を受けたということを理由として何らかの補償を受けるとき,そうした被害を受けていないがゆえにそうした補償を受けることができないために補償を受ける人を妬むということはあり得る,というか現にあるというべきですが,そうしたこともこの定理の帰結のひとつと考えることができます。この定理の直後の備考Scholiumでスピノザがいっているように,人間の現実的本性actualis essentiaというのは,不幸な人についてはそれを憐れむように,幸福である人に対してはそれを妬むようにできているのです。他面からいえば,僕たちは不幸であると表象している人はそのまま不幸であり続けることを望み,幸福であると表象している人に対してはその幸福が終わることを望むようになっているのです。

実際には群衆multitudoの成員のだれかの自然権が拡充されることは,群衆の成員全体の自然権が拡充されるということであり,よってそれは群衆を構成する諸個人の自然権が拡充されるということなのです。ですからたとえば同性愛者の自然権が拡充されるのなら,それはその同性愛者が属する群衆の中の異性愛者の自然権も拡充されるということです。しかし実際には異性愛者は同性愛者の自然権の拡充を異性愛者の自然権の侵害であると表象するものなのであって,こうした事態は避けようがないといわなければなりません。こうしたことがすべての場合に妥当するのです。
北海道から1頭が遠征してきた東京2歳優駿牝馬トライアルの7日の第23回ローレル賞。

テルオールが逃げて2番手にミスカッレーラ。3番手にアメリアハートとトレイルリッジ。5番手にスピニングガールとフォルトリアンとザオでここまでが先行集団。5馬身くらい開いてボレロオブソロウとクロスレイジング。3馬身差でムサシジェリーナとアニモとジョーソーレ。2馬身差でシアワセノヨカン。ウインアザレアは大きく取り残されました。前半の800mは51秒3のミドルペース。
3コーナーからはテルオールとミスカッレーラで雁行。直後にアメリアハートが追い上げてきて,この3頭で4番手のスピニングガールに4馬身くらいの差をつけました。直線に入るとミスカッレーラが先頭に立ち,外からアメリアハートの追い上げ。差が開いたり詰まったりしましたが,先頭に立った後はミスカッレーラが前を譲らずに優勝。アメリアハートが4分の3馬身差で2着。テルオールは一杯になり,スピニングガールが8馬身差で3着。
優勝したミスカッレーラはこれでデビューから3連勝での南関東重賞制覇。新馬は2着に2秒2の差をつけ,2戦目も4馬身の差をつけていましたので,ここでも通用するのではないかと思っていました。アメリアハートは体重が大きく減っていて,能力全開とはいかなかったのかもしれませんが,北海道では重賞を勝っている実績馬ですから,2戦のキャリアでそれを降しての優勝は高く評価できると思います。来年のクラシックを狙える馬ではないでしょうか。母の父はネオユニヴァース。ふたつ上の半兄が3月のフジノウェーブ記念を勝っている現役のギャルダル。Carreraはスペイン語でキャリア。
騎乗した大井の御神本訓史騎手はハイセイコー記念以来の南関東重賞66勝目。第11回,13回,19回に続き4年ぶりのローレル賞4勝目。管理している船橋の川島正一調教師は南関東重賞30勝目。ローレル賞は初勝利。
SPAT4ではPOGがあり,ミスカッレーラは僕の指名馬です。そうしたことがレースの評価に影響しないようにと思ってはいますが,いくらかはフィルターを掛けていただいた方がよいかもしれません。
たとえば第三部定理三六は,自然権jus naturaeにも適用することができます。権利というのは享楽していると考えることができるからです。少なくとも,享受していると考えることができるというなら,とくに反対する人はいないでしょう。このゆえに,自分が享受している権利をだれかほかの人も享受することができるようになることを,現実的に存在する人間は厭うような傾向conatusを有することになるのです。
現実は,他者の自然権が拡充されることは.その他者が属する群衆multitudoの成員全体の自然権が拡充されることです。ところが,僕たちはそれを厭うような傾向をもっていることになります。いい換えれば,成員全体の自然権が拡充し,結果的に自身の自然権は拡充されるのに,そのことを厭うような傾向も有しているのです。もちろん,自身の自然権が拡充されるということは,第三部定理七に合致することですから,それは各人のコナトゥスconatusにも合致するのであって,その限りでは僕たちはそれを希求します。しかしもしもそのことが,自身の自然権が侵害されることであると認識された場合には,第三部定理七には反することになります。よって僕たちはそれを忌避することになるでしょう。第三部定理九にあるように,僕たちのコナトゥスというのは,僕たちが十全な観念idea adaequataに従っていようと,いい換えれば僕たちが理性ratioに従っていようと,あるいは僕たちが混乱した観念idea inadaequataに従っていようと,いい換えれば僕たちが受動感情に隷属していようと,同じように力potentiaを発揮することになります。そして第四部定理一にあるように,僕たちはある事柄の十全な観念を有しているからといって,その同じ事柄の混乱した観念を除去することができるわけではありませんし,そうした混乱した観念が発生することを阻害することができるわけではありません。なので本来であれば,第三部定理七に適合するがゆえにそれを希求するべきところであることを,むしろ第三部定理七に反するがゆえにそれを忌避してしまうということが起こるのです。
たとえば障害者が新たな権利を獲得することは,健常者にとってもその権利が拡充されることです。しかし権利の侵害と認識されることがあり得ます。
3日と4日にアメリカのサンタアニタパーク競馬場で開催されたブリーダーズカップ。ジュベナイルGⅠダート8,5ハロンに出走予定だったエコロネオが取消となったため,日本馬の出走は4日のレースに集中しました。
ブリーダーズカップフィリー&メアターフGⅠ芝10ハロン。ウインマリリンは後方3番手から。内を回って先頭との差は10馬身くらい。直線は馬群の中に突っ込んでいき,3着馬にハナ差まで迫っての4着。勝ち馬との差は1馬身4分の1ほど。
ブリーダーズカップフィリー&メアスプリントGⅠダート7ハロン。メイケイエールは発馬後に隣の馬との接触があって後方2番手。外に出して5番手の外まで上昇。しかしコーナーで早々に一杯となって9着。勝ち馬との差は13馬身4分の3ほど。
ブリーダーズカップマイルGⅠ芝8ハロン。ウインカーネリアンが逃げてソングラインはウインカーネリアンから8馬身くらいの差で6番手の外を追走。ソングラインはコーナーで外を回されることになりほかの馬たちとは相対的に伸び脚を欠いて5着。勝ち馬との差は1馬身4分の1ほど。ウインカーネリアンは直線に入ってすぐに一杯になって11着。勝ち馬との差は4馬身4分の1ほど。
ブリーダーズカップターフGⅠ芝12ハロン。シャフリヤールは発馬後は3番手の内。徐々に下がって先頭から8馬身くらいの6番手の内に。コーナーで漸進していき直線は前をいく3頭の外へ。そこから伸びはしたものの勝ち馬から1馬身4分の1差の3着。このレースはシャフリヤールが外へ行ったので開いた内を突いた馬が勝っていて,各馬の進路選択が勝敗を分けた感があります。
ブリーダーズカップクラシックGⅠダート10ハロン。デルマソトガケが3番手,発馬で1馬身ほどの不利があったウシュバテソーロは最後尾を追走。デルマソトガケは先頭から4馬身差の4番手に下がりましたが直線は外目に。そこからじりじりと伸びて1馬身差の2着。ウシュバテソーロは最初のコーナーワークで8番手まで上昇。さらに向正面でもインから上昇すると直線の入口ではデルマソトガケの外へ。こちらは直線は一杯になって勝ち馬からおよそ3馬身4分の1差の5着。
ブリーダーズカップターフスプリントGⅠ芝5ハロン。ジャスパークローネは押していきましたが2番手。コーナーで口向きの悪さをみせるとそこからは後退。勝ち馬からおよそ5馬身半差で12着。
各人の自然権jus naturaeがほぼ同等であるというのは,政治論でいえば,各人の権利が平等であるということです。よって,僕がいっている群衆multitudoの理論を政治論に適用する際には,各人の権利が平等になるような政治は何より必須であるということになります。これは,単に権利においての平等が確保されていなければならないということと同時に,群衆の各成員が,各人の権利が平等であることを前提に振る舞うことができるようにするということを含んでいます。政治がその方向から逸れた場合には,この群衆がひとつの群衆という集団を形成していくことが困難な状態になってしまうことさえあり得るといわなければなりません。
さらにもうひとつ注意しておかなければならないことがあります。
個人が群衆の成員となることによって自然権が拡充されます。ですから群衆の成員の自然権が拡充されるのであれば,それは全体の利益です。つまり,群衆を構成するだれかをひとりだけ抽出して,その人の自然権が拡充されるということがあれば,それは群衆全体の自然権が拡充されるということなのですから,群衆を構成している諸個人の自然権が拡充されるということを意味します。つまり群衆という集団の中では,自然権が拡充されるという他者の利益が,自身の利益となるように論理上はなっています。論理上そのようになっているというのは現にそのようになっているということです。群衆が全体でなし得ることが拡充されるならば,それは群衆を構成するひとりの人間のなし得ることが拡充されるということを意味するのですから,これは当然といえるでしょう。

ところが,人間の現実的本性actualis essentiaというのはこれと反するようにできている側面があります。簡単にいうと,この場合は他者の権利が拡充されるということが自身の権利が拡充されるということと同じ意味をもっていて.この他者と自身が同じ群衆の成員である限り,これは実際にそうであるとしかいいようがないのですが,それでも人間は,他者の権利が拡充されるということを,自身の権利が侵害されることであるというように認識するcognoscereようになっています。あるいはそのように認識しやすくなっているのです。
4日にオーストラリアのローズヒルガーデンズ競馬場で行われたゴールデンイーグル芝1500m。
オオバンブルマイは概ね6番手の内でレースを進めました。直線になって馬群が凝縮し,進路の確保に不安が生じたのですが,すぐ前を走っていた馬が少し外に膨れたところでその内を突いて3番手に。逃げた馬と外から追ってきた馬の間にその後の進路を取ると,残り50mを過ぎてから3頭の真ん中から前に出て優勝しました。
優勝したオオバンブルマイはアーリントンカップ以来の勝利で重賞3勝目。NHKマイルカップで3着に入っていましたので,今年の3歳馬の中ではこの路線の上位クラス。オーストラリアでどの程度まで通用するかは不明でしたが,勝ち負けできる能力があったということでしょう。ずっと内を回って進路が開いたというのは幸運だった面もありますから,能力がはっきりと上だったという見方はできないかと思います。母の父がディープインパクトで祖母の父がサクラバクシンオー。母のひとつ上の全姉が2015年の函館2歳ステークスと2016年のキーンランドカップを勝ったブランボヌールで,3つ下の半妹が2019年の函館2歳ステークスと2020年の葵ステークスと2021年の函館スプリントステークスを勝ったビアンフェ。
騎乗したオーストラリアのジョシュア・パー騎手は日本馬に騎乗しての重賞初制覇。管理している吉村圭司調教師は海外重賞初勝利。日本馬による海外重賞制覇はコリアカップ以来。オーストラリアでは2019年のコックスプレート以来。
ゴールデンイーグルは創設後間もないため,日本馬の出走自体がこれが初めて。未格付けになっているのも創設から間がないためで,将来的には格付けされるとの前提の下に,ここではビアンフェが勝った葵ステークスと同様に,未格付けの重賞として扱いました。ただ格付けされないケースもあり得ますので,その場合は重賞として扱わなくなることもあるとご理解ください。
実情は群衆multitudoを構成する成員のそれぞれが有している自然権jus naturaeはほぼ同等となっています。ところが,群衆の中のある成員は,ほかの成員より強力な自然権を有しているというように僕たちは表象するimaginariことがあります。たとえば大統領が有している自然権は一市民が有する自然権よりも強大であるという表象imaginatioを,その大統領によって統治される群衆の成員が有するということがあり得るということは,とくに説明するまでもなく明らかなのではないでしょうか。すると,当然ながらそのような強力な自然権を有していると表象している人物に対して阿るということが容易に生じることになります。公務員が首相や大臣に忖度を行うというようなことも,こうした現象のひとつであるといえます。そしてこのようなことが実際に生じてしまうと,高慢な人間と阿諛の徒adulatorが生じるということになります。第四部定理五六系により,こうした人びとは諸々の受動感情に隷属することになるので,これは群衆の道徳心や平和paxにとっては悪影響を及ぼすとしかいえません。つまり群衆が,実際には成員の個々が有している自然権はほぼ同等であるということを見誤ると,むしろ群衆の道徳心や平和が損なわれる結果effectusを齎すことになるのです。

現実的な世界はこのような一面を有しているのであって,なぜそのような一面を有してしまうのかということも,上述したようにスピノザの哲学によって説明することができます。ですから,僕が解しているような群衆の理論をそのまま政治論に適用する際には,このような一面があるということを見失ってはいけません。個人は群衆の成員となることによってその自然権を拡充することに成功することになり,そのこと自体は群衆のあるいは諸個人の道徳心にとっても平和にとってもきわめて有益なことです。しかし一方で人間は表象から逃れることができないのであって,その表象像imagoによって容易に引きずられてしまうということ,とくに第四部定理一により,真理veritasが何であるかを知っていたとしても引きずられてしまう場合があり得るという点を無視してはいけません。このことを無視すれば,この政治論は政治論として成立することはないと僕は考えます。
3日に大井競馬場の2000mで争われた第23回JBCクラシック。武豊騎手が10月29日の5レースの終了後に右太腿を負傷したためノットゥルノは森泰斗騎手に変更。
サベージは発馬直後に控えました。各馬の牽制があった上でノットゥルノの逃げとなり,テーオーケインズが2番手でマーク。1馬身半差でケイアイパープルとキングズソード。2馬身差でウィルソンテソーロ。2馬身差でクリノドラゴン。1馬身差でメイショウハリオ。2馬身差でミヤギザオウ。4馬身差でトランスナショナル。2馬身差の最後尾にサベージという隊列。前半の1000mは61秒5のハイペース。
3コーナーではキングズソードが単独の3番手に。直線の入口ではノットゥルノ,テーオーケインズ,キングズソードの3頭が雁行。直線で3頭の競り合いから抜け出たのは大外のキングズソード。前に出てからは後ろとの差を広げていって快勝。ノットゥルノとテーオーケインズはフィニッシュまで競り合い。一旦はテーオーケインズが前に出ましたが,差し返したノットゥルノが4馬身差で2着。テーオーケインズがアタマ差で3着。直線で内を突いたものの伸びを欠いたメイショウハリオは2馬身半差の4着まで。
優勝したキングズソードは重賞初勝利での大レース制覇。今年の2月にオープンに昇級。アンタレスステークスは3着でしたがその後がオープンを連勝していて,底を見せていませんでしたから通用の余地はありました。昨年暮れからの充実が著しい馬ですので,今後もトップクラスで活躍していくことができるだろうと思います。母の父はキングヘイロー。アストニシメント系マツトミの分枝で8つ上の半兄が2017年にプロキオンステークスを勝ったキングズガード。
騎乗したブラジルのジョアン・モレイラ騎手は一昨年の香港ヴァーズ以来の日本馬に騎乗しての大レース8勝目。日本国内では2018年のエリザベス女王杯以来の大レース制覇。JBCクラシックは初勝利。管理している寺島良調教師は開業から7年1ヶ月で大レース初勝利。
スピノザがいっている群衆multitudoというのを僕がいっているように解した場合は,前提としなければならないことがあります。それは,群衆の成員のひとりの自然権jus naturae,これはそのひとりが群衆の成員としてという意味ではなく,ひとりの人間としてという意味ですが,そのひとりの自然権は,ほかのひとりの自然権と同等であるということです。完全に同一である必要はありませんが,程度においては同じでなければなりません。そしてこのように,程度において同じ自然権を有する一人ひとりの人間が団結することによって,その団結した集団が群衆となり,群衆の成員の全員の自然権が,相対的には拡充されるという関係が構成されるのです。

原理的にいえばこれは正しいといえると僕は考えます。よってこのことを前提とするのは,原理的な誤りerrorを含んでいるわけではありません。なぜなら,スピノザがいう自然権の原理は第三部定理七のコナトゥスConatusにあるからです。しかしこのコナトゥスという力potentiaは,第四部定理三にあるように,ひとりの人間にとっては無限に凌駕されるinfinite superaturような制限を被っている力であるのです。つまり,ひとりの人間が,他の人間のことを無視してたったひとりで外部の自然Naturaに立ち向かうときには,外部の自然の力によって容易に凌駕されてしまうでしょう。僕は今回の考察の中で,乳児の例を出しましたが,これは例として分かりやすくするためであって,たとえ成人であったとしても,人間が外部の自然に対して自己の有esseに固執し続けるということはきわめて困難なのであって,その人間のコナトゥスの力などというのはたかが知れたものであるといわざるを得ません。もしもこうした状態のことを自然状態status naturalisというのであれば,自然状態において人間が有している自然権はなきに等しいとさえいわなければならないでしょう。
こうしたことが群衆の成員のすべてに妥当します。よって原理的には,群衆の成員のあるひとりが有している自然権は,ほかのあるひとりが有している自然権にほぼ等しいということが,原理的には妥当するのであって,そのことは誤りではありません。ただしここが重要なのですが,この原理は正しく認識されるわけではありません。
3日に大井競馬場の1200mで争われた第23回JBCスプリント。武豊騎手が10月29日の5レースの終了後に右の太腿を負傷したためリメイクは御神本騎手に変更。
ダンシングプリンスは発馬直後に躓いて落馬。アルカウンは立ち上がって1馬身の不利。まずギシギシが先頭に立ってラプタス,イグナイター,モズメイメイ,ジャスティンの4頭が追う形。ラプタスの逃げとなってイグナイター,モズメイメイの順で続き,ギシギシとジャスティンはその後ろ。さらにバスラットレオンも追い上げてきて,ケイアイドリーの後ろにはアルカウンも巻き返してきました。リュウノユキナ,リメイク,マックス,ジュランビルという順で続き,2馬身差でスタードラマー。ゴッドセレクションは取り残されました。前半の600mは34秒4のハイペース。
3コーナーからラプタス,イグナイター,モズメイメイで雁行になりましたが,ほどなくモズメイメイは一杯に。ギシギシ,バスラットレオン,ジャスティンが追ってきました。直線に入るとラプタスの内にギシギシ。外にイグナイターで,後方からリュウノユキナとリメイクが追い込んできました。ラプタスが一杯になって先頭はイグナイター。大外のリメイクの追い込みは届かず,イグナイターが優勝。リメイクが1馬身半差で2着。リュウノユキナが4分の3馬身差で3着。
優勝したイグナイターは前々走の兵庫の重賞以来の勝利。重賞はさきたま杯以来の4勝目で大レースは初制覇。僕は今年のJBCの中ではこのレースのリメイクが最も勝つ可能性が高いとみていましたので,それを2着に降しての金星という形。とはいえ重賞を3勝してそれ以外のレースでも大きく崩れてはいませんでしたから,確かな能力があったのは間違いありません。勝ちタイムが1分12秒0と想定よりもかなり遅くなったのですが,これはおそらく馬場の影響で,この馬場がリメイクよりもイグナイターに味方したという面はあったかと思います。父は第13回を勝ったエスポワールシチーで父仔制覇。4代母がファーザの祖母にあたる同一牝系。Igniterは点火剤。
騎乗した大井の笹川翼騎手はさきたま杯以来の重賞3勝目。デビューから10年半で大レース初制覇。管理している兵庫の新子雅司調教師はさきたま杯以来の重賞7勝目。開業から11年5ヶ月で大レース初制覇。
個人は群衆multitudoの一員となることによって,個人では有し得なかった抑止力を他の群衆の一員である個人に対して有することができます。これは自然権jus naturaeの拡充以外の何ものでもありません。もちろん群衆の一員としての個人は,個人としては群衆の一員として抑止力の制約を被ることになりますが,相対的にいえば,個人は群衆の一員となることによって,全体的な自然権の拡充に成功することになります。ホッブズThomas Hobbesの概念notioに合わせていえば,これはすべての個人が群衆の一員ではないという状態が自然状態status naturalisすなわち万人の万人に対する戦争状態であって,群衆の一員となった状態が国家Imperiumの状態に該当します。ただし,ホッブズは国家において国家の一員である個人が自然権を放棄しているとしていますが,スピノザの場合には,個人は自然状態におけるのと同じ自然権をそっくりそのまま有しているのであり,かつその自然権はむしろ拡充しているということになります。また,ここでいわれている群衆というのは,必ずしも国家の国民だけを意味するとは限りません。ですから個人の自然権が拡充した状態は,国家だけを意味するわけではありません。

こうした抑止力が働くということは,個人が群衆の一員となることによって,その群衆全体の道徳心や平和paxは損なわれるどころかむしろ強化されるているのがよく理解することができると思います。つまり個人が群衆の成員となって自然権が拡充されると,その群衆全体は道徳心を強化し,平和の裡に暮らすことができるようになるのです。『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』の冒頭で哲学する自由libertas philosophandiについてスピノザがいっていることは,単に哲学する自由についてだけ該当するわけではなく,個人が群衆の一員となり,自然権が拡充する場合について,一般的いえるのです。ですから国家はむしろ市民Civesの自然権の拡充を尊重しなければならないのであって,それを破壊するならば,哲学する自由を踏みにじるのと同じように,国家の平和も国民の道徳心もかえって損なわれることになるのです。
事情はこのようになっていて,それは正しいと僕は考えます。ただこれを実際の政治論に適用するときには,留意しておかなければならない点があります。
昨日の第4回JBC2歳優駿。
ブラックバトラーはゲートの中で膠着してしまい4馬身の不利。フォーディアライフ,インテンシーヴォ,パッションクライの3頭が前にいこうとして,この順番通りの並び。4番手にパワーキングダム。5番手にエストレヤデベレンとサンライズジパング。7番手にダバイエスペランサとモアリジットとティントレット。この後ろのフォーエバーヤングまでは一団。3馬身差でマイベネラブル。ブラックバトラーは大きく離されました。ミドルペース。
3コーナーではフォーディアライフとインテンシーヴォとパッションクライが雁行。インテンシーヴォはすぐに一杯。パッションクライがコーナーの途中で単独の先頭に立つと,外からサンライズジパングが追い上げてきて,直線に入ったところからはパッションクライとサンライズジパングの競り合いに。3馬身差まで差を詰めてきたのがフォーエバーヤング。パッションクライを競り落としたサンライズジパングが先頭に立ちましたが,フォーエバーヤングの末脚がさらに上回り,サンライズジパングを差し切って優勝。サンライズジパングが1馬身半差で2着。離れた最後尾から大外を追い込んだブラックバトラーが8馬身差の3着。
優勝したフォーエバーヤングは新馬を勝ったばかりでの出走。2歳のダート1800mの新馬戦としてはかなり優秀なタイムで4馬身差の快勝でしたから,素質は上位と思われました。前走よりも後ろからの競馬になりましたが,出走馬で最高の上りタイムを記録しての優勝ですから,素質だけでなく能力も上位だったということでしょう。かなり上の方までいくことができる逸材ではないかと思います。父は2015年に共同通信社杯,2016年にドバイターフ,2017年に毎日王冠を勝ったリアルスティール。その父がディープインパクトで母がラヴズオンリーミー。祖母の3つ下の半弟がゼンノロブロイ。

騎乗した坂井瑠星騎手と管理している矢作芳人調教師はJBC2歳優駿初勝利。
スピノザは政治論を展開するときに,multitudoという概念notioを導入しています。これは多くの識者が着目している概念です。意味合いとしては多数者ということで,民衆とか大衆といった具合に,多くの訳語が適用されています。ここではこれを群衆といっておきます。この群衆が有する自然権jus naturaeが,個人の自然権を上回るがゆえに,個人は群衆の一員となることによって自然権が拡充されることになるとスピノザはいいたいのだと僕は解します。したがってここでいわれている群衆というのは,任意に抽出されるような人間集団のことをいうのではありません。その中に群衆の一員としての個人が含まれているということがあらかじめ含意されていて,その上でその人間が所属する人間集団が群衆といわれていると僕は解します。要するに僕は群衆というのをこのような意味として使用します。この点に注意しておいてください。
この群衆の自然権が個人の自然権を力potentiaで上回るということは,僕たちはそれを意識していないかもしれませんが,よく知っているところであるといえると思います。世間体を気にするとか,他人の目を気にするとかいうとき,僕たちはこのような意味での群衆のことを認識しているのであって,そのゆえに僕たちの行動が左右されるとすれば,それはそのように認識している個人の自然権よりも,群衆の自然権が力の上で上回っているというようにその個人が認識していることの証明であるといえるからです。そして実際に僕たちの行動は,こうしたことによって左右されているといえるでしょう。
このために,群衆はその中の成員である個人に対して,ある種の制約を与え得ることになります。これは通常の場合は抑止力といわれている力であって,これは国家間の力関係においてよく使用されるのですが,個人と群衆の間でも成立するのです。群衆の目が個人の犯罪を抑止するということは実際にあるのだとしかいいようがないと僕は考えます。それは,個人が有している自然権に対して,群衆が有している自然権の方が力で上回っているからだといっていいでしょう。そして個人は群衆の一員としては,他者に対してこの抑止力を持つのです。
大井競馬場の1800mで争われた第13回JBCレディスクラシック。武豊騎手が10月29日の5レース終了後に右太腿を負傷したためアイコンテーラーは松山騎手に変更。岩田望来騎手はおそらく何らかの事情で競馬場への到着が遅れてしまったためにライオットガールは森泰斗騎手に変更。
内の5頭が総じてほかより好発。逃げたのはヴァレーデラルナで2番手にアイコンテーラー、3番手にノーブルシルエットという並びに。4番手はレディバグとライオットガール。5番手にグランブリッジ。この後ろは3馬身くらい離れました。テリオスベルは今日は向正面から上昇。スピーディキックとアーテルアストレアは並んで追走。ティーズハクア,サルサレイア,ラブラブパイロの3頭が並んで後方を追走。最初の800mは49秒8のミドルペース。
3コーナーでは追い上げたテリオスベルが逃げたアイコンテーラーの外まで並び掛けました。このペースアップで3番手以下との差がやや開き,内にヴァレーデラルナで外がグランブリッジ。直線に入るとアイコンテーラーが再びテリオスベルを引き離し,そのまま鮮やかに逃げ切って優勝。早めに追い上げたグランブリッジが2番手に上がり,さらに後ろから追い込んできたアーテルアストレアが迫って2着争い。凌いだグランブリッジが4馬身差の2着でアーテルアストレアが半馬身差で3着。
優勝したアイコンテーラーは重賞初制覇での大レース勝利。この路線で走ってきた馬の中ではグランブリッジの能力が最も上。こちらは前々走で牡馬相手のオープンを勝った後,前走も牡馬相手の重賞に出走して2着。戦ってきた相手はこちらの方が強いですから,グランブリッジに勝つ可能性もあるとは思っていました。思っていたよりは大きな差をつけての優勝で,展開的にはこちらの方が有利だったと思われますが,能力でも上回っているとみてよさそうです。父はドゥラメンテ。母の10歳上の半兄に2006年のアルゼンチン共和国杯を勝ったトウショウナイト。
騎乗した松山弘平騎手は昨年のJBCクラシック以来の大レース9勝目。JBCレディスクラシックは初勝利。管理している河内洋調教師は開業から18年8ヶ月で大レース初制覇。
書簡五十では,政府が市民Civesに有している権利juraは,市民に対して力potentiaで優っている度合に相当するだけのものであるといわれているのでした。これは市民が有している自然権jus naturaeを全面的に凌駕するような力を政府はもつことができないという意味です。しかし同時に,政府が市民に対して力を有しているということを否定しているわけではないのも事実です。そしてこれを,国家Imperiumの自然権が市民,これはひとりの市民という意味で個人の自然権と考えるのがこの場合は理解が容易になりますが,そうした個人の自然権を,国家の自然権が力で上回っていると考えるのがよいと僕は思います。これは自然権を力と等置していることになりますが,スピノザの哲学における自然権というのはコナトゥスconatusを原理としていて,コナトゥスは力という側面を有しているわけですから,自然権が力と等置されても問題が生じるわけではありません。

このことは,次のように解するのがよいだろうと僕は考えます。
人間はひとりで何事かをなすよりも.多人数が協力してそれをなす方が,量的な意味でも質的な意味でもそれをよりよくなすことができます。このことが個人の自然権の拡充を意味するのでした。したがって,多人数が有している自然権は,その多人数を構成しているある特定の個人が有する自然権よりも強力であるといわなければなりません。このような意味で,政府が有する自然権は,その政府が統治する国家を構成するひとりの市民が有する自然権を上回る力を有することになるのです。したがってごく一般的に,政府が有する自然権は,政府が国家を統治しているというだけの理由で,国家に属するひとりの市民の自然権を力で上回っているということになるのです。ただしこれは,政府が市民の自然権の拡充に貢献するという条件を付帯させる必要があります。この条件を満たさないと,市民の自然権は拡充されないということになり,したがって一人ひとりが有する自然権と同じだけの自然権しか政府は有することはできないということになるからです。他面からいえば,市民が協働するがゆえに政府の自然権は力の上で市民の自然権を上回ることができるということになるのです。
昨晩の第26回エーデルワイス賞。
スティールマジックが好発から控え,逃げたのはライトヴェール。ホーリーブライト,ジュデシャンス,ムームの3頭が2番手に続き,控えたスティールマジックは5番手。6番手にイイデスカイハイとシシャモフレンドとモノノフブラック。9番手にワイノナオミとコールミーメイビーとハニービート。12番手にカズマ。ジュデシャンスは道中で後退していき最後尾にいたモズミギカタアガリが追い抜いていきました。前半の600mは34秒5の超ハイペース。
3コーナーを回るとムームが単独の2番手に上がり,2馬身差でスティールマジック。直線に入ると逃げたライトヴェールがコーナーワークで後ろを離し,ムームは一杯に。スティールマジックが単独の2番手に上がってじわじわと差を詰めていくと,中団にいたモノノフブラックと,前半は最後尾にいたモズミギカタアガリが追い込んできて4頭の優勝争い。大外から追い込んだモズミギカタアガリが優勝。スティールマジックが4分の3馬身差で2着。モノノフブラックがクビ差の3着でライトヴェールが4分の3馬身差で4着。
優勝したモズミギカタアガリはこれが2勝目となる重賞制覇。新馬を勝った後の4戦は1秒以上の敗戦。前走のブロッサムカップはよい末脚を使ってアタマ差の2着に入っていました。ここは久々の1200m戦でしたが,前走と同様の末脚を使っての優勝。2着から4着までの3頭は北海道勢の中では有力と僕がみていた馬ですから,末脚が生きる展開になれば,それらと差がない勝負ができるということなのでしょう。ですからどういう展開になるかということがこの馬にとっては最も重要だということになりそうです。父はグランプリボス。母の父はマンハッタンカフェ。アストニシメント系神藤の分枝で,母の8つ上の半姉に2006年のアイビスサマーダッシュを勝ったサチノスイーティー。
騎乗した北海道の黒沢愛斗騎手はデビューから15年半で重賞初制覇。管理している北海道の米川昇調教師は開業から20年半で重賞初勝利。
現実的に国家Imperiumが存在するのであれば,その国家にはその国家に特有の現実的本性actualis essentiaがあるということは,実は第二部定義二からも明白です。これはAという人間とBという人間が現実的に存在するとき,Aの現実的本性とBの現実的本性は異ならなければならないということを説明したときの論理を利用すれば論証することができますので,ここでは繰り返しません。

重要なのは,国家もひとつの個物res singularisとみなされ,それが現実的に存在するのであれば,現実的本性を有するということは,第三部定理七によって国家はコナトゥスConatusを有するのであって,そのゆえに国家もまた自然権jus naturaeを有するということです。つまり国家はそれ自体が自己の有esseに固執するperseverareのであって,それは自己の存在existentiaに固執するということであり,同時に自己の力potentiaにも固執するということでもあります。
現実的に存在する国家が自然権を有するということは,僕たちはそれを意識しているかどうかはともかく,現に認めているといえると僕は思います。たとえば現実的に存在する人間は自己の有が危機に晒されるとき,そのコナトゥスによってそれに対抗します。自衛権といわれるような権利はそのようなコナトゥスのひとつなのであって,こうした権利が諸個人にあるということは,ほぼ全面的に認められているといっていいでしょう。これと同じように国家にも自衛権というものがあるということはほぼ全面的に認められているのであって,これは原理的には国家の自然権の一種であるといえると僕は考えます。そして,集団的自衛権といわれている国家の権利は,こうした自然権が拡充したものであるといえるでしょう。このことは,ひとりの人間が乳児を養育するよりも,多数の人間が協働して養育する方が,養育者の自然権が拡充されるということと同じなのであって,ひとつの国家が自衛するよりも,多数の国家が協力して自衛する方が,各々の国家の自衛権は拡充されるということなのです。とくに自衛権のような権利は,字義通りに力とみなしやすいものですから,自然権が拡充されているということ,つまり国家が自己を防御する力が強大化しているということが理解しやすいのではないかと思います。
全日本2歳優駿トライアルの昨晩の第56回ハイセイコー記念。
ビッティンキバラはタイミングが合わず1馬身の不利。ライゾマティクスが逃げてクルマトラサン,ピコイチと差がなく続きました。4番手にポッドマーフィーとダテノショウグン。6番手にドウザンとビッティンキバラ。3馬身差でゼイトク。2馬身差でイチニチショチョウとケテンドリーム。2馬身差の最後尾にルートヴィヒ。前半の800mは50秒3のミドルペース。
3コーナーを回ると2番手だったクルマトラサンの内にダテノショウグンが入ってきて,外のピコイチの3頭が並びました。直線の入口では前の4頭と5番手以下は大きく開きました。さらに外を回ったピコイチは直線に入ると一杯に。コーナーワークでクルマトラサンの前に出ていたダテノショウグンが,直線はライゾマティクスの外へ。あっさりと差すと後ろとの差を大きく広げていって圧勝。逃げ粘ったライゾマティクスが8馬身差で2着。クルマトラサンが1馬身差の3着。
優勝したダテノショウグンはここまでデビューから4連勝。5連勝での南関東重賞制覇。前々走以外はいずれも2着に1秒以上の差をつけていましたので,南関東重賞は初挑戦でもおそらく能力は最も上だろうと思っていました。このクラスの馬を相手に走るのは初めてでしたが,それでもまた圧勝しましたので,南関東生え抜きの馬の中では間違いなく最強とみてよいでしょう。父はバンブーエール。母の父はマンハッタンカフェ。3代母が1994年のJRA賞で最優秀3歳以上牝馬に選出されたノースフライト。
騎乗した大井の御神本訓史騎手は習志野きらっとスプリント以来の南関東重賞65勝目。第44回以来となる12年ぶりのハイセイコー記念2勝目。管理している森下淳平調教師は南関東重賞17勝目。第49回以来となる7年ぶりのハイセイコー記念2勝目。
養育者の自然権jus naturaeが拡充されることが,結果effectusとして国家Imperiumの力potentiaを増大するということはあり得るし,事実としてそうであろうと僕は思います。ですから政府がこうしたことを政策として実行することは現実的に生じます。現代でいえば,少子化対策は先進国では必須といえる政策ですが,養育者の自然権を拡充する政策は,その一貫を担い得るようなものでしょう。しかしそれはあくまでも市民Civesの自然権の拡充という観点からなされるべきであるというのが,スピノザの哲学からの帰結になるのであって,国家の力を増大させるという観点からされるべきではないのです。むしろ,市民の自然権が拡充されることが,国家の力を増大させるという結果を齎すという観点から,政府の政策が決定されるのが望ましいといえるでしょう。

ただし,このことをいうためには次の点にも注意しなければなりません。第二部定義七により,多数の個体が総体的な原因causaとしてひとつの結果を生じさせるように協同するのであれば,そうした多数の個体はそれ自体がひとつの個物res singularisとみなされます。たとえば第二部自然学②要請一により,人間の身体humanum corpusは多くの個体がひとつの結果を齎すような原因となっているような物体corpusですから,この種の個物です。したがって,市民全体が原因としてひとつの結果を齎すならば,市民全体によって構成されているもの,たとえば国家はそれ自体がひとつの個物なのです。これはごく単純にいえば,国家をひとりの人間の身体によって喩えたようなものだと理解してください。スピノザは基本的に国家がそのようなものであることが最も好ましいと考えています。それが現実的であるかどうかはともかくとして,スピノザの哲学からこのような帰結になるのは当然であるといえ,僕もこの考え方は支持します。
ここでは国家がひとつの個物とみなされるので,国家にも第三部定理七が適用されることになります。前もっていっておいたように,この定理Propositioはすべての個物に適用されるから人間にも適用されるのであり,よって国家がひとつの個物とみなされるのなら,国家にも適用されなければならないのは当然です。よって国家には国家に特有の現実的本性actualis essentiaがあります。