スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。
ニューイヤーカップを勝ったギガースの祖母はダイヤモンドビコーです。母はステラマドリッド。
デビューは2歳10月。デビュー戦は4着でしたが同一開催の折り返しの新馬で初勝利。500万が4着,フェアリーステークスが6着で2歳戦を終えました。
3歳4月に復帰。初戦の500万は2着だったもののその後は500万,900万と連勝。夏の札幌で古馬相手のクイーンステークスで2着になると,ローズステークスで重賞初制覇。秋華賞には出走せず暮れの阪神牝馬ステークスに向かって6着でした。
4歳初戦の京都牝馬ステークスは2着。中山牝馬ステークスで重賞2勝目。新潟大賞典が7着,エプソムカップが10着と,牡馬相手には苦戦しましたがクイーンステークスは2着。さらに府中牝馬ステークスで重賞3勝目をあげました。エリザベス女王杯は2着でしたが阪神牝馬ステークスで重賞4勝目。この年のJRA賞の最優秀4歳以上牝馬に選出されました。
5歳も現役を続行。金鯱賞が8着,函館記念が11着,クイーンステークスが4着,オールカマーが6着,エリザベス女王杯がアドマイヤグルーヴの6着と,勝利をあげることはできないまま引退となりました。
大レースを勝っているわけではありません。それでも代表馬に選出されたのは,同年に大レースを勝った古馬の牝馬がいなかったためで,幸運な面があったのは確かです。
活躍馬が続出している牝系ですが,ダイヤモンドビコーの子孫はそれほど走れていません。重賞の勝ち馬はいませんし,南関東重賞の勝ち馬もギガースが初めてでした。
6月28日,水曜日。前日にお寺の奥さんから電話で連絡があった御講の概要は,この日に速達で届きました。御講を行うのに可能な日が何日か設定されていましたので,僕にとって最も都合のよい日をピックアップし,お寺の奥さんに電話をして伝えました。
7月6日,木曜日。2通の郵便物がありました。1通は保険証です。僕は国民健康保険ですが,この保険証が7月31日まででした。8月1日から適用が開始されるものが届いたということです。なお,届いたのは僕のものだけではなく,妹のものも同時に郵送されました。適用開始は8月1日ですが,国民健康保険証は届けば適用開始日以前から使用することができるようになっています。もう1通はマイナンバーカードの交付通知書というものです。6月22日に再申請していたわけですが,それは受理されたということです。ただしこれは交付の通知書であって,マイナンバーカードそのものではありません。マイナンバーカードを入手するには指定された場所に取りにいく必要があり,いつどこに取りにいくのかということを予約する必要がありました。この時点ではこの後の僕の都合に不明な点が残っていましたので,すぐに予約を入れることはできませんでした。

7月7日,金曜日。午後1時15分に地域担当支援主任のSさんから電話がありました。これは妹が使用している薬剤の説明書を持参してほしいとの依頼でした。この電話の後,通所施設に妹を迎えに行きましたので,通所施設の妹の担当者にその説明書を手渡しました。О眼科に寄り,目薬の処方をしてもらってから家に戻りました。
7月9日,日曜日。グループホームに妹を送りました。
7月10日,月曜日。この後の予定の目途が立ちましたので,午前中にマイナンバーカードの受け取りの予約をしました。場所を選ぶことができたのですが,磯子区役所にしました。上大岡に専門の受取所があって,妹を通所施設なりグループホームなりに送迎する際には上大岡を経由しますから,そのついでに取りに行くこともできましたが,そうはしませんでした。その方が楽そうに思えるかもしれませんが,実際はそうともいえないからです。
仙石原温泉で指された昨日の第50期女流名人戦五番勝負第一局。対戦成績は西山朋佳女流名人が31勝,福間香奈女流四冠が37勝。これはNHK杯の予選を含んでいます。
ユニバーサルエンターテインメントの社長による振駒で西山女流名人の先手で四間飛車。後手の福間女流四冠が居飛車を選択したので,先手の角交換4→3戦法のような将棋になりました。

先手が9四の角を成り込んだ局面。ここで後手は☖9六歩と打って☗同飛に☖8七飛成と成り込みました。
先手は☗5四香☖6二金打☗5二馬☖同金左☗同香成☖同金として☗9二飛成と成り込みました。

駒損にはなりましたが捌き合いになって,金取りになっている関係で実質的に先手の手番になっていますから,振飛車もそこそこやれそうに見えるのですが,この捌き合いは龍の位置の関係で居飛車に分があるようです。実戦でも出てきましたが後手から☖8二歩と打つ手が成立するからです。終盤で一波乱はあったようですが,ここでのリードを生かした先手が勝ちきりました。
福間女流四冠が先勝。第二局は21日に指される予定です。
6月15日,木曜日。僕のマイナンバーカードをスマートフォンから申請しました。
6月16日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。
6月17日,土曜日。午後8時50分にピアノの先生から電話がありました。
6月18日,日曜日。妹のピアノのレッスンがありました。前夜の電話で伝えられていた通り,午後5時の開始でした。
6月19日,月曜日。妹を通所施設に送りました。15日に申請したマイナンバーカードの申請ですが,不受理という通達がありました。これは顔写真の背景に不備があったためです。
6月21日,水曜日。午前9時40分に,グループホームの妹の担当者であるSさんから電話がありました。妹の目薬のうち,ヒアレイン点眼液の方が不足しそうなので郵送してほしいという依頼でした。

6月22日,木曜日。マイナンバーカードの申請が不受理になっていましたので,顔写真を撮影し直して,再びスマートフォンから申請しました。前日に依頼された目薬は,この日のうちに郵送しました。
6月24日,土曜日。22日に郵送した目薬が,返送されてきました。これは切手の代金が不足していたためでした。切手を貼り足してこの日のうちに再送しました。
6月25日,日曜日。総講の日でしたのでお寺に行きました。8日の総講では不在だった住職ですが,この日は復帰していました。なお住職は6月6日に手術を受けたといいましたが,これは内視鏡を用いて尿管を手術したとのことです。おそらく結石ができていたのではないかと思いますが,詳しいことは分かりません。僕は住職とことばを交わすことはありますが,立ち入った身の上話をするような間柄ではありません。
6月27日,火曜日。午後12時20分にお寺の奥さん,つまり住職の奥さんからの電話がありました。これは僕が席主となって行う御講の概要を郵送するので,都合の良い日時を選んで電話で連絡をしてほしいという内容でした。御講は父も母も8月に死んでいますから8月中に行うということは事前に相談の上で決まっていたのですが,8月の御講の申し込みの期限が6月30日とのことで,これは急いで申し込む必要がありました。
和歌山記念の決勝。並びは坂井‐永沢の東日本,寺崎‐古性‐東口‐藤田の近畿,山田‐山口‐阿竹の西国。
東口がスタートを取って寺崎の前受け。5番手に坂井,7番手に山田で周回。残り3周のバックの出口から山田が上昇開始。残り2周のホームで山田が寺崎を叩いて誘導が退避しました。阿竹の後ろに坂井が続き,阿竹との車間を開けて寺崎を牽制。6番手に引いていた寺崎はバックに入り,打鐘のタイミングから発進。山田がややスピードを落としてしまっていたこともあり,近畿勢が残り1周のホームでは山田を叩き,藤田と山田の車間が開いてしまいました。8番手になった坂井はバックから捲っていったものの時すでに遅し。近畿勢の優勝争いになり,寺崎との車間を開けていた古性が直線で踏み込むと寺崎を差し切って優勝。マークの東口が半車身差の2着。逃げた寺崎が1車身半差の3着に残り,4番手の藤田も4分の3車輪差の4着に流れ込んで近畿勢の上位独占。
優勝した大阪の古性優作選手は寛仁親王牌以来の優勝。記念競輪は昨年7月の福井記念以来の9勝目。和歌山記念は初優勝。このレースは脚力で古性が最上位。さらにラインが手厚く,番手を狙われる可能性も低そうですし,坂井も山田も逃げるというタイプではないので,相当な確率で優勝するだろうと思っていました。寺崎がかなり後ろの方にいるのに山田がスピードを落としてしまったため,楽にラインで出きることができましたから,その時点で優勝は決まったようなものでしょう。古性は自力も使える上に番手戦も苦にしませんから,怪我でもない限りは今年も大活躍するでしょう。
6月5日,月曜日。内分泌科の通院の日でした。
病院に到着したのは午後2時15分でした。中央検査室で採血を待っている患者はひとりもいませんでしたので,注射針の処理だけ済ませ,先に採血をしてから採尿をしました。
この日は内分泌科での待ち時間が長く,診察が始まったのは午後3時45分でした。HbA1cは7.3%でした。5月よりも高くなっていましたが,これは5月に注射量を減少させた影響が出たものでしょう。その措置を採ったのは,低血糖の頻度が多くなっていたからですが,今回は全体の1.9%が低血糖ということで,前回の5.8%からかなり減っていました。低血糖は激減したのに対し,HbA1cは微増にとどまりましたので,このままでいいだろうというのが医師の診断でした。ですから注射するインスリンの量の増減は,この日は行いませんでした。

この日はほかにふたつの異常が出ていました。ひとつはアルブミンで,4.1g/㎗の下限を下回る3.9g/㎗でした。アルブミンの数値が下限値を下回るという異常はこのところ立て続けに出ているものです。もうひとつがP/C比で,これが上限値の150に対して300と上回っていました。P/C比の異常が出たのは,2022年4月の通院のとき以来です。そのときにもいったかもしれませんが,P/C比がこのように数値で表示されるということは通常はありません。他面からいえば数値が出ているときは異常が出ているときです。通常はNORMALという表示になっていて,これが異常がないことを示します。これ以外に僕の場合は判定不可という表示になっていることもありました。どういう理由なのかは不明ですが,P/C比が判定できないというケースが生じる場合があるのでしょう。
薬局に寄って帰りました。この日はインスリンも注射針も在庫が揃っていました。診察の開始が遅れた関係で,この日は午後4時50分の帰宅になりました。
6月8日,木曜日。総講でお寺に行きました。総講のときはほとんどの場合は住職が来るのですが,この日は不在でした。これは住職が入院中であったためです。6日に手術を受けたばかりでした。
スピノザがアムステルダムAmsterdamのユダヤ教会から破門の宣告を受け,その宣告に従って当地のユダヤ人共同体から離脱したことは,アムステルダムのユダヤ人にとってだけでなく,オランダ人にとってもスキャンダルとして受け止められていました。オルデンブルクHeinrich Ordenburgが訪問したのは,そういう時期のアムステルダムであったことになります。

オルデンブルクは前々からスピノザのことを知っていたというわけではなくて,アムステルダムで情報を収集しているうちに,スピノザのことを知ったのです。これは史実としてほぼ確定的にいえることですが,仮にそうでなかったとしても,ここでは書簡三十三との関係で,オルデンブルクはスピノザがユダヤ人共同体から追放されたユダヤ人であるということを知らなかったのではないかという疑問を解決するために考察しているのですから,このことを史実であるとしておいた方が,考察としての意義は上がります。前々から知っていたのであれば,スピノザがどのような人であるのかということについてはオルデンブルクは知っていたということになりますから,問題としている点は解決されるからです。
スピノザを知らずにオルデンブルクがアムステルダムを訪問し,アムステルダムで情報を収集しているうちにスピノザのことを知ったとするならば,スピノザの破門とその受諾が当地のスキャンダルであった以上,オルデンブルクはそのこともその時点で聞き及ぶに至ったとするのが自然です。オルデンブルクは学術関係の情報を収集していたのですから,スピノザの出自はオルデンブルクにとってはどうでもよいことだったでしょう。他面からいえば,スピノザがそういう出自をもつ人であったからオルデンブルクがレインスブルフRijnsburgまで出掛けていったという可能性はありません。それらの情報を収集しているうちに,スピノザという哲学に秀でた人間であるということを知ったから,オルデンブルクはレインスブルフまで行ってスピノザに会ったのです。しかし,哲学に秀でた人間であるという情報だけがオルデンブルクに収集され,出自については何も情報を集められなかったとするのは著しく不自然です。オルデンブルクに情報を供給した人は,スピノザの出自についても教えるであろうからです。だからオルデンブルクはスピノザと会う以前に,出自について知っていたというのが,可能性としてはきわめて高いといわなければなりません。
5月22日,月曜日。電気のメーターの交換がありました。これは業者が行うものですから無料です。ただ,僕が在宅している時間に交換する必要があったようで,日時については事前に通知がありました。
5月25日,木曜日。総講でお寺に行きました。25日は本門仏立宗の開祖の命日にあたるので総講が催されることになっています。
5月26日,金曜日。О眼科に網膜症の検査に行きました。この日は網膜症の検査だけでなく,視野の検査も行いました。順序は視力および眼圧の検査の後に視野の検査,それから散瞳のための目薬を挿して,瞳孔が開くのを待った上で医師による診察となり,この診察の間に網膜症の検査が行われます。網膜症も緑内障も変化はありませんでした。なので検査を継続してくこととなり,治療には入っていません。
5月31日,水曜日。昨年度の妹の預かり金精算書が送付されてきました。
6月1日,木曜日。妹の預り金精算書というのは僕の同意書を必要とする書類です。ですからこの日に同意書を郵送しました。
6月2日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。そのままО眼科で診察を受けました。妹の視力ですが,最初にこの眼科を受診したときと変わっていません。これは白内障が進行していないことを意味します。ですからこのまま経過を観察していくことになりました。実はこの日は横浜に台風の影響があって,強風の上に大雨という悪天候でした。たぶんこの天候が関係したものと思いますが,いつも混雑しているО眼科がこの日はとても空いていました。僕もО眼科で網膜症の検査などを受けているわけですが,この日くらい空いていたことはありません。妹が診察を受ける場合は午後7時ごろに帰宅するということもあるのですが,この日は午後5時40分には帰ることができました。通所施設から直に帰ってくると帰宅時間は概ね午後4時20分になります。眼科で目薬の処方箋を出してもらう場合は午後5時から午後5時半の間になります。それと比べればどれほどすぐに検査ができたのかがお分かりいただけると思います。
6月4日,日曜日。妹をグループホームに送りました。
全日本2歳優駿を勝ったフォーエバーヤングの母は2013年にアメリカで産まれたフォエヴァーダーリングという馬で,フォーエバーヤングの基礎繁殖牝馬になります。しかしフォエヴァーダーリングの祖母にあたる,1990年にアメリカで産まれたローミンレイチェルという馬も繁殖牝馬として輸入されていて,このローミンレイチェルを祖とする一族は日本で繫栄しています。英語表記はRoamin Rachel。ファミリーナンバーは2-b。

ローミンレイチェルは日本では3頭の産駒しか産んでいません。そのうちの1頭がゼンノロブロイです。
ゼンノロブロイのひとつ上の半姉が,ローミンレイチェルが日本で初めて産んだ馬です。この馬は1戦しかできなかったのですが,牝馬だったので引退して繁殖牝馬に。2009年にファンタジーステークスを勝ったタガノエリザベート,2015年のクイーンカップを勝ったキャットコイン,2019年に愛知杯を勝ったワンブレスアウェイ.2017年の札幌2歳ステークスを勝ったロックディスタウンと,実に4頭の重賞勝ち馬の母になりました。ローミンレイチェルが日本で産んだ牝馬はこの馬だけなのですが,産まれた重賞勝ち馬の4頭がいずれも牝馬ですから,その子孫から活躍馬が出てくることはあり得るでしょう。
フォーエバーヤングの母が輸入されたのは,やはりローミンレイチェルの孫であったということが大きかったのだろうと思います。
ローミンレイチェルの3つ下の全妹も繁殖牝馬として輸入されています。その馬の孫に,2022年にスパーキングサマーカップと日本テレビ盃を勝ったフィールドセンスがいます。
ローミンレイチェルの3代母が大きな分枝を作っていて,ここまでいくと活躍馬をすべて記すことができないほどです。先日紹介したばかりのメーデイアもこの一族にあたります。
5月11日,木曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。帰宅すると,新型コロナウイルスのワクチンの接種券が送付されていました。5回目のものです。
5月12日,金曜日。妹の歯科検診がありましたので,指定歯科であるみなと赤十字病院に連れていきました。
5月13日,土曜日。午後7時40分に,ピアノの先生からの電話がありました。翌日のレッスンの開始時刻の通知です。
5月14日,日曜日。妹のピアノのレッスンでした。午後4時半の開始でした。
5月15日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
5月18日,木曜日。この日が前期の三者面談でした。場所はグループホームです。対面式の三者面談は,僕は新型コロナウイルスの蔓延があって以降は初めてでした。三者面談は,通所施設のものとグループホームのものがあって,別々に行われます。この日は先にグループホームの三者面談があって,その後に通所施設の三者面談でした。三者というのは妹の担当者と妹,そして僕のことです。グループホームの妹の担当者は,最初の担当者が地域支援担当主任に就任したときに変わりましたが,それ以降はずっと同じ人です。通所施設の担当者は長くても2年で,現在の担当者も今年度,つまり今年の4月から担当になった人です。それぞれの面談が終わった後,そのまま妹を連れて家に帰りました。迎えの日に面談をするというのは僕にとっては最も好都合です。この日は,僕が最も希望していた日でした。
5月19日,金曜日。妹の本牧脳神経外科の通院の日でした。この日は診察を受けただけです。
5月20日,土曜日。妹を通所施設に送りました。土曜レクリエーションがあったので,妹をそれに参加させるためです。この日が土曜レクリエーションであるということを,前回の脳神経外科の通院の日には分かっていなかったので,19日の脳神経外科の予約を入れてしまったのです。なので事前の予定ではこの日に妹を送っていく予定はなかったのですが,5月の予定を提出した後で,この日が土曜レクリエーションであるということが判明したので,提出した予定を変更するように依頼し,それがグループホームによって受諾されたのです。
昨年のJRA賞の競走馬部門が9日に発表されました。
年度代表馬は年度代表馬はイクイノックス。ドバイシーマクラシック,宝塚記念,天皇賞(秋),ジャパンカップとGⅠばかりを4戦して全勝。当然の選出でしょう。昨年の年度代表馬で2年連続の受賞。部門別では最優秀4歳以上牡馬。すでに競走馬登録は抹消されています。
最優秀2歳牡馬はジャンタルマンタル。デイリー杯2歳ステークスと朝日杯フューチュリティステークスを優勝。3戦3勝,重賞を2勝してのGⅠ勝利なのでこれも順当な選出だと思います。
最優秀2歳牝馬はアスコリピチェーノ。新潟2歳ステークスと阪神ジュベナイルフィリーズを優勝。こちらも3戦3勝,重賞2勝でGⅠ制覇ですから当然でしょう。
最優秀3歳牡馬はタスティエーラ。弥生賞とダービーを制覇。三冠は3頭で分け合いましたが,この馬は皐月賞も菊花賞も2着でしたので,順当とは思います。ただ意外に票数が割れなかった感はあります。
最優秀3歳牝馬はリバティアイランド。桜花賞,オークス,秋華賞を制覇。牝馬三冠を制したのですから当然。満票でなければおかしいと思います。昨年の最優秀2歳牝馬で2年連続の受賞。
最優秀4歳以上牝馬はソングライン。ヴィクトリアマイルと安田記念を制覇。この部門はこの馬以外に候補馬がなかったと思います。最優秀マイラーを同時に受賞。これも1600mのGⅠを2勝していますから順当でしょう。現役登録は抹消されています。
最優秀スプリンターはママコチャ。スプリンターズステークスを優勝。この馬は戦歴はスプリンターという感じでもないのですが,1200m戦は重賞2戦して1着と2着。選出するならこの馬しかないというところ。
最優秀ダートホースはレモンポップ。根岸ステークス,フェブラリーステークス,南部杯,チャンピオンズカップに優勝。JRA賞はJRAでの戦歴が最重要視されるべきで,順当な受賞だと思います。
最優秀障害馬はマイネルグロン。東京ハイジャンプと中山大障害を優勝。昨年は4戦4勝。中山大障害の勝ち方から当然でしょう。ここも満票でよかったと思います。

川崎記念,ドバイワールドカップ,日本テレビ盃,東京大賞典を勝ったウシュバテソーロが特別賞に選出されました。僕は特別賞は頻発されるべきではないと考えますが,ドバイワールドカップの優勝は快挙であり,この選出には文句ありません。
薬局に寄って帰りました。この日は注射針の在庫が足りませんでした。配達を依頼して帰りました。帰宅したのは午後4時20分でした。
5月2日,火曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。この日は眼科を受診する予定で,そのために迎えに行ったのですが,妹が保険証とおくすり手帳をグループホームから持ち帰っていませんでした。これでは受診はできませんので,中止にし,そのまま家に帰りました。
5月4日,木曜日。この日の午前中に,足りていなかった注射針が配達されました。
5月7日,日曜日、妹をグループホームに送りました。日曜の午後に妹をグループホームに送るようにした事情はすでに説明した通りです。
5月8日,月曜日。総講がありましたのでお寺に行きました。
5月10日,水曜日。午後12時5分に,地域担当支援主任のSさんから電話がありました。これは前期の三者面談の日時の決定の報知でした。午後7時35分には,グループホームの妹の担当者であるSさんからの電話もありました。これは5月20日に予定されている土曜レクリエーションに,妹が参加できるようにするために僕の事前の依頼に対する解答で,受諾できるとのことでした。土曜レクリエーションというのは,年度の初めにすべての日程が決められます。だから大抵の場合はその日を僕は事前に把握しているのですが,たとえば2月や3月に脳神経外科や歯科の通院が妹にある場合,概ね3ヶ月後に次の通院ということになり,その通院のための予約はその日のうちに入れます。この場合は次年度の土曜レクリエーションの日程がいつになるかまだ決まっていませんので,当然ながら僕も知りません。ですからそれを考慮せずに予約を入れることになります。今回はその予約の週に土曜レクリエーションが組まれましたので,僕の方から土曜の朝に妹を通所施設に送り,妹が土曜レクリエーションに参加できるように予定を変更する依頼を出していたのです。この依頼が受諾された,つまり妹が5月20日の土曜レクリエーションに参加することができるようになったということです。食事の用意が変わりますので,この種の予定変更は依頼が必要なのです。
第67回ニューイヤーカップ。
ウインアザレアは発馬後に挟まれる不利。発馬後の正面ではオーウェル,クルマトラサン,アムクラージュ,ギガース,クリコマ,ライゾマティクスの6頭が横並び。2馬身差でビッグショータイム,フロインフォッサル,エドノバンザイの3頭が横並び。ウインアザレアは5馬身ほど離されました。1コーナーから向正面に掛けてクルマトラサンが単独の先頭に。ギガース,ライゾマティクス,オーウェル,アムクラージュの順になり,2馬身差でビッグショータイムとフロインフォッサル。2馬身差でエドノバンザイとクリコマという隊列になり,ウインアザレアは大きく離されました。超ハイペース。
3コーナー手前からライゾマティクスが追い上げ態勢に入ったので,前はクルマトラサン,ギガース,ライゾマティクスの雁行となり,3馬身差の4番手にアムクラージュが上がってきました。直線の入口まで雁行が続きましたが,最も手応えがよかった真中のギガースが抜け出して優勝。逃げ粘ったクルマトラサンが半馬身差で2着。外を回ったライゾマティクスが半馬身差の3着。
優勝したギガースは南関東重賞初挑戦での優勝。ここまでは3戦して2勝,2着1回。底を見せていない馬でしたが,1200mまでしか経験していませんでしたから,距離が延びてどうかというところはありました。クルマトラサンとライゾマティクスは2歳のときから南関東重賞で実績を残してきた馬ですので,この距離でもそれらと同等の力があるということでいいと思います。母の父はジャングルポケット。祖母が2002年のJRA賞の最優秀3歳以上牝馬に選出されたダイヤモンドビコーでその母がステラマドリッド。Gigasはギリシア神話に登場する巨人。
騎乗した船橋の森泰斗騎手は戸塚記念以来の南関東重賞56勝目。第60回,63回,64回に続き3年ぶりのニューイヤーカップ4勝目。管理している船橋の佐藤裕太調教師は南関東重賞10勝目。ニューイヤーカップは初勝利。
5月1日,月曜日。内分泌科の通院でした。
病院に到着したのは午後2時10分でした。この日は中央検査室でふたりの患者が採血を待っていました。なので僕は採尿をして,注射針の処理をしてから採血をしました。
診察が始まったのは午後3時5分でした。この日から主治医が変わりました。主治医が変わるタイミングでは診察の開始が遅れることが多いのですが,この日はそうではありませんでした。もっとも,主治医が変わったのは4月からで,僕は4月は通院はありませんでしたからこの日が新しい主治医との初顔合わせだったのですが,大半の患者は4月中に通院があったでしょうから,もう主治医との顔合わせはすんでいたものと思います。たぶんそのためにこの日は予約時間からほとんど遅れることなく診察が開始になったのでしょう。

HbA1cは7,1%で,3月の通院のときよりも低下していました。3月は注射するインスリンの量を減らしたのですが,それでも低下していたのです。そして低血糖の発症もまだありました。割合が最も高かったのは昼食前で,全体の9.7%でした。これは割合として高いので朝食前に注射している超速攻型のインスリンであるヒューマログの注射量をさらに0.01㎎減らすという措置がとられました。3月に減らしたときに0,07㎎から0.06㎎にしていましたので,翌朝からは0.05㎎の注射にしたことになります。
この日はほかにアルブミンの異常がありました。下限である4.1g/㎗に対し,4.0g/㎗でした。これは3月に引き続いての異常で,数値も同じでした。
4月10日のMRI検査の結果も出ていて,異常なしでした。異常なしというのは,血管の狭窄はないという意味です。一般的に喉の動脈の欠陥の狭窄がなくて脚の血管に狭窄が出るということはあまりないとのことで,僕の場合は喉のエコー検査の結果は問題なかったので,脚に異常が出ないのは通常のことであるとの説明を受けました。
4月中までであった自己管理ノートをもらいました。新しいノートは本来はない4月31日の部分が空欄になっていますから,5月1日にもらってもとくに問題はありませんでした。
一昨日と昨日,太田原市で指された第73期王将戦七番勝負第一局。対戦成績は藤井聡太王将が9勝,菅井竜也八段が4勝。千日手が4局あります。
大田原市長による振駒で先手となった菅井八段のノーマル三間飛車穴熊。後手の藤井王将も居飛車穴熊の相穴熊戦となりました。
中盤の戦に入ったのは昨日になってから。後手が仕掛けて先手も反撃していく進行。相穴熊戦でしたが玉は後手の方が固かったので,均衡が保たれた局面が長く続いたとはいえ,後手にとってはまずまずの展開であったといえるのではないでしょうか。

第1図で☖6四角と打ったのが決め手となりました。先手からは☗5三歩成が最速の攻めなのですが,この場合は☖5九飛が発生します。攻め合って☖3九飛成とされては負けなので受けることになりますが,5三のと金が取られてしまいます。止むを得ず☗4二歩から別のと金を作りにいきましたが,☖3二銀打とがっちり受けられた後に攻め合いとなり,後手が勝っています。
藤井王将が先勝。第二局は20日と21日に指される予定です。
4月15日,土曜日。午後7時にピアノの先生から電話がありました。翌日のピアノのレッスンの開始時刻の通知でした。
4月16日,日曜日。妹のピアノのレッスンがありました。午後4時半からでした。
4月17日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
4月20日,木曜日。今年度の前期の三者面談のお知らせが郵送されてきました。新型コロナウイルスが蔓延して以降の三者面談は,郵送式または郵送式か対面式のどちらかを選択するという形式で開催されていて,僕はずっと郵送式を選択してきました。今年度の三者面談は,以前のように対面で行うとのことでした。
4月21日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。
4月22日,土曜日。20日に送られてきた三者面談のお知らせは,希望日をいくつか記入して送付する必要がありました。なのでいくつかの希望日と,三者面談期間中の行うことができない日を記入して,この日に郵送しました。
4月24日,月曜日。妹を通所施設に送りました。この週はとくに妹が帰宅しなければならない事情があったわけではないのですが,妹は週末を家で過ごしました。前もっていっておいたように,グループホームの方からの依頼がありましたので,このようなケースは5月以降はなくなります。いい換えればこのときがこの最後のケースでした。ただし,通所施設が長期休暇に入る場合は例外になります。たとえが昨年末から今年の念頭にかけては,妹はどうしても家に戻らなければならなかったわけではありませんが,家で過ごしています。
4月30日,日曜日。午後12時35分に,グループホームの妹の担当者であるSさんから電話がありました。僕は5月2日に妹を迎えに行く予定になっていたのですが,その日の迎えは通所施設に行くようにという指示でした。これはゴールデンウィーク期間中で,2日は平日ですから通常であれば妹は通所施設に行く筈でした。僕はもとよりそのつもりで予定を提出していあったのです。ですがゴールデンウィーク中は通所施設は平日も休みになるかもしれないという話があって,そうはならなかったということを伝えられたということです。
大宮記念の決勝。並びは太田‐宿口‐平原‐中田‐山田の埼玉,清水‐稲垣の西日本,北津留‐井上の九州。
山田がスタートを取って太田の前受け。6番手に清水,8番手に北津留で周回。残り2周のホームから北津留が上昇開始。ペースを落として誘導との車間を開けた太田にバックで並び掛けました。打鐘から太田が発進。北津留はあっさりと引いて周回中と同じ並びの一列棒状に。そのままバックに戻って宿口が番手から発進。さらに清水が発進するとこのスピードが抜群で,稲垣は離れましたが,平原の牽制もほとんど影響なく,バックのうちに宿口を捲り切りました。平原が清水にスイッチして清水を追いましたが,直線でもやや差が詰まったという程度で清水が優勝。平原が4分の3車身差で2着。引いての捲り追い込みになった北津留が4分の3車輪差の3着で平原マークの中田が4分の3車輪差で4着。
優勝した山口の清水裕友選手は11月の防府記念以来の優勝で記念競輪10勝目。大宮記念は初優勝。このレースはラインの編成に偏りがあったので,埼玉勢にとっては有利だったのですが,前を回る太田は実績でも脚力でも格下の選手ですから,どれくらい頑張れるのかということが最大の焦点でした。うまく山田がスタートを取っての前受け。北津留は上昇しましたが,抑えようという気があったとは思えないような走行ですぐに引きましたので,展開は埼玉勢に絶好となりました。宿口も清水が来る前に発進したのですから,作戦通りの展開であったと思います。それを清水の脚力が打ち砕いたという結果で,清水が強かったといえるレースだったのではないでしょうか。
着替えてから検査が開始になるまではそれほどの時間を要しませんでした。
MRI検査は僕にとっては初の体験でした。まずストレッチャーに横たわり,身体を固定されます。それから心電図の測定器を装着されました。そしてヘッドフォンを着用します。これはMRI検査のときには大音量を伴うことがあるからです。ヘッドフォンからはヒーリングミュージックが流れていました。検査を担当する技師からの指示もこのヘッドフォンから聞こえるようになっています。ときにそうした指示が入りますので,僕はその指示に従います。検査中は主に三点が僕には伝えられました。ひとつはストレッチャーが動くけれども身体は動かさないようにというものです。それから,息を吸って,吐いて,止めてといったもので,これらの指示にはそのまま従います。もうひとつは次の測定に要する時間で,これは指示というのとは違います。各々の検査に要する時間というものは異なります。短いものだと30秒,長いものは5分ほどでした。なお,測定している間は轟音になりますので,その間は流れているヒーリングミュージックも聴こえないくらいでした。他面からいえば流れているヒーリングミュージックの音量というのはその程度のものであったということです。
測定が終了し,ロッカールームで私服に着替えました。着替えたところで午後3時25分でしたから,僕が病院に到着してから1時間くらいです。検査前および検査後にいくらかの時間がありますから,実際に検査をしていたのは40分前後だったのではないかと思います。

使用済みの注射針を持参していましたので,中央検査室に寄って注射針の処理をしました。またこの日は到着時刻が予約時間の直前になっていましたから,保険証確認を済ませていませんでした。なので保険証確認を済ませてから会計をしました。帰宅したのは午後4時35分でした。
4月13日,木曜日。総講がありましたのでお寺に行きました。
4月14日,金曜日。午前9時40分に,妹のグループホームの担当者であるSさんから電話がありました。これはゴールデンウィーク中の予定の確認のためのものでした。午後は妹を通所施設に迎えに行きました。
ホープフルステークスを勝ったレガレイラの父はスワーヴリチャードです。父はハーツクライ。
2歳9月にデビューして2着。翌月に未勝利で初勝利。東京スポーツ杯2歳ステークスで2着に入って賞金を加算しました。
3歳初戦の共同通信杯で重賞初勝利。皐月賞は6着に敗れましたがダービーは2着でした。
休養に入って復帰したのがアルゼンチン共和国杯。ここで重賞2勝目。有馬記念はキタサンブラックの4着でした。
4歳春は金鯱賞で重賞3勝目をあげて大阪杯へ。ここで大レースを初制覇しました。距離適性からすれば宝塚記念に進むのが普通ですが,コース適性の方を重視して安田記念に出走。3着と健闘しました。
秋は天皇賞(秋)で復帰。このレースは10着。ジャパンカップは3着でこの年のキャンペーンを終えました。
5歳初戦は中山記念。4着に入ってドバイシーマクラシックに遠征。3着でした。帰国してこの年は宝塚記念に出走。これも3着。
この年も天皇賞(秋)が秋初戦となって7着。ジャパンカップで巻き返して優勝。大レース2勝目を達成。この年は有馬記念にも出走して12着。これで現役引退となりました。
ファーストクロップが現3歳なのですが,いきなり大レースの勝ち馬が出たように,かなり好調な滑り出しです。産駒が2歳のうちから走ることができるということは,種牡馬として重要な要素ですので,大成功まで期待できそうです。
帰宅しますと後期の三者面談の報告書が郵送されていました。これはグループホームの分です。
4月1日,土曜日。前日に郵送されていた報告書は,僕のサインを入れて返送しなければならないものでした。なのでこの日のうちにサインを入れて送付しました。
4月3日,月曜日。妹を通所施設に送っていきました。4月からバスのダイヤの改正がありました。最寄りのバス停を出るのがこれまでよりも2分ほど早くなりました。
4月7日,金曜日。3月31日の帰りに妹の目薬を処方してもらったときに予約を入れておいた歯科検診でした。この日は午前10時からでした。
4月8日,土曜日。総講の日でしたのでお寺に行ったのですが,この日は総講がありませんでした。これは翌日に開山のお会式が予定されていて,その準備のためでした。

4月9日,日曜日。開山のお会式がありましたので,またお寺に行きました。この日は統一地方選挙の投票日でした。僕が住んでいるところであったのは,神奈川県知事選と神奈川県議会選,そして横浜市議会選です。これはお会式から帰った後で投票に行きました。妹は不在でしたので,棄権ということになりました。
4月10日,月曜日。3月の通院のときに指示をされていたMRIの検査がありました。
予約は午後2時半からだったのですが,病院に到着したのがその5分前くらいになってしまいました。ですからすぐに2階にある放射線科の受付に向かいました。受付で指定された場所で待機していると,検査の担当者が来て,まず事前にもらっていた問診票を渡しました。MRIの検査には金属を身につけていてはいけないのですが,僕は歯にブリッジを入れていて,これは取り外すことができません。その旨を伝えました。それから個室のロッカールームに案内されました。ここで検査着に着替えました。着替えたといっても,僕は着ていたものは下着以外のすべてを脱いで,水色の薄いガウンのようなものを上から羽織っただけです。まだ暖かいといえるような時期ではありませんでしたが,院内は一定の気温に保たれていますから,そのようないでたちでも寒いということはありませんでした。
浦和記念,名古屋グランプリと連勝したディクテオンの母はメーデイアです。
父はキングヘイロー。6つ上の半姉が2006年に福島牝馬ステークスを勝ったロフティーエイム。Medeiaはギリシア神話に出てくる王女の名前。
デビューは遅く3歳の4月でこれは大敗。8月の未勝利を3着になった後,9月に初勝利。11月の500万を2着になって3歳戦を終えました。
4歳2月の500万を勝ち上がると3月の1000万は5着。5月に芝の1000万特別に出走して3着になり,当時の制度により降級しました。6月の降級初戦は芝で2着。ダートに戻ると8馬身差の圧勝で夏休みに入りました。
復帰したのは暮れの1000万でこれを勝利。年が明けて1月の1600万特別で2着になり,条件場の身でTCK女王盃に挑戦すると重賞初制覇を達成しました。続くマリーンカップも勝って重賞連勝。芝のヴィクトリアマイルに向かって17着と大敗しましたが,スパーキングレディーカップで重賞3勝目をあげました。さらにレディスプレリュードも勝つとJBCレディスクラシックも勝って大レースを制覇。ジャパンカップダートに進みましたがここは10着でした。
年が明けてTCK女王盃に出走し連覇を達成。これで現役を退きました。
デビューが遅くなったのは晩成型で,まだ体質がしっかりとしていなかったためでしょう。実際に本領を発揮したのは4歳の秋になってから。それ以降は牡馬には通用しませんでしたが,牝馬戦では無敵状態でしたから,牝馬としてはかなりの能力がある馬であったと思います。
妹が利用しているグループホームが,経営難のゆえに閉鎖という事態にでも陥れば,僕と妹の日々の生活に支障を来すことになります。実際に経営が困難になりつつあるという前提での依頼でしたから,何らかの仕方で応じる必要がありました。僕がこのときに決定した対応は主に二点です。
ひとつは,妹に帰宅の必要がない場合は,グループホームに滞在させるということです。これまでは,金曜日に妹を通所施設に迎えに行き,何の用事もない週末を家で過ごして,月曜日に通所施設に送っていくということがありました。これは帰宅する必要がないのに帰宅していたという場合に該当します。今後はこのようなことはしないということです。逆にいえば,妹が帰宅を要する場合というのは,通院がある場合とピアノのレッスンがある場合のふたつですから,こういったことが週末に予定されていない場合,妹は原則的にグループホームで過ごすことになります。これで間違いなく妹のグループホームの滞在時間は長くなりますから,経営難を克服するためのいくらかの援助にはなるでしょう。
もうひとつは,これまでは週明けに妹を通所施設に送っていたのですが,家にいなければならない事情がない限り,前日の午後にグループホームに送っていくようにするということです。ピアノのレッスンは日曜に組まれますので,日曜に送っていくことはできませんが,通院だけの場合は日曜に送っていくことができます。そのような場合は日曜にグループホームに送ることにしました。これは滞在時間も長くなりますし,これまでは妹が摂取していなかった日曜の夕食と月曜の朝食もグループホームで摂取することになります。こちらはひとつめほどではありませんが,やはり経営難の克服にいくらか役立つでしょう。
ただし,この依頼があったのは3月31日のことです。当然ながらその時点では4月の予定というのはすでにグループホームに提出してありました。ですから実際にこのような対応をするようになったのは,5月に入ってからのことでした。

この日はこの後,眼科で目薬を処方してもらってから帰りました。僕の4月の歯科検診の予約も同時に済ませました。
12月26日に囲碁将棋チャンネルで放映された第31回銀河戦の決勝。対局日は11月1日。対戦成績は藤井聡太銀河が1勝,丸山忠久九段が1勝。
振駒で丸山九段の先手となって角換わり相腰掛銀。後手の藤井銀河は右玉に組みました。

第1図に至る過程で後手は千日手も含みにがっちりと受ける指し方もありました。あるいはその方がよかったかもしれません。
第1図で☖8四桂と打って攻めていきました。この局面は受ける手段に窮していますから攻めていくのは仕方がないところ。☖6四桂と打つ手も有力で,飛車先が通っている分だけそちらの方がよかった可能性もありそうです。
☖7六桂は許せないと☗7七銀と引いて受けました。
そこで☖7五歩と突いていきましたが☗4二歩成と攻め合われ,☖7六歩☗8六銀☖5五角☗同角のときに☖4二銀と手を戻さざるを得ず,☗7四歩で先手の勝勢となりました。

☖7五歩が緩手で,ここは☖8五桂でなければいけませんでした。それで後手が勝てるわけではないのですが,実戦のような攻め合いにはなり得ないので,難解な終盤が続くことになったでしょう。
丸山九段が優勝。2005年度のNHK杯以来の9度目の棋戦優勝で,銀河戦は初優勝です。
何年か前に,ある種の知的障害者は家族を不幸にする,すなわち家族に悲しみtristitiaを齎すという認識cognitioの下に,そうした障害者を次々に殺害するという事件が生じました。僕は,知的障害者が家族を不幸にするということ,他面からいえば自分の家族に知的障害者が存在するということで悲しみを感じるという人が存在するということ自体は否定しません。ただ,割合でいえばそれは少数なのであって,そのことで喜びlaetitiaを感じる人の方が多数であると考えます。なので一般的に,どのような知的障害者であっても,何らかの知的障害があるがゆえにそのことが家族を不幸にするということは,一般的には誤謬errorです。
ではその殺人犯がきわめて特殊な認識を有していたのかといえば,僕は必ずしもそのようには思わないのです。実際に現行のグループホームの制度設計は,知的障害者が家に帰ることを家族は忌避するという前提の下に作成されているといえるのですから,このような認識は多かれ少なかれ社会の共通認識であるというように前提されているといえなくもないからです。
あえていえば,家族を不幸にする,いい換えれば家族を悲しませるというようなことは,知的障害者であるかないかに関わらずだれにでも生じるのです。少なくとも,ある種の知的障害者は家族を不幸にするという認識を肯定し,あるいは同じことですがそうした意志作用volitioを有し,その意志作用の下に実際に知的障害者を殺戮するような人間と,絶対にそのような意志作用をもたないしそのようなことをなすこともない知的障害者を比較したときに,どちらが家族を不幸にしているのかというなら,前者であることは明白であると僕は思います。つまり,知的障害者は確かに知的な障害があるがゆえに家族を不幸にするということがあり得ることを僕は肯定しますが,そうでない人は知的な障害がないがゆえに知的障害者であれば絶対にそうならないような仕方で家族を不幸にするということがあり得るのです。そして現実に家族を不幸にしているのは,知的障害者であるよりは,知的障害をもっていない人の方が,割合としていえばずっと多いだろうと僕は思います。
とはいえ制度は制度なので対応は必要です。
12月26日に指された第49期棋王戦挑戦者決定戦二番勝負第二局。
振駒で伊藤匠七段の先手で相掛り。後手の広瀬章人九段が工夫を凝らした駒組をしたので,類似形が少ない力戦になりました。

ここで先手は☗8六銀と上がりました。後手は☖7六銀と取ることができたのですが,そうはせずに☖6三金と上がり,飛車を5筋に回れるようにしました。先手は☗4七銀と引いて5筋を強化。そこで先手は☖3四歩と合わせていきました。
☗同歩☖同銀は先手が損をしますので,☗5五角と歩を取りました。後手が☖3五歩と取り返したところで☗4五歩☖同歩と突き捨てました。

第2図から☗6八金右と寄って一呼吸置きましたが,これで玉の固さと駒の働きの差で先手が指しやすくなっているようです。後手が正しく応対したというわけではないのでしょうが,この将棋は先手の構想力が素晴らしかった一局だと思います。
連勝で伊藤七段が挑戦者に。棋王戦五番勝負には初出場。第一局は来月4日に指される予定です。
この私見はスピノザの哲学と関係をもっていますので,簡単に説明しておきます。
僕が人間の現実的本性actualis essentiaというのは,人間の欲望cupiditasのことです。これは第三部諸感情の定義一によります。一方,事物の現実的本性は,コナトゥスconatusともいわれます。こちらは第三部定理七によります。この定理は人間だけに適用されるわけではなく,現実的に存在するすべてのものに適用されます。つまり現実的に存在するすべてのものは,自己の有に固執するのであって,人間もそうした事物のひとつですから,各々の人間はそれぞれの自己の有に固執するのであって,とくに人間の場合はそれが欲望として現れる,あるいは欲望として認識されるのです。
より小なる実在性realitasからより大なる実在性に移行するとき,人間は喜びlaetitiaを感じます。逆により大なる実在性からより小なる実在性に移行するときには人間は悲しみtristitiaを感じます。これらは第三部諸感情の定義二と第三部諸感情の定義三によります。これらの定義では実在性ではなく完全性perfectioといわれていますが,スピノザの哲学ではこれらは同じことを意味します。これは第二部定義六によります。
現実的に存在する人間は,自己の有を維持しようとするのですから,より小なる実在性からより大なる実在性に移行することは希求しますし,より大なる実在性からより小なる実在性に移行することは忌避します。つまり現実的に存在する人間は各々の喜びを希求し各々の悲しみを忌避するのです。これがそれぞれの人間には欲望として認識されることになります。すなわち僕たちの欲望はほとんどの場合で,喜びを希求する欲望か悲しみを忌避する欲望にパターン化することができるのです。
グループホームの利用者を家に連れて帰りたいという家族の欲望は,喜びを希求する欲望であることになります。欲望は現実的本性なので,僕はこれを現実的本性というのです。そしてこのことで家族に喜びが生じるのは自然なことであると僕は解します。だから現行の制度は人間の現実的本性にはそぐわないと僕は考えるのです。他面からいえば,現行の制度は,利用者を家に連れて帰ることを家族は忌避するという観点から設計されていることになるのです。
第16回川崎マイラーズ。大地震があったので金沢の吉原騎手が帰郷し,フォーヴィスムは今野騎手に変更。

アランバローズの逃げになりました。向正面に入るあたりで3馬身くらいのリード。2番手にはエアアルマスとカジノフォンテン。4馬身差でアイウォールとギャルダル。6番手にフォーヴィスムとディアセオリー。3馬身差でアマネラクーン。2馬身差でデュードヴァンとルーチェドーロ。2馬身差でヨハン。ブラックパンサーが続き3馬身差でアトミックフォース。アルサトワは道中で後退して最後尾に。前半の800mは49秒2のハイペース。
アランバローズはペースを緩めずに差を広げていき,3コーナーを回るとギャルダルが単独の2番手に。直線に入ったところで差は3馬身くらい。ここからギャルダルがじわじわと差を詰めていき,アランバローズの前に出て先頭に。そこに大外からデュードヴァンが追い込み,フィニッシュ前にギャルダルを差し切って優勝。ギャルダルがアタマ差で2着。直線でアランバローズとギャルダルの間から伸びてきたフォーヴィスムが1馬身半差の3着。アランバローズはクビ差で4着。
優勝したデュードヴァンは南関東重賞初勝利。一昨年まではJRAで走り,昨年から大井に移籍。移籍後はオープンの1勝だけでしたが,1600mの南関東重賞は2戦とも3着でしたから,勝つ力はありました。このレースはアランバローズが外連味なく飛ばしていったために,早めに負かしにいったギャルダルには厳しい競馬でしたので,能力で上回っていたとまではいえません。上位人気に推された馬たちでの決着ですから,上位3頭は差がない能力の持ち主だったといえるでしょう。Dieu du Vinはフランス語で酒の神。
騎乗した大井の御神本訓史騎手は東京シンデレラマイル以来の南関東重賞69勝目。第5回以来の川崎マイラーズ2勝目。管理している大井の坂井英光調教師は南関東重賞3勝目。川崎マイラーズは初勝利。
私見になりますが,これは社会の制度設計に問題が潜んでいると思います。
前にもいいましたが,知的障害者のグループホームのような場所は,かれらにとってのコミュニティーという一面があります。知的障害者の家族の中には,グループホームに入所させれば後は何の関係ももたないという人もいます。こういう方々はたとえ入所者が病気になったり死んだりしても面倒をみませんので,すべてグループホームと利用者の成年後見人で対応にあたることになります。また,僕の妹は身元引受人として兄である僕がいますが,僕が死んでしまえば身元引受人はいなくなりますから,だれかが成年後見人になることになり,その場合は妹はずっとグループホームで過ごすことになります。妹が利用しているグループホームというのは,地元の名士といわれる人が設立したものですが,設立の理由はその方に知的障害を持つ子どもがいたからで,その子の将来を慮ってのことだったと聞いています。現にその名士の方はすでに他界されていますので,残された子どもは現在は常にグループホームで生活しています。いい換えればこのようなケースでは,利用者は常にグループホームで生活するのであって,妹のように家に帰ってグループホームに不在になるということはありません。
もしもすべての利用者がこの状況にあれば,グループホームは安定的に経営できる制度になっています。つまり制度は,利用者が常にグループホームで生活するということを前提として設計されているのです。しかし,たとえ毎日の面倒をみることは大変だからグループホームに家族を入所させるということがあったとしても,たまには家に連れて帰りたいと思う肉親がいるというのは不自然ではないでしょう。というかむしろ,預けっぱなしにする方が少数なのであって,たまには家に連れて帰るという方が,人間の現実的本性からして自然であるというべきです。ところがその場合はグループホームに経営難が生じ得るという制度になっているのですから,これはそもそも制度設計が人間の現実的本性にそぐわないものになっているといわざるを得ないのです。なのでこの制度は改定が必要だと僕は思います。
12月30日に立川競輪場で争われたKEIRINグランプリ2023。並びは新山‐佐藤の北日本,脇本‐古性の近畿,清水‐松浦の中国で真杉と深谷と山口は単騎。
佐藤がスタートを取って新山の前受け。3番手に深谷,4番手に清水,6番手に真杉,7番手に山口,8番手に脇本で周回。このまま残り2周まで動きがなく,新山は誘導との車間を開けて後続の動きを待ちました。バックの手前から脇本が発進。新山も突っ張って打鐘から先行争い。ホームで脇本が叩いて先行。後方になった清水が発進すると,その前に単騎の深谷が発進。清水はいききれなかったので松浦が深谷にスイッチ。脇本は直線の入口まで粘りましたが,捲った深谷が差して先頭に。うまくマークした松浦が深谷を差して優勝。深谷が4分の3車輪差で2着。この両者を追って大外から伸びた真杉が半車輪差で3着。
優勝した広島の松浦悠士選手は7月のサマーナイトフェスティバル以来の優勝。ビッグはそれ以来の9勝目。グランプリは初優勝。このレースは脇本と古性の近畿勢が最有力でしたが,新山が前受けから突っ張ったために,叩くのにだいぶ脚力を消費してしまったようです。古性は追走でしたが,捲りを止めるだけの余力が残っていなかったのでしょう。このために好位からの捲りになった深谷に展開が向いたのですが,清水がある程度まで動いたので,スムーズにスイッチした松浦に優勝が転がり込みました。深谷にラインがあれば結果はおそらく異なったでしょうから,グランプリを獲得するのにはやはりラインの力も求められるということだと思います。
事前にいわれていたことですが,4月から主治医は異動します。なのでこの日がこのときの主治医による最後の診察でした。

薬局に寄って帰りました。インスリンも針も在庫がありました。
3月24日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。午後8時35分にピアノの先生から電話がありました。3月はピアノのレッスンの日が,この週の土曜か日曜のどちらかということで,決定していませんでした。このときの電話で,翌日にレッスンを行うことに決まりました。開始時刻もこの電話で伝えられました。
3月25日,土曜日。妹のピアノのレッスンがありました。午後5時半からでした。
3月27日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
3月31日,金曜日。妹をグループホームに迎えに行きました。昨年度は3月30日が終業で,31日は休みになっていたので,通所施設ではなくグループホームへの迎えになりました。このとき,地域支援担当主任のSさんがいて,ふたつほど話がありました。ひとつは妹の給与の受け取りです。給与の受け取りには印鑑が必要ですが,年度末には給与が支給されるということは分かっていましたので,印鑑を持参していました。なのでスムーズに給与を受け取ることができました。もうひとつは,グループホームの滞在をこれまでもよりも長くしてほしいという依頼でした。これはグループホームの経営の関連です。
グループホームというのは,利用者が365日ずっと滞在していれば,安定して経営できるようになっています。これはそのような制度設計になっていて,利用者の滞在時間に応じて税金による支援があるからです。しかし,利用者がグループホームにいない場合は,それに比例して税金による支援が減額されます。このために,グループホームとしては経営を安定させるために,利用者にはなるべく長くグループホームに滞在していてほしいのです。逆に利用者のグループホームへの滞在時間が短くなると,グループホームは経営難に陥ることになります。この時点でグループホームの経営がどのようになっていたのかは分かりませんが,依頼があったということは経営が厳しかったということなのだろうと思います。