夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

年回り

2005年12月07日 23時53分15秒 |  姥捨て山は大騒ぎ
いつも同じ人のブログの引用で気が引けるのだけど、介護施設に勤めている人が患者さんの危篤の報に接して書いた投稿があった。その投稿とコメントにこの人の目の優しさを感じて心を打たれている。オランダの社会保障に携わる人々の間でよく知られたモットーが「冷静な目と暖かい心」なのだけど、この人の目には、ただ単に甘い優しさではなく、ちゃんと人間のおかれている現実を理解したうえでの優しさがあり見ていてとても勇気つけられる。

たまたま私は前回、世代の差について書いていたけど、10年あるいは12年の周期の年回りってこともあるんですよね。年回りってのは適切な言葉ではないかもしれませんけど。

最初の一回目は家族や身近なコミュニティの中で社会に出る訓練を受けられるようになるまでの体や心構えの準備。
次は社会の求める社会化の訓練が始まり。
その次は訓練が終わり、実践経験を積む時期。
そして自分の能力を試す、社会へ羽ばたく時期。
という風に自分の段階を一つ一つ超えていくと、定年、そして自分の生涯を終える準備の時期になる。

死が身近なものになってくるのだけど、死というものに対する感じ方もそれぞれの段階で違うと思う。普通の人は若い段階ではそれはただ未知の怖いものなのかもしれないけど、人間の心って不思議なもの、それが身近になるとそれそのものは、それほど恐ろしいものでもないと思えてくる。

自分の一生、自分の今置かれている環境に「よかった」って感謝しながら、終わりを迎えられるということは、だから人間にとって一番の幸せ。

この患者さんは素晴らしいめぐり合いを感謝しながら人生を終えられ本当に一生が意味のあるものになったのでしょうね。