夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

小さな嘘、

2005年12月12日 01時25分29秒 |  姥捨て山は大騒ぎ
「献身」をちょうど書き終えたときに母からの荷物が届いた。
お茶、お菓子、御節の材料などこまごまとしたものがしっかりとテープされたダンボールに入っていた。

「何かいるものない? 欲しいものない?」電話をかけるときに何時も聞かれる言葉。
「別に、何もないよ。」って何時も答える。
でも母は私が、母に無理をさせたくないと思っていることを知っていて、
「町に出たときに余分に買った」とか、「人からの贈り物だけど私は使えないから」とかさまざまな理由、小さな嘘をついて、送ってくる。

「送料が無駄になるし、使えないから、もう買わないで」とは言うけど、でもあまり強く言うと母の楽しみを奪ってしまうことになる。

自分の食べるものを削っても、子供を喜ばせたい、子供にちゃんとしたものを食べさせたい。私も親だから、その気持ちは痛いほど判る。でも私は母に何をしてやれるのだろう。

だから母からの荷物。何時も嬉しく、そして悲しい。

生きること  東京タワー

2005年12月12日 01時00分34秒 |  姥捨て山は大騒ぎ
「東京タワー」をやっと購入して、読み終えた。
考えてみるとこの間のおすすめ投稿は「アゲアンタム・ブルー」だった。

東京タワーは母親の死、アゲアンタム・ブルーは恋人の死に面した男の物語だった。

どうしても死という問題は私には大きいのかもしれない。

原爆症を発症して死ぬかもしれない。
それはかなり苦しい死になるかもしれないという恐れを持っていた子供時代には、生きること、どう生きてその死を迎えるのかということは大きな関心だった。
まるで葉隠の世界(武士道とは死ぬことと見つけたり)を小・中学校の子供が生きてきたのだ。
葉隠は戦争が遠く、死が普段の生活から離れてきた時代に武士にいかに生き、その結果としての死を受け入れるかの覚悟を教えている本。
(例えば宮本武蔵の「五輪の書」は死を目前のものとして生きる武芸者のために、いかに生を全うするかを書いた本。)

短いかもしれない自分の命、その間にどう満足した一生を送れるのか。
年端も行かない子供が直面し、考えなければいけない問題としては大きすぎた。

それがもしかしたら原爆症は起こらない、生きていけるかもしれないということになった。
ぎりぎりの自分の生き様をかけたはずの生が、ルーズなものに堕落してきた。

今はもうそろそろ死んでもおかしくないという時期に来た。
でも、それまで、特に生きていく目的もないし、興味もない。
ただ一日「お気に入りの椅子」に腰をかけて、外の世界を見ている。
あるのは母よりも先には死ねないという、たった一つの自分で決めた決まりだけ。

子供のときに死んでいれば、もっと意味のある死に方ができたのだろうか?



東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~

扶桑社

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