夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

卒業  身辺整理; 長崎の原爆記念日

2006年08月09日 21時57分47秒 |  姥捨て山は大騒ぎ
2005年9月12日の以前のブログに書いたものです。

今日は長崎の原爆記念日。
私にとっては忘れられない日ですので、ここにアップしておきます。

母親がよく言っている
「何かあったときに、身の回りがきちんとなってないと恥ずかしい」
ということがなんとなく実感を伴って響いてくるようになったので身辺整理を始めた。

アーティストインレジデンスで来日するアーティストのために日本の情報を流すBlogを作ろうと、内外のブログやスペース、はたまたムーバブルタイプにまで手を広げてチェックをかけていたので、さまざまなところに残骸を残している。先日からこれらも整理しなければと思い続けてきていたので、これも発端の一つだった。

使ってないスペースは問題ないけど、ブログを知るためにさまざまな書き込みをしたところは、なんとなく消してしまうことに未練が残っている。

昨日はGooの中にある久米仙人のブログを消した。
ついでにメールアカウントまで消してしまい、消すつもりのなかったメールやメーリングリストまで消えてしまってあせっているのはご愛嬌かな。

久米仙人のブログは人間だって本質は生物。
生物の一番の生存理由は子孫を残し、その種を発展させていくこと。
そのプログラムはソフトやOSのレベルではなく、バイオスのレベルで書き込まれている。人間の美意識や、名声、金銭、さまざまな欲も、自分では気がつかないにしても発端はその辺にあるのではないだろうか。人間は好むと好まざるにかかわらずその術縛からは離れられないということを前提にして、愛だの恋だの、そして自分の生存理由を見つけること、自分なりの美意識、などと言ったことを中心にしてきた。と言うとかなりかっこいいけど、結構愚痴とエッチなブログだったと思う。
生きている間は、それを批判されても反論できるけど、死んじゃったらなぜそんなことを書いたか説明できなくなる。低級さを残しておきたくないというのが本音だった。

昔、原爆投下の翌日に被爆地に父親の遺体を捜しに入って、物心ついてからずっと、原爆病の恐れを感じ続け、死を身近に見る子供時代を送ってきたことを書いたことがあるけど、儲けもののような人生を送らせてもらって、自分の我がままいっぱいの仕事をし、たくさん感謝する人に恵まれて自分の一生はありえないくらいに恵まれた一生だったと思う。

名前を残す仕事ではなかった。やりたい企画を立て、それを新聞社や美術館などに売り込む。
自分は黒子としてそれが実現できれることが嬉しかった。

目の前の愛に身を焦がす。でもそれ以上にその愛する相手が抱えている一生の夢のために自分が何ができるかが一番の問題、そんな恋もたくさん経験してきた。

岬のお気に入りの椅子に腰をかけ、そとの木々を見ながら「自分は本当に豊かな人生、輝いた経験に恵まれた」のだと思える自分が誇らしい。
それがたとえ社会的に、あるいは相手から認知されないことであっても、自分が自分を誇らしく思えればそれでいいと思う。

美味しいもの。一瞬を忘れさせる美味しいお酒にも、膝の上で丸くなって寝る猫にも、花にも、移り変わる自然の景色にも興味がわかない。
それらは自分が自分の夢に、人生に挑戦し続けるから価値があるのだと思う。

「岬な日々」の本質は自分の過去を誇らしく思う、年寄りの自己満足なのだろう。
そしてもしかしたら、新しい価値へ挑戦する力のなくなった年寄りにはそれしかないのかなとも、頭のどこかでは思うけど。

今日は素晴らしい天気。
鳥の声も間遠くなった今、
木々の間から見える田んぼは、金色に輝いている。