アートマネージメントを教えるということは、子育てを教えるようなものじゃないかと思うことがあります。
そのそもアートマネージメントは、自分がこれは素晴らしい、これはぜひやるべきといった自分の心の中の琴線に触れるものを主催者であれ、観客であれ、それをどう訴えていくかの問題。
だから何が素晴らしいのか、その人なりの気持ちを見据えることが最初なんだろう。
そのうえでその作品をどう展開したらいいのだろうかとか、それが受けてくれる人や、見に来てくれる人、作家たちにどう受け止められるような仕組みを作るのだろうかとかといった点がその運営上の問題なんだと思う。
でも実際はせいぜい、職能的な作品の扱いや、企画の運営の技術的なことばかりをクラスで話をするのだと、これはどうみても学問ではないのかなとも思う。と、いって個人の評価を入れすぎるとそれもまた個人的な好みを学生に押し付けること。
「優秀な」学生は教師の言うことを全部鵜呑みにして、好みまで100%レプリカになってしまう。怖い、怖い。でも試験をすれば、こんな学生がトップを占めるのもまた現実。
自治体も最近は活動評価を押し付けられているから、これをやれば何人人が来てってことが重要、そんなことを言ってくる相手には、ならカラオケ大会をやってればいいよって冷たく言い放つのだけど、基本に自分がどれだけその作品に感激を受けたかがなければ、企画を持ち込むほうも同じこと。
食べていかなきゃいけない、有名になりたい、そんなことだったら勝手におやりよって言うしかない。
遊園地のアミューズメントを企画するわけじゃないんだものね。
反論を誘うようなテーゼをだして、若い、何もしらない学生であっても、自分のやりたいこと、やるべきこと、気持ちのそこを見据えてどうどうと反論を加えてくるような相手がいればもうちょっと面白いんだろうけど。
クラスでは話せない。
酒を飲みながら、どんなものが自分が素晴らしいと思うかを語るだけ。
でもマネージメントを志す人もそうだけど、作家も、優等生しか見えなくなってきている。
気持ちの沸き返るような作品を見たいね~。
そのそもアートマネージメントは、自分がこれは素晴らしい、これはぜひやるべきといった自分の心の中の琴線に触れるものを主催者であれ、観客であれ、それをどう訴えていくかの問題。
だから何が素晴らしいのか、その人なりの気持ちを見据えることが最初なんだろう。
そのうえでその作品をどう展開したらいいのだろうかとか、それが受けてくれる人や、見に来てくれる人、作家たちにどう受け止められるような仕組みを作るのだろうかとかといった点がその運営上の問題なんだと思う。
でも実際はせいぜい、職能的な作品の扱いや、企画の運営の技術的なことばかりをクラスで話をするのだと、これはどうみても学問ではないのかなとも思う。と、いって個人の評価を入れすぎるとそれもまた個人的な好みを学生に押し付けること。
「優秀な」学生は教師の言うことを全部鵜呑みにして、好みまで100%レプリカになってしまう。怖い、怖い。でも試験をすれば、こんな学生がトップを占めるのもまた現実。
自治体も最近は活動評価を押し付けられているから、これをやれば何人人が来てってことが重要、そんなことを言ってくる相手には、ならカラオケ大会をやってればいいよって冷たく言い放つのだけど、基本に自分がどれだけその作品に感激を受けたかがなければ、企画を持ち込むほうも同じこと。
食べていかなきゃいけない、有名になりたい、そんなことだったら勝手におやりよって言うしかない。
遊園地のアミューズメントを企画するわけじゃないんだものね。
反論を誘うようなテーゼをだして、若い、何もしらない学生であっても、自分のやりたいこと、やるべきこと、気持ちのそこを見据えてどうどうと反論を加えてくるような相手がいればもうちょっと面白いんだろうけど。
クラスでは話せない。
酒を飲みながら、どんなものが自分が素晴らしいと思うかを語るだけ。
でもマネージメントを志す人もそうだけど、作家も、優等生しか見えなくなってきている。
気持ちの沸き返るような作品を見たいね~。