夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

ブラック・ジャックに会ってきました 改

2006年08月17日 23時33分05秒 | 日記
2005年7月20日のブログからの転載です。
後ろに、後日談を追加しました。


昨日弟の手術のことでブラック・ジャックにあってきました。日本では有数の心臓外科のお医者さんでテレビにもブラック・ジャックって紹介されたりしている人。本人は漫画ほどには渋くなかった、、、

でも自信に裏づけされたストレートな言い回しには、感銘を受けました。

資料を見ながらその場でどんどんと的確なオピニオンを述べていくやりかた、さすがでしたね。

以前かかっていたところでは、弟が予測されたより状況が悪くステント手術が延びたときに、すぐ帰れるつもりで仕事のアレンジをしてきたので、一時帰宅したいっていったら、いつでも突然死する危険がある状況だからって帰宅の許可を出さなかった医者が、結局ステントが通せなくて外科のバイパス手術しか方法がない、外科の手にゆだねることになるとなったときには、外科に部屋が空いていないので、しばらく帰宅して欲しいって言ってきました。同じ病院なのに、内科の責任が終われば、突然死してもいいのかしらねって思いましたが、そのことをブラック・ジャックさんに言うとそれは面白い、ゴシップだ、記事にしたいくらいだって言ってました。

病院的には前の病院のやり方は仕方ないのかもしれませんけど、専門家がちゃんと素人の、普通の目も持てるということは必要なことかもしれませんね。少なくとも人の命を預かっているのだから、帰宅したら命の保証はないと言っている患者に、自分の責任じゃなくなったから、帰宅して欲しいっていうのは、弟にはあなたは死んでも仕方がないって言っているとしか受け止められなかったとしても無理ないと思います。


後日談
弟の手術は人工心臓を使わないで、冠状動脈3本を切って繋ぐという大変な手術だったけど、術後、もう翌日にはリハビリメニューが開始されるという、現在の外科手術を象徴するような経過を辿っていた。
弟は経過良好で数週間後には退院、現在は安定した生活を送っている。

この人をモデルにした連続のテレビドラマ医龍がその後放映されたり、最近でも朝日新聞紙上にこの人のことが紹介されていたりして、弟は大変な人に手術をしてもらったのだとその幸運にいまさらながら感謝している。

主夫の疑問 淡雪、淡雪羹、メレンゲ  改

2006年08月17日 10時59分35秒 |  食べるために生きる








備前屋なんかに代表される「淡雪」。これを作りたいのですけど、レシピを探しても淡雪羹のものしかありません。
これは同じものでしょうか?

淡雪とメレンゲの作り方、どう違いますか?


備前屋さんに淡雪の写真を使わせてくださいとお願いしましたら快諾いただきました。
またレシピも紹介していただきましたので、コメント欄に書き加えました。
(コメントをご覧になるときにはタイトル右の日付をクリックされると、その日記に添付されたコメントが展開します)

主夫の日記 糠漬け

2006年08月17日 10時43分57秒 |  食べるために生きる
主夫としては糠漬けにも挑戦したいと思い定めて、
昨日糠漬けの糠を買ってきました。
今はもう仕込んである糠があるのですね。

それでもしばらくは糠がこなれるまでにかかるだろうと、くず野菜に漬けようかと思いましたが、説明書によれば、すぐにでもできそうなので、昨夜、大根の尻尾、きゅうりの切れ端、人参の余り物を入れてみました。

加齢臭だけでも嫌われているのに、糠の匂いまで加わったらもう人生終わりだと思い、糠床はポリ袋に入れてそれをポリ容器にいれました。かき回すときは、ポリ袋をぐにゃぐにゃすればそれで一丁上がりってことでこれなら糠の匂いが体につくことはないでしょう。

今朝、試食してみましたが、う~ん、一応糠漬けにはなっていますね。でも何かが足りない。
それでも一回目からこの程度に上がるのであればしばらくお付き合いしてもいいような感じですね。

今度はなすを試しましょう。

ユニーク 改

2006年08月17日 09時44分02秒 | 芸術・文化
2005年04月28日に以前のブログに掲載したものの転載。
最後に後日談を追加しました。
 

普通は、知らない人から何か聞かれたり、依頼されたりしても、通り一遍のことしか言わないのだけど、どうかした拍子にわざとアンチテーゼを出して、喧嘩を売るような言い方をすることがある。相手の何かがこちらの興味を引くんでしょうね。このようなときには、殆ど100%相手から、議論をぶり返してきて、華々しい芸術論(?)を繰り広げることになる。

先日は寝る間もないように忙しいときに来た作曲家で演奏家だった。彼女は日本人のダンサー(むしろアメリカで知られているコンテンポラリー系のダンサー)とのコラボレーションの可能性に関して依頼をしてきたのだけど、彼女の説明文の中のリズムと身体表現というのが、「作曲家からの発想という以外は特にユニークなコンセプトではない。もう少し詳細が解からなければ」って返事をしたら、案の定延々とメールのやり取りになってしまった。

今は、ちょっと忙しいから、もう少し暇になったらリターンマッチねって、休戦状態にしてあるけど、そろそろ返事をしなければ。でも間を置いた性で、ちょっと気持ちが重くなってきた。

私の最初の投げ石に対する彼女の反応は、「私は目新しさ、奇抜さを狙って作品を作るのではない」ってもの、それに対して、「私もそんな底の浅い作品を延々と見せられてあきあきしている。テクニック的にはまだ未完成でもいいから、作家のメッセージ、気持ちの伝わる作品を見たいと思っている。私がここでユニークと書いたのは、貴女個人の気持ち、貴方個人のメッセージがこめられた作品のこと。それが見えると解かるまでは動きたくない」って書いたのが、私たちの芸術論争の始まり、延々と長い長いメールの交換を1週間ほど続けてきた。

その前は別なダンサーとの裸体論争。ヌーディティに関するメールを1年近く交換していた。ちょうど上の論争をしているときに、彼女の近作の案内が送られてきていたが、セミヌードの写真がこれ見よがしに掲載されているものだった。今年はオランダの芸術祭が雅楽にフォーカスを当てていて、武満氏の音楽とアンドリーセンというオランダの作曲家(2、3年前の武満賞の審査員長にも招待された人)のタイドという作品(雅楽にインスピレーションを受けたと言っていた)がオープニングを飾るが、このクリップは彼女がアンドリーセンがベルリンとモスコーの音楽祭に招待されたときに発表したビデオクリップを自分でリメークしたもの。一年近い論争がまったく無に帰したことを暗に伝えてきた案内状だった。

この1月くらいから、日本のインスタレーションの作家にも延々と話しをしていることがあるけど、これも無に帰さなければいいけど。(でもそれ以上に怖いのが、自分が何かを押し付けて、壊してしまうことだけどね。)



後日談
2006年8月17日現在;

最後の日本の作家に関しては、あまりにも幼い。自分の芯を持っていない。こちらが何かを言うとそれをまず是として、そこからスタートする。いい才能の垣間見える人だったけど、この人にアドバイスすることはこの人が自分で考え、自分の足で歩こうとする本当の意味での自立のためにならないと判断しやめた。
この人はあくまで置かれた環境、範囲の中で、それを公理として、その上でしか自分を見出せない。その意味では秀才だった。
本当は置かれた環境、範囲そのものを考えて欲しかったし、
環境、範囲を自分で作り出そう、変えていこうというスタンスが欲しかったのだけど、最終的には判ってもらえなかったみたい。

最初のアーティストは10日ほど前からまたメールを送り出した。
こちらは最初から自分が何を求めているのか、それがなぜなのかをはっきりと自覚し、主張してきた。異論を唱えても、自分の頭できちんと評価して受け入れるか、反論するか考えられる人だった。簡単なようだけど、日本人の作家でこれをきちんとやれる人は少ない。むしろ主張が単なるわがままで、自分の気持ちの奥底は見えていない人が多い。
ヨーロッパなどでは、子供のときから自分を主張する、自分が何を欲して、何をしたいのかをはっきりとさせた上で行動するというのが当たり前なのだけど、日本の場合、社会通念、社会的な評価、価値観を問答無用の最善のものとして受け入れているような人が多い。その上での小さな変化、改良だけしかできない作家は、本当は作家とは呼べないのだと思うけど。
そんなモンで一生を苦労するのなら、やめてしまえば、なんて激しすぎるね。