夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

心象の発露か、わかってもらうことか

2008年06月09日 22時49分29秒 | 芸術・文化

プロフィールにも書いているけど、最近の私のブログ(この夢幻泡影になってから)は、突き詰めていえば、散歩が必要、そのために写真でメモを撮って、ブログにアップして、散歩に付加価値をつけてということに落ち着いてしまう。

時々、自分がアップした写真をしげしげと眺めることがあるけど、ここの写真は自分がそのときに見た綺麗だな、面白いなというものを撮っているだけ。
まれに、一見心象的なものをアップすることもあるけど、ほんとうに自分の心象に忠実なものだけをアップしようと思えば、今までアップしたものの全てを消してしまわなければならない。

でも自分の心象に忠実なものだけだと、誰にも見向きもされないだろう。
もちろん、メモの写真だって、人に好まれるから、好まれるように写そうという気持は最初から持ち合わせてはいないのだけど。
誰とも共通の価値観での話しのしかたになってしまうのが恐ろしいと思うこともある。

10000枚の写真をアップしても、後で見返して整理すると、その全部を消してしまうかもしれない。
その場での私の個人的心象が、私の中でさえ、いつまでも同じ価値を持っている、そんな物を作ったこともないし。

人の作品を展覧会などで紹介する仕事を重ねてきて、歳を経て、自分の伝えたいメッセージ、好み、撮りたいもの、撮るべきものがある程度はわかっているつもりでもそうなのだから、若い人が、一時の感情、感興だけでの作品で終わってしまっても仕方のないことなのかもしれない。

一万人の人にわかって貰える写真は、自分でも理解できるし、綺麗だと思える。
でもほんとうに自分に忠実な写真は10人の人にもわかってもらえないかもしれない。
プロではないのだから、ほんとうはそれでもいいのだけど、、、、
いくらメモだからといって、ただ綺麗、雰囲気がある、、、、
それだけでは、それでいいのかなと思うことがある。

私が散歩の付加価値と逃げ道を作る理由なのだけど。
でも、撮り溜めた写真を見ながら、私はどこへ行けばいいのだろうと、恐ろしくなる。


いすみ市の小池(大原台入り口)のレストランCafe⑤oceanで写真展があっていました。
内山涼という銚子の写真家さんらしいのですが、波の写真を並べていました。
一枚だけ、私の琴線に凄く触れるものがあった。
もちろん、私なら違うやり方で撮ると思うけど、でも、その写真を見て、自分の写真を改めて考えさせられたのでした。


このブログになってからアップした写真がもうすぐ5000枚になります。
ここらで、一度考えなければね、、、

なんて、雨の日の夜、小人は閑居して、具にもつかないことを考えております。



蛇の足
日記をアップした後(後から調べなおすなんて非常に私的ですけど)、内山涼でググっていましたら、お近くのオールドローズさんのブログがヒットしました。彼女が行かれたのは別な写真が展示されていたときだと思いますが、店内の様子など、素晴らしい写真で紹介されていますので、ぜひご覧になったらと思います。

雨の日のすごし方  追加あり

2008年06月09日 11時03分06秒 | 日記


今やあちこちで梅雨の話で賑やかです。
TBの練習のお題もこれでしたね。

さて、雨の日のすごし方。
私ならお気に入りのカフェに行って、のんびりと外を眺めながら、過ぎし方の甘くせつない思い出に浸る。
そんな時間を持ちたいですね。

何?
そんな思い出を持っているのかですって?
あ~た、何を言っているんですか。
雨の夜は月も出ないんですよ。
まして、最近は真昼間から通り魔が出るんですから。
人の心をぐさっと突き刺すようなことは言わないほうがいいですよ、、、


    (毎度、書いておりますが、日記のカテゴリーの写真は、以前にアップした写真が入っていることもあります)


追伸
さっきトラックバックを送って来た方がありまして、そのトラックバックの先が5月30日の日記「尽日無人看微雨  杜牧  今日も雨たい」でした。
そうか、一日雨を眺めて暮らすって言うのは前にも書いていたんですね。
写真はあまり忘れないんですけど、書くものはあんまりいろんなことを書いているので忘れてしまっていますね。よくない傾向。 喝!