夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

カルガモの抱卵  追加あり

2008年06月23日 13時04分35秒 |  岬な日々


去年の6月25日に東京のマンションの中庭に巣を作り、子育てをしているヒヨドリのカップルの話を書きました。
今度はカルガモ。岬のとある公園の入り口の生垣の中でカルガモが抱卵しています。
雨に濡れながら、こちらの姿を見ながらも、必死で卵を温めている親鳥の姿、なんとも心温まる、目がうるうるしてくるような光景でした。
これがその公園の一部なのですけど、



    左の鉄柵が設けられているところが巣のあるところ。
    この公園の入り口です。

公園の管理者によって柵が作られ、犬を連れてくる人への警告が出されています。



ヒヨドリのときには、管理人さんがお知らせすると、珍しがって見に来る人がいてヒヨドリを驚かせるかもしれないからって、知っている人は知っているけどの公然の秘密扱いでした。でもほとんどの人が知っていて、知らない不利をしていたのじゃないかな。
こちらでは敢えてカルガモの抱卵をお知らせしていますけど、それは犬を散歩させる人がいるので仕方がないことなのでしょうね。
処置の方法は違っても、関係者の気持ちはよくわかります。暖かいですね。


でも、これを教えてくれた人が、周りに水場もないし、どうするのだろうって心配していましたけど、ほんと、どうするのでしょうね、、、


蛇の足
リンクのように、去年の日記にヒヨドリがマンションの中庭で抱卵している話を書いてましたけど、この日記をアップして気が付いたのですけど、今年も同じ場所で抱卵中です。卵は確認しました。
去年は通路から一メートル半くらいのところでしたけど、今年は1メートルもないようなところですので、親鳥を驚かせて、巣を放棄させる危険があり、写真は遠慮しました。

灰を篩う  番外編 メモ

2008年06月23日 12時33分56秒 |  非・常識的茶道

ところでこのところの「灰を篩う」の最後の二つの記事に灰2の写真がでてましたね。灰1は事故で再び水に晒しているので、灰2をピンチヒッターにしましたということでした。
その灰2の様子を見て、「新聞紙に包まれたチョコレート」ってコメントがありました。「レンガ4,5個分くらいの大きさのチョコレート」ってご返事しましたけど、手に持ってみると、これが結構大きいのですよ。
上のほうは削って見るとさらさらしているので大丈夫かと思いましたけど、灰を摺ろうと、ブロックを崩し始めると中はまだ湿りを帯びて、塊になってしまいます。
このままおいておくと完全に中まで乾くのに時間がかかりそうなので、ブロックは崩してしまい、次に岬に来るまでお休みということになります。

次回は灰2が完全に乾いていれば、灰を摺る工程に入れるのですけど、まだ湿っていれば、灰1とスケジュールがダブってしまいますね。

灰3,4,5はどうせこの夏は使わないのですから、ゆっくりと晒していけばいいのですけど、、、

来年の工程のスケジュールのために、灰の乾きはずいぶんと時間がかかることをメモしておかなければ。




そしてその2
灰を晒すときにお茶を使う方がいます。調べるとそのほうが多いみたいですけど、でもお茶を使うのは邪道と主張する人もいますね。
私のかんにんぐぺーぱぁ~では番茶よりも、建水の水(抹茶碗を洗った水)のほうがよいなどと書かれています。
私は、お茶をできるだけ使わないようにしていますので、いつまでたっても生白っぽい灰でしかありません。
でも今日明日の完成を期するのであれば別ですけど、灰なんて出来上がりが、10年以上先の話になってしまいますので、あまり変なものは入れたくないのですね。


その3
灰を1,2、、、、5と小分けにしています。
でたとこ、見つけたもの順に、作業しているのでそんな風になってしまいました。
失敗したときにもリリーフが控えているようにとの思いもありました。
でも、5工程もあるのはちょっと面倒ですね。
灰1,2と灰3,4はまとめてしまいましょう。
灰5はちょっと別格なので、どうしましょうかね?
まとめたものは使うときに分ければいいのですし、

あと、蒔灰と香炉用を作らなければ、、、

何度も書いていますけど、これでは私のお茶は灰で終わるようです。
お茶を点てるってのは、あちらの世界に行ってからのお楽しみですね。



方向性を指し示す勇気   救急車の非常識要請の記事

2008年06月23日 11時57分10秒 |  これがまあつひのすみかか我が日本
読売新聞が救急車の非常識な要請が増えていることを調査している。
この件の直接的なことに関してはMixiで日記に書いている。
  今や、つまり非常識な要請が増えていることは広く認識されているし、そしていくつかの自治体ではそれに対する処置も作られている状態での調査、報道であれば、その非常識要請の裏にある、その原因でもある医療の現場の問題も取り上げて欲しかったというものだった。

直接的なものはMixiに書いたので重複する気はないけど、何かを調査したり、報道したりするときに、きちんとした報道機関であればその現実だけを取り上げるのではなく、その原因や、どうすればいいのかへの提言、あるいは解決への方向性をもった報道であって欲しいと思う。

産科や小児科の医師が不足して、深刻な状態を引き起こしているという報道があったとしても、それだけを報道するのではなく、どこにその原因があるのか、どうしして欲しいのか、そんなメッセージを含ませることは日本の報道機関が一番弱い部分なのですね。

それは大きな社会問題だけでなく、もっと小さな出来事であっても、同じだと思うのです。社会面をにぎわす交通事故の報道。ほとんどが警察発表をそのまま報道しているだけ。でも、そこでなぜ事故が頻発するのだろうとか、どうしてこんな事故が起こったのだろうということをちょっと考えれば、同じ記事を書くときにももうすこし、こうして欲しい、こうあって欲しいという記者のメッセージが含まれる書き方になってもいいと思うのです。意外と日本ではこんな記事を書くとキャップに削られてしまうことが多いのですけどね。







足代わり119番、救急車「予約」…非常識な要請広がる(読売新聞) - goo ニュース