去年の6月14日には紫陽花の花を二つの日記にアップしています。
一つは紫陽花の花のアップ、もう一つは紫陽花屋敷の風景でした。
紫陽花屋敷は茂原から国吉へ向かう広域農道に面してあり、今年もまもなくピークを迎えようとしています。
千葉にはこの紫陽花屋敷を始めとして、紫陽花寺とも呼ばれる本土寺があり、他にももっと大きな花野辺の里、川村記念美術館、マザー牧場、麻綿原高原など4,5万本クラスの紫陽花の名所があります。
うっとうしい梅雨の時期に紫陽花の花で心を癒すのも嬉しいことですね。
今回は、そんな大掛かりな観光地ではなく、ほんとうに家から道へ出るちょっとの間に植えてある紫陽花をご紹介します。
個人の畑の縁に植えてある程度で、数はたいしたことはないのですけど、いろんな花色の紫陽花を植えてあり、アップで撮るには手ごろな被写体になっています。
このような個人の家の敷地の境を飾っている紫陽花、岬にはたくさんあります。
雨の日など、車で通りながら、紫陽花の咲き誇っている垣を見ていると、ほんとうに住む人の心の豊かさ、ゆとりを感じさせられて、いいものですよ。
でも、紫陽花だけではないのですよね、四季折々、いろんな花がいろんな人のうちを飾っている。四季折々、人の心を愛で、花を愛でできる、そんな町が岬なのです。
書くことが思いつかなくなると(って、いつもそうですね)、安直に昔の詩や和歌を引用してしまいます。
ところが、これだけ美しく咲いている紫陽花ですけど、日本の古典では詩に読まれることが非常に少ない花なのです。
このことに関しては、紫陽花の花は色が変わるので、移ろいやすいということで嫌われたということが定説になっているようです。
でもね、私はかねがねほんとうにそうなのだろうかと疑問に思っています。
だって、古今でも、新古今でも、移ろう心をなじったり、悲しんだりしている詩ってずいぶんたくさんあるし、そのときに、花にたとえることもごく普通に見られるテクニックなのですよね。紫陽花だけが駄目というのは説明になっていないように思えてならないのです。
ところで、ヨーロッパに住まわれた経験のある方にお聞きします。
ヨーロッパで青色の紫陽花をご覧になったことがありますか?
本にはヨーロッパの土壌がアルカリ性なので、ヨーロッパの紫陽花は赤かピンクだと書いてあります。
確かに、赤の紫陽花は見たことがあると思いますが、はて、青の紫陽花を見なかったかどうか、どうにも思い出せないのです。
見たことがあるというかたがありましたら、ぜひ、コメントください。
追記;
アップした日記を見ていますけど、紫陽花ってライティングと被写界深度のお勉強には最適な花ですね。
もちろん、私はスタジオでは撮りませんので、あくまで自然の光をどう扱うかということ、でも半歩なり、、、クローズアップの時には1センチでも、カメラ位置を変えると被写体の感じがまったく違って見えることだってありますよね。
そこ、左へ一歩なんて、、、でも足元には注意してくださいね。崖の下に落ちても私は責任を負いませんので、、、
まずはライティング。
トップの写真のように後ろから回り込んで花びらを透かせている光を撮るというようなときに、トップからの光と後ろの光のバランスなんて自分で光の量を調整できないだけにけっこう難しい問題。ファインダーを眺めながらいらいらしている自分が見えたりして。
トップからのライト、角度をつけてスポット的に当たるライト、それが当たる被写体を見つけるのもまた楽しいですよね。
紫陽花は花が大きいので被写界深度には気をつけなければいけない材料。
今日の日記の写真は全部70-300のズームの300側で撮っています。手持ち撮影です。
3番目の額紫陽花。手前の花びらをもう少しシャープに写したほうがよかったでしょうか。絞込み不足?
その次のは後ろの花びらがぼけています。私はこれはこれでよかったって思っていますけど、でもこちらも両方をシャープにしたほうがよかったかな?
花びら全体でのシャープネスを考える以前に、花の手前や後ろから顔を出す葉っぱの処理をどうするのか、ぼかすのか、それならどのくらいぼけたほうがいいのか、、、
なんてことを考えながら、見返していると、つたない写真でもそれなりに勉強になりました。
写真ってほんとうに楽しいですね、サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。
一つは紫陽花の花のアップ、もう一つは紫陽花屋敷の風景でした。
紫陽花屋敷は茂原から国吉へ向かう広域農道に面してあり、今年もまもなくピークを迎えようとしています。
千葉にはこの紫陽花屋敷を始めとして、紫陽花寺とも呼ばれる本土寺があり、他にももっと大きな花野辺の里、川村記念美術館、マザー牧場、麻綿原高原など4,5万本クラスの紫陽花の名所があります。
うっとうしい梅雨の時期に紫陽花の花で心を癒すのも嬉しいことですね。
今回は、そんな大掛かりな観光地ではなく、ほんとうに家から道へ出るちょっとの間に植えてある紫陽花をご紹介します。
個人の畑の縁に植えてある程度で、数はたいしたことはないのですけど、いろんな花色の紫陽花を植えてあり、アップで撮るには手ごろな被写体になっています。
このような個人の家の敷地の境を飾っている紫陽花、岬にはたくさんあります。
雨の日など、車で通りながら、紫陽花の咲き誇っている垣を見ていると、ほんとうに住む人の心の豊かさ、ゆとりを感じさせられて、いいものですよ。
でも、紫陽花だけではないのですよね、四季折々、いろんな花がいろんな人のうちを飾っている。四季折々、人の心を愛で、花を愛でできる、そんな町が岬なのです。
書くことが思いつかなくなると(って、いつもそうですね)、安直に昔の詩や和歌を引用してしまいます。
ところが、これだけ美しく咲いている紫陽花ですけど、日本の古典では詩に読まれることが非常に少ない花なのです。
このことに関しては、紫陽花の花は色が変わるので、移ろいやすいということで嫌われたということが定説になっているようです。
でもね、私はかねがねほんとうにそうなのだろうかと疑問に思っています。
だって、古今でも、新古今でも、移ろう心をなじったり、悲しんだりしている詩ってずいぶんたくさんあるし、そのときに、花にたとえることもごく普通に見られるテクニックなのですよね。紫陽花だけが駄目というのは説明になっていないように思えてならないのです。
ところで、ヨーロッパに住まわれた経験のある方にお聞きします。
ヨーロッパで青色の紫陽花をご覧になったことがありますか?
本にはヨーロッパの土壌がアルカリ性なので、ヨーロッパの紫陽花は赤かピンクだと書いてあります。
確かに、赤の紫陽花は見たことがあると思いますが、はて、青の紫陽花を見なかったかどうか、どうにも思い出せないのです。
見たことがあるというかたがありましたら、ぜひ、コメントください。
追記;
アップした日記を見ていますけど、紫陽花ってライティングと被写界深度のお勉強には最適な花ですね。
もちろん、私はスタジオでは撮りませんので、あくまで自然の光をどう扱うかということ、でも半歩なり、、、クローズアップの時には1センチでも、カメラ位置を変えると被写体の感じがまったく違って見えることだってありますよね。
そこ、左へ一歩なんて、、、でも足元には注意してくださいね。崖の下に落ちても私は責任を負いませんので、、、
まずはライティング。
トップの写真のように後ろから回り込んで花びらを透かせている光を撮るというようなときに、トップからの光と後ろの光のバランスなんて自分で光の量を調整できないだけにけっこう難しい問題。ファインダーを眺めながらいらいらしている自分が見えたりして。
トップからのライト、角度をつけてスポット的に当たるライト、それが当たる被写体を見つけるのもまた楽しいですよね。
紫陽花は花が大きいので被写界深度には気をつけなければいけない材料。
今日の日記の写真は全部70-300のズームの300側で撮っています。手持ち撮影です。
3番目の額紫陽花。手前の花びらをもう少しシャープに写したほうがよかったでしょうか。絞込み不足?
その次のは後ろの花びらがぼけています。私はこれはこれでよかったって思っていますけど、でもこちらも両方をシャープにしたほうがよかったかな?
花びら全体でのシャープネスを考える以前に、花の手前や後ろから顔を出す葉っぱの処理をどうするのか、ぼかすのか、それならどのくらいぼけたほうがいいのか、、、
なんてことを考えながら、見返していると、つたない写真でもそれなりに勉強になりました。
写真ってほんとうに楽しいですね、サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。