ウクライナ戦争は、ロシアのウクライナ東部への攻撃の集中という形で、新たな段階に入ってようだ。プーチンの残虐行為が、これまで以上に激しさを増すのではないかと危惧されている。そして各テレビ番組は、「ロシアの侵略は成功するか?」、「ウクライナはそれを阻止できるか?」、「ロシアとウクライナは戦力においてどちらが強いのか?」など、戦争論議に明け暮れている。
それにつれて、「日本も例外ではない、核共有を含め戦力アップしなければ国を守ることはできないのではないか」、など戦力増強論議が頭をもたげている。政府はすでに「軍事費のGDP比2%化」などの議論を進めている。
果たして軍事力の増強で平和を保つことができるのか? ウクライナ戦争では戦略核の使用も現実問題として議論されており、核は抑止力ではなく使用可能な兵力であることが現実化して来ている。
戦力の増強が平和をもたらした例があるのか? 一国の力の増強は、その周辺に不安と屈従を生み出し、その発露は戦争へとつながったのが歴史の示すところではないのか? 今こそ人類は、その叡智を傾けて「話し合いと共存の道」を探るべき時だろう。
改めて日本国憲法を開いてみると、その前文に次のような記述があった。
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理念を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われわれの安全と生存を保持しようと決意した。われわれは、平和を維持し、専従と隷属、圧迫と偏狂を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われわれは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から逃れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」
昨年暮れ丸坊主にされた庭のハナミズキ、頑張ってほんの数枝が花開いた
87年の歩みを、春風とお酒🍶で、ステキに味わえる誕生日のことでしょう。
どうぞ、人生を輝かせてくださいませ。私たちも、後からついて行きますね。
自分の人生は70年と思っていましたが、いつの間にか87歳になりました。
長生きのお陰で、見たくもない「プーチンのウクライナ侵略」などを見せられていますが、これらに耐えるのも人生ですかねえ。
まあ、励ましに応えて生きていきます。