旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

リヨンと絹織物

2007-12-05 15:09:06 | 

 

 リヨンはすでに中世には絹織物の評判を高めていたようであるが、その後の発展は諸要因が重なっているようだ。言われてみれば当然だが、織物工業が発展するには絹をつむぐ技術もさることながら、立派な織物に仕上げる織機の発展と、もう一つ図工の発展が必要だ。つまり優れたファッションデザイナーを必要とするのだ。
 たとえば「1790年代には24人の図工がリヨンで働いていたし、その中のフィリップ・デ・ラサールとい人は特に有名で、発明の才に富む発明家であり、職工で、商人で、また機械工でもあった」(セバスチャン・グリフ『ディスカバー リヨン』24頁)という。このような何でもや超人が、いい織機をつくり、いい絵を描いて、いい織物を作って行ったのであろう。こうしてリヨンは、絹とファッションのフランスにおける中心地になっていったようだ(同書)
 こんなことを学びながら織物博物館を出ると、この旅ではめずらしく小雨がぱらついていた。中世風の雰囲気の細い石畳の道を歩きながら昼食の場所を探す。我が友セルジュ君からは、ベルクール広場の南端にあるレストランを勧められていたが、あまりお腹も空いていない。歩いていると素敵なケーキ屋の前に出た。ワイフが「私はケーキで十分だわ」という一言でその店に入る。
 美味しいコーヒーを飲みながら二人ともケーキを注文する。ところがこれが意外にでっかくて超甘い・・・、この量と甘さが西欧婦人の「三段腹、二重あご」の原因に違いない、などと言いながら挑戦するが、ついに私は半分を消化する前にダウン。ケーキなら目がないはずのワイフも、かなりの量を残した。
 勘定を払う催促をすると店のマダムが残し物を見つけ、「もったいないから持って帰れ」と丁寧に包んでくれた。この風景は日本ではあまり見ない。フランスなどでは一般的なのだろうか? 正直言って辟易していたのであるが、私たちはその親切を断りきれず、おし戴いて店を出た。

 ホテルに着くと、セルジュ君が長女ナデージちゃんを連れて迎えてくれた。いよいよ本格的な《リヨン散策》が始まった。
                            


最新の画像もっと見る

コメントを投稿