旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

ブログ開設一周年

2008-01-12 15:16:04 | Weblog

 

 2007年1月12日、つまり昨年の今日であるが、ひょんなことからこのブログを開設した。開設直後こそ数日空いたが、その後、ほぼ「二日に一回」のペースで書き続けた。
 今ブログを開けてみると、総投稿数が193となっている。三つのカテゴリーで書いてきたがその内訳は、旅91、酒54、時局雑感45、その他3である。一日に複数投稿はしていないので、193回というのは「1.89日(2日弱)に一回」の投稿ペースとなる。もっと書きたいと思ったことは何度もあったが、あまりペースをあげると続かないのではないかと思い、二日に一回と決めたことを思い出す。
 振り返って、実に律儀にペースを守って書いてきたものだと思う。
 因みに一回の投稿字数を見ると、一回平均800~900字ぐらいのようだ。千字を越えるような長いのもあったが、極力800字ぐらいに抑えようと思った。それでも長すぎると思うが・・・・・・。
 総字数にすると、154千字から174千字となる。最近の旅行記などの出版物は、1頁平均700字前後であるから、220頁から250頁の本の量となる。事実ある人から、「かなり推敲された文章であるので、そのまま本になるのではないか」とお世辞を言われた。もちろん、そのまま本などにはとてもならないが、我ながらよく書いたものだとは思う。

 ふり返れば、支えてくれた人が沢山いた。
 まず、昨年正月に開設をしてくれた方(特に名を秘す)に改めて御礼を言いたい。その人の強力な薦めと、手際よい開設作業を得なければ今日は無かった。有難う。また写真の挿入に協力してくれたM嬢に心からお礼を言う。
 TN氏には一番多くのコメントを頂いた。つまり彼は私のつたない文章を一番熱心に読んでくれた一人に違いない。厳しく有益なコメントに心から感謝する。
 秋田のクラインの会の方々は、ホームペイジのお気に入りに私のブログを掲げてくれて、お会いする度にご批評を頂いた。
 まだまだ沢山の人の励ましを得た。このような方々に支援されて自分があるのだとつくづく思う。有難いことだ。それを支えに二年目に挑戦することにしたい。
                                 


夏目漱石の嘆きーー弱い円

2008-01-10 17:33:14 | 政治経済

 
 昨年秋のヨーロッパ旅行から帰って、「弱い円の旅」と題して
2回のブログを書いた。(07101112日) はからずも、今年1月1日付日経新聞の一面トップは「沈む国と通貨の物語」というもので、弱い円についての連載が始まった。
 
そこには、私が昨秋ロンドン、フランクフルト、リヨンなどで味わったうら寂しい経験がたくさん出ていた。例えば
 
「ロンドンを訪れる日本人がまず直面するのは、地下鉄初乗り4ポンド(950円)、外食代平均39ポンド(9300円)。円安と日本のデフレ・低成長のなせるわざだ。」
などだ。そして面白いのは、約100年前に夏目漱石がロンドンで味わった状況も引き合いに出されていた。
 
1900年(明治33年)ロンドン留学生夏目漱石は、妻に次の手紙を書き送っている。『外に出た時一寸昼飯を一皿位食へばすぐ六、七十銭はかかり候 日本の一円と当地の十円位な相場かと存候』」(以上、前掲日経新聞より要約)

 日本は、維新を経て世界列強へ駆け出そうとした時期、つまり100年前に逆戻りしているのではないか? 
 
先行きも暗いようで、外務省担当者の警告も載っていた。
 
80年代、円高もあって日本は援助大国の道を進み、政府開発援助(ODA)は00年まで10年連続世界一位。だが06年には米英に次ぐ第三位に転落、10年には6位に落ちる。『円安・ユーロ高が進めば欧州がさらに力を増し、日本はかすむ』と外務省担当者は警告。」
 輸出に依存してきた日本は、円高を常に嫌い円安を歓迎し続けている。しかし円安と言うのは、一生懸命に作ったものを安く売り、外国のものを高く買うということだ。こんなあほらしいことはない。漱石が100年前に嘆いていることを、未だよしとしているところに「日本の国情」の大変な矛盾を感じる。
 
何度も引用した日経新聞の記事の中には、元大蔵省財務官行天豊雄氏の、次の言葉もあったことを記しておく。

 
「通貨は経済、政治、文化など総合国力の尺度」である。
                             


温故知新(ふるきをたずねあたらしきをしる)

2008-01-08 16:06:37 | 時局雑感

 
 日曜朝のテレビ番組は政治討論番組が続く。布団の中で体を休めながらそれらを聞くのが私の日課だ。今年最初の日曜日である
6日朝も、8チャンネルを見ていると珍しく阿川弘之氏が出ていた。中曽根康弘元総理と同時出演で、現状の日本を憂いながら専ら昔の海軍の話をしていた。つまり、しきりに「旧きをたずね」ていたわけであるが、その中で阿川氏が話した「吉川幸次郎の温故知新の解釈」は面白かった。さすがに高名な中国文学者吉川幸次郎は、温故知新の温を次のように説明していたと言う。

 「『ふるきをたずね』のたずねを、尋問の尋(あるいは訊)という字にしないで温としたのは、単に問いただすと言うようなことではなく、『温めあたため、中身を解きほぐし見つめる』という意味が込められている。しかも、温めるのも強火ではいけない。チョロ火でトロトロ、トロトロと時間をかけて温めなければいけない。」

 
 この話も面白かった。同じ物事を究めていくにも、チョロ火で温めるように、時間をかけて究めていくのだ、というのがなんともいい。
 
私は若いころ最初にこの言葉に接したとき、「おんこちしん」と読んで何のことか分からなかった。そのうち「ふるきをたずねあたらしきをしる」と読むことを知って含蓄のある言葉だとは思ってきたが、温を「たずねる」と読むのはもう一つ理解できず、中国では尋(訊)をそう書くのであろう程度に思ってきたが、この阿川氏の話で一挙に理解が高まった。何事も勉強してみなければわからないものだ。
 
コメンテーターの竹村健一氏を含め右よりの風潮で、いつもの調子か・・・、などと聞いていたが、このような貴重な話が出てくるので捨て置けないものだと思った。
                             


品川正治氏の日本経済への提言

2008-01-06 16:31:30 | 政治経済

 
  年末年始はいろいろな人が発言をする。その中のいくつかを書き留めておこう。旧日本火災の社長を務め、経済同友会終身幹事である品川正治氏が、ある新聞の対談で「日本資本主義の大転換の必要性」に触れ、市場原理主義、新自由主義を批判している。氏の発言をそのまま列挙しておく。

「日本の市場経済というのは、もともとは、市場原理主義とははっきり違うものだったのではないかと思います。医療、福祉、教育、環境、農業という問題を、すべて市場で解決しようという姿勢は誤りではないか。とくに小泉内閣以降は、新自由主義、あるいは『構造改革』と称する”貧乏神”で、国民生活が直撃を受けているのではないか。日本の戦後の経済が持っていたDNAとまったく違う経済運営がされるようになってきています。」
「70年代までの日本の高度成長期には、経済の成長の果実というものを国民に分けるんだというのが、行政の中にあった。経済が成長すればするほど産業間に格差が出る。それは税や財政で是正する。税財政をフルに使いながら産業間の格差とか都市と農村の格差とかを少なくしようというのが、今までの日本資本主義の中にあったと思う。」
「それが、アメリカというのは、配分するのは資本家で、いっぺん資本家の懐に入ってから配分するんだ、という考え方なんです。その考え方に、最近では、日本もすっかり染まってしまった。この考え一色に染まっているのは、世界でも日米だけといってもいいすぎではないと思います。」

 この提言は、品川氏が、経済同友会の副代表幹事や専務理事を歴任し、現在も終身幹事を務めているだけに重みがある。戦後経済を担い、指導してきた立場から、格差の拡大を絶えず是正してきたのが「日本資本主義のDNA」だと言う。DNAという表現が何ともいい。
 昨年ドイツ、フランス、イギリスを回ってきて、それら大国が、現代社会の病根(環境破壊や格差問題など)をじわりと乗り越えようとしているところに、大国の品格と実力を感じた。
 「日本資本主義のDNA」を大事にしたいと思う。
                      


株価の暴落

2008-01-05 09:48:44 | 政治経済

 
  東京証券取引所の大発会、つまり年の初めの最初の取引日で、株価は616円も下げた。途中経過ではピーク時に765円も下げている。とにかく戦後の大発会では最大の下げだそうだ。
 株の世界というのは、そもそも「虚の世界」だ。株価というのは実態の価値から常に離れたところで決まり、その動きの差額が益となったり損となったりする社会であろう。だから絶えず操作もされる。その動きの中に携わっている者たちの喜怒哀楽がゆれ動いているのだろう。
 気になるのは、その虚の幅がだんだんと大きくなってきているのではないか? ということだ。もちろんそれが大きくならなければ参加者たちは面白くないのかもしれない。実態価値から離れて、どんどん高くなって大喜びしていたら、それはバブル(虚の典型)であったというのが20
年前の出来事であった。
 それからしばらくおとなしくしていたが、ここに来て上下幅がまた大きくなり出したのではないか? 恐ろしいのは、それに麻痺していくことであろう。「戦後最大の下げ幅」といっても、それほど大ニュースになっていない。前日のニュースを伝える今日の朝刊でも、毎日新聞では8面の株価欄での採り上げだ。(一面にニューヨーク市場の暴落が報じられているが)
 この程度のことは、戦後最大でも大したことはないのかもしれない。もっともっと「虚の拡大」がなければ、最早刺激はないのであろう。

 こうして世界の矛盾は深更しているのであろうが、金持ちがゲームの上で損をするのはいいが、一般庶民が巻き込まれるのは気にかかる。
 まあこれも、株も持てない者のひがみかもしれないが・・・。
                      


家族の集まり

2008-01-03 15:35:46 | 時局雑感

 
  昨日は、恒例により家族が集まり新年を祝った。家族といっても息子、娘夫婦と隣に住む甥を含めた8人。甥は昨年お母さんをなくし(お父さんは既に数年前に亡くなっているので)一人身となった。。一人っ子の寂しさ、ということになるが、わが子供たちは一人っ子も生まない。つまり私たちは未だ孫を持たない。
 それだけ自由といえば自由で、この新年会は午後4時に始まり12時まで続いた。ワイフがせっせと作ったおせち料理に市販のおせちセットも加え、その後寿司をとり、最後は鍋料理をみんなでつついた。
 酒も、先ずビールに始まり、ワインへ進む。これも昨年秋にドイツで味をしめた「アウスレーゼ」と「アイスワイン」を3本飲み、そのあと日本酒に移ったが、これも秋田の福禄寿さんの新作「浦城本丸にごり酒」からその清酒「純米吟醸生酒」へ、その後は長野小布施の桝一酒造の「純米大吟醸」から愛知の御代桜酒造の「純米大吟醸」と豪華な顔ぶれが続いた。恒例の「亀の翁」まで行き着かない有様だ。
 どれもいずれ劣らぬ名酒であった。

 ワイフと片付けを終え風呂に入ると、午前二時になっていた。4時から12時までといえば8時間だ。食べも食べ、飲むも飲んだが、この間、腰を上げようとする者がいなかったということは、まあ幸せというしかなかろう、というのがワイフとの結論であった。
 甥は50歳、長男は43歳でともに独身、次男は40歳、長女は33歳でどちなも子供なし、という状態を見るとき、「これで人類としての勤めを果たしているのか?」 という疑問が残るが、昨年列島を吹き荒れた極悪、非道、汚辱の世界に手を染めることなく、貧乏でも真っ直ぐ生きているとすれば、それをもってよしとするか・・・。

 今年もこうして、そろりと動き始めた。    


明けましておめでとうございます

2008-01-01 18:29:14 | 時局雑感

 
 
今年も明けました。快晴の青空がちょっとばかり希望を持たせてくれましたが、それも午後は曇ってきて、いっそう寒さが身にしみました。
 この年になると、新しい年を迎えても特に感慨はわきません。恒例の実業団駅伝も、応援する旭化成がずっこけて、もうひとつぴりっとしません。
 ただ、8時半に新聞を取りに行くと、すでに年賀状が届いていたのには驚きました。記憶では10時前に配達されたことはなかったような気がするが、民営化で気合いが入っているのでしょうか。
 経団連の御手洗会長が年頭所感で、「一人あたり国民総所得(海外から得られた所得を含む)を、10年後に世界最高にする」と述べています(日経新聞3面)が、悪いとは言いませんが、そのような富を追う競争をするより、政官財に巣くう病根退治をしてくれないかというのが実感です。
 守屋(防衛次官)みたいな男に、長年勝手なまねをさせる政官、偽という字がその年の象徴となるような経済界、年金問題しかりで、このようなことが放置されて、所得水準を競ったところで世界に笑われるだけでしょう。
 技術水準の最先端とされるインターネット上には、淫らで低俗な情報が飛び交い、近年の想像を絶する事件の病根となっているのではないでしょうか? 日本は心の準備をすることなく「新しい」社会に引きずり込まれたのではないか?

 気になることばかりですが、今年こそ、年寄りがこのような繰り言を言わなくてすむような社会になることを念じています
          08年元旦 Tabinoplasma
 


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