旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

戦いを終えた後の、ヒラリー・クリントンの名演説

2008-06-10 14:38:52 | 時局雑感

 

 7日、8日と「大統領選挙とアメリカ国民の希求」と題して、民主党予備選挙の感想を書いた。実はこの記事は、前日の7日に「OhmyNews」に投稿したものを、自分のブログにも記録として書き残したものであった。7日に投稿したのは、7日夕刻にはクリントンが態度表明すると報道されていたので、その前に自分の感想をまとめておこうと思ったからだ。
 そしてこの記事は、うれしいことに8日付OhmyNewsのトップ記事に採用された。(題名は「激戦終えた民主党候補選、国民は何を求めたか――閉塞感に悩み「新しいアメリカ」へ」) しかも、オバマ、クリントン、マケインの素敵な写真をいれて編集をしてくれてあった。中見出しもつけ、さすがプロの編集はうまいものだと思った。

 それはさておき、その記事の中で私は「ヒラリーの敗北に女性差別の壁はほとんど無かったのではないか。アメリカはすでにその壁は乗り越えているのではないか」という意味の感想を書いたが、その後の彼女の演説によれば、その壁は決して生易しいものではなかったことが伺える。
 9日付日経新聞夕刊に、その演説を受けた丸谷浩史記者の「いつか女性が大統領に」という囲み記事が載っている。そこには、ヒラリー・クリントンの演説が次のように紹介されている。

 「クリントン氏は『私は最良の大統領になれるから出馬した。しかし私は一人の女性で、他の多くの女性と同じように、いまだに女性への偏見や障壁があることも分かっている』と心境を吐露。(中略) 同時に『私たちは高く、困難なガラスの天井を破ることはできなかった』と認めながらも『私に投票してくれた千八百万人がひびを入れた。そして黒人の子どもや女の子は、当然のように大統領になれると答えられるようになった』と、黒人のオバマ氏との選挙戦の歴史的な意義を強調した」
 そしてこの記事は、次のように結ばれている。
 「選挙戦撤退とライバルへの支持を同時に表明した演説に、米メディアは『予備選を通じて最良の演説だった』、『クリントン氏の政治的影響力は残った』などと評した」

 私はこの記事を読んで、私の判断が間違っていたことに対する反省と同時に、目頭が熱くなるのを感じた。
 ヒラリーは、このような演説を選挙中に続けていれば勝ったのではないか? 
 しかしそれは不可能であり、戦いを終えて一人の女性に立ち返ったとき、初めて出来た名演説なのだ。
 それこそが政治の世界の厳しさなのかもしれない。
                           


大統領選挙とアメリカ国民の希求(つづき)

2008-06-08 12:08:32 | 時局雑感

 

 米大統領選挙の民主党の候補者選びで、経験を訴えたクリントンに対し変化を呼びかけたオバマの勝利は、国民の希求からして自明であったと昨日のブログで書いた。
 もう一つ。初の女性大統領と初の黒人大統領、というテーマはどう作用したのだろうか?

 オバマに勝利を与えたことにより、アメリカ国民は、まだ残る女性差別として、女性大統領の出現を拒んだのではないかという意見もある。しかし私は、アメリカは女性大統領を迎える機運を十分に持っていると思う。世界に女性のトップを持つ国は多く、特にヒラリー・クリントンの長期にわたる準備と、彼女を大統領候補として本命視する機運は、十分に出来上がっていたのではないか。(あのタイプは女性に嫌われるタイプとも聞くが)
 それよりも、オバマと言う黒人候補を選んだところに、より大きい国民の決断を見る。
 オバマは既に黒人ではない、という意見がる。確かにオバマは、2歳にしてケニア人の父と別れ、白人の母の家族で育てられた。加えて、コロンビア大学、ハーバード大学という名門大学を経て弁護士として活躍、その後まだ一期といえども上院議員を務めたとあれば、れっきとした最上層のアメリカ人で、もはや黒人ではないと言えるかもしれない。
 しかし、アメリカの政治は一貫してWASP(White Anglo-saxon Protestant つまり白人でアングロサクソン系のプロテスタントの略)という超エリートに握られてきた。そのことからすれば、いくら上記のような経歴の持ち主とはいえ、アフリカ黒人を父に持つ人間を大統領にしようとする決断は、画期的な事態ではなかったか。
 このような決断をせざるを得ないほど、アメリカ国民は閉塞感に悩まされ、「新しいアメリカ」を求めているのではないか? 各国から移民を受け入れ、多民族国家としておおらかに成長しながら、一方で、奴隷制度や人種差別など負の遺産を引きずりながら歩いてきたアメリカは、今、大きな転機に指しかかろうとしているのかもしれない。
 オバマは、アングロサクソン以外の民族の血を引くからこそ、多民族・多文化国家の象徴として期待されてきたのかもしれない。

 11月の本選挙では、人種や性別差別などを超越した高い次元で、「新しいアメリカの進路」を求め合うことを期待してやまない。
                            


大統領選挙とアメリカ国民の希求

2008-06-07 13:36:52 | 時局雑感

 

 アメリカ大統領選挙の民主党候補者選びで、激戦の末オバマが勝った。この長期にわたる激戦と、本命と思われていたクリントンの敗北に、アメリカ国民の苦悩を見る思いがした。二人は何を競い、国民は何を望んでいるのであろうか?

 結果的には、オバマの勝利は自明であったのかもしれない。小差ではあったが。
 オバマは「変化」を掲げ、クリントンは「経験」を訴えた。そして、今のアメリカ国民が求めたものは、当然のことながら、変化であった。これが、本来はクリントンがかなりの差で勝つと思われていた戦況をひっくり返したのではないか?
 国民はブッシュ政治の8年にうんざりしている。特に、泥沼化するイラク戦争、BRICs諸国の台頭や中南米諸国の離反、EU(欧州連合)の独自な歩み、また国内にあっても貧困・格差社会の進行など、閉塞感に覆われている。「新しいアメリカへの変化」こそが国民の求めるところであるだろう。
 「経験のない者に政治ができるか」という主張がある。共和党のマケインもオバマに対して言うかもしれない。しかし、経験者がその経験に頼る限り新しいものは生まれてこない。むしろ「経験のない者」をこそ国民は求めているのではないか?
 ホワイトハウスには、アメリカ建国以来の「200年の経験」が蓄積されている。誰がなっても経験に困ることはないのではないか? むしろその経験以上のことはやらない惰性の方が困るのだ。
 国民がそのことを感じていたとすれば、この勝敗は自明であったと言えよう。

 もう一つ。初の女性大統領と初の黒人大統領、というテーマはどう作用したのだろうか? (長くなったので続きは次回)
                         


ベルギービールを楽しむ

2008-06-06 11:54:56 | 

 

 6月1日の日曜日は、世田谷区民会館で「世田谷合唱フェスティバル」が催された。ワイフが所属するコーラスグループが毎年出演するので、聞くことにしている。
 今年の5月は
雨の日が多く、しかも週末になると雨で、前日の土曜日も鬱陶しい天気であったが、6月を迎えたところで明るい日差しが戻ってきた。ワイフのグループが出演する時間に合わせて出かけ、フェスティバルの最終までを聞いた。60歳台後半になってもコーラスを続け、したがって唱学の先生へのレッスンも続けているワイフの歌唱力は、最近になって若いときより向上したように思える。わずか10人の女声合唱では、一人一人が手を抜けないだろう。そのようなグループで頑張り続けるワイフの姿を、愛しく思いながらフェスティバルを聞いた。

 会場を出ると五時をだいぶ回っている。乗換駅の下高井戸にあるベルギービール屋で食事をとることにする。ワイフは酒は飲まないのだが、ようやく初夏の陽気になってきて、「ビールを飲みたい」という私に付き合ってくれたのだ。歌い疲れ、喉をからしたワイフも席に着くや「喉が渇いた」と飲み物を注文したが、それはビールならぬジュースであった。
 久しぶりに「ムール貝のワイン蒸し」をはじめ、チーズやセロリ、ピザなど盛りたくさんに取ってベルギービールを飲んだ。まず店が薦める「ヒューガルデンの新着白ビール」、それに「セゾンビール」、「ウェストマルのトリペル」、「レフのブラウン」と4種類も飲んだ。
 前回のブログで「夏はやりビールだ」などと書いたが、ベルギービールはあまり季節性はないような気がする。イギリスのエールも同じ印象を抱くが、喉越しよりも味を楽しみ、豊富なベルギー料理とマッチする酒だけに、シーズンを問わず味わえる。
 しかし「セゾンビール」はその名のとおり「シーズン(季節)ビール」で、夏の農耕の後に農夫たちが飲むビールとして育ったもの。その日飲んだセゾンも酸味がほどよく、喉の渇きに最適だった。セゾンビールの中には、農耕後の栄養補給のために蜂蜜を入れたものもあると聞く。しかも特殊な酵母で辛口に仕上げ、「栄養補給と喉の渇き」の双方に効果のあるものとなっていると言う。
 こうなるとビールはまさに食品であり、薬でもあるのだ。
                            
                                              
 


夏の酒

2008-06-04 23:21:09 | 

 

 6月に入り夏の酒に思いを馳せて、前回のブログで蒸留酒に触れた。かつて6月にアメリカを訪ね、バーボンウィスキーやラム酒を飲みまくったことを思い出したからだ。併せて、日本の6月は鬱陶しく、清酒(醸造酒)よりもカラッとした焼酎(蒸留酒)を連想したことにもよる。 しかし思い起こせば、アメリカで一番多く飲んだ酒はビールであったと思う。乾いた空気とのどの渇きを潤すにはビールに勝るものはない。しかもアメリカのビールは、バドワイザーにせよクアーズにせよ、軽くてのど越しによいビールだ。 

 森下賢一の『美酒佳肴の歳時記』を開くと、「夏の章」はやはりビールに始まっている。かなりのページを割いてビールの起源から各国事情に触れたあと、たくさんの「ビールを題材にした句」が並んでいる。酒の種類名を特定した俳句では、ビールの句が一番多いらしい。なんといっても世界で消費される酒量の内ビールは70%を占めると聞いているので、さもありなんと思う。 この書の「夏の章」はビールに始まり、「焼酎」、「泡盛」、「冷酒(ひやし酒)」と続いている。その中からビールと焼酎の句を、一句ずつ孫引きさせていただく。

  
  夕空に雲の真白きビールかな       日野草城 

  
  汗垂れて彼の飲む焼酎豚の肝臓(きも)  石田波郷 

 
 「真白き雲」も「汗垂れて」も夏である。酒も、当然のことながら、季節とともにあるのである。
                                                       
                           


六月の旅と酒

2008-06-02 17:29:36 | 

 

 日本の6月は梅雨を迎え、どちらかといえば暗い印象が強い。湿度は高く空は重い上に、ときどき薄ら寒さが襲いパッとしない日が多い。昨年のこの時節には何を書いたのかと思いブログを読み返してみると(その点でもブログを書き続けていることは便利だと思う)、専らアメリカのことと酒は蒸留酒に多く触れている。
 思えば私がアメリカを旅したのは6月が多かった。6月のアメリカは好天の日が続き旅行シーズンとしては最適だ。その明るいアメリカ各地を、もっぱらバーボンウィスキーやラムを飲みながら歩いたので、蒸留酒(日本の酒としては焼酎)について書いたのだ。

 シカゴ、アクロン、ナイヤガラ、ワシントン、ニューヨーク・・・それにニューオルリーンズ(ラムの街!)などが懐かしく思い出される。しかし今年は、当面アメリカに行く計画はない。「思い出を辿る旅」を続けるしかない。
 しかしこの6月は、裏磐梯の五色沼に行く計画がある。昨年秋の「初めての上高地」を案内してくれた義兄(ワイフの兄)が、再び計画を立ててくれたのだ。二夫婦4人の小じんまりした旅で、これまた「初めての五色沼」を楽しみにしている。
 ただ心配なのは6月の天気だ。昨年の上高地は10月、当時のブログに書きまくったように二日間とも一点の雲もない快晴で、おれは晴れ男だ、と威張ったのであるが、今度はどうか?
 まあしかし、雨が降れば梅雨のせいにすればいいし、雨の湖沼はむしろいいのかもしれない。日本は四季の変化に富んでおり、また、一つの景観が四季それぞれに映えるように出来ている。言い訳には事欠かないし、どんな事態にも順応しながら生きてきたのが日本人であろう。
 それを「あいまいな日本人」と言うか「適応能力に優れた日本人」というか・・・。いずれにせよ私は、五色沼に行けばそこで出くわす「その地の酒」を飲むことに決めている。
                             


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