7日、8日と「大統領選挙とアメリカ国民の希求」と題して、民主党予備選挙の感想を書いた。実はこの記事は、前日の7日に「OhmyNews」に投稿したものを、自分のブログにも記録として書き残したものであった。7日に投稿したのは、7日夕刻にはクリントンが態度表明すると報道されていたので、その前に自分の感想をまとめておこうと思ったからだ。
そしてこの記事は、うれしいことに8日付OhmyNewsのトップ記事に採用された。(題名は「激戦終えた民主党候補選、国民は何を求めたか――閉塞感に悩み「新しいアメリカ」へ」) しかも、オバマ、クリントン、マケインの素敵な写真をいれて編集をしてくれてあった。中見出しもつけ、さすがプロの編集はうまいものだと思った。
それはさておき、その記事の中で私は「ヒラリーの敗北に女性差別の壁はほとんど無かったのではないか。アメリカはすでにその壁は乗り越えているのではないか」という意味の感想を書いたが、その後の彼女の演説によれば、その壁は決して生易しいものではなかったことが伺える。
9日付日経新聞夕刊に、その演説を受けた丸谷浩史記者の「いつか女性が大統領に」という囲み記事が載っている。そこには、ヒラリー・クリントンの演説が次のように紹介されている。
「クリントン氏は『私は最良の大統領になれるから出馬した。しかし私は一人の女性で、他の多くの女性と同じように、いまだに女性への偏見や障壁があることも分かっている』と心境を吐露。(中略) 同時に『私たちは高く、困難なガラスの天井を破ることはできなかった』と認めながらも『私に投票してくれた千八百万人がひびを入れた。そして黒人の子どもや女の子は、当然のように大統領になれると答えられるようになった』と、黒人のオバマ氏との選挙戦の歴史的な意義を強調した」
そしてこの記事は、次のように結ばれている。
「選挙戦撤退とライバルへの支持を同時に表明した演説に、米メディアは『予備選を通じて最良の演説だった』、『クリントン氏の政治的影響力は残った』などと評した」
私はこの記事を読んで、私の判断が間違っていたことに対する反省と同時に、目頭が熱くなるのを感じた。
ヒラリーは、このような演説を選挙中に続けていれば勝ったのではないか?
しかしそれは不可能であり、戦いを終えて一人の女性に立ち返ったとき、初めて出来た名演説なのだ。
それこそが政治の世界の厳しさなのかもしれない。