旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

24節気の酒 ・・・ 白露

2009-09-11 13:23:09 | 

 24節気も白露を迎えた。9月7日がその日であり、秋分の日(23日)までを白露とする。
 暦便覧によれば「陰気ようやく重なりて露にごりて白色となれば也」とある。露が「にごりて白色となる」という状態はよく分からないが、いずれにせよ、秋の冷気がいっそう強まり、特に朝晩は肌寒さを感じるような時節を言うのであろう。8月の半ばからやっと夏が来たような今年の気候で、残暑を実感してきたが、ここ数日は急に秋の気配がしてきたので、この白露と言う言葉を実感している。

 この時節の酒は何か。
 秋の気配が強まるほど日本酒が欲しくなるが、昨夜、その日本酒を飲むのにピッタリの店に行った。名目は22日に出発するトルコ旅行の打ち合わせということでK氏親娘と集まったのであるが、酒好き親娘と私では当然のことながら日本酒の店となった。と言っても私が選んだのではなく、K嬢の行きつけの店である日本橋室町の「はんなりや」である。
 私は初めて行ったが、料理の美味しさ、酒の種類と銘柄のいずれをとっても、日本酒を味わうには最高の店であった。最初に出てきた「あて」だけでも様々な種類の美味しい料理が盛りだくさんで、刺身盛り合わせともども日本酒をすいすい飲んだ。くらげの梅肉合えも逸品であった。
 先ず山形の「出羽桜」から「十四代(吟撰)」、静岡の「臥龍梅」、愛知の「醸し人九平次(純米大吟醸)」、香川の「凱陣(純米酒)」と飲み進み最後に福島の「大七(皆伝)」で締めくくった。全て2号瓶で注文したので、3人ではいささか飲みすぎであるが、料理のよさとあいまって歯止めが利かなかった。まあ、大半は一番酒の強いK嬢が飲んだことにしておこう。

 さていずれが「白露の酒」か? これだけの銘酒が揃えば甲乙つけがたく、一酒を選ぶのは至難であるが、K嬢が「一押し!」と抱きしめた「凱陣」(写真)としておこう。香川県琴平町に明治元年創業、酒名は日露戦争の勝利に因んで付けたと聞く。わずか300石の小蔵であるが、その純米吟醸は、フルネット社の「地酒人気ランキング」の同部門で37位にランクされている。白露の酒にふさわしいさわやかな味であった。
                            


採用試験応募者に見る現代世相

2009-09-08 17:39:52 | 時局雑感

 わが社は今、正社員の募集をやっている。不況のまっただ中で、失業率はピークに達している状況下で、わが社は景気がいいから人を募集しているわけではない。世間同様に大変苦しい経営を続けているのであるが、とはいえ、絶えず新鮮で優秀な人材を求めていかない限り、映像メディア制作、コンテンツつくり事業などと言うものは生きて行けないのだ。
 今回も一人か、せいぜい二人の採用に過ぎないが、既に70名近い応募があった。では、相当に優秀な人間がたくさん集まっているかと言えば決してそうでもない。もちろんそれぞれに相応の能力を持った人はいるが、当社が求める人材にピッタリの人は少ない。
 会社の倒産やリストラで、また学校は出ても職は無く、世間に人があふれ返り、とにかく仕事を求めて右往左往しているという印象だ。それだけに応募する方も余裕が無いのか礼を欠いている例も目に付く(来社して面接した人は別として)。

 いくつかの例をあげると・・・、
 70名近い応募者に対して、当社はほぼ全員に面接日をメール連絡し、その中で「当日の参加可否」を折り返し連絡していただくように依頼した。しかし、内40%の人からは返事が無かった。中にはまだメールを見てない人も居るのかもしれないが、自ら応募していながら、面接日を指定されて求められた返事もしない、というのはいかがなものか? もちろん中には、当日参加できない理由を付して、謝辞や他日への変更を丁寧にお願いしてきた人もいたが。
 回答の中にも様々あって、自分の名前を記載してないのもずいぶんあった。メールでは発信者のメールアドレスがあるので、名前など書かないのが常識なのだろうか? ただこちらとしては、70ものアドレスとその本名を記憶するなどの能力は無いので、それらについては一覧表とつき合わせて本名を突き止め、面接予定日の表から抹消するなり変更するなりやらなければならなかった。手紙を書いて差出人たる自分の名前を書かない、というのはわれわれの常識としては無かった。メール世界はそれを可能にしたのか?
 これらは、世に立ち遅れた私のようなアナログ人間が負うべき責めなのか、それとも現代人の道徳的退廃の一現象と見るべきか?
                     


「花はどこへ行った」(NHK番組「世紀を刻んだ歌」より)

2009-09-06 12:53:58 | 文化(音楽、絵画、映画)

 昨夜のNHK衛星第二放送番組「世紀を刻んだ歌」は、半世紀に及び歌い継がれてきたフォークソング『花はどこへ行った』を採りあげた。わが青春をともにしたこの名曲は、大意として次のような意味で歌われている。

  野に咲く花はどこへ行った 野に咲く花は少女の胸に
  少女たちはどこへ行った 少女たちは若者の胸に
  その若者たちはどこへ行った 若者たちは戦場へ行った
  若者たちは戦い終わり たたかい終わって土に眠る
  戦士の眠るその墓石に野バラが咲き
   野バラはいつか少女の胸に
  ・・・私たちがこれを理解するのは いつの日のことだろう

 昨夜の番組は、この歌の生い立ちから現在までを克明に追った。随分歌ってきた私も、知らないことばかりで、極めて新鮮に番組を見た。
 作者ピート・シーガーは、この歌の上記4行目までを作り、他の人(名前は忘れた)があとの2行を加えて完成させたと言う。最終行の「・・・いつの日か」という問いかけは、「戦争と言うこの不条理を、人類が真に理解するのはいつか・・・」という極めて普遍的な問題提起で、これが「反戦歌」としての地位を不動のものにしたのであろう。 

 ピート・シーガーは、この発想をロシアのノーベル賞作家ショーロホフの『静かなドン』に出てくる「コサックの子守歌」から得たと言う。ピートがそのことをショーロホフに楽譜を添えて報告した手紙も紹介された。
 『静かなドン』にモチーフを得て、ベトナム戦争のさ中に作られたこの歌は、戦場の兵士を含めた世界中で歌われた。ナチに対して毅然とした態度を取りつづけたマレーネ・デートリッヒは、大戦後母国ドイツに帰ってこの歌を歌った。またベルリンの壁が崩壊して東西ドイツが一つになったとき、銀板の女王カタリーナ・ビットは、オリンピックでこの歌にあわせて演技をした。残念ながらピークを過ぎた彼女は7位に終わったが、滑り終わった彼女に対する拍手と投げ込まれた花束の数は、他の誰よりも多かったと言う。

 実にいい番組であった。改めて、歌の力、芸術の力を思い知った。
                             

        


「十四代を楽しむ宴2009」に参加して

2009-09-05 14:02:54 | 

 昨夜は、フルネット社主催の「十四代を楽しむ宴2009」に参加、本番からそのあとの二次会まで参加していささか飲みすぎた。
 この宴には80名が参加、「十四代」の十四種類の酒が一人当たり6合5勺準備されていたし、二次会にはそれらの酒のほか十四代の焼酎まで出されたので、その焼酎で止めを刺された感じだ。もちろん私は、1人平均の6合5勺は飲んでいないと思う。最後の焼酎も美味しかったが、それほどたくさん飲んだつもりは無い。しかしどれを飲んでも、それぞれに個性があり美味しかったので、かなりの量を飲んだのだろう。今朝は何年ぶりかに二日酔いであった。

 十四種類の銘柄だけは掲げておこう。
 先ず乾杯酒は、鑑評会出品酒の「大吟醸」。平成15年以来6年間に5回金賞を受賞している蔵の出品酒だけあって、すばらしい酒による乾杯ではじまった。以降「本丸」(特別本醸造)、「吟撰」(吟醸)、「中取り純米」(特別純米)、「純吟酒未来」(純米吟醸)、「中取り純吟播州山田錦」(純米吟醸)、「中取り純吟備前雄町」(純米吟醸)、「中取り純吟播州愛山」(純米吟醸)、「中取り大吟醸播州山田錦」(大吟醸)、「双虹(そうこう)」(大吟醸)、「龍月」(純米大吟醸)、「大吟醸播州山田錦」(純米大吟醸)、「七垂十貫(しちたれじゅっかん)」(純米大吟醸)、「龍泉」(純米大吟醸)と続いた。

 どれを飲んでも、何の抵抗も無くスイスイ飲める、というように美味しく、しかもそれぞれ個性を持っている。
 しかし、これほどの銘酒を一回で飲むのはなんとももったいない感じで、最高級酒の「龍泉」(720mlで1万4千円)に行き着いた時には、かなり酔って感覚も相応に麻痺していた。
 私は「龍泉」は初めて飲んだのであるが、もう一度、全くしらふの状態で飲んでみたいと思っている。
 誠に贅沢な酒飲み会ではあった。なお、高木顕統蔵元とも親しくお話しする機会を得たので、「十四代」そのものについては別途ふれることにする。
                             


気がつけば九月・・・

2009-09-02 22:07:22 | 時局雑感

 気がつけば9月は早くも2日になっていた。選挙騒動と季節の異変で、何が何だかわからないうちに時だけが過ぎていた。

 総選挙は歴史的な政権移動で世の中はゆれている。自公政権の敗退、民主の勝利は当然であったろうが、これほどの激変(300対100議席)は異常と言えば異常だ。しかしこれは「小選挙区制」という極めて激烈(言い方によれば非民主的)な選挙制度のせいであり、現実の民意が「これだけの大差」をもっているわけではなかろう。
 小選挙区の得票率は、民主47%、自民38%であるから、そのとおりに配分されれば小選挙区の議席は、民主141議席、自民114議席ぐらいであろうが、実際の獲得議席は民主221議席、自民64議席であった。世間は221対64で民主圧勝と言うが、民意は47対38で、それほどの差は無いのだ。つまり自民の票は多く死票となったのであり、これが小選挙区制の怖いところ(非民主的なところ)だ。
 もちろん自民党自らがこの小選挙区制を好んできたのであるから(それにより前回の小泉圧勝もあったのだから)、当然の報いであるのだ。何故、国民はこのような選挙制度を望むのだろうか? 民意を正確に反映する「比例代表制」ではなぜつまらないのだろうか? なぜ激越な変化をそれほどまでに望むのだろうか?
 とにかく刺激が欲しいのであろう。刺激と言えば麻薬も同じことか? 
だから何とか言う芸能人の麻薬騒動でマスコミは毎日騒いでいるのだろう。

 季節はそれに反して全く刺激が無い。これも困ったものだ。何時までが梅雨で、何時までが夏で、何時から秋が始まったのかさっぱりわからない。気象庁はついに「梅雨の終わりが何時であったか不明」という地域があったことを発表した。

 何が何だかわからないうちに、とにかく9月は始まっていた。
                            
 


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