旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

休みのあり方

2010-08-13 13:49:18 | 時局雑感

 

 昨日から夏休みに入っている。もっとも昨夜は、急に入った夜の打ち合わせに出かけたが。
 休みをその意味どおりに解するならば、「何もしない」のが一番いいのだろう。何かすれば「休み」にはならないだろうから。だから休みの間は、ブログなども止めて心身を開放するのが本来のあり方かもしれない。ところが貧乏性の私などは、この機会こそ「溜まっている仕事の整理」とか、「予ねて計画していることに着手する」とか、通常の日々以上の期待を「休み」にかける。
 事実、原稿整理を含め2,3件の重い仕事をこの短い休みに計画している。思っていることを全てやれば、通常日よりはるかに忙しいことになる。つまり出来そうもないことを、本来は何もしないで休むべき夏休みに計画するのである。
 とはいえ、どうせできっこない仕事だけに朝から晩までやるわけでもないので、一日中自宅にいる以上、逆にブログぐらい書けるのである。これまで、重荷になるのがイヤで「二日に一回」のペースを守ってきた。だから、ものぐさな私が三年半も続けられたと思っている。
 そこでたまには、作ろうと思えば作れる時間があるのだから、毎日ブログを書いてみるかなど思う。ブログが日記の性格を持つのなら、本来は毎日書くものであろうから。私のブログは日記ではなく、身辺に起こったことを纏めるために書いているので(例えば旅行に行けば、その後「旅行記」的に何日も連載するなど)性格をことにするが。

 まあ、成り行きに任せよう。この程度のたわいもないことなら、毎日書いても苦にもなるまい。大した意味も持たないだろうが。


明日から夏休み・・・「トラピストビールの粋」で打上げ

2010-08-12 13:37:31 | 

 

 明日から夏休み…、少し早めに切り上げようか、などと思っていたらとんでもない。午後6時から打ち合わせの予定が入った。しかも、それなりに重い話だ。
 やってられねえなあ…、重い話でもあるし頭を冷やしながらやるか…ということで、ビール屋に向かう。隣の貿易センタービルに世界各国のビールを置いてある店があるので、ベルギービールでも飲むことにする。もちろん初めから飲んだわけではなく、「打ち合わせ」の勤めは十分に果たして、そこで熱した頭を冷やした次第である。

 まずは軽く喉を潤そうと、私はチェコの「ピルスナー・ウルケル」、残る2人は「カールスバーグ」を飲む。次はいよいよベルギービールにするか、と三人とも「レフのブラウン」を頼む。私の好きなビールの一つだ。最初のカールスバーグなどでは「枝豆」が売れたが、ベルギービールになると「ガーリック・パン」や「ソーセージ」などに手が動く。
 そして最後はとっておきのものを飲もうと、「トラピストビール」の中から三つを選ぶ。曰く、「オルバル」、「ウェストマルのダブル」、「ロッシュフォールの10」。名酒の花咲くベルギーにあっても、トラピストビールはその最高峰で、この三つに「シメイ」と「シントシクトゥス」を加えた5銘柄がその名を名乗ることが出来る。私の注文した「ロッシュフォール 10」はアルコール度も11.3度でワイン並み、香りといいコクといい、一般に言うビールの水準をはるかに超えている。もちろん「オルバル」も「ウェストマル」も個性豊かで他の追従を許さない。

 
左よりレフ、ロシュフォール、オルバル、ウェストマル

 

 この3銘柄をそれぞれ固有のグラスと共に運んできたウェイターも、ベルギービールに詳しいらしく、
「三人のお客さんに、この3銘柄を同時に注文された経験は初めてだ。いつの日か、このようなお客さんの仲間に入れてもらいたいものですねえ」
とお世辞を言っていた。
 これで頭をクールにして、明日から夏休みに入る。休みは休みでやることがあるのだ。


秋の気配

2010-08-10 22:19:54 | 時局雑感

 

 今年の夏は異常に暑かった。このブログでも「酷暑」という言葉を何度も使った。何か、普通の夏より暑いと感じたからだ。しかも、その酷暑の期間が長く続き、それがいっそう酷暑を感じさせたのだろうと思う。

 ところが、8月7日の立秋を迎えて一気に涼しくなった。本当に涼しくなったのかどうかは未だ分からない。しかし、昨夜は冷房無しで朝を迎えた(就寝時は冷房をつけていたが)ので、明らかに「一気に変わった」感を持つのである。
 30度という気温は暑い。しかも、20度―25度―30度と高くなる時の30度は、相当に暑く感じる。その後、33度―35度と高じて苦しみ、その後の30度は涼しく感じる。今日も予報の上では「最高気温30度」とかなっていたと思うが、片道一時間の都心通勤で、あまり汗もかかなかった。季節の移ろいは実に不思議だ。

 いずれにせよ、季節は秋である。古来、8月上旬は夏と秋を分けた。今年も8月7日の立秋をもって季節は変わった。因みに8月初旬に行なわれる青森の「ねぶた祭り」…、それが行なわれるのは暦のうえでも夏であるが、俳句の季語で「ねぶた」は秋の季語である。
 夏祭り…、それは秋の始まりなのである。そして、その通りに涼しくなった。

 もう、秋の便りを待つ時節となったのである。 


みちのく・下北・津軽の旅⑧・・・ 青森の酒、旅の余話

2010-08-08 14:59:52 | 

 

 青森の酒として名高いのは『田酒』である。西田酒造店の酒で、特に純米酒に優れる。従って私は、今回の旅ではこの名酒を飲むことに決めていた。
 ところが初日の十和田湖畔の宿に、この酒はなかった。しかも、純米酒では秋田県の『太平山』しかない。もちろんこの酒も悪い酒ではない。ただ青森の旅であるのでその地の酒にこだわったのであるが、他に飲むべき酒もないので、そのホテルでは太平山の「生」を飲んだ。

 翌日の鯵ヶ沢こそ田酒を飲もうと楽しみにしていたが、ここにもなかった。しかも「利き酒師」もいてかなりの種類の酒を置いているにもかかわらずだ。私は「どうして田酒を置かないのか」と問うと、「量が少なく常置出来ないからだ」と言う。
 このホテルの料理は、「さざえのつぼ焼き」から「かに」など最高の料理だっただけに残念であったが、私は『豊盃』を選びたっぷり飲んだ。もちろんこれも立派な酒だ。青森には、田酒のほかに『桃川』、『駒泉』、『鳩正宗』などたくさんの良い酒がある。中でも『豊盃』は最近人気が出ている。

    

 ビールでは、下北名産センターで『恐山ピルスナービール』を買って、バスの中の昼食の友としたが、これは珍しい味の地ビールであった。「麦芽、大麦、ホップ」を原料とし、「麦芽使用量91.66%」となっているので、残る少量に大麦を使っているのであろう。とにかく麦100%で、しかも「活性ビールイーストとして、イーストの味を味わってください」とあり、ピルスナーというよりエールに近い味がした。

       

 

 旅の余話をいくつか・・・
 知らない土地の生き物に触れたいものだと、まず「津軽の黒まぐろ」と「陸奥湾のイルカ」に期待したが、これには前述の通り会えなかった。ところが下北半島を越える山中で、バスの中から野生のサルを何匹も見かけた。
 もっと驚いたのが、「鯵ヶ沢のスター」の異名をとる「わさお」という犬に出会ったことだ。私は知らなかったが、全国的に有名らしく、みんな大騒ぎであった。しかもその犬が棲む家の前では車が渋滞した。対向車もたまに見かける程度の国道が、突如渋滞したと思ったら、みんなその家の前に止まり犬を見るようだ。
 これもまた旅の思い出である。


原爆投下65周年に思う

2010-08-07 13:10:48 | 時局雑感

 

 第二次大戦の終戦から65年が過ぎようとしている。思えば10歳の夏であった。齢は間違いなく重ねられ私は75歳になっている。

 昨日の原爆記念日、広島では恒例の式典がもたれた。今年は例年に比して「核廃絶に向けた」新たな動きがあったように思える。
 まず参加国が74カ国と従来に比し倍増したこと、その中に初参加のアメリカ、イギリス、フランスという核大国が含まれていたこと、特にアメリカのルース日本大使の初参加はそれなりの意味を持ったであろうこと、加えて藩基文国連事務総長が、事務総長として初めて参加したことも意味があるのであろう。既に、ロシア、中国、インドなども参加しているので、今回で核大国は全て参加したことになる。
 核廃絶に向けた具体的な提言も幾つかあった。秋葉広島市長の「核の傘を離脱しよう」という提言は、依然として核抑止力に頼る菅首相にそのまま受け入れられていないが、今後の「国のあり方」を問い続けるであろうし、藩事務総長の「2020年までに核兵器を廃絶しよう」という提言は、昨年5月のオバマ大統領のプラハ演説に呼応するものとすれば、極めて大きい意味を持つだろう。

 私は昨年5月2日付で、「現実に呼び戻した核廃絶の道・・・オバマ大統領のプラハ演説」と題してこのブログを書いたが、一年を経て、少しずつではあるが、核廃絶が「現実の道」を歩き始めているのではないかと思っている。
 一方、今朝の日本テレビ番組「ウェーク」に作家の浅田次郎氏が出演して、これらの動きの背景には「原爆投下を歴史の世界に封じ込めようとするるものがあるのではないか」、「事実の風化がこわい」と懸念を表していた。65年という年月は、過去を歴史の世界に封じ込める境界線かもしれない。

 今日は立秋・・・、暦の上では既に秋である。しかし異常な猛暑は続いており、しばらくおさまる気配はないようだ。
 核廃絶の道を秋の冷気で冷やすことがあってはなるまい。まだ熱気の残る今こそ、世界はその道を求め固めていくべきであろう。


いろんな酒を楽しむ夏

2010-08-06 11:36:16 | 

 

 わたしが一年を通じて飲む酒は当然ながら清酒である。夏の暑い時でも清酒が美味しいし、しかも燗をして飲むことも多い。しかし夏は他の酒を飲む機会も多い。ビールはもちろん、焼酎などスピリッツ類もよく飲む。

 「麦焼酎いいちこ『日田全麹』」という試飲用見本を頂いたので飲んでみると、中々のものであった。「いいちこ」は大分県宇佐市の三和酒類が世に出し、「下町のナポレオン」などと呼ばれた麦焼酎であるが、『日田全麹』は、その三和酒類の日田蒸留所が「大麦麹だけを原料につくりあげた本格焼酎」である。
 さすがに麹(大麦麹)だけでつくった酒だけあって、豊潤で、どっしりした、風格のある味であった。日田蒸留所は元ニッカウィスキー九州支社の跡地と聞くが、日田の名水とともに蒸留技術が蓄積されているのであろう。

      

 全麹仕込みの酒と言えば、何といっても「泡盛」だ。こちらは、15世紀にタイ(当時はシャム)から伝わった製法を守り育て、全原料を米麹で仕込む。蒸し米に沖縄独特の黒麹菌を植え付け、出来上がった米麹だけで仕込み、醗酵熟成させた後それを単式蒸留した蒸留酒だ。原料こそ違うが、スコッチやブランデーなどと同じだ。
 社員のU君に、新婚旅行のお土産として与那国島の『八重山』という琉球泡盛を頂いた。これはまた美味しかった。与那国島といえば日本最西端、台湾に隣接する島であるが、日本というより発祥地のタイに近い味なのかもしれない。

 最近飲んで美味しかった清酒は、田酒で有名な西田酒造店の造る最上級の酒、大吟醸『善知鳥(うとう)』であった。この酒を職場のTさんに頂いたのは大分前のことであるが、もったいなくて冷蔵庫にしまって来た。ところが、7月上旬の「下北・津軽旅行」で、二泊したいずれのホテルも田酒を置いてなく、青森に行って思う酒が飲めなかった悔しさからついに我慢しきれず封を切ったのである。
 この「善知鳥(うとう)」シリーズは、西田酒造店の酒でも最高品種で、純米大吟醸にいたっては一升2万円以上、頂いた大吟醸も一升一万円以上の酒だ(四号瓶で4千数百円)。さすがに田酒を造る蔵だけあって、本醸造タイプ(少量のアル添)であってもそれを感じさせず、香りはむしろ押さえられ、豊かな米の甘みと味が漂っていた。

   


みちのく・下北・津軽の旅⑦ ・・・ 十三湖、千畳敷、五能線

2010-08-03 13:41:54 | 

 

 霧の龍飛岬を下りると下界は晴れていた。美しい津軽西海岸を南下する。
 「十
三湖」でトイレ・買い物休憩。十三湖と言うので、てっきり湖が13あるのだろうと思っていたら、実は湖の周囲に13の集落があったことからつけられた名前という。だから湖は一つで、特に風情はない。もっと南の白神山地に接する「十二湖」は小さいがそれぞれ固有の色や美しさを持った湖が、まさに12湖あったが。

   

 それよりも十三湖は真水と海水の入り混じる湖で「しじみ」の名所。立ち並ぶ出店はシジミ汁を初めとしたシジミ料理の花盛り。食べるのは我慢して、次の千畳敷海岸での「海鮮料理昼食」にかける、そしてこの海鮮料理は美味しかった。快晴の下の千畳敷海岸の開放感といい、結構な昼食でした。

      

 そしていよいよ、待望の「五能線」・・・
 しかし、これは期待する方が無理であったのかもしれない。五能線と言うと「夕陽の沈む日本海」とか「一杯やりながら波打ち際を走る風情を味わう」とかが頭を過ぎるので、真昼間の普通列車で、「深浦――大間越間」の約40分ぐらいを走るだけでは堪能したことにはならない。
 やはり五能線は、「しらがみ号」の指定席に陣取り、飲食をとりながら、文字通り五所川原から能代まで乗らなければダメだ、と思った。安いツアーにあれもください、これもくださいは無理だろう。それが分かっただけでも収穫があったと言うものだ。

  五能線の車窓から
        

 大間越から再びバスに乗り込み、長躯、秋田県を越えて岩手県の江刺水沢駅へ、そこからは、新幹線のグリーン車にゆっくり身をゆだねて旅は終わり。

    


ライン川に本当に橋が架かる!

2010-08-01 17:05:59 | 

 

 ベルリン発共同通信によれば、ユネスコがライン川の架橋を承認したようだ。私は09年6月1日付のこのブログで「ライン下りの名所ローレライ渓谷に橋・・・?」と題して、この動きに触れた。
 そこには、ライン下りの中でも中心部であるマインツ・コブレンツ間は「ロマンティック・ライン」と呼ばれ、90キロに及ぶがその間に一本の橋もないこと、一昨年その地を訪れライン下りをやりながら、その景観保持の精神に頭の下がる思いがして感動したこと、従って、「ここまで経済発展より環境保護を優先してきたのだから、今更それを曲げることはないではないか」と書いた。当時ユネスコは、もし橋を架けたら世界遺産認定を取り消すと表明していたようであるから、私は「偉大なドイツ人は、経済発展と世界遺産のどちらの道を選ぶだろうか?」と問いかけてきた。

  
  城塞や美しい街々が連なる両岸を結ぶのは船だけ・・・

 ところが、さすがに偉大と言うべきか、ドイツ人は双方を追及してきたようだ。地元人たちの「不便の解消」と言う要求をバックに、ユネスコに架橋の承認を求めてきたようだ。「7月30日までにユネスコはそれを認めた」と前記共同通信は報じている。

 橋も架けようによっては一つの景観となるだろうし、できるだけローレライの岩の近くを避けて景観維持に努めるとも言っているようだから、まあ何とかなるのであろうが、19世紀から20世紀という資本主義最盛期にあっても架橋を退けてきた国が、今や環境問題などの方がずっと重視される時代になって橋をかけることになったことが、どうしても腑に落ちない。

 もちろん、前回も書いたように、「よそ者に何が分かる。俺たちは毎日ここに住んでいるのだ!」と言われれば、黙って引き下がるしかないが。

  
          ローレライの岩


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