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トランプ支持者の「議事堂襲撃事件」、その展開に私が「希望」を見た理由
1月6日、アメリカの連邦議会議事堂にトランプ大統領支持者の一部が乱入して大統領選挙の結果を暴力で覆そうとした。この事件は多くのアメリカ人だけでなく、日本を含む世界の人々にも大きな衝撃を与えたが、『憲法で読むアメリカ現代史』などの著作がある同志社大学特別客員教授の阿川尚之氏は、襲撃事件のその後の展開に、一縷の希望を見たという(肩書きはインタビューを行った1月15日のもの)。 【写真】「日本のどこがダメなのか?」に対する中国ネット民の驚きの回答
襲撃の「後」に起きたこと
――議事堂襲撃事件をどうご覧になっていますか。
阿川 アメリカは建国以来、人々のあいだに極めて多様な価値観が存在し、そうした価値観の相違が多くの対立や衝突を引き起こしてきた国です。対立があまりにも深刻化したために、国家が分裂し内戦にまで至ったことが一度あります。近年様々な理由でアメリカでは価値観の対立が再び激化し、二極化の傾向が顕著です。トランプ大統領はその対立を象徴し、さらにしばしば激化させる存在です。トランプがアメリカを再び分裂させるのではないかと考えてきた人もいます。
こうした対立や衝突の可能性を常に内在させながらどうやってアメリカの統一を維持し異なる価値観を抱く国民同士の共存を可能にするか――アメリカ人はずっと頭を悩ませてきました。多数決を基本とする民主主義に加えて、立憲主義や法治主義、裁判を通じての公平な紛争解決は、そのための手段です。もちろんいつもうまくいったわけではありません。それでもアメリカはなんとかそれでやってきました。
私はトランプは乱暴なことを色々言うけれど、そうしたアメリカの国の形や仕組みの枠の中で自分の主張と活動を行なってきた、アメリカという国が決定的に分裂するような行動は際どいところで避けてきたのではと見ていました。ところが今回の襲撃事件で彼はその線を逸脱してしまった、超えてはいけない線を超えてしまったと感じています。
アメリカ人はそのことに大きく動揺してショックを受けたわけですが、最悪の事態の一歩か二歩手前で、今回何かが変わった。あるいは食い止めた。その点で私が注目したいのは、「襲撃の後」に起きたことです。
これまでリベラルなアメリカの私の友人は、「共和党の議員や支持者の大部分はトランプのような極端な考え方はしていないと主張するが、結局のところ自分たちの利益のためにトランプを支持し正当化しているじゃないか、トランプと変わらない」と言っていました。
しかし、今回の議事堂襲撃の後、彼らの主張とはちょっと違うことが起きたと思います。
襲撃が起きたのは1月6日の午後、大統領選の一部である州ごとの選挙人による投票結果を、上下両院の議員が下院の本会議場で認定する作業の最中でした。議会へ向かえ、民主党に盗まれた政府を取り戻せ、と呼びかけるトランプの演説を聞いたばかりの群衆が議事堂になだれ込むと、議員たちは急いでいったん下院本会議場から避難しました。暴徒全員がなんとか議事堂から排除された後、議場へ戻り選挙結果の認定を再開します。
日本では議事堂襲撃が中心に報道されましたが、もっと重要なのは、襲撃されたその議事堂で、同じ日(正確には翌日未明)にバイデン候補の大統領就任が最終的に決定したということです。
最後まで票数確定に抵抗した共和党議員もいて、夜中の議場では緊張した場面もあったようですが、民主党側の選挙における不正を訴えるのはこれでやめる、憲法の規定に従ってバイデン勝利を確定するのに賛成すると、議会襲撃にショックを受けた何人かの共和党議員が態度を変えました。
サウスカロライナ州選出のリンジイ・グラム上院議員。彼はトランプ大統領に近く、その立場をずっと支持してきた共和党保守派の政治家だったのですが、この日議場での演説で「私に期待しないでくれ」と言います。
私の仲間はいくつかの州で重大な不正があったと選挙結果を認めることに反対しており訴訟で戦った。それは全く正当な行動だったけれど、ウィスコンシン州最高裁で認められず、ジョージア州などの連邦裁判所で認められず、連邦最高裁で訴えが却下された以上、これ以上抵抗しても意味がない。過去の例を見ても、選挙結果の確定をこれ以上遅らせるのは、混乱を増すだけだ。もうすべて終わったんだ。バイデンが勝った。
「自分はバイデンが大統領になるのは嫌だけれど、憲法と法律には、選挙の行われた翌年の1月6日に連邦議会の上下合同会議で各州から受け取った両候補の獲得票数を確認承認して、選挙人の過半数を獲得した候補が次の大統領に就任するとある。その意味するところは明確だ。それを本日ここで行うのが、我々の義務である、副大統領、憲法に従ってそれをしてください」と雄弁に述べました。 こうした経緯を経て、票数の数え直しを求める共和党の一部議員が提出した動議は圧倒的多数で否決され、最後にペンス副大統領が上院議長として両候補の獲得票数を淡々と読み上げ、最終的にバイデン勝利を確定します。ペンス副大統領はトランプ大統領から選挙結果を確定するなと要請されていたのですが、憲法上自分にはその権限がないと要請を拒否し、バイデン候補の勝利を宣言して義務を果たしました。
彼の「バイデン候補306票、トランプ候補232票」という言葉には重い意味が込められていました。実はこの日審議に入る前、憲法の規定に従って自分の義務を果たすという覚悟を手紙に認めて各議員に送っていましたが、議場では何もそのことに触れていません。全てが終わった時、時計の針は翌日の午前3時半に近づいていました。
こうして議事堂襲撃の直後、アメリカの立憲主義と法治主義は生き伸びましたし、何より機能しました。それが、今回の事件のもっとも重要な点じゃないかと思うんです。民主党と共和党の議員どうしは、相変わらずお互いの主張を繰り返していますが、そうした立場の違いを超えて憲法と法律の規定した手続きを最終的に守った、立憲主義への恭順を示した。
それゆえに、この日の出来事はこれからのアメリカについて、アメリカの民主主義、立憲主義、法治主義についての希望をつないだ、と私は感じています。 襲撃事件自体は恐ろしい事件でした。一部の極右運動家の企みであったとしても、こうした極端な声と行動が生じる民主主義はもう終わりなのではと感じてしまうのも無理はないと思います。
しかし一方で、意図としてはクーデターに近い暴動が成功せず、天安門事件のように軍隊が武力で鎮圧したわけでもなく、数時間後、襲撃が起きたと同じ場所で国民の代表が憲法と法律に従って、次の大統領への平穏な政権交代を可能にした。
意見や価値観は異なっていても、法治主義、すなわち法のもとでの「手続き」に従って物事を決めるという原則を守ってなんとか一つの国としてこれまでやってきたこのアメリカで、その伝統が守られた。アメリカにはまだ希望がある、見くびってはいけない、過小評価してはいけないと思いました。
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「トランプ氏の扇動」で暴徒が国会議事堂に乱入し、アメリカが民主主義の危機に瀕したが、数時間後にはクーデターに近い暴動が成功せず、軍隊の武力鎮圧もなく、襲撃が起きたと同じ場所で国民の代表が憲法と法律に従って、粛々と次の大統領への平穏な政権交代を可能にした。
めでたし、めでたし。
・・・アメリカの民主主義は健在だった、と高らかに謳い上げている。
いかにも「アメリカ憲政」の研究者らしい、嘘くさい駄文だ。
憲法学者が憲法を「平和憲法」と賛美するのと同じ手口。
>私はトランプは乱暴なことを色々言うけれど、そうしたアメリカの国の形や仕組みの枠の中で自分の主張と活動を行なってきた、アメリカという国が決定的に分裂するような行動は際どいところで避けてきたのではと見ていました。
この部分は、その通りで同意する。
だがこれに続く次の文言は勝手な決めつけが甚だしい。
>ところが今回の襲撃事件で彼はその線を逸脱してしまった、超えてはいけない線を超えてしまったと感じています。
暴動にはBLM(反トランプ)やCNNのスタッフが煽動した役割を示していた報道を一切せず未だにトランプ派が騒動を起こしたと一方的論調で述べていることに呆れる。
時間軸で言うとトランプの演説の最中に暴動が起こっている。
しかもホワイトハウスと議事堂の間は徒歩で40分以上かかる場所。
議事堂にいたトランプ支持者は口々にアンティファやBLMが混じっていると叫んでいた。
反トランプ派はトランプ支持のふりをして襲撃の口火を切っている。
しかも厳重に警備をしないといけない警察がバリケードを開けている映像まで出ている。
そこまでしたら勘違いしたバカなトランプ支持者が後を追ってなだれ込む事は目に見えているだろう。
現地取材の我那覇真子さんの報道によると、反トランプ派が計画した暴動だろう。
反トランプは既得権とメディアの偏向報道で民主主義を無視したにもかかわらず、「民主主義が勝たねば」と大きな嘘をばら撒く。大きな嘘に民衆は騙され易いのを利用して。
トランプが強権を振るわなかった理由は、バイデン陣営や共和党の一部に敵がいたが、民主主義の根幹を揺さぶる巨大な敵の存在に気が付いたからだ。
そう、公正な選挙を踏みにじる主要マスコミや偏向SNSの存在だ。
あまりにも敵の存在の重さに気が付いたトランプは、「強権発動」により国民が2分される愚を避けた。
そして一旦身を引いたのだ。
トランプ氏の演説を聞くと「扇動」などではなく、臥薪嘗胆、捲土重来を期すと読める。
この駄文の執筆者はトランプ氏のことを「ところが今回の襲撃事件で彼はその線を逸脱してしまった、超えてはいけない線を超えてしまった」と断罪している。
だが「超えてはいけない線」を越えてしまった張本人は、民主主義の根幹の両輪の一つ表現の自由を奪った主要メディアとSNSではなかったのか。
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