慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

江戸は時差時刻 (THE ELEVENTH)

2014年11月10日 | 知識取得
江戸庶民の「時」は季節により伸び縮みする「不定時法」です

1日を昼と夜に分け、昼・夜を各々6等分と、その単位を刻(2時間)としました
昼と夜を分けるキーワードは、「明六つ」「暮六つ」としました
生活のリズムに合わせる為に「不定時法」です
ブログの内容は、参加しているNPO法人事務長さんの書籍の「コビア」です
















江戸の時刻(ネットより引用)

「不定時法」とは
1月1日「明六つ」午前6時15分、「暮六つ」午後6時14分です
7月5日「明六つ」午前3時53分、「暮六つ」午後7時38分です
冬『昼は、11時間、夜は13時間』です
夏『昼は、13,5時間、夜は9.5時間』です

江戸の町に時の鐘がなります
江戸市内には「時の鐘」があり昼夜を通じて時刻をお知らせていました
鐘の叩き方は、最初に知れの鐘を叩き、その後時刻の数、鐘を叩きました
鐘の音が聞こえる地域の受益者から料金を徴収していました

江戸時代の暦は「太陰太陽暦」
一年を365日とする太陽暦に対して、月の満ち欠けサイクルを1ケ月とし、12ケ月を1年とるす太陰暦です
農耕民族にとって、四季の変化を把握し、種まき・収穫には太陰暦は重要です
太陰暦に太陽暦の要素を加えて作ったのが「太陰太陽暦」です


暦を遊び道具にした江戸っ子
暦は、政治・宗教的支配者が、時刻を支配して、庶民の社会的生活を支配する道具として機能してました
民衆からすると暦は上から授かる「尊い・神聖なもの」という認識です
江戸っ子達は、この暦の遊び道具にしました
「句」「連歌」「謎解きの絵画」「四季流行料理通」「団十郎の絵画」「東錦絵」等との遊びにも取り入れました

明治政府は、文明の象徴「太陽暦」を使うようにしました
新しい暦は、従来のような恵方や禁忌の方位などの迷信的項目が追放されました
平和にしたり、暦で遊んでいた江戸時代は終わりを告げました
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考謙天皇と道鏡法王の仲

2014年11月10日 | 知識取得
孝謙天皇(阿部内新王⇒考謙天皇⇒考謙上皇⇒称徳天皇)

聖武天皇と光明皇后の間には、男子が育たず阿倍内親王(孝謙天皇)のみでした
阿部内新王は、2回天皇に就任し、道鏡を法王にして、親しい仲になったともいわれています
「英雄の選択」から






















女帝考謙天皇(ネットより引用)

考謙天皇時代の治世
孝謙天皇は、皇太子道祖王を廃し、舎人親王を新たな皇太子としました
更迭劇には、孝謙天皇と藤原仲麻呂の意向が働きました

上皇時代の治世
光明皇太后が崩御すると、孝謙上皇派と淳仁天皇(藤原仲麻呂)の関係は微妙になりました
孝謙上皇は、看病に当たった道鏡を寵愛するようになりました
道鏡や吉備真備の孝謙派と、淳仁天皇・藤原仲麻呂の勢力争いが水面下で続きました
孝謙上皇は、淳仁天皇の元から軍事指揮権の象徴である鈴印を回収しました
藤原仲麻呂は、太政官印を奪取して近江国に逃走しましたが、殺害されました

称徳天皇の治世
淳仁天皇の廃位で、孝謙上皇が、称徳天皇として皇位に復帰しました
道鏡を太政大臣禅師に任じ、称徳天皇=道鏡の二頭体制が確立されました
称徳天皇は、西大寺の拡張や西隆寺の造営等、仏教重視の政策を推し進めました

「道鏡が皇位に就くべし」の宇佐八幡宮の託宣が有りました
和気清麻呂は、この託宣は虚偽であると、宇佐八幡宮で確認し報告しました
称徳天皇と道鏡は怒り、清麻呂を因幡員外介として左遷しました

称徳天皇の死と後継
称徳天皇は生涯独身であり、子をなすこともありませんでした
道鏡の権力は衰え、軍事指揮権は藤原永手や吉備真備に奪われました
藤原永手や藤原宿奈麻呂らにより、白壁王を推し、天皇となりました
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RIGHT TO BE FORGOTTEN

2014年11月10日 | 知識取得
最近の興味ある記事(忘れられる権利とは?)

インターネットにおけるプライバシーの保護のあり方として登場した新しい権利です
「知る権利」や「報道の自由」といった既存の権利を束縛する権利です






忘れられる権利(ネットより引用)

EUでの「忘れられる権利」の最近のニュース
「忘れられる権利」が明文化され、個人データ管理者は、個人の請求があった場合、当該データの削除が義務づけられました
EUの個人情報保護に対する危機意識があります
フランスの女性がグーグルに対し「過去の写真の消去」を請求して勝訴しました

グーグルは「報道の自由に対する検閲である」と主張
裁判では「忘れられる権利」の条文の運用には慎重さが求められるとの意見が添えられました
人には「忘れられる権利」があると判断し、グーグルにリンクの削除を命じる判決を言い渡しました
裁判の原告は、自分の過去の債務記録へのリンクを削除するよう求めていた事件です


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