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慶喜

心意気
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子供1人に1千万円位の支援!

2015年08月09日 | 日本国内問題
少子化対策、第3子に「1000万円」支援を

20代に傾斜配分した支援必要、第3子以降に、子供1人1千万円規模の支援を?
子供1人にかかる費用は、第2子は第1子の8割、第3子は6割程度です
財源には限りがあるので、第1子、第2子に対する児童手当を廃止し支援実施
『産経新聞』記事引用






 

少子化対策(ネットより引用)

少子化の加速
昨年の出生数は、約100万人位で過去最少を更新
1人の女性が生涯に出産する子供数の推計値も低下に転じました

少子対策には、対象を絞った対策が必要
未婚で出産する女性は少ないので、結婚支援が必要不可欠です
若い世代の雇用を安定させ、出会いの場をつくることです
第1子が生まれただけでは人口減少は克服できない
子供が出来ない夫婦を考えると、第3子以降が増えない限り人口が増加しない
昨年の出生数の内訳は、第1子約47万人、第2子約36万人、第3子以降は約16万人
第3子、第2子対策を着実に進めるのがポイントです

結婚夫婦、約8割に「第2子の壁」
夫婦の出産意識調査によれば、約8割が、2人目以降をためらう
理由は「経済的な理由」「仕事上の理由」です
「仕事上の理由」に関しては、育休の取りづらさの改善が必要です
第2子の育休を再度申請することへの後ろめたさがあります
育児休暇収得により、出世の遅れ、ポジションを奪われるとの焦りもあります
職場の心遣いが「2人目を産もう」との気持ちを大きく左右する

晩婚・晩産は「3人目の出産」を控えます
20代で出産した人に、支援を傾斜配分するのが必要
第3子以降に手厚く支援するのも必要
過去の常識にとらわれていたのでは出生数増は難しいです
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引越し好きの聖武天皇

2015年08月09日 | 歴史上の人物
聖武天皇創立の恭仁京跡散策

古代の都は、天皇の住居と執政の施設が置かれた宮域と、京域から構成された
京域は、碁盤の目状に道路が設けられた都市空間です
恭仁京は、現在の加茂町内に半分、木津町他に半分が設けられました












聖武天皇(ネットより引用)

聖武天皇は、頻繁に遷都する
遷都「恭仁京」(741年~)「難波宮」(744年~)「紫香楽宮」(745年)
人臣には不評で、「紫香楽宮」は、奈良へ帰りたい臣下達により放火されました?
聖武天皇は、優柔不断、情緒不安定とも評されています?

聖武天皇の思いつきの諸政策
「遷都」「国分寺・尼寺の建設」「大仏建立」は、国家予算の窮乏をもたらす
民にとり、農作業とは異なった不毛な生産労働の提供でした
宮城、大仏殿の造営では、巨木を伐採するので、森林破壊に至りました
河川の氾濫、山崩等「自然災害」結果、飢饉をつくりだす

恭仁大橋近くの「古代史の碑」(万葉の碑?)
田園風景に日本の都があっったとは信じがたい場所です
恭仁小学校の木造校舎は、憂いと・興味を引きます
小学校の裏に大極殿跡がありました

山城国分寺跡(恭仁宮跡)の説明板
恭仁京は、奈良時代に聖武天皇によって造られた都です
奈良の平城京を離れ、数回の行幸で、加茂町を中心に新都を定めました
恭仁宮域は、難波宮への遷都後、山城国分寺として再利用されました
山城国分寺は、南北約330m、東西約300mの寺域をもつ寺でした
基壇跡や礎石跡から考慮すると七重塔もありました

 
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