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革命家レーニン 20世紀を変えた男

2021年01月16日 | 歴史上の人物

🌸革命家レーニン 20世紀を変えた男

 ☆史上初の社会主義国・ソビエトを建国したレーニン

 ☆レーニンは、ロシア帝国の下級貴族に生まれた

 *農民や労働者のユートピアを目指して革命運動に身を投じる

 *家族との死別、迫害を受けての国外逃亡とロシア国内での内戦

 ☆レーニンは、血が流れても革命運動を止めることは無かった鉄の男

 ☆私生活では、妻と愛人を大切にし、良く笑い、質素な暮らしだった

レーニンと革命政府樹立
 ☆ロシア革命を指導し最初の社会主義国家を建設した革命家
 ☆レーニンは、第2次ロシア革命の指導者となった人物
 *兄の影響で社会主義運動に入り、独自の革命理論を作っていった
 *一時捕らえられてシベリアに流刑となる
 *現地で女性革命家クルプスカヤと結婚
 ☆第1次ロシア革命で、ブルジョア民主主義革命の達成を目指した
 ☆ロシア二月革命が起こりロマノフ朝のツァーリ専制政府が倒れた
 *ブルジョワ立憲主義者を中心に臨時政府が成立
 *ペトログラードなど各地で労働者・兵士のソヴィエトが成立
 *ロシアは二重権力の状態となった

レーニン「四月テーゼ」を発表し
 ☆「すべての権力をソヴィエトへ」という指針を提起した
 *レーニンが彼の有名な「四月テーゼ」
 ☆レーニンの分析
 *革命は、権力をブルジョワジーに与えた第一段階から
 *労働者・貧農に権力をひきわたす第二段階へと移行しているとした

七月暴動
 ☆レーニンの指導するボリシェヴィキは臨時政府の戦争継続
 *反対大規模なデモを組織
 *臨時政府は、ボリシェヴィキを弾圧にのりだした
 *レーニンをドイツのスパイであるとして逮捕しようとした
 ☆レーニンは『国家と革命』を記載する
 *二月革命のブルジョワ革命をプロレタリア革命に発展させる
 *議会政治を否定してボリシェヴィキ独裁体制を樹立すべきとした

十月革命
 ☆レーニンは、臨時政府の弾圧を避けるため武装蜂起を実施した
 ☆ソヴィエト政権の樹立を宣言
 *「平和についての布告」と土地についての布告を提案し承認された
 ☆全ロシア=ソヴィエト会議
 *従来の内閣に変わる臨時労農政府の執行機関として
 *人民委員会議を設置しレーニンをその議長に任命した
 *人民委員会議の外交委員にはトロツキーが就任した

ボリシェヴィキ独裁の実現
 ☆レーニンが革命の過程でもっとも大胆な行動を起こした事件
 ☆憲法制定議会の閉鎖
 *普通選挙によって議員を選出し憲法を制定することを目的とした
 *選挙の結果は議会を通じて革命的政策を実現することはできなかった
 *レーニンは武力を動員して議会を閉鎖
 *ボリシェヴィキ独裁を実現させた
 ☆ソヴィエト政権下ではボリシェヴィキ以外の政党は禁止された
 *議会政治も否定され、これがロシア革命の転換点であった

⛳レーニン暗殺未遂事件
 ☆レーニンにピストルを撃ったのは35歳の女性の社会革命党の左派
 *4日後によって処刑された
 ☆レーニンは、血を流す戦いを強いられた
 *旧勢力による反革命との内戦
 *外国の革命干渉軍との戦い
 *革命派との路線対立

⛳戦時共産主義
 ☆反革命勢力は各地に反革命政権を樹立して内戦を仕掛ける
 *資本主義国のイギリス等、対ソ干渉戦争を仕掛けてきた
 ☆レーニンは、「戦時共産主義」の体制を強め
 *農民生活を犠牲にしながら革命政権の維持を図った
 *農民には大きな犠牲を強いることとなった

コミンテルンの創設
 ☆レーニンは、資本主義国家権力を倒し社会主義革命を成功には
 *ロシアだけでは不可能だと考えていた
 ☆ロシア革命を守るためにも
 *外国でも労働者の革命蜂起が必要であると考えていた
 ☆革命路線の国際組織が必要だと判断しコミンテルンを創設
 ☆レーニンの誤算(ポーランド
 *レーニンはポーランドとの戦争で赤軍に進撃を命じた
 *レーニンは赤軍がワルシャワに入れば
 *ポーランドの労働者はそれに呼応して立ち上がると期待した
 *ワルシャワを前にして赤軍は大敗北を喫した
 ☆レーニンの誤算(対資本主義国)
 *ドイツ革命、ハンガリー革命がいずれも失敗
 *レーニンの国際革命は実現せず
 *コミンテルンはロシア共産党に従属する各国支部となる

ネップへの転換
 ☆クロンシュタット反乱
 *戦時共産主義に対して反発した農民出身の水兵たちの反乱
 ☆ロシア革命の推進部隊であった兵士
 *ボリシェヴィキ政権に反対したのは、レーニンにとり衝撃だった
 ☆レーニンは、大きな路線転換を決断
 *新経済政策(ネップ)を打ち出した
 *これは一定程度の資本主義経済への復帰を認めるもの
 *経済体制を立て直し、「一歩後退、二歩前進」を目指した

⛳レーニンの死
 ☆共産党の主導権はトロツキーとスターリンが争い
 ☆レーニンの後継者にスターリンが継承した
 ☆レーニン自身がその二人をどう見ていたか
 *遺書に明確に示されていたが、遺書は公開されず
 ☆スターリンが権力闘争に勝利した
 *その後のスターリン体制が続く
                   (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
⛳出典、『世界史の窓』『ザ・プロファイラー』




















革命家レーニン 20世紀を変えた男
(『ザ・プロファイラー』テレビ画面より画像引用)

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