🌸北条時行(鎌倉3回奪回)
⛳北条時行のプロフィール
☆鎌倉幕府最後の得宗・北条高時の遺児
☆北条時行、中先代の乱
*北条氏復興のため、鎌倉幕府の残党を糾合し乱を引き起こす
*足利直義を破り鎌倉を奪還するが、20日で尊氏に逐われた
☆北条時行と南北朝の内乱
*後醍醐天皇から朝敵を赦免されて南朝方の武将として戦った
*2度目となる鎌倉奪還に成功
☆北条時行は、顕家の遠征軍に随行し土岐頼遠を破った
*遠征軍は和泉国で行われた石津の戦いで執事高師直に大敗
*遠征軍の長の顕家は敗死したが時行は生き残った
☆時行は再び義興らと共に武蔵野合戦で戦う
*初代鎌倉公方足利基氏を破って3度目の鎌倉奪還を果たした
*この奪還も短期間に終わり、逃走を続ける
☆翌年、足利方に捕らえられ、鎌倉龍ノ口で処刑された
⛳鎌倉幕府滅亡(高氏(尊氏)が後醍醐方に離反)
☆鎌倉幕府と後醍醐天皇の戦いである元弘の乱が発生
☆武家の名門足利氏の当主である高氏(尊氏)が後醍醐方に離反した
*六波羅探題(鎌倉幕府の西国監視機関)が壊滅
☆新田義貞による鎌倉攻めが行われた
*時行の父高時、北条一門の多くが自害し鎌倉幕府は滅亡した
*時行は難を逃れていた
☆幼い時行は、諏訪氏の本拠地である信濃国に渡る
*諏訪大社を奉じる諏訪神党のもとにかくまわれた
☆兄の邦時(万寿丸)は、新田方に捕縛されて処刑されている
⛳時行3回の挙兵、鎌倉奪還
☆時行は、親政に不満を持つ勢力や北条氏残党を束ねる
☆信濃国から、諏訪神党らに擁立されて挙兵した(中先代の乱)
*時行は鎌倉に入り、武家にとっての旧都の奪還を成功させた
☆時行に逐われた足利直義
*鎌倉を脱出する直前、鎌倉に幽閉されていた護良親王を殺害している
*護良は後醍醐天皇の皇子で、元弘の乱の殊勲者の一人
⛳北条時行の最期
☆逃走・潜伏を続けた時行は足利方に捕らえられ処刑された
☆北条時行は、享年は20代半
☆鎌倉幕府滅亡後も北条氏が長く戦い続けることができた理由
*足利氏への復讐にかける北条一門の闘志
*幕府滅亡後も「先代一族」と称された北条氏の権威を利用した側
*双方の利害が一致したことが最大の理由
(敬称略)
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⛳出典、NHKBS「英雄たちの選択」「WIKIPEDIA」
北条時行(鎌倉3回奪回)
(「英雄たちの選択」テレビ画面他より画像引用)
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