『日本書紀』後の歴代天皇(60代~65代)
第60代醍醐天皇
☆醍醐天皇は、「延喜の治」に取り組むも菅原道真の怨霊に苦しむ
*藤原時平を左大臣、菅原道真を右大臣に任じて政務を任せた
☆醍醐天皇の治世中は摂政、関白が置かず、「延喜の治」と呼ばれる
☆荘園整理令施行、『古今和歌集』の撰進を紀貫之らに命じている
☆晩年は菅原道真の怨霊に悩まされた
*清涼殿落雷事件が起き、人々は道真の崇りと噂した
*天皇は体調を崩し、その年に亡くなった
第61代朱雀天皇
☆藤原時平の弟・忠平が摂関職につき政治を補佐した
☆治世中には承平、天慶の乱が発生
☆富士山の噴火や地震などの災害が相次いだ
☆病弱で、弟の村上天皇に譲位し30歳で崩御
第62代村上天皇
☆藤原忠平が亡くなったあとは摂関を置かず
☆天皇親政に取り組んだ
☆財政を再建するために租税の確保や倹約を行う
☆文化事業の発展にも力を尽くした
☆村上天皇の治績は「天暦の治」と呼ばれる
☆理想の政治のモデルケースとなった
☆実際に政治を動かしたのは左大臣の藤原実頼
第63代冷泉天皇
☆奇行が多く、即位式を人目のつきにくい紫農殿で執り行った
*天皇の奇行が外にさらけ出されるのを防ぐ狙いがあった
☆冷泉天皇は在位わずか3年、上皇として42年間過ごした
第64代円融天皇
☆兄・冷泉天皇からの譲位を受けて即位
☆藤原実頼が摂政に就任
☆藤原氏のなかで摂関職をめぐる争いが起こるようになる
*自分の娘を天皇に入内させて権勢を高める行為
☆藤原兼家は、娘を円融天皇に嫁がせる
*生まれた子が即位し、天皇の外祖父の地位を得た
第65代花山天皇
☆花山天皇は冷泉天皇の第1皇子で17歳で即位した
☆摂政の地位を狙う藤原兼家の陰謀で出家
☆在位わずか2年で退位に追い込まれた
☆法皇となったあとは西国の寺院を巡礼
*「西国三十三所巡礼」として現在も受け継がれている
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
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私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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出典、『『日本書紀』と天皇126代』
『日本書紀』後の歴代天皇(60代~65代)
(『『日本書紀』と天皇126代』記事より画像引用)
第60代醍醐天皇
☆醍醐天皇は、「延喜の治」に取り組むも菅原道真の怨霊に苦しむ
*藤原時平を左大臣、菅原道真を右大臣に任じて政務を任せた
☆醍醐天皇の治世中は摂政、関白が置かず、「延喜の治」と呼ばれる
☆荘園整理令施行、『古今和歌集』の撰進を紀貫之らに命じている
☆晩年は菅原道真の怨霊に悩まされた
*清涼殿落雷事件が起き、人々は道真の崇りと噂した
*天皇は体調を崩し、その年に亡くなった
第61代朱雀天皇
☆藤原時平の弟・忠平が摂関職につき政治を補佐した
☆治世中には承平、天慶の乱が発生
☆富士山の噴火や地震などの災害が相次いだ
☆病弱で、弟の村上天皇に譲位し30歳で崩御
第62代村上天皇
☆藤原忠平が亡くなったあとは摂関を置かず
☆天皇親政に取り組んだ
☆財政を再建するために租税の確保や倹約を行う
☆文化事業の発展にも力を尽くした
☆村上天皇の治績は「天暦の治」と呼ばれる
☆理想の政治のモデルケースとなった
☆実際に政治を動かしたのは左大臣の藤原実頼
第63代冷泉天皇
☆奇行が多く、即位式を人目のつきにくい紫農殿で執り行った
*天皇の奇行が外にさらけ出されるのを防ぐ狙いがあった
☆冷泉天皇は在位わずか3年、上皇として42年間過ごした
第64代円融天皇
☆兄・冷泉天皇からの譲位を受けて即位
☆藤原実頼が摂政に就任
☆藤原氏のなかで摂関職をめぐる争いが起こるようになる
*自分の娘を天皇に入内させて権勢を高める行為
☆藤原兼家は、娘を円融天皇に嫁がせる
*生まれた子が即位し、天皇の外祖父の地位を得た
第65代花山天皇
☆花山天皇は冷泉天皇の第1皇子で17歳で即位した
☆摂政の地位を狙う藤原兼家の陰謀で出家
☆在位わずか2年で退位に追い込まれた
☆法皇となったあとは西国の寺院を巡礼
*「西国三十三所巡礼」として現在も受け継がれている
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私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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出典、『『日本書紀』と天皇126代』
『日本書紀』後の歴代天皇(60代~65代)
(『『日本書紀』と天皇126代』記事より画像引用)
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