慶喜

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「臨済宗」「栄西」「鎌倉幕府」「お茶」「五山文化」

2024年04月06日 | 宗教
🌸臨済宗宗祖ー栄西

 ☆幕府の庇護のもと禅の教線を広げた宗教家

密教僧が宋で禅に出会う
 ☆日本にはじめて禅が伝わったのは7世紀中頃
 *9世紀にも天台宗の宗祖・最澄が中国で禅を授かった
 ☆禅を一宗派として確立したのは鎌倉時代の僧・栄西
 *栄西は比叡山にのぼって出家した
 *比叡山では密教を学び、宋で求法を体験
 *帰国後は天台密教の一派を開いた
 *栄西は当初、禅僧ではなく密教僧として活躍していた
 ☆栄西は密教僧でありながら次第に禅への関心を深める
 *2度目の入宋を果たし、天台山万年寺で修行に励んだ結果
 *ついに印可(悟りの明)を授けられた
 ☆禅の奥義を究めた栄西が日本に戻った
 *朝廷は禅宗を禁止する命令を出していた
 ☆栄西は京都に戻らず、九州を中心に活動をはじめた
 *比叡山を中心とする旧仏教側の空気は冷たく、栄西に圧迫を加える
 ☆栄西は『興禅護国論』を著して「禅は鎮護国家の法である」と訴えた
 *禅は最澄が説いた精神を統一する止観にほかならない
 *比叡山の再興にもつながる教えであると主張した

栄西、鎌倉幕府への接近
 ☆栄西は旧仏教側との摩擦を避けて、密教の祈祷僧として活動した
 ☆源氏の武家政権が朝廷を凌駕する勢いで台頭してくる
 *京都から鎌倉へ下って禅の布教をはじめた
 *幕府側も栄西を積極的に迎え入れた
 ☆鎌倉幕府は人心掌握の術を考えたうえで
 *栄西と禅の教えを庇護した
 *鎌倉武士を中心に禅が広がると
 *栄西は幕府の権威を背景にして京都へ進出
 *頼家の援助を受けて京都に建仁寺を建てる
 *朝廷もようやく禅宗を認めるに至った
 ☆栄西はお茶を、日本に伝えたことでも知られている
 *宋で茶の魅力に傾倒した栄西は帰国の際、茶の種を持ち帰る
 *日本で栽培された最初のお茶で、石上茶と名づけられた

⛳栄西死後の臨済宗
 ☆鎌倉五山から優れた禅僧が数多く輩出した
 ☆京都にも天竜寺や相国寺など
 *京都五山できて臨済宗が定着した
 *五山文化と呼ばれる禅文化も生まれた
 *五山とは一線を画して、修行に励む禅憎もあらわれた
 *その後、五山文化は、応仁の乱で低迷した
 ☆江戸時代中期、白隠禅師 が新たな禅風を確立し中興を果した
 *現在は寺と法系による14派が本山をもち、教えを伝えている
                          (敬称略)
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⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳出典、『比べてわかる!日本の仏教宗派』

「臨済宗」「栄西」「鎌倉幕府」「お茶」「五山文化」
(「比べて分かる日本の仏教宗派」記事より画像引用)

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