慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

上皇陛下と上皇后美智子さま(9-2)

2021年06月18日 | 皇室
🌸上皇陛下と上皇后美智子さま

⛳上皇陛下、目の当たりにした焼け野原
 ☆上皇陛下は、皇太子時代日光に疎開されている
 *終戦後、東京に戻ってくると目にしたものは 一面焼け野原
 *当時11歳の皇太子にとっての戦争体験だった
 ☆美智子さまの場合の幼少期も同じような状態
 *疎開先の軽井沢から戻り、東京の惨状を目の当たりにしておられる
 ☆終戦の翌年から4年間、皇太子の家庭教師
 *アメリカ人女性のヴァイニング夫人
 *昭和天皇がアメリカから来日した教育使節団の団長に要望した
 *皇太子の家庭教師をアメリカから派遣してくれ
 *ヴァイニング夫人は、GHQの押しつけではなかった
 ☆日本側は、家庭教師の人選について2つ注文を付けた
 *狂信的なキリスト教徒でない女性
 (ヴァイニング夫人は、クエーカー教徒)
 *日本をよく知らない、日本語のできない人

⛳ヴァイニング夫人の教え
 ☆夫人は皇太子の英語の家庭教師として、アメリカの文化も教えた
 ☆ヴァイニング夫人は、回想録に記している
 *周りの人たちがすべてやるので、皇太子は受け身であった
 *夫人が「どうしますか?」話しても
 *「お好きなように」と言うばかり
 *自分で何かをしようという発想が全くなかった
 ☆ヴァイニング夫人は事あるごとに
 *「さあ、どうしますか?」「今度はどうしますか」と問いかける
 ☆自らの意思で行動することの大切さを伝えていった

⛳皇太子は大学中退?
 ☆宮内庁は日本人の手で帝王学を授けようと
 *慶應義塾の塾長退任した小泉信三を教育係にする
 *海外に行って見聞を広めていただこうと海外留学を計画する
 ☆明仁皇太子学習院大学在学中
 *エリザベス女王の戴冠式に天皇の名代としてイギリスに赴く
 * ヨーロッパ各地、アメリカ、カナダを6カ月間旅行された
 *半年も日本を空けるとなると、大学の授業に出られなくなる
 ☆学習院大学は、6カ月も欠席した学生に単位はやれない
 *皇族華族の子弟の大学も民主化により性格が変わっていた
 *大学は、単位は与えられないが進級は認める措置を取る
 ☆平成の天皇は大学中退
 *天皇陛下に果たして学歴が必須なのかどうか

平民出身の「粉屋の娘」
 ☆美智子さまは、日清製粉の元会長の長女としてお生まれになった
 ☆皇太子とご結婚、海外では「粉屋の娘」と訳された
 ☆美智子さまは聖心女子大学の外国語外国文学科を首席で卒業
 *卒業式では総代として答辞を読んでいます
 *卒業した年、 軽井沢のテニスコートで運命の出会い
 ☆ご成婚の日を迎え、ミッチーブームは最高潮に達します
 ☆しかし、平民出身の美智子さまに何度もバッシングが襲いかかる

1960年に徳仁親王誕生
 ☆皇太子さまご夫妻は日米修好百周年記念事業でアメリカに行く
 *生後7カ月の親王はお留守番
 *美智子さまは留守を預かるお付きの人に、注意事項のメモを渡します
 *これが「ナルちゃん憲法」と呼ばれるもの
 ☆『ナルちゃん憲法』として皇室ジャーナリストが本にする
 *60~70年代、この育児法・教育法が広まりました
 ☆皇室の伝統に反してお子様方を育てる美智子さまに
 *陰口を叩いたり、おおっぴらに批判したりする人もいた
 ☆美智子さまが皇后となられてから
 *週刊誌による皇室バッシング記事となって現われます
                       (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳投資は、自己判断、自己責任、自己満足で
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『日本の戦後を知るための12名』より








上皇陛下と上皇后美智子さま(9-2)
(ネットより画像引用)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「読者&広告」減少が直撃し... | トップ | 米国で「コロナ=生物兵器」... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

皇室」カテゴリの最新記事