🌸賽の河原の水子供養18(聖地に残る怖い信仰)
⛳この世とあの世の境にある賽の河原
☆仏教では、現世と此岸とあの世である彼岸の境目
☆仏教では、現世と此岸とあの世である彼岸の境目
*三途の川があり、その三途の川の手前にある河原が「賽の河原」
*賽の河原では、親よりも先に亡くなった子ども達の「石積みの苦」
*賽の河原では、親よりも先に亡くなった子ども達の「石積みの苦」
☆現世に残してきた父母の供養のために
*一つ積んで父のため、二つ積んで、母のためと唱えながら石積みをする
*何度石を積み上げても、地獄の鬼がやってきて崩す
*子どもたちはまた石を積み、それを鬼が崩す
*救いの手を差し伸べるのが地蔵菩薩
*地蔵菩薩、死んだ子どもを供養する意味合いあり尊ばれた
⛳賽の河原に関する伝説か残るの佐渡島
☆願集落の近くに洞穴があり、その中に賽の河原はある
*子どもを抱えた大きな地蔵が中心に位置している
*子どもを抱えた大きな地蔵が中心に位置している
*両側には小さな石地蔵が無数に並ぶ
*賽の河原には、死んだ子を忘れられない親たちが石を積んだ跡がある
*洞穴の奥には「血の池」と呼ばれるくぼみもある
*洞穴の奥には「血の池」と呼ばれるくぼみもある
☆物静かで神聖な雰囲気からか、不思議な伝承が残っている
*石積は、いたずらで崩されても翌朝にはもと通りになっている
*亡くなった子どもの霊が、夜中に積み直しているのだろうか?
⛳信仰の島・佐渡島
☆佐渡島の賽の河原では「賽の河原祭り」が行われる
☆佐渡島の賽の河原では「賽の河原祭り」が行われる
*飢えと渇きに苦しんでいる水子・餓鬼を供養する慰霊祭
☆賽の河原と呼ばれる場所
*佐渡島、青森の恐山、鳥取の米子など、日本に数か所ある
☆佐渡島は京の都から遠く離れている
☆佐渡島は京の都から遠く離れている
*古くは流刑地として皇族や僧侶が流される場所
☆鎌倉時代の承久の乱で、順徳上皇などが流された
☆鎌倉時代の承久の乱で、順徳上皇などが流された
*室町時代にも能楽を完成させた世阿弥が流された
*江戸時代にも島流しの地に指定されていた
☆佐渡島には数々の信仰が伝わってきた
*特に地蔵信仰が篤いことで知られている
*中でも有名なのが、「梨の木地蔵」という地蔵堂
*心願が成就すれば、小さな「みがわり地蔵」を納めるのが習わし
☆死んだ子どもがあの世で安らかで合ってほしい
☆死んだ子どもがあの世で安らかで合ってほしい
*悲痛な「祈り」が、佐渡島には集まっている
(敬称略)
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⛳出典、「本当は怖い日本の聖地」
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賽の河原の水子供養18(聖地に残る怖い信仰)
(本当は怖い日本の聖地記事より画像引用)
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