🌸お墓と埋葬文化の歴史
⛳現在でのお墓とお墓建立の目的
☆石塔や墓標を建て、故人を納めて供養するためのもの
☆お盆やお彼岸、命日など定期的にお墓参りに行く
*故人の存在を忘れないようにする
*先祖様に感謝の気持ちを伝える大切な場の役割を果たしている
☆国王や皇帝など権力者が建てるお墓
☆国王や皇帝など権力者が建てるお墓
*偉業を後世に伝えるモニュメントとしての側面も持つ
☆有名なお墓(世界遺産等)
*大仙古墳・ピラミッド、霊廟タージ・マハル等
⛳お墓を建てる文化が世界各国で共通していない
☆仏教の母国・インドでは、火葬したご遺骨を川や海に流す
☆仏教の母国・インドでは、火葬したご遺骨を川や海に流す
*遺体をそのままガンジス川に流す「水葬」が行われている
*人々は、お墓は持たない
☆チベット高地では遺体を鳥に食べさせ天に還す「鳥葬」
☆チベット高地では遺体を鳥に食べさせ天に還す「鳥葬」
*人々の間では一般的な葬儀
☆日本国内でも、遺体を里山や河川に還す「自然葬」行われていた
☆日本国内でも、遺体を里山や河川に還す「自然葬」行われていた
☆庶民がお墓を建てられるようになったのは
*檀家制度(寺請制度)の始まった江戸時代中期頃
⛳江戸時代の「檀家制度(寺請制度)」
☆「どこかのお寺の檀家となるよう民衆に義務付ける」という制度
☆幕府は寺院を通して民衆を管理できるようになった
☆お寺は、現代の役所での「戸籍」の役割を担っていた
⛳人類の埋葬の起源
☆故人を供養するという行為
*人類がその進化の過程で何千年も費やして手に入れたもの
*猿人や原人のような進化の古い段階にあった人類
*現代の人々と同じように埋葬をしていない
☆現在確認できる最も古い埋葬の跡
*ネアンデルタール人のものが知られている
☆日本で確認できる最古の埋葬は縄文時代
*故人を弔うため、穴の中に故人の身体を折り曲げていた
*石碑や墓標を建てる「お墓」の形式にはなっていない
⛳日本のお墓の歴史
☆古墳時代
*「古墳」という形式の非常に大規模なお墓が登場
*古墳は王家や豪族のみが埋葬され、権力の象徴としてのお墓
*庶民のお墓は、縄文時代と同じで折り曲げて埋葬していた
☆古墳の建造「大化の改新」で規制される
*地方豪族が古墳を建てることはなくなった
☆平安時代
*仏教の影響で、貴族などの特権階級の間で火葬が取り入れられる
☆鎌倉時代
*仏教が庶民の間にも浸透し、庶民も火葬をするようになる
*火葬後の遺骨は棺に納めて土中に埋めるのみ
*墓石や墓標も置かれていない
☆江戸時代
*土葬が主流となるが、その理由は諸説ある
*江戸は人口密度が高かった
(「火葬の際に出る煙と臭いに悩まされていた」から)
*遺体は死に装束を着せた状態で棺に納められた
*遺体は死に装束を着せた状態で棺に納められた
*土中に埋葬し、その上に土を盛って「土饅頭」を作る
*武士のお墓には板塔婆や石塔婆が建てられた
*庶民にもそれが広まり、卒塔婆や墓石を設けるようになった
*現代のお墓の礎は、江戸時代に築かれた
☆明治時代
*公営の墓地として青山墓地や天王寺墓地が開発された
*宗教を問わない霊園も開かれるようになる
*埋葬方法、土葬は難しくなり、火葬が一般化し始めた
☆大正時代
*各自治体が火葬場を設けたが、土葬が主流の地域もあった
☆昭和初期までは、火葬と土葬の割合は半々
⛳新しい供養
☆人々はその時代ごとに応じた、埋葬・お墓を作ってきた
☆お墓を建てる目的の根底にあるもの
*「亡くなった方を供養したい」という想い
☆現代の多様化する家族構成
*お墓の形が変わりゆくことも考えらる
*両親のお墓が地元にあるけれど
*子供にお墓の面倒をかけたくないからと墓じまいして
*お墓を移す方(樹木葬等も利用)もいらっしゃる
☆今後、ご家族にとり最適なお墓を選ぶことが重要
(敬称略)
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⛳出典、『松戸家HP』
お墓と埋葬文化の歴史
(ネットより画像引用)
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