慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

お墓と埋葬文化の歴史

2021年11月07日 | 聖地
🌸お墓と埋葬文化の歴史

⛳現在でのお墓とお墓建立の目的
 ☆石塔や墓標を建て、故人を納めて供養するためのもの
 ☆お盆やお彼岸、命日など定期的にお墓参りに行く
 *故人の存在を忘れないようにする
 *先祖様に感謝の気持ちを伝える大切な場の役割を果たしている
 ☆国王や皇帝など権力者が建てるお墓
 *偉業を後世に伝えるモニュメントとしての側面も持つ
 ☆有名なお墓(世界遺産等)
 *大仙古墳・ピラミッド、霊廟タージ・マハル等

お墓を建てる文化が世界各国で共通していない
 ☆仏教の母国・インドでは、火葬したご遺骨を川や海に流す
 *遺体をそのままガンジス川に流す「水葬」が行われている
 *人々は、お墓は持たない
 ☆チベット高地では遺体を鳥に食べさせ天に還す「鳥葬」
 *人々の間では一般的な葬儀
 ☆日本国内でも、遺体を里山や河川に還す「自然葬」行われていた
 ☆庶民がお墓を建てられるようになったのは
 *檀家制度(寺請制度)の始まった江戸時代中期頃

江戸時代の「檀家制度(寺請制度)」
 ☆「どこかのお寺の檀家となるよう民衆に義務付ける」という制度
 ☆幕府は寺院を通して民衆を管理できるようになった
 ☆お寺は、現代の役所での「戸籍」の役割を担っていた

人類の埋葬の起源
 ☆故人を供養するという行為
 *人類がその進化の過程で何千年も費やして手に入れたもの
 *猿人や原人のような進化の古い段階にあった人類
 *現代の人々と同じように埋葬をしていない
 ☆現在確認できる最も古い埋葬の跡
 *ネアンデルタール人のものが知られている
 ☆日本で確認できる最古の埋葬は縄文時代
 *故人を弔うため、穴の中に故人の身体を折り曲げていた
 *石碑や墓標を建てる「お墓」の形式にはなっていない

日本のお墓の歴史
 ☆古墳時代
 *「古墳」という形式の非常に大規模なお墓が登場
 *古墳は王家や豪族のみが埋葬され、権力の象徴としてのお墓
 *庶民のお墓は、縄文時代と同じで折り曲げて埋葬していた
 ☆古墳の建造「大化の改新」で規制される
 *地方豪族が古墳を建てることはなくなった
 ☆平安時代
 *仏教の影響で、貴族などの特権階級の間で火葬が取り入れられる
 ☆鎌倉時代
 *仏教が庶民の間にも浸透し、庶民も火葬をするようになる
 *火葬後の遺骨は棺に納めて土中に埋めるのみ
 *墓石や墓標も置かれていない
 ☆江戸時代
 *土葬が主流となるが、その理由は諸説ある
 *江戸は人口密度が高かった
 (「火葬の際に出る煙と臭いに悩まされていた」から)
 *遺体は死に装束を着せた状態で棺に納められた
 *土中に埋葬し、その上に土を盛って「土饅頭」を作る
 *武士のお墓には板塔婆や石塔婆が建てられた
 *庶民にもそれが広まり、卒塔婆や墓石を設けるようになった
 *現代のお墓の礎は、江戸時代に築かれた
 ☆明治時代
 *公営の墓地として青山墓地や天王寺墓地が開発された
 *宗教を問わない霊園も開かれるようになる
 *埋葬方法、土葬は難しくなり、火葬が一般化し始めた
 ☆大正時代
 *各自治体が火葬場を設けたが、土葬が主流の地域もあった
 ☆昭和初期までは、火葬と土葬の割合は半々

⛳新しい供養
 ☆人々はその時代ごとに応じた、埋葬・お墓を作ってきた
 ☆お墓を建てる目的の根底にあるもの
 *「亡くなった方を供養したい」という想い
 ☆現代の多様化する家族構成
 *お墓の形が変わりゆくことも考えらる
 *両親のお墓が地元にあるけれど
 *子供にお墓の面倒をかけたくないからと墓じまいして
 *お墓を移す方(樹木葬等も利用)もいらっしゃる
 ☆今後、ご家族にとり最適なお墓を選ぶことが重要
                     (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『松戸家HP』



お墓と埋葬文化の歴史
(ネットより画像引用)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「応仁の乱」の本質1(幕府... | トップ | 最強の米国株式(S&P500) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

聖地」カテゴリの最新記事