来年度の中国への政府開発援助(ODA)の金額がおおよそ
決まったそうだ。
「世界第2位の経済大国にになったのだから、もう必要ないの
ではないか」「援助するだけ、損だ!」との声も多い中、しっか
り継続されることとなった。
その額、42億5千万円である。
ちなみに今年度は46億円である。たったの7%減だ。
復興にもお金が掛かかるし、失業対策や福祉の財源だって厳しい
のに、なぜ、中国へのODAを続けるのか…?
外務省曰く、「大幅削減に踏み込めば、改善の兆しが見えてきた
日中関係を再び悪化させかねない」とのことである。
確か、前原さんが外務大臣だった時、今後、中国へのODA額は
大幅に見直すと名言していたはずである。政治主導で打ち出した
削減方針なんて、所詮、強気の大臣が居なくなれば再び、官僚主
導に逆戻りするのである。
もし、中国との関係が悪化した場合、一体、どんなリスクがどの
くらいあり、その場合の経済的なリスクがどの程度の額になるの
か、ちゃんと試算した上で、こういう決定がなされているのだろ
うか?
昨日、大阪への道中、「中国・グラスルーツ」西倉一喜著を
読んだ。
80年代前半、まだ改革開放が始まったばかりの中国、北京へ留学
した新聞記者が書いたルポである。先日、古本屋で見つけたもの
だが、なぜ、もっと早く読まなかったのかと思うほど面白かった。
「30年前の中国と中国人は、こんなだったのか…」と、思う部分と
現在とあまり変わっていないと思う部分があったが、これほどの短
期間に、ここまで社会が変化した国もなかなかないだろうなとあら
ためて思った。
特に印象に残ったのは、この部分である。
街の食堂で筆者が食事をしていたときのこと。隣のテーブルでは
数人の若者が、にぎやかに同窓会をやっていた。そのテーブルに
ちょうど、メインデッシュの鯉のから揚げが運ばれてきた。
その時である。
ひとりの年老いた女乞食が、つかつかとテーブルに近づき、目にも
止まらぬ早さで、鯉に一箸入れてパクリと口に入れた。やがて、若
者らはこの老婆に最大級の罵声を浴びせはじめた。
すると、ズコズコと老婆は退場…と思ったのは私の思い違いだった。
彼女は、げんこつを振り上げると「食堂のみなさん、聞いて下さい」
と演説をぶち始めたのだ。
「私は70歳で身寄りもなく老い先短い。一日中、何も食べていなか
ったから仕方なくちょっと失敬した。なのに、連中ときたら若くて
五体満足なのにで働き盛りなのに、料理に一箸付けられたくらいで
私に恥をかかせた。私は面子を潰された…」と大声でわめきながら
店を出て行ったそうだ。
そして、筆者はこの日から「益々、中国人が好きになった」と書い
ている。
私は、こんな中国人が好きになれるほど寛容ではないし、隣国とし
てこんな中国人と対等に渡り合わなければならないのか、と思うと
頭が痛くなる思いがするが、つくづく日本人とはDNAからして
違うのだなと思った。
そして、確かに日中友好も大事だが、ODAなしでの友好がありえ
なのならそんなのは真の友好でもなんでもないわけである。
言うべきことは言う。
そして、「日本も最近、手ごわくなったな…」
中国には、このくらい言われるようにならないとダメだろうと、
つくづく思った次第である。
決まったそうだ。
「世界第2位の経済大国にになったのだから、もう必要ないの
ではないか」「援助するだけ、損だ!」との声も多い中、しっか
り継続されることとなった。
その額、42億5千万円である。
ちなみに今年度は46億円である。たったの7%減だ。
復興にもお金が掛かかるし、失業対策や福祉の財源だって厳しい
のに、なぜ、中国へのODAを続けるのか…?
外務省曰く、「大幅削減に踏み込めば、改善の兆しが見えてきた
日中関係を再び悪化させかねない」とのことである。
確か、前原さんが外務大臣だった時、今後、中国へのODA額は
大幅に見直すと名言していたはずである。政治主導で打ち出した
削減方針なんて、所詮、強気の大臣が居なくなれば再び、官僚主
導に逆戻りするのである。
もし、中国との関係が悪化した場合、一体、どんなリスクがどの
くらいあり、その場合の経済的なリスクがどの程度の額になるの
か、ちゃんと試算した上で、こういう決定がなされているのだろ
うか?
昨日、大阪への道中、「中国・グラスルーツ」西倉一喜著を
読んだ。
80年代前半、まだ改革開放が始まったばかりの中国、北京へ留学
した新聞記者が書いたルポである。先日、古本屋で見つけたもの
だが、なぜ、もっと早く読まなかったのかと思うほど面白かった。
「30年前の中国と中国人は、こんなだったのか…」と、思う部分と
現在とあまり変わっていないと思う部分があったが、これほどの短
期間に、ここまで社会が変化した国もなかなかないだろうなとあら
ためて思った。
特に印象に残ったのは、この部分である。
街の食堂で筆者が食事をしていたときのこと。隣のテーブルでは
数人の若者が、にぎやかに同窓会をやっていた。そのテーブルに
ちょうど、メインデッシュの鯉のから揚げが運ばれてきた。
その時である。
ひとりの年老いた女乞食が、つかつかとテーブルに近づき、目にも
止まらぬ早さで、鯉に一箸入れてパクリと口に入れた。やがて、若
者らはこの老婆に最大級の罵声を浴びせはじめた。
すると、ズコズコと老婆は退場…と思ったのは私の思い違いだった。
彼女は、げんこつを振り上げると「食堂のみなさん、聞いて下さい」
と演説をぶち始めたのだ。
「私は70歳で身寄りもなく老い先短い。一日中、何も食べていなか
ったから仕方なくちょっと失敬した。なのに、連中ときたら若くて
五体満足なのにで働き盛りなのに、料理に一箸付けられたくらいで
私に恥をかかせた。私は面子を潰された…」と大声でわめきながら
店を出て行ったそうだ。
そして、筆者はこの日から「益々、中国人が好きになった」と書い
ている。
私は、こんな中国人が好きになれるほど寛容ではないし、隣国とし
てこんな中国人と対等に渡り合わなければならないのか、と思うと
頭が痛くなる思いがするが、つくづく日本人とはDNAからして
違うのだなと思った。
そして、確かに日中友好も大事だが、ODAなしでの友好がありえ
なのならそんなのは真の友好でもなんでもないわけである。
言うべきことは言う。
そして、「日本も最近、手ごわくなったな…」
中国には、このくらい言われるようにならないとダメだろうと、
つくづく思った次第である。