昨日登った十方山の山頂です。
遠くからこの山を見ると、船をひっくり返したような台形の山に見えます。顕著なピークは見えません。
しかし、そこからの展望は抜群です。そのことは昨日も書きましたが、あまりいい書き方をしなかったので、、、、、
「西中国山地」(桑原良敏著:溪水社)を開いてみました。そこには下記のように記されています。
十方とは、言うまでもなく東西南北の四方と、乾坤良巽の四偶と上下の二方を合わせた方向を言い、<十方山>という山名は<十方の展望をよくすることのできる山>という意からでたものと思われる。この平坦な山頂からの展望がよかったということは、山名がつけられた頃から、山頂は現在と同じようにササ原であったということなのだろう。
これを読んでいただくと、この山が昔から展望の良い山だったと言うことが理解されると思います。
芸北山群と言われているこのあたりには、聖山というササ原の山がありました。
秋のススキの時期は特に美しく、恐羅漢山のふもとから聖山のそばの十文字キビレを通って、樽床ダムから三段峡を歩いて5時ころのバスに乗る、チョッとハードなロングコースを歩くときにも、十文字キビレから走るようにして聖山の山頂を往復していました。 それだけの魅力がある山だったのです。
だったのです。そうです、いまは木が茂ってその面影はまったくありません。ススキの聖山に登った経験を持っている人は、いまではごくごく少数派になっています。
十方山の山頂部はいまもって「十方の展望」を楽しめるのに、同じように展望抜群だった聖山がたったの何十年かの間に樹林山になった、この二つの山のことをタカ長は説明できませんが、、、
芸北山群から展望の山が一つ消えたことは今もって残念に思っています。
十方山には若いころから登っているので、多くの思い出があります。その中で、、、、
毎年ゴールデンウイークころゆであずきの缶詰と砂糖を持って登っていたのが良い思い出です。標高の低い十方山ですが、谷すじにはそのころでも残雪があり、それを取ってきて「宇治金時」を作っていたのです。
正しく言えば宇治金時もどきかも分かりませんが、それでも山頂でのひと時を楽しむための大切なスイーツでした。
昨日も書きましたが、この水越新道は足にやさしい道で、高齢登山者向きに拓かれたルートのように感じました。
わが裏山にこのようなルートがあれば、毎日でも山歩きをするのですが、、、、
そのような山歩きをするにはチョッと遠いのが残念です。
昨日走った十方山林道が改良されれば良いのですが、5月3日に歩いた時より路面は悪くなったような気がしました。
たった1回の雨で状況が大きく変わるのが、未舗装の林道なのでしょう。
林道の状況のことをタカ長が心配しても始まりませんが、、、、
とにかくいいルートなので、これからもあのルートを登るつもりです。
あのルートを教えてくれた歌姫さんに、感謝、感謝ですね。
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