タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

ベトナムの旅から~その20

2010年01月30日 | 旅行のことなど
今日は仲間の撮影した写真を紹介します

 今日の写真はすべて一緒に旅行した仲間の撮影です。同じところを歩いていても、カメラを向けるところが少しずつ違うような気がします。そのような思いで紹介します。



 タカ長も同じようなところを撮っていますが、レンズの長さが少しだけ違い、そのため画面の感じが違ってくるのです。それも個性なのでしょうか?



 同じような画像です。対象の切り方によって雰囲気が違ってきます。そこが面白いのです。



 山が好きなタカ長としては、背後の山はベトナムの最高峰ファンシパンだと言いたいのですが、本当は少し違います。私たちがここから見ることの出来るのは、ファンシパンをとりまく前衛峰なのです。



 耕して天にいたる棚田ですね。ここに住んでいる人たちの、山の斜面に対する感覚は私たちとまったく違っているのではないでしょうか?私たちが45度に感じる斜面が、彼らには20度くらいにしか見えないとか、その長さも短く見えるとか、、、、、、。



 このような何気ないところに鳥の姿が見えました。タカ長もあまり考えないでこの写真を選びました。

 鳥を見たり風景を楽しみながらどんどんと下がり、広い道から左側に降りている狭い道に入り、またまた下がっていきました。一体全体どれだけ下がればよいのでしょうか?



 下がっていくとこのようなゲートがあり、それを通って更に下がっていきました。


ベトナムの旅から~その19

2010年01月28日 | 旅行のことなど
下りて下りてまた下りて、、、、、、

 混雑したサパの町を抜けると一本の道が下に下に続いていました。その入口に近いところに、、、、、



 このようはチケット売り場があり、マーさんは一人2万ドン(約100円)の入園料を払っていました。国立公園の入園料、と言うことなのでしょうか?今回の旅行費用のすべてはドルで払い済みですから、細かいことはまったくタッチしていないのです。どんぶり勘定で旅行費用が決められ、大枠で予算からはずれないようにしながら旅行が進行しているようです。



 歩くにつれサパの町がだんだんと高くなっていきます。空のほうも明るくなってきて、雨の心配はなくなりました。結果的にはこの日の雨が最後の雨で、それ以降帰国するまで雨には遭いませんでした。ハッキリとした「雨のち晴れ」のベトナム旅行でした。



 道はドンドン下がっていきます。下がるのは良いのですが、下がるということはサパの町に帰るときはこの道を上る必要があるということです。そのことを思うと下がりたくないのですが、マーさんはドンドン下がっていきます。標高差にして何百メートル下がるのでしょうか?

 

 下がるにつれて何やら懐かしい風景が広がってきました。昔の日本、日本の原風景と言っても良いような風景です。このような急傾斜地は広島にはないでしょうが、日本全体で考えれば特別な風景とも思えません。



 子どもたちが牛を追っている風景などはついこの前まで見ることが出来た風景ではないでしょうか?

 天気は回復したし、気温も快適なので気分は良いのですが、どこまで下がっていくのか、そのことだけが不安なのです。まぁ、あれこれ考えても仕方ないので、移り変わる風景を写真に収めながらついてゆきました。



 このような千枚田はサパの風景を形作る大きな要素になっています。あちらを向いてもこちらを見ても千枚田です。その狭いところは人が手を広げたほどもありません。文字通り猫の額ほどの土地をサパの人たちは根気よく開墾していったのでしょう。

 そのとき私たちはどこに向かって歩いているのか、すべてがマーさん任せの私たちは何も知らなかったのですが、結果から言うと「カット・カットの滝」に向かっていたのです。

 その話は次回にします。

高校のクラス会(同期会)

2010年01月27日 | 日々雑感
こうして逢えることは幸せなことです

 今日は高校の同期会でした。昨年秋に案内を頂き、今日の日をとても楽しみにしていたのです。

 正直言えば、現役世代の頃はタカ長のように卒業生の本道からドロップアウトした者は、同級生に会うことにためらいを感じていました。幸か不幸かそのような会合は現役世代の頃には企画されませんでしたが、現役世代を卒業してしまえばそのようなためらいもなくなったようです。案内状を頂いて即出席の返事をしたものです。



 会場に入り、半世紀ぶりに同級生の顔を見て、すぐに〇〇君と分かる人は少数でした。このような人がいたような気がするが、名前と顔が一緒にならないケースが一番多くて、そのほか会合がお開きになっても思い出されない人も何名かいました。

 多くの場合は談笑しているうちにしわだらけになった顔から十代の頃の顔が浮かんできて、それに伴って話も弾んできました。やはり同級生は良いものですね。



 そのとき複数の人から言われたのが、、、、

 「君には数学を教えてもらって助かったよ、ありがとう」と言うような話、、、、、
 タカ長はそのようなことがあったことなどまったく記憶がないのですが、教えてもらった人がいうのだから間違いないのでしょう。同級生に教えるほど出来たような覚えはないんですが、、、、、。



 ただタカ長として思い当たるのは、私はいわゆる出来る子とも出来ない子とも同じように付き合うことが出来ていたのです。
 今回会いたかった一人は学校でも有名な不良だったY君でしたが、そのY君はその当時多くのものが怖くて話も出来ないそんざいでした。しかし、タカ長はそのY君とこわごわでも話が出来ていたのです。何でそのようになるのか分からないのですが、そのような特技を持った子だったことは間違いないのです。中学校の同級生に言わせても同じようなことを言いますから本当なのでしょう。

 

 そんなこともありましたが、とにかく楽しい時間はあっと言う間に過ぎてしまいました。本当に一瞬で過ぎた感じです。これで良いのでしょうか?



 最後に「高校三年生」を歌ってお開きになりました。歌っているのはカラオケ自慢?
 左は陸上部長距離選手、右は柔道部の選手、運動をした人は声が良いのでしょうか?

 学校を出てから半世紀、それぞれの人にそれぞれの人生があり、浮き沈みもあったはずです。しかし、今日こうして逢えた仲間は皆幸せものだ、と言うのが参加者の共通した認識でした。

 同級生122名のうちすでに死亡しているのが20%います。
 体調を崩して参加しなくても参加できない人が何名もいました。
 親の介護をしているので家を空けられない、と言う人もいました。
 連絡が取れないのか住所欄に何も書かれていない人も15名いました。

 今日出席した人は上記に当てはまらない人なのです。それだけで幸せなのです。

 今日のクラス会に出席して自分の知らなかった一面を教えてもらったことがありました。同級生の勉強の進み具合に気を使っていたことなどがその際たるものですが、仲間の目を通して自分を見ることが出来たのは嬉しいことでした。

 失敗(?)と言えば何も考えないでいつもの「ジャンバースタイル」で行ったことです。考えてみればこのグループは田舎の中学校の同級生とは違い、一応優秀な学校を出たエリート(超エリートとは言いませんが、、、)グループなのです。そのためかどうか知りませんが、タカ長のようなジャンパースタイルは1割でその他の人はネクタイ、ノーネクタイの人でもジャケットくらいは着ていました。

 タカ長にとってはこのスタイルは海外旅行のときにも使う服装なのですが、今日くらいはジャケットくらいは着て行けば良かったのではないかと感じたものです。

 そのことで肩身の狭い思いをさせられることがないのが同級生のありがたいことなのですが、、、、、、。


春の観察準備(?)

2010年01月26日 | タカの渡り観察
まもなくノスリがやって来る

 大寒とは言え日差しはだんだん春らしくなってきました。今日のタカ長、ジューヤクさんを誘って裏山を歩いてきました。まもなく始まる春の渡り。山に登ってしまうと展望の良いところが少ない裏山ですが、まったく展望が無いわけではありません。その数少ないポイントにジューヤクさんを案内したわけです。



 そのひとつ、障子岩。

 前方に宮島が見えます。双眼鏡で見ると朱の大鳥居も確認できます。春の渡りでタカ長観察地の南を飛ぶ場合は、ここから見ると右斜面、あの稜線から浮かび上がり、海抜けで左に流れていくことになります。低い場合は市街地をバックに飛ぶので、この場合はタカ長観察地ではとらえ難くなります。

 タカ長観察地から見て、水苔池あたりから低く流れてくる固体は、ここから見ると観察者のすぐ上を流れてくることになります。大当たりの日にここに座っていると、次から次へと流れてくるタカをまじかに観察することが出来るはずです。

 タカ長はここでそのような渡りを見たことがないのですが、今年はタカ長観察地に観察者が多い日にはここで見たいと考えています。と言ってもハチクマの季節は韓国に行く予定なので、ノスリの季節に来ることになるでしょう。と言うことは大当たりは期待できませんが、、、、。



 市街地の部分をズームして、引っ張ってみました。市街地をバックに低く飛ぶタカは左の稜線に隠れてしまいます。それまでが観察時間になります。

 春の観察は3月1日から、と言うことにしています。しかし、過去にも2月の下旬にはノスリが渡っていくのを観察したことがあるので、今春も天気がよければ2月25日には観察地に上がってみるつもりです。それまであと1ヶ月ですが、待ち遠しい1ヶ月になります。

 裏山を歩きながら、その上を飛ぶタカを想像し、だんだんとムードを高めています。


 

ベトナムの旅から~その18

2010年01月25日 | 旅行のことなど
いよいよサパでの探鳥の始まりです

 ラオカイから車で約1時間、サパに着いた私たちは早々に探鳥に出かけます。何しろガイドさんは若いのです。ホテルでくつろいで疲れを取ってから、と言う発想はないのです。対する私たちは高齢者ですが、だからと言ってよぼよぼの老人ではありません。平素から山歩きを続けている私たちの脚力は、平均的なバーダーよりは脚力があることは間違いないのです。

 何度の旅行中何度もマーさんと言い合ったのですが、、、、

 「 I am seventeen,not seventies 」

 70代ではないですよ、17歳です、と言う言い方は、時には反対になって「私は70代です、17歳ではありませんよ」と言って先を行くマーさんに待ってもらったりしましたが、いずれにしてもこの「ティーン」と「ティ」と言う言い方はジョークとしては大うけでした。

 サパで探鳥しているときに出逢ったタイからの女性グループにも「 I am seventeen,not seventies 」と言うジョークは大うけで、彼女たちの前でスキップしながら17歳を演じたものです。

 

 とにかくすぐに出発です。

 ホテルの玄関ではドイツ人らしき人がサイクリングの準備をしていました。その前で二人の女性が物売りをしていますが、彼は相手にしていません。もちろん私たちもまったく相手にしませんでした。

 結論的に言えばその物売りの存在を気にしなければサパは良いところです。物売りが嫌な人はサパに行ってはいけません。それだけは言っておきます。タカ長たちはまったく気にならないし、気にしていないので事情が許せばあ何度でもサパに行くことが出来ます。

 この写真でもうひとつ言えば、頭に赤い布を巻いているのはザオ族の女性です。ベトナムは多民族国家ですが、その服装を見ると何族か知ることが出来ます。サパで一番多いのは紺色の衣装を着たモン族です。



 ホテルを出ましたが小さな雨は降り続いていました。水難の相を背負ってベトナム旅行をしているようですね。本当に旅の前半は雨と一緒でした。



 気にしなければ何ともない雨ですが、しかし、双眼鏡がぬれてしまうので、小さな雨も嫌なものです。レストランのベランダ(この後何度かここで食事をしました)からは、下のほうに木立があり、そこに鳥がいるので接眼部を濡らさないように注意しながら探鳥する事になりました。



 雨を避けるためではないのですが、小さなレストランに入って朝食。朝の5時30分にラオカイについてこれまで何も食べていなかったのです。やや遅めの朝食、と言うことでしょうか。その朝食にはフォーが一番です。薄味が苦手な人にはやや物足りない味かも分かりませんが、西日本の薄味で育った者には最高の朝食だといえそうです。



 朝食を採っている間に明るくなってきました。雨も上がったようです。

 市場を抜けて、、、、、、



 人通りの多い道を下がっていきます。この時点でもマーさん任せの私たちは、自分たちがどこに行っているのか承知していないのです。要するに歩いて坂道を下っているのです。



島根ふるさとフェスタ2010

2010年01月23日 | 日々雑感
どこを向いても人・人・人、、、、、、でした

 明日は都道府県対抗の男子駅伝。その関連イベントとして毎年行われている「島根ふるさとフェア」にはタカ長たちも毎年行っています。今年は天気も良かったからでしょうか、例年より人出が多かったように思いました。

 

 その「島根ふるさとフェア」の楽しみの一つが、県立体育館で行われる神楽を見物することです。これも毎年行われているようです。

 今年は「都賀西子供神楽団」の塵輪をみました。会場に入ったときには神楽団の紹介が終わっていたので、どこの町の神楽団なのか、何歳くらいの子供たちなのかは知ることが出来ませんでした。



 子供とは小学校の高学年?中学生にしては幼い感じの子供もいました。しかし、子供たちが演じる神楽は子供だましのものではありませんでした。目を見張る熱演でした。



 演目の「塵輪」は有名な、人気の演目だと思います。タカ長は神楽のド・素人ですが、その名前くらい知っていますし、どこの神楽大会でも演じられているように思われます。



 14代仲哀天皇の御世、新羅国から数万の兵が日本に攻めてきます。その中に塵輪と言う、身に羽をつけた悪鬼が人民を苦しめます。そのため天皇自らが天鹿児弓(あめかのこゆみ)と天羽々矢(あめのはばや)で、高麻呂とともにその悪鬼を退治する、と言う物語です。

 ネットを見ると鬼は通常2ですが、時には4とか5で演じられることがあるようです。リズムカルで動きの早い舞がひとつの見所になっているようです。



 この子供たちはその塵輪を見事に演じていました。大人の神楽にくらべて遜色ない、と言えばほめすぎになるかも分かりませんが、本当に見事な舞でした。



 このあと大人の神楽が予定されていましたが、会場がいっぱいで座ることが出来ないので見物は止めにしました。席がないので通路でしか見ることが出来ないのですが(舞台の横のほうから見れば見ることも出来ますが)、通路で見ることは遠慮してくれと何度も何度も注意されて気分を害したからでもあります。言われることは理解できますが、くどいくらい指導するのなら席を準備してくれ、と文句のひとつも言いたくなるので、会場を後にしたのです。

 マニアル通りのお願い意をする前に会場の状況をしっかり見る必要があるのではないか?もしくは会場そのものへの入場を制限するべきではないか?

 チョッと気分を害しかかったので、メインの神楽を見なかったと言うわけです。


ベトナムの旅から~その17

2010年01月22日 | 旅行のことなど
サパへの玄関口に到着

 夜行寝台列車の旅は期待していたのですが、お世辞にも快適とは言えませんでした。車両の防音も悪いし、線路の状態も良くないのです。そのため列車が走っている間中ギーギーガチャガチャ、、、、、。通常ならとても寝られたものではないのですが、その時は睡眠導入剤が良く効いたようです。少なくとも5時間は何も分からないまま爆睡しました。



 とにかくサパへの玄関口、ラオカイ駅に到着しました。

 ラオカイはベトナムと中国の国境の町です。サパから帰る日にはその国境を見に行きました。そのことは後日紹介します。



 駅前は多くの車、人があふれていました。ハノイからの列車が着いたこの時間は彼らのラッシュアワーなのでしょう。ここでもマーさんがいないとどの車に乗るのか分からない状態です。



 車に行くまでには何人もの物売りを交わして行くことになります。地図を売っている人が多かったようです。



 やっと車を見つけて、荷物を積み込んでもらって、、、、、

 私たちが利用したこのような車の数もかなりいました。サパはタカ長でも知っている観光地ですから多くの人が集まるのは当然ですが、それにしても予期した以上の車の数でした。



 タクシーの数も相当しましたが、これはラオカイなどに向かう人のためのようです。サパまでタクシーで行く人が皆無とは言いませんが、サパへの道は私たちが利用したような大型車が列をなしていました。



 サパに向けて走っている途中小さな雨が降ってきました。山に入ると天気の回復が遅れているのでしょうか?

 私たちの旅は「水難の旅」なのですね。そろそろ雨とは縁を切りたいのですが、、、、、、。




ベトナムの旅から~その16

2010年01月21日 | 旅行のことなど
夜汽車に乗ってラオカイへ

 雑用にまぎれてベトナムの話が進んでいません。頑張って更新しないと、、、、、、。

 ベトナム旅行第7日目。2009年10月1日。ハノイの観光を終えて私たちはサパに行くためにハノイ駅に行きました。



 GA HA NOI。ガハNo.1ではありませんよ。GAはベトナム語で「駅」の意味なのです。「ガ・ハノイ」とは「ハノイ駅」、現地時間の20時30分頃です。列車の出発までには1時間以上ありますが、色々あって飛行機並みに(?)早い時間に駅に行きます。



 日本的な考えでは上の写真のビルの中に改札口があり、そこを出るとプラットホームがあって、案内板が色々あって自分の乗りたい列車のところに行くことが出来ますが、、、、、、

 上の駅ビルの右側にほとんど90度の角度で建っている建物が改札口でした。このようなことになるとベトナム語の読めないタカ長たちはお手上げです。すべては神の思し召し、、、、いや、いやガイドのマーさんにおんぶに抱っこです。



 改札口を出ても日本のようなプラットホームはありません。貨物列車みたいなものの横を通って、街中の操車場のようなところに行きます。そこに何本もの列車が止まっていました。そのうちのどれかが私たちの乗る列車のようです。



 タカ長はこのような雰囲気が好きなのです。ヨーロッパの映画のシーンをみるような雰囲気もあります。ここはゆっくりと写真を撮りたいのですが、マーさんから遅れたらどの列車に乗るのかわからなくなるのでそれもできません。

 このあたりの雰囲気は絵になるとは思われませんか?



 急ぎ足で行くと先を歩いていた仲間が列車に乗っていました。これが私たちの車両のようです。

 ステップに足をかけて登るような感じで列車に乗り込みます。乗った反対側が狭い通路になっている個室寝台車です。通路は狭くて気分的には小さくなって移動する必要があります。

 

 個室、と言っても三段ベットが左右にある、一部屋6名の個室です。私たち6名が一部屋で、マーさんは隣の部屋でした。ベットの間隔も狭くてゆっくり座ることも出来ません。旅行カバン6個を収納するのも大変でした。ここは若いマーさんが大活躍で、ほとんど彼に収納してもらいました。

 隣の部屋のマーさんが用事があって部屋を空けるので荷物の番を頼まれました。彼の部屋に座っていると一人の男の人が入って来ました。話しかけるとハノイの人でした。仕事関係でラオカイに行くようでした。

 彼と日本の広島から鳥を見るために来ていること、バクマ国立公園に行ったが台風が接近してきたので予定をキャンセルしてハノイへ帰ったこと、フエでは死者が23名いたことなどを話しました。
 彼によると最新情報では死者が44名になると言っていました。短い時間の話でしたが、彼の話す英語はマーさんの英語よりはるかに聞きやすくて、顔を突き合わせるような狭い部屋に向かい合っていても楽しいひと時を過ごすことが出来ました。

 自分たちの部屋に帰ってしばらくしていると列車は何の前触れもなく動き始めました。日本のようにくどくどしたアナウンスはありません。

 とにかく私たちはハノイを離れ、私たちの旅の一番の目的地であるサパの入り口の町、ラオカイに向けて出発しました。


和白そして志賀島

2010年01月19日 | バードウォッチング
午前は今津、午後は和白そして志賀島

 1月10日、今津での探鳥を終えた私たちは和白に向かいました。福岡市の西のはずれから東の端への移動です。都市高速を上手に使うことが出来なかった頃、または都市高速が今津の近くまで伸びていなかった頃は移動に手間取りましたが、今はあっと言う間に和白に行くことが出来ます。交通網が整備されたことを実感しますが、その度に思うのがわが広島の道路事情の悪さ、本当に腹が立つことを通り越してあきれ返ります。



 干潟のあるところに探鳥に行く場合は潮の状況を見て行くのが常識でしょうが、今回は鳥を見ることはあくまで「従」ですから、鳥的には良くなくても仕方ありません。

 潮の状況は別にして、和白の環境は思った以上に良かったです。今津が変わってしまっていたので、和白も鳥を見る場所ではなくなっているのではないかと心配していたのですが、そのようのことはありませんでした。



 海岸の道はこのように整備され、植林された松を風から保護するためのシートが視界を邪魔していましたが、この道の外れには探鳥に適した場所もあり、環境的には問題ないように感じました。



 タカ長の記憶にはこのような看板はありません。かなり長いあいだご無沙汰していますから、その間に設置されたものなのでしょう。福岡の探鳥地としては今津より和白、それが今回の正直な印象です。



 和白のお目当てはこのミヤコドリ。距離はありましたがしっかりとゲットすることが出来ました。クロツラヘラサギもいると言う情報もあったようですが、私たちは確認することが出来ませんでした。



 和白のあとは志賀島。志賀島ではこの岩礁のあたりがポイントになります。海のそばの小さなレストランがある所です。そう言えばバーダーには分かって頂けるはずですが、そのレストランは倒産したのか廃墟のようになっていました。
 探鳥するときはそこの駐車場を遠慮なく利用できるので助かりました。

 ここではオオハムやシノリガモ、クロガモなどが狙い目になります。前者はシッカリとゲットできましたが、クロガモは確認することが出来ませんでした。

 また、この岩礁の上で休んでいるヒメウを見ることもここでの狙い目になります。今回も3+のヒメウを確認しました。

 福岡で確認した鳥

 今回の旅で確認した鳥は下記の通りです。この結果でよいのか悪いのか良く分かりませんが、数としてはまずまずではないでしょうか。1月11日の朝志賀島の塩見公園に上がって見ましたが、天気が良くなかったためか野山の鳥を多く見ることが出来ませんでした。今津の環境変化とともに、このことが野山の鳥をゲットできなかった原因かも分かりません。

 バードソンをしているのではないので何種見られても良いのですが、、、、。縦長の配置になりますが参考のためにご覧下さい。


          オオハム
          カイツブリ
          カンムリカイツブリ
          ウミウ
          ヒメウ
          ダイサギ
          コサギ
          クロサギ
          アオサギ
          ヘラサギ
          クロツラヘラサギ
          ツクシガモ
          マガモ
          カルガモ
          コガモ
          ヨシガモ
          オカヨシガモ
          ヒドリガモ
          オナガガモ
          ハシビロガモ
          ホシハジロ
          キンクロハジロ
          スズガモ
          シノリガモ
          ウミアイサ
          ミサゴ
          トビ
          ノスリ
          ミヤコドリ
          シロチドリ
          ダイゼン
          タゲリ
          ハマシギ
          ミユビシギ
          アオアシシギ
          イソシギ
          ホウロクシギ
          ユリカモメ
          セグロカモメ
          オオセグロカモメ
          ウミネコ
          ズグロカモメ
          ウミスズメSP
          キジバト
          コゲラ
          ヒバリ
          キセキレイ
          ハクセキレイ
          セグロセキレイ
          ビンズイ
          ヒヨドリ
          モズ
          ジョウビタキ
          イソヒヨドリ
          シロハラ
          ツグミ
          ウグイス
          エナガ
          ヤマガラ
          シジュウカラ
          メジロ
          ホオジロ
          オオジュリン
          カワラヒワ
          スズメ
          ムクドリ
          ハシボソガラス
          ハシブトガラス

今津での探鳥~その2

2010年01月18日 | タカの渡り観察
タカ長には魅力半減の今津です

 都市化することで魅力半減の今津、野鳥の写真を撮ることも出来なくて、クリークの水面に写るパターンとその中を泳ぐ鳥たちを狙ってみました。



 ハシビロガモ。

 このような写真は水面のパターンが複雑すぎるのでしょうか?野鳥写真のつもりではないのですが、何となく画面がスッキリとしてません。



 これも同じようなものです。ハシビロガモを撮ろうとしたのですが、この2羽が思うようなところに行ってくれません。それぞれのカモも勝手な行動をとるので良いチャンスが見つかりませんでした。



 こんな写真が良いのやら悪いのやら、、、、

 ただ単にお遊びです。鳥の写真としてみればバックが複雑すぎて落第でしょうが、バックのパターンを写したのであれば、、、、、。それなら鳥の大きさが中途半端ということになるのでしょうか?



 これも同じようなものですが、暇つぶしのお遊びなので多くを期待していないのです。



 鳥の写真としてみればこの程度でもバックが複雑なのでしょうか?

 鳥の写真を本格的に勉強していないのでタカ長としては何とも言えません。ハッキリ言えることは、何でもチョッと本気で撮ろうとしたら難しい、と言うことでしょうか。これでは何のメッセージにもなりませんね。



 旅のつれずれ、タカ長の写真はこの程度のものです。

 くどいようですが、今の今津はわざわざ広島から鳥を見に行く場所ではなくなっていると言うことです。あまりハッキリ言うと福岡の人に叱られるかも分かりませんが、しかし、福岡の人は私たち以上に今津の良いところを知っておられるはずです。かつての良い姿をご存知の人ほど、今の今津の姿に失望されているような気がするのですが、いかがでしょうか?