山歩きには暗黙の了解事項がありました
今日も雨です。いい加減どうにかしてくれ、と言いたいのですが相手がお天道さんではどうにもなりません。猛暑日続きの夏も、暑いのが苦手なタカ長には困りもので好きではありませんが、しかし、そろそろ夏らしくならないと、、、、、、、。
昔のことを言いたくなるのも加齢現象かも分かりませんが、例の大雪山系の遭難事故があって山歩きのことをいろいろ考えているのです。
私が山歩きを始めた頃は登山者のあいだにある種の暗黙の了解がありました。この写真は冠高原から寂地山を目指して歩いているところです。特別な技術も経験もなくても歩くことが出来るコース、と言っても良いでしょう。そこに至るまでのアクセスは今と当時ではまったく違いますが、山を歩くことそのものには特段の変化は無いはずです。
しかし、私が山歩きを始めた頃には登山者のあいだに暗黙の了解事項がありました。標高の低い広島の山とは言っても、県北の山にいきなり連れて行ってくれとは言えない雰囲気みたいなものがありました。広島市近郊の山をある程度歩いた人でないと県北の山に連れて行ってくれとは言えませんでしたし、また、その資格のない人を連れて行ってくれる人もいませんでした。
法的な規制とか山の会の会則などにうたわれているのではありません。登山者同士の暗黙の了解事項なのです。そのようなものが確かに、厳然としてありました。
標高の低い広島の山の世界でもそうでしたから、同じような暗黙の了解は全国にあったはずです。広島だけのことではありません。
しかし、中高年登山ブームと言われる現在、そのような暗黙の了解みたいなものはまったくありません。低い山から高い山へ、やさしい山から困難な山へ、階段を登るようにステップを上げていく発想そのものがなくなっているような気がします。
山を始めた途端に百名山を目指すことも可能で、ツアー登山を利用すれば簡単に百名山を登るシステムが出来上がっています。私たち「暗黙の了解」があったことを知る登山者には恐ろしいことですが、中高年になって山を始めた人はそのような意識すらないはずです。
経験者づらをして偉そうなことを言うようで嫌なのですが、何をするにも段階を踏む必要がありますし、特に最悪の場合は生死を分ける局面に向き合うこともある山登りにおいては、このことはより慎重に考えないといけないことなのです。
広島県の最高峰、恐羅漢山をめざして立山スロープを登っているところです。当時の恐羅漢山登山はふもとの古屋敷の民宿に一泊して登るのが常でした。先輩たちが古屋敷のを歩いている写真を見て羨ましく思ったことをいまだに忘れることが出来ません。半世紀を経たいまでも忘れられないくらい羨ましく思っても「連れて行ってくれ」とは言えなかったのです。
旧羅漢から西中国山地を見たところです。このような山を見ることは当時の初心者にとっては「夢のまた夢」の世界だったのです。
いまの日本はどこでも当時と違って山までのアクセスが格段に良くなっています。そのことがあだとなって「暗黙の了解」が無くなったのでしょうか。当時の状況では山に登る前に、登山口に着くのにも最低限の体力が必要でしたから、初心者がうかつに山に近づけなかったのでしょう。そのためにそのような「暗黙の了解」が出来ていたように思っています。
今ではその気になれば明日にも百名山に登ることが出来ます。しかし、そのことはステップを踏んで行くことの重要性を無視しても良い、と言うことには決してならないのです。そのことは絶対に忘れてはいけないことです。
私の知人が百名山を完登しました。この人が、と私には「?」を何個も付けたくなる人です。
私の危惧は当りました。その人は山で膝を痛めていまは車椅子で生活するようになっているそうです。山は自己責任の世界ですが、それにしても罪作りな百名山ブームですね。