タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

久しぶり(?)の裏山

2019年05月31日 | 山歩きから
仲間たちとの裏山歩き、久しぶりに参加したような気分です。

天気がハッキリしなくて、そのためかどうか、頭の中が半分眠っているような気分なのでそのように感じるのかも分かりません。

とにかく、タカ長には、仲間たちと歩く久しぶりの裏山歩きです。

    

オオルリ沢を渡り涸沢へ。ここで本隊と別れる感じで後に残ったのは22クラブの4名です。

その4名は本隊に遅れて、、、、、

    

いつもの所まで歩き、そこで小休止。

    

タカ長は名前の知らないこのようなキノコの写真を撮って引き返し、、、、

    

カフェ46へ行きました。

そのそばでセンダイムシクイが鳴いていましたが姿は見えず、、、、

そこに腰を落ちつけて、カワラヒワが飛びまわるのを見ながら、、、、、

    

マスターがコーヒーを入れてくれるのを待ちました。

この時間に鉄塔の下で雨宿りする程度の雨が降りましたが、そのあめもすぐに上がり、4名がおしゃべりしながら本隊の到着を待ちました。

本隊も天気が悪いので予定を短縮して、サンコウチョウの姿を確認しただけで、すぐにカフェ46にやって来ました。

そして、、、、みんな揃っておしゃべり、今日はおしゃべり時間が十分ありました。

山を歩きに来ているのか、おしゃべりしに来ているのか分からない状態ですが、私たちの「健康登山」はこれで十分だと思っています。

1回1回の山歩きは小さなものでも、それを継続すると大きな力になる、というのが私たちの思いなのです。

    

おしゃべり会を終えて、記念写真を撮って、みんな揃って帰ります。

タカ長にとってはチョッと物足りない山歩きのはずですが、その割には何となく疲れたような気がします。

寝不足なのか、それとも眠りすぎなのか、はたまた天気のせいなのか、とにかくぼんやりしています。



裏山大外回り

2019年05月29日 | 山歩きから
昨日は雨で予定していた山を中止しました。

そのまま金曜日まで歩かないと間が空きすぎになるので、今朝早く裏山を歩いてきました。

登山口から二郎杉を見て尾根に登り、障子岩➡50番鉄塔➡71番鉄塔➡大杉峠➡中国自然と歩き、いつもの駐車場に帰ってきました。

イメージ的には2万歩超ですが、スマホの歩数計を見ると17.000歩になっていませんでした。

そのような裏山歩きですが、いつもの駐車場から見ると、向かって左に見えるピークに登り、主稜線を歩いて右向こうの峠に下り、ふもとの道を延々と歩いて帰るので、地図で見ても、イメージ的にも裏山の「大外回り」になるのです。

それで1.7万ほ歩にならないのですから、わが裏山は狭いのです。

    

登山口のそばの沢を渡り、二郎杉の尾根を登ります。

体が目覚める前のキツイ登りです。そのため超スローペースで登ります。

    

二郎杉を見て尾根に登り、小さなピークを越えて、、、、

    

障子岩に行きます。向こうの島が安芸の宮島です。

その向こうに周防大島。特徴ある嵩山が良く見えました。

    

それから50番鉄塔に行き、主稜線を歩いて、、、

    

71番鉄塔から窓ヶ山や大峰山の写真を撮りました。

その大峰山ですが、71番鉄塔のまわりが茂ってきたので、山頂部だけがチョコンと見えるだけの状態になっていました。

    

大杉峠に下りて、荒谷林道を「イチゴの食べ放題」しながら歩き、、、、

いつものように中国自然歩道コースを帰ってきました。

すべてが定番コースですが、裏山に向かって左端から右端まで一度に歩くことは多くありません。

山ではいいこともありました。それがこれ、、、、

  

ホイホイホイとは鳴いていませんでしたが、例の「ギーギー」というような声でその姿を見つけ、、、

タカ長のあやしい目でよく見ると、案外近いところにいました。双眼鏡も、カメラらしいカメラも持っていなかったので、、、

しばらくはそのサンコウチョウの動きを追っていました。そのうち、、、

ポケットに入るコンデジで撮ってみる気になり、4枚撮ってみたら、このような証拠写真が3枚撮れていました。

写真を撮るチャンスはいくらでもあったので、それなりのカメラを持っていたらベルさんのような写真が撮れていたはずです。

そう思うと残念ですが、カメラがあってもウデが悪いと撮れないので、これはタカ長の負け惜しみみたいなものです。

    

コアジサイも咲き始めていました。

広島より先に北海道が真夏日を迎えるような、今年も天気の動きがおかしいようですが、普通に行けば間もなく雨の季節がやって来ます。

その季節でも鳥や花を見ながら山歩きが出来るよう願っています。

今年こそ豪雨災害のない日本であってほしいですね。


知らぬが仏?

2019年05月28日 | 山歩きから
散髪に行ってきました。タカ長だってそれなりに頭髪があるのです。

その散髪屋のお兄さんが山好きで、話題はいつも山のことになります。

今年のGWには投入堂や蒜山高原に行ってきた、というようなことから話が始まり、、、、

それぞれの登山情報を交換することになります。

    

タカ長が勧めたのは4月に行った英彦山。なかでも望雲台が面白かった、、、、

というようなことを話すと、さっそく彼はスマホで望雲台を見ていました。

その画像を見て「ここを登ったの?」と驚いた様子でした。

タカ長たちが登ったことは4月17日の記事で紹介しました。

その時は登山する気になっていたので、緊張はしましたが怖いとは思いませんでした。怖いとしたら、あの狭い望雲台で体の向きを変え、下山のための、最初のワンステップを踏み出す時でした。

あの時は緊張しましたが、久しぶりに登山をした気になりました。最近は岩場を避けるような登山をしているので、あのような緊張感を味わったのは本当に久しぶりのことです。

    

散髪屋から帰ってネットを見ると、いろいろな投稿がありました。

この右下も断崖絶壁で、ここも怖かったと書いた人もいますが、私たちは普通に歩いて行きました。

それは強がりでも何でもないのですが、ドローンで撮影された動画新緑の英彦山を見ると、自分たちが行ったところはとんでもないところであったことが分かりました。

我ながらよく行ったものです。この動画を事前に見ていたら、望雲台に行こうとも思わなかったはずです。

まさに「知らぬが仏」ですね。あの望雲台にザックを担いで登り、あの上でコーヒーブレイクをしようとしたなんて、勉強不足もいいとこです。

しかし、勉強不足のために登れたわけですから、、、、それに緊張しただけで、自分たちには荷が重すぎる登山をしたわけではないので、、、無謀な登山とは思わないでくださいね。

    

無事に終わってみればいい経験でした。この先あのようなところに登ることはないはずですから、わが山人生最後の緊張登山になるはずです。

散髪屋のお兄さんは若いので日帰り可能、高住神社から英彦山の北岳に登る前に、、、、というようなことを説明したら、、、

彼は「ここだけでいい、ここだけでいい」と言っていました。

    

あの望雲台から下りて腰を抜かしたわけではありませんよ。

緊張から解放されて、高住神社の裏で野鳥の声を聴きながら休憩しているところです。

小さいとはいえ、一つの山を下りてのんびりするのは至福の時でした。

人のまねして

2019年05月27日 | 山歩きから
読書の夏(?)到来です。

先日、「元気に下山」(五木寛之著・宝島社新書)を読んでいたら面白い川柳が紹介されていました。

五木寛之のもとに届いた、日本転倒予防学会からの資料に「転倒予防川柳」というものがあり、下記の3句が紹介されていました。

   上がらない 年金こづかい つま先が    静岡県 石川芳裕

   つまづいた むかしは恋で いま段差    長崎県 福島洋子

   つまづいて 身より心が 傷ついて     神奈川県 横溝彩子

川柳には不案内なタカ長ですが、どれも身につまされる名句だと思われます。

そこでチョット人まねしてタカ長も、、、、、。

    

いつまでも、むかしの栄光を追うのが年寄りの悪い癖です。

    

加齢とともに膝も上がらなくなりました。つま先も上がらなくて、いつもおっかなびっくりの山歩き。

心拍数を上げるのは簡単ですが、例の病気の前科持ちですから、エンジンの回転を上げないように、のんびりと歩いています。

    

落ち葉道の下りが怖い、というのは藪山歩きをしている高齢登山者の共通認識ではないでしょうか?

いわゆる、有名な山ばかり歩いている人にはご理解いただけない感覚だとおもいます。

その落ち葉のうえにうすく雪が積もると最悪の状況になり、高齢登山者泣かせの下山になります。

    

とか何とか言いながら、これからも山歩きだけは継続するつもりです。

いつまで続けられるかは「神のみぞ知る」ことですが、タカ長はいつも「とりあえず90歳まで」としています。

間もなく満80歳、八十路の山の山景色はどのようなものか、、、、

同じ見るのならいい景色を見たいですね。

つま先上がらずつまずいて、、、、、というようなことにはしたくないのですが、、、、、、、。


10年前は

2019年05月26日 | 山歩きから
      

10年前、2009年5月の十方山山頂です。

先日は6名で登った十方山ですが、この時は15名参加していたようです。この画像の外にも仲間がいます。

    

その時は獅子ヶ谷のルートを登りました。そのルートが定番コースなのです。

十方山には何度も登っているので、2009年限定の思い出はあるような、無いような感じですが、、、、

参加したメンバーの顔ぶれは変わっています。何らかの事情で山に来なくなった人も何名かいます。

    

2009年の山ではいわゆるアルプス銀座コースを歩いたのが最高の思い出です。

その10年前の山のことを思ったのは、「とりあえず90歳まで山を歩く」と公言しているからです。

このところ、ますます時の流れが速くなり、1年くらいあっという間に過ぎる感じですが、、、

間もなく満80歳の誕生日を迎えるタカ長は、90歳まで山を歩くためには、とりあえずあと10年頑張らないといけません。

それなら、10年前は何処へ行ったか、と思って古い写真を見たのです。

あの山から10年かぁ、、、、、。あのときよりは脚力も落ちているはずですが、自分の意識の中ではあまり変わらないような気もして、、、、

この状況ならあと10年くらい何とかなるよね、というような気がします。

と公言しても、明日が分からないのが私たちの人生であることは皆分かっているので、もし、公言通りにならなくても本気で怒る人はいないはずです。

    

穂高の山です。涸沢が良く見えますが、この年の雪渓は平年より豊かなのでしょうか?

マイペースで歩くことが出来れば涸沢までは行けそうな気がしますが、、、、最近の穂高は登る人が多いようで、、、、

あの人の多さには辟易します。腰が引けてきます。

    

あの頃は毎年のように、10名以上の仲間たちと北アルプスに出かけていましたが、いまは出来ません。

4月の英彦山のような登り方、二人か三人でゆっくり歩けば、登れる山もありそうですが、このところの夏は暑すぎて、登山口につく前に暑さ負けしそうです。

10年前も今と同じように、近郊の山歩きが多くて、夏には渓流遊びもしました。

この時はメンバーの孫も参加しました。ここに写っている孫は、いまは高校生です。

そのような思い出をたどれば、10年くらいあっという間で、タカ長の脚力が落ちる前に次の10年が過ぎてしまいそうです。

というようなことを考えながら、とりあえずは目の前の山をこなしてゆくつもりです。


緑陰登山

2019年05月24日 | 山歩きから
テレビから「真夏日」とか「熱中症」とかいう言葉が聞かれるようになりました。

今日も真夏日を記録したところは多く、広島県でも何ヶ所かで記録したようです。

そのような日に山に登りました。

    

今日の山は天上山です。標高1000メートルに満たない山ですが、その割には山深い感じのする山です。

その山へ北側の龍頭峡から登りました。

いつか紹介した、ウォシュレットのあるトイレの前に車を置いて登り始めると、いきなりの急登が待っています。

汗かきのタカ長はここで汗だくになります。それでも黙々と登って行きます。

    

    

登りながら考えました。前回登ったのは落葉樹が芽を吹く前でした。

そのためあちらでもこちらでも太陽の光を感じながら登ったような、そのような印象があります。

しかし、この時期になると落葉樹は若葉をいっぱいに広げています。

    

    

と言うことは、登山道のほとんどが緑陰の道になると言うことです。

汗かきで、つばのついた帽子をかぶることが好きでないタカ長は、出来るだけ帽子をかぶらないようにしています。

帽子のつばがあると視界が狭くなるように感じるのが理由の一つですが、体温を放出するためにも出来るだけ帽子をかぶらないようにしているのです。

山の登り方としては良いことではないかもしれませんが、とにかくそれくらい汗かきなのです。

    

    

その意味でいえば今日のコースは最高でした。

車を下りてから山頂まで、直射日光の下を歩くことはほとんどありませんでした。まさに「緑陰登山」です。

    

今日は龍頭峡から登ったので、それなりにキツイ登山になりましたが、、、、

横着をする気なら車でこの森の上までやって来れば、ひどい汗をかくことなく巨樹巨木のある森を楽しむことが出来ます。

そのような楽しみ方をするのもいいかも知れません。自然は皆のものですから、それぞれの人が自分のできる方法で楽しめば良いのだと思います。

    

シライトソウ、だと思います。登山を始めてすぐに見つけました。

タカ長は植物に疎いので、出来るだけ確定的ことは書かないことにしています。変なことを書くと仲間から指導が来るからです。

これは「正解」ですか?

    

フタリシズカの小さな群落もありました。

しかし、全体的に見たら、花の方は期待したほどではありませんでした。

と言うことは、この山のこのコースは森を楽しむコース、と言えそうです。


    

フィッシングメール

2019年05月23日 | 日々雑感
    

タカ長のパソコンに入ってくるフィッシングメールが最近多くなったように感じています。

怪しげなメールはすぐに削除しているので被害は受けていませんが、連日のように届くとついふらふらっと、、、、、

ということになりかねないので、注意の上にも注意が必要ですね。

そのフィッシングメールも英語が届くようになりました。その冒頭の部分です。

I'm is very good programmer, known in darkweb as dermot28.
I hacked this mailbox more than 3 months ago,
through it I infected your operating system with a virus (trojan) created by me and have been spying for you a very long time.46icaon1lyhozlhfslwhtr
x6lvko1tqojobdgzesxemvI understand it is hard to believe, but I have full access to your account:・・・・
You can check it yourself, I'm wrote you from yours account!7zq2gaapwdnbhzmlbnc9gc


このようなメールが届いてもその概要しか理解できないタカ長、さっそくコンピューターで翻訳しました。

私は、darkwebでdermot28として知られている、とても良いプログラマーです。
私は3ヶ月以上前にこのメールボックスをハッキングしました、
それを通して私は私が作成したウイルス(トロイの木馬)にあなたのオペレーティングシステムを感染させ、あなたのために非常に長い時間スパイしてきました。
私はそれを信じるのは難しいと理解していますが、私はあなたのアカウントへのフルアクセスを持っています。
あなたはそれを自分でチェックすることができます、私はあなたのアカウントからあなたを書いています。


タカ長のパソコンをハッキングしても金になる情報など何も入っていません。それでもこのようなメールが来ます。

嫌な時代になったものです。

    

ネットの世界では悪いことをたくらむ人が鵜の目鷹の目でカモを探しているのでしょう。

その手口も色々あるはずですから、あやしいと思ったメールは開かないこと、すぐに削除ですね。

フィッシングメールの通りだったらクレジットカードの期限が切れていたり、アカウントが凍結されてネットでの買い物は出来ないはずですが、、、

そのようなことはまったく無くて、今日もネットで買い物をしました。

    

あやしいメールが来たらフィッシング対策協議会に転送しています。

そこでめでたく(?)フィッシングメールであることが確認され、フィッシング対策協議会のホームページで紹介されました。

このようなことにうといタカ長としては、フィッシング対策協議会の情報を参考にしながら、被害防止に努めるつもりです。

嫌な世の中になった、と嘆いていても何も始まりません。

皆で協力してフィッシングメールの被害にあわないようにしましょう。


展望の峰から

2019年05月22日 | 山歩きから
    

昨日登った十方山の山頂です。

遠くからこの山を見ると、船をひっくり返したような台形の山に見えます。顕著なピークは見えません。

しかし、そこからの展望は抜群です。そのことは昨日も書きましたが、あまりいい書き方をしなかったので、、、、、

「西中国山地」(桑原良敏著:溪水社)を開いてみました。そこには下記のように記されています。

十方とは、言うまでもなく東西南北の四方と、乾坤良巽の四偶と上下の二方を合わせた方向を言い、<十方山>という山名は<十方の展望をよくすることのできる山>という意からでたものと思われる。この平坦な山頂からの展望がよかったということは、山名がつけられた頃から、山頂は現在と同じようにササ原であったということなのだろう。

これを読んでいただくと、この山が昔から展望の良い山だったと言うことが理解されると思います。

    

芸北山群と言われているこのあたりには、聖山というササ原の山がありました。

秋のススキの時期は特に美しく、恐羅漢山のふもとから聖山のそばの十文字キビレを通って、樽床ダムから三段峡を歩いて5時ころのバスに乗る、チョッとハードなロングコースを歩くときにも、十文字キビレから走るようにして聖山の山頂を往復していました。 それだけの魅力がある山だったのです。

だったのです。そうです、いまは木が茂ってその面影はまったくありません。ススキの聖山に登った経験を持っている人は、いまではごくごく少数派になっています。

    

十方山の山頂部はいまもって「十方の展望」を楽しめるのに、同じように展望抜群だった聖山がたったの何十年かの間に樹林山になった、この二つの山のことをタカ長は説明できませんが、、、

芸北山群から展望の山が一つ消えたことは今もって残念に思っています。

十方山には若いころから登っているので、多くの思い出があります。その中で、、、、

毎年ゴールデンウイークころゆであずきの缶詰と砂糖を持って登っていたのが良い思い出です。標高の低い十方山ですが、谷すじにはそのころでも残雪があり、それを取ってきて「宇治金時」を作っていたのです。

正しく言えば宇治金時もどきかも分かりませんが、それでも山頂でのひと時を楽しむための大切なスイーツでした。

    

昨日も書きましたが、この水越新道は足にやさしい道で、高齢登山者向きに拓かれたルートのように感じました。

わが裏山にこのようなルートがあれば、毎日でも山歩きをするのですが、、、、

そのような山歩きをするにはチョッと遠いのが残念です。

    

昨日走った十方山林道が改良されれば良いのですが、5月3日に歩いた時より路面は悪くなったような気がしました。

たった1回の雨で状況が大きく変わるのが、未舗装の林道なのでしょう。

林道の状況のことをタカ長が心配しても始まりませんが、、、、

とにかくいいルートなので、これからもあのルートを登るつもりです。

あのルートを教えてくれた歌姫さんに、感謝、感謝ですね。




新緑の山歩き

2019年05月21日 | 山歩きから
最高の山歩きをしてきました。

天気は晴れで、風はさわやか、先週末まで天気予報が悪くて中止することを考えていたのがウソみたいでした。

その上、足にやさしい登山道、何から何まで文句なしの山歩きでした。

    

その山は広島県の最高峰、恐羅漢山の隣の山と言っても良い十方山です。

青春のころまで話を戻すと、これまで何回登ったか分からない、広島の登山者なら誰もが名山という、近郊では有名なやまです。

    

今日のルートです。この山の美味しいところだけ歩いてきました。

このルートは「水越新道」と言われているようですが、そのことを知ったのは先日一緒にハチクマを見た歌姫さんのブログを読んだからです。

歌姫さんたちは健脚なのでロングコースを歩かれたようですが、タカ長たちはご覧のような往復登山でした。

恐羅漢山のふもと、横川(よこごう)谷側から十方山に登るルートは獅子ヶ谷にありました。上の地図の点線がそのルートです。

しかし、そのルートは荒れてきて、歩きにくくなっていました。そのために新しいルートが拓かれたのだと思いますが、その経緯は知りません。

    

    

新しく拓かれたルートは最高でした。この画像でもお分かりいただけると思いますが、ゴツゴツとして岩のない、足にやさしい柔らかい道でした。

このルートなら80歳を超えても楽勝で歩けるような気がします。

    

    

今日は新緑が最高でした。空気がクリアで木の幹も枝もいつもよりハッキリと見えました。

そのような森の新緑の下を登って行くのですから悪いはずがありません。登山道も「急登」と言われるところは一つもないのです。

夏鳥も鳴いていました。オオルリ、キビタキはもちろんですが、コルリもさえずっていました。

どの鳥も、距離的には遠くではないはずですが、、、、、

    

写真に撮れたのはこのオオルリだけです。木の間から運よくゲットすることができました。

    

登山口と山頂との標高差は400メートル足らずですから、終始このような新緑の下を歩くことになります。

山頂に近づくと木の密度が若干うすくなるのか、、、、、

    

    

見上げるとこのような新緑を楽しむことが出来ました。

ご覧のように、一年で何度も出会うことがないような好天です。

    

これまでのルートとの合流点まで登ると山頂はすぐその先です。

ここもご覧のような新緑、この新緑を見ながら、足にやさしいルートを登ると、今度は紅葉の頃に来たくなりました。

獅子ヶ谷のルートが荒れて、十方山へ登る意欲が減退していたのがウソみたいです。

    

ゆっくり歩いても11時には山頂につきました。展望抜群の山頂です。

四方八方という言葉がありますが、その「八方」よりもまだよく見えるので「十方山」だというような話を、そのむかし聞いたことがあります。

今日も広島湾の海が見えました。日本海側は、あの尾根の向こうは海だと思えるところまでは見えましたが、タカ長の裸眼ではハッキリと確認できませんでした。

何度も登ったこの山頂ですが、ここから瀬戸内海と日本海を同時に見たことはほんの何回かしかありません。

それだけに、広島湾だけでもハッキリと見えるのは貴重だと思いますが、、、、

仲間とおしゃべりばかりしていたので、写真は1枚も撮っていませんでした。

タカ長の登山報告はこんなものです。




今ころ気がついても

2019年05月20日 | 日々雑感
4月に九州へ行き、英彦山と古処山に登ったことは紹介しました。

その他にも近くを観光したり、潮が悪いことを承知で有明海に行ってみたり、プライベートな野暮用を済ませたり、、、、

3拍4日の旅にしては内容が濃いものだったのです。

そのすべてを紹介するつもりはないのですが、ここだけは、というところがあり、あれから一ヶ月以上が過ぎて、やっと記事にする気になりました。

    

その場所はここです。飯塚市にある「旧伊藤伝右衛門邸」です。

タカカノは時間があれば行ってみたいと思っていたようですが、タカ長がそのことを知らされたのは2日目に望雲台を下りてからのことです。

望雲台を下りて、今回の英彦山登山を終えて近くの道の駅で昼食を済ませるころには雨になり、、、、、

それならば、これからは観光時間、というわけです。

それは良いのですが、その道の駅には欲しい観光資料はなくて、あるのは車の中にある「SAでもらった地図」だけです。

それだけの資料で、事前に調べていない所に行けるわけがなく、とりあえず飯塚に向けて走り、、、

途中の道の駅によって、そこで観光案内の人に無理を言って、関係資料をコピーしてもらい、、、、

人さまに迷惑をかけてからやっとのことで、、、、、

      

目的地に着きました。この書は麻生副総理によるものです。

タカ長が筑豊の炭鉱王、伊藤伝右衛門のことを知ったのはNHKの朝ドラを見てからですが、だからと言ってそれ以上のことを調べたわけではありません。

だから、あの朝ドラの舞台になったところに来たのかぁ、という程度の思いしかありませんでした。

    

それは仕方ないとしても、旧伊藤伝右衛門邸のことを紹介するつもりで、九州で撮影してパソコンに取り込んだままの画像を見たら、、、、

国指定名勝の庭園の写真と、そこから先の4月14日の画像がまったくありませんでした。

何故そのようなことになったのか、今となっては分かりません。撮影した画像はすべてパソコンに取り込んだつもりなのですが、、、、、。

    

本座敷です。

現地で買ったパンフレットには何故か本座敷についての説明はありません。

    

次之間から見た庭園です。

この庭園も自由に見ることが出来、そこで何枚もの写真を撮ったのですが、あの写真はどこへ行ったのでしょうか?

    

朝ドラの影響でしょうか、柳原白蓮が使っていた2階の部屋はゆっくりと見ました。

白蓮を迎えると伝右衛門邸には大幅な増築が施されます。2階部分は大正2年~6年に行われたこの増築工事で整備されたとされ、白蓮の使用を前提に庭園の景観を意識し、随所に繊細な細工や装飾をちりばめて独特の風情を醸し出しています。天井を見上げても建具をつぶさに観察しても、さまざまな工夫や技に出会うことができます。

パンフレットにはこのように紹介されています。

    

タカカノも興味津々ですが、このパンフレットが売られていることを知ったのは伝右衛門邸を出るときです。

この種のものがあるのなら、事前に求めるべきですね。

    

    

と言って、山を下りてからの観光、それもこの旧伊藤伝右衛門邸だけでなく、炭鉱博物館も見たり、そのあと遠賀川の河口まで足を伸ばそうとしているのですから、あまり時間がなかったのです。

1日という限られた時間の中で山を歩いたり、観光したりしたいのですから、私たちは欲が深すぎるのです。

    

白蓮も2階の部屋からこのような庭園を見ていたのでしょう。

どのような気持ちで見ていたのか、タカ長にあるのは朝ドラに描かれたところが記憶に残っているだけです。

当日は雨模様の天気でしたが、あの庭を歩くときは雨は上がっていました。

その時の写真が行方不明なのは残念なのですが、今ころ気づいても遅いようです。