先日紹介した写真ですが、、、、
このころの友だちのところへ遊びに行きました。
この写真には写っていない古い山友だちです。
彼はこの歳になっても山の中の町で仕事をしています。その職場にタカカノと行ったわけです。
タカカノも同じ山の仲間ですから話に花が咲きます。
いい加減なこともしていた若き日をお互いに知っているのですから、飾ることなど何もありません。
彼ら夫婦とのおしゃべり会は久しぶりでしたが、お陰様で楽しい時間を過ごすことが出来ました。
彼らと山の話をしていると、いつも話題になるのが、高名な登山家高見和成さんのことです。
登山をされている人なら誰でも知っている、というのは言いすぎかも分かりませんが、日本を代表する登山家でした。
NHKの「中高年の登山教室」にも寄稿している文章家でもありました。
その彼は冬の大山北壁で遭難死しました。
もう、そのような登山は止めておけば良かったのに、、、、彼が行っていた「自称文化人もどき」の活動をしていれば死ぬこともなかったのに、、、、、、
というのが私たちの思いであり、同じような思いを持っている高見さんの友だちは多いはずです。
私たちの山グループでログキャピンで宿泊したとき、彼を呼んだら、天ぷらをふるまってくれました。
何事にも凝り性の彼は、温度計で油の温度を測りながら天ぷらをつくっていました。
翌朝はヒマラヤ登山の時に覚えたチャパティをつくってくれました。
話すときチョットだけどもる癖があるのですが、その笑顔は素敵で多くの人に愛された登山家でした。
果実酒を何度かもらったことがありますが、彼は入れ物にする瓶に「Takami original」と書かれたラベルを貼っていました。
愛飲家だった彼は、近くの山に登るときは一升瓶を持って登っていたようですが、その一升瓶をそのまま持って行くのではなくて、それ用の籠に入れていました。その籠は奈良県の何とかさんにつくってもらった、、、、、とか。
山のレベルはタカ長たちとは違いすぎて、連れて行ってくれと頼んだこともありませんし、一度だって誘われたことはありません。
しかし、文化人もどきの活動では少しは彼に協力していたので、想い出はたくさんあるのです。
久しぶりに古い山の友だちと色々なことを話していると、どうしても彼の話が出てきます。
言っても仕方ないことですが、、、、、遭難死しなかったら今でもいろいろな遊びが出来ていたのに、、、、
そのように考えると残念でならないのです。
彼が遭難死した年の6月に仲間たちと大山に行きました。
今日の画像はその時のものですが、このような雲がかかった北壁に向かって慰霊したものです。
早いものであれから10年以上の時間が流れましたが、彼のことを思うとそれだけの時間が過ぎたような気がしません。
彼は私たちの心の奥に今も住んでいる、ということなのでしょうか?
ともあれ、今日は古い山の友だちといい時間を過ごすことができました。