昨日は久しぶりに仲間たちと1軍歩きをしました。
昨日も最初は2軍歩きみたいな感じで、仲間たちの後ろを遅れ、遅れ着いて行きましたが、ワンピッチだけ普通に歩き、今でも1軍歩きが出来るところを見せました。
ソロ歩きの時は、調子に乗ればかなりいいピッチで歩いていると感じることもあります。そのような歩きを昨日行ったわけで、タカ長としては特別なことではありませんが、平素2軍歩きしか見ていない仲間には違って見えたかも分かりません。
そのため特に疲れたわけではありませんが、昨夜は良く寝ました。よく食べ、良く歩き、よく寝る、健康的な生活ですね。
ネットから借用した画像です。
今日のタイトルの、「あの頃」というのは、青春時代のことです。
あの頃、この時期になると、正月休みに行く伯耆大山雪山のことで頭がいっぱいでした。
食料などの準備はもちろんのことですが、、、、、
何日も前から天気図を見て、、、
このような天気図を見ると、あの低気圧が発達して、タカ長たちが出発する日は完全な冬型になる、、、、とか、、、
このような天気図の日と登頂予定日が重なると、朝早い時間にそのチャンスがありそうだとか、、、、
色々なことを考えていました。状況が良くないと、自分たちがたてたプランから逃げ出したい衝動に書かれたこともあります。
その伯耆大山の冬山に初めて登ったときは猛烈な風雪でした。
大山の尾根を逆縦走してきて、弥山から夏道への下山。ホワイトアウト、と言うことばがありますが、その時はそのような生易しいものではありませんでした。
太陽の光もまともに届かないような風雪、だから「グレイアウト」です。それも黒に近いグレイ、という状況でした。
リーダーは広島高等師範学校山岳OBの猛者。数メートル離れたらお互いを完全に見失う状態でしたから、タカ長たちメンバー3名はリーダーを見失わないように着いて行きます。
リーダーは少し歩いては下山方向を確認。あの状況の中でも実に冷静沈着でした。さすがに、筋金入りの登山者です。
初めての冬山登山で地獄を見るような経験をさせてもらったので、その後自立して自分たちで冬の伯耆大山に行くときは、いつも最悪の状況を頭において準備していました。
だから、状況が良くないと、自分たちのプランから逃げ出したくなることもあったのです。
そのころの写真を紹介できないので、次のブログから雪の伯耆大山を味わってください。
みやっちさんのブログ
KIYOMIYAさんのブログ
その後四季を通じて行っている伯耆大山ですが、3月と9月には行っていないようです。
タカ長の雪山は、いわゆる厳冬期だけだったので、好天に恵まれるチャンスは少なくて、このプログのような風景を見た記憶はありません。
いつも風雪の中を歩いていました。KIYOMIYAさんが「死神に両側から見つめられているような感覚」と、剣が峰までの縦走をコメントされていますが、そのお言葉を借りればタカ長たちは、、、
両側からのぞいている死神の手をさけながら歩いていた、ということになりそうです。
いまは里山ばかり歩いているので、あの頃のように緊張した状態で山準備することはありません。
登山らしい登山の経験が少ないタカ長ですから、自分でたてたプランから逃げ出したいような衝動を感じたのはあの頃だけですが、いま思えば貴重な、青春の想い出です。