タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

裏山が一番?

2020年02月28日 | 山歩きから
    

仲間たちとの裏山歩き、今日は14名が集まりました。

この天気なのに14名、もう少し多くても良さそうな気がします。

と言うのはタカ長の単なる思いで、私たちのグループでは、山行への参加は100%メンバーの御心に任されています。

    

一軍の人が何やら山仕事をすると言うので、高みの見物に行きました。

本当に、、、、文字通りの「高みの見物」です。

    

高みの見物は良いのですが、彼らの作業を見ているだけでは寒くなり、登山道の邪魔な小石を取りのぞくようなことをしました。

この時期、渓流コースでの「高みの見物」は寒くて困ります。

その作業が終わってから皆で自然歩道コースを歩きました。

皆さん2軍歩きですが、タカ長は一足先に「カフェ46」に行きました。

    

しかし、今日は低温のためカフェの開店はナシ、です。

荒谷林道まで歩いた仲間にもそのことを伝えていました。そのためでしょうか、カフェ46に集まる仲間の足取りは重かったようです。

    

今日の記録です。歩数にして8,300歩の、小さな山歩きです。

その山歩きでの話題は新型コロナウイルスのことが多かったようです。

ご案内のような状況ですから仕方ありませんが、今の状況を考えると「裏山歩き」が一番だと思われます。

自宅から車で5分で登山口。通勤ラッシュの公共交通を利用する必要はありません。

わが裏山のように、人をほとんど見ない所にはコロナウイルスもいないはずです。

国難とも言える状況が、一日でも早く終息することを願いながら、そのようなことを考えていました。

    春近しコロナで変わる山予定   鷹蝶

私たちの団地でも

2020年02月27日 | 日々雑感
    

新型コロナウイルスの影響で日本中が、、、、、

ではなく、世界中が大変なことになっているのはご案内の通りです。

広島県では今のところ感染者が出た、と言う報告は無いようですが、その時のことをふまえて広島県でも広島市でも対応策が検討されているようです。

    

それとはレベルの違う話かも分かりませんが、私たちの団地でも新型コロナウイルスのことが話題になり、団地のイベントに関係する人は対応策を考えておられます。

毎週土曜日に行われている「百歳体操」には毎回60名を超える人が参加されています。狭い空間にそれだけの人を入れることになるので、関係者は対応策の検討に入っています。

4月に行われる「敬老春まつり」も狭い空間で演芸を楽しみ、昼食を共にします。そのころ新型コロナウイルスがどのようになっているのか、現段階では分からないので、関係者は頭を抱えているようです。

過剰に反応するのは良くないでしょうが、何も考えないで見過ごすことも出来ない状況になっているようです。

    

タカ長たちのように山を歩いているのは問題ないでしょうが、、、、

その山に行くために、朝のラッシュアワーの列車に乗るのはいかがなものか、と考えてしまいます。

私たちが公共交通を利用して行くのは寒い時期で、気候が良くなるとマイカー相乗りが主体になります。

その意味では実害は無いような気もしますが、個人的なことを考えると他人事ではありません。

とにかく、一日でも早く終息して欲しいですね。願うのはそれだけです。

    

昨日の未踏ルートには小さなピーク、、、、ではなくて「こぶ」と言われるところがありました。三角点もあります。

樹間からの展望が少しだけありました。目的地とは違う方向に雰囲気の良い尾根がありました。

この尾根をガヤガヤ歩くのは問題ないので、次は仲間たちと4月頃歩いてみたいと思いました。

昨日はルートを見ることが第一だったので、花の芽があるかどうか、そのようなことには気を配っていませんでした。

もしかしたらきれいな花があるかも???

そのような期待をもって歩いてみたい尾根です。

    

そして、この上の岩で昼食。

この上からの展望が良ければ嬉しいのですが、わが裏山には展望が良い岩は立戸岩の他は無いようです。

と言うことで、無いものねだりはしません。

私たちが裏山を歩いている間に新型コロナウイルスの問題が解決することを願っています。



    春近し飽かずに見てる山予定   鷹蝶

未踏のルート

2020年02月26日 | 山歩きから
      

昨年の8月31日に歩いたルートです。

この地図に567・8mの三角点が見えますが、そこが大杉山と言っているところです。

昨年はその三角点を少し過ぎて、小さな岩場のところから引き返しました。

   

その岩です。今日は旧河内峠からこの岩を目指しました。

タカ長にとっては未踏のルートです。もちろん地図に載るような登山道はありません。

小さな山歩きですが、そのようなルートに入るときはワクワクします。

    

今日の軌跡です。

8月31日の軌跡のところへピタリ、迷うことなく行くことができました。

さすがタカ長、と言うことにして下さいね。

    

荒谷林道から旧河内峠に行き、そこから未踏のルートに入ります。

ほどんど人が歩いていないルートです。しかし、事前に頭に描いていた尾根に登ると、その先には道がありました。

誰が何のために歩いた道か分かりませんが、とにかくルートがあり、いわゆる「藪漕ぎ」をするところはありませんでした。

しかし、クモの糸はありました。昨年からのものか、今年になってからのものかは分かりませんが、とにかくありました。

    

落ち葉が厚く積もったルートで、急登もありません。

歩きやすいルートでした。しかし、初めてのルートなので、進行方向には注意しないといけません。

うっかりすると変なところに引っぱりこまれるかも分かりません。

その緊張感が、初めてのルートを歩くときのだいご味かも分かりません。

    

    

途中で1ヶ所だけ、倒木に邪魔されるところがありました。

注意して行けば問題はありません。

今は有難い時代で、Yamapの地図で現在地をリアルタイムで確認しながら歩くことができます。

そこに描かれているルートは、事前にタカ長が紙の地図に描いたルートとほぼ同じでした。

    

昨年のルートに近づくと岩が現れました。ここだけはチョッとだけ急登です。

そこを登ると見覚えのある岩がありました。

    

あっけないくらい簡単にその岩に着きました。

でも、独りで藪漕ぎをするのは嫌ですから、あっけないくらいが丁度いいと思いました。

    

ここで証拠写真を撮ってから、すぐにひき返しました。

ここはいつもの駐車場から距離があるので、半日で往復することは困難です。

タカ長たちには、弁当を持っての日帰り登山に丁度良さそうです。

    

問題なく旧河内峠に帰ってきました。

想定していた時間より少し遅くなりましたが、13時ころには帰宅できる時間です。

半日で「未踏のルート」を歩く。タカ長には幸せな時間でした。

    

今日のデータです。

ご覧のように小さな数字ですが、地図上で想定していたルートをそのまま歩くことが出来たので満足しました。

歩数計の数字は10,111。牛池を往復する数字です。

しかし、気分的にはもっと歩いた感じです。その感覚的なずれも楽しいものです。



 

    春寒し未踏ルートの岩の上   鷹蝶   
   



     

2軍はつらいなぁ

2020年02月25日 | 山歩きから
      

仲間たちとの裏山歩き、今日の軌跡です。

行動時間は4時間を超えているのに、距離も高度差もこの数字、いかにも少ない数字です。

本当に少ない数字ですね。そのわけは、、、、、

    

タカ長は仲間とふたりで、中国自然歩道の道普請をしていたのです。

イノシシが荒らしたところとか、路面に土が流れてきて歩きにくくなったところとか、、、、、、

その様なところを二人で修復したわけです。

そのため時間のわりには移動距離が少ないのです。

    

と言っても、初めは道の面を軽くなでる程度、と思っていたのですが、やり始めるとついつい熱が入り、、、、

平素マウスより重いものを持ったことのないタカ長は、腱鞘炎になることを心配しました。

この中国自然歩道は環境省が始めた事業です。

その様のこともあって、修復に要する費用は「小泉君」に請求しよう、、、、、とか、、、、

ゼネコンOBの相方の人使いが荒いので、〇洋建設の下請けは止めたぁ、次は□成建設に乗り換えだぁ、、、、とか、、、、

バカ話をしながら作業をすすめました。

それにしてもこの作業、知らない人が見ていたら何かの罰ゲームみたいですね。

やはり、「作業は大勢、美味しいものは少人数」ですね。

    

その後は「カフェ46」で昼食。

作業も昼食も一緒、コロナ〇〇で世の中さ騒がしいときにこのようなことをして良いのでしょうか?

2軍はつらいなぁ!

町歩きは疲れます

2020年02月24日 | 日々雑感
    

今日も快晴、絶好の山日和です。

タカ長もそのつもりでしたが、女房殿のリクエストにこたえて、広島市内に出ました。

その目的は、、、、、、

    

これです。日本伝統工芸展です。

会場の広島県立美術館から遠い駐車場に車を置いて、徒歩で行きました。

    

広島県立美術館のお隣が縮景園で、窓から梅の花が見えているような、、、、、見えていないような、、、、、。

野点の準備をしている、着物姿の人が見えました。

その様な風景を見ながら会場に入りました。会場内は撮影禁止なので、当たり前のことですが、画像は1枚もありません。

タカカノの予定はそれだけでした。タカ長も鑑賞疲れ、集中力が続きません。

そのため途中で休んだり、鑑賞したあとは喫茶室で休憩しました。

    

県立美術館を出たあとスポーツ店を冷やかし、、、

久しぶりにベトナム料理店に行って昼食。たったのそれだけです。

しかし、足は山を2万歩超あるいた以上に疲れました。

歩数計の数字は5,900。正確に計測されたのかどうか分かりませんが、本当に疲れました。

やはりタカ長は山です。町歩き派疲れます。




  風光る山より疲れる町歩き   鷹蝶

そのままの気持ちでした。


風光る

2020年02月23日 | 日々雑感
    

季語のことを勉強したわけではありませんが、「風光る」と言う季語がピッタリの天気です。

丘の上(山の上ではありませんよ)の団地から徒歩で買い物に下りました。歩くには最高の天気です。

    

このような看板を見ました。コメントはしませんが、この看板のそばで運動する気になるのかなぁ???

この看板があるから、とは言いませんが、広場には誰もいませんでした。

    

団地への坂道を上りながら撮りました。団地からは四国の山も見えますが、晴れた日は空気がもやっていて、遠くの山を見ることは不可能です。

今日は広島湾の山を見るのがやっと、と言う感じでした。

     風光る曾遊の山は見え隠れ   鷹蝶


    

団地を歩くと友だちに会うことが多いのですが、今朝もその一人に会いました。それは普通のことですが、そのご夫妻と話していたら、、、、

その奥様の実家がタカカノと同じ村で、そのお父様が義父と同じ会社に勤めておられたことが分かりました。

他愛ない話題ですが、このような立ち話が出来るのも気候が良くなったからですね。

    

午後は「日曜市」でした。

こちらも人出が多かったように思います。

気候が良くなることは嬉しいことですが、今年の梅は良くないと言うような話を聞くと、素直に喜べないような気がします。

いまさら言うまでもないことですが、今年の天気はおかしいですね。

    風光る日曜市は人の波   鷹蝶

雨の日のむかし語り

2020年02月22日 | 山歩きから
雨になりました。2日間で3万4千歩歩いたタカ長には絶好の骨休めです。

    

月末になると、来月の山予定を確定して、メンバーに送信する必要があります。その山予定を作成するとき参考にさせて頂いているのが、広島を中心に活動をされている坂歩こう会の皆さまの活動記録です。

広い意味で言えば、広島の同じフィールドを歩かれているグループなので、皆さまの記録はタカ長たちにはとても役に立つのです。感謝、感謝ですね。

今朝もその記録を拝見しながら、ポロリと昔の山のことが頭に浮かびました。

と言うのは「坂歩こう会」の登山は参加者が多くて、今のタカ長には目がまわりそうな気がするのですが、、、、、

かつてはタカ長にも何十名もの登山の世話をしたことがありました。そのことがポロリと頭に浮かんできたのです。

またまた年寄りのむかし語りで恐縮ですが、おつき合い下さい。

    

1956年5月に槙有恒隊がマナスルに初登頂し、その記録映画「マナスルに立つ」が全国で公開されました。もちろんタカ長も見ました。

その映画を見て登山を始めた人が多くいます。タカ長もその一人です。第一次登山ブームの到来でした。

そのころ自分の登山とは別に、職場でもリクリエーションとして、日帰りの登山やスキーも行われていました。その世話をされるのが直属の上司で、タカ長に山を教えた人でした。日帰りバスや、時には1泊して伯耆大山や三瓶山にも行っていました。

その上司から「満席になったら無料で補助席に乗せてやる」と言われ、職場内で一生懸命営業したものです。

    

その時の登山バスやスキーバスに参加する人はいつも「何十名」でした。
いまでは信じられないことですが、それだけの人を連れて、伯耆大山を縦走したこともあります。いまは縦走禁止になっていますが、そのころは可能でした。しかし、難所には違いありません。

縦走に入る前、山頂の避難小屋で、緊張する参加者に向かってバカ話をしながら、少しでもリラックスさせるよう努力していたことを昨日のことのように記憶しています。

    

当たり前のことですが、その世話をタカ長一人が行っていたわけではありません。直属の上司をリーダーに、何名かのものが協力して行っていたのですが、タカ長はタカ長なりに苦労をし、勉強もさせてもらいました。

坂歩こう会の皆さまの活動をネットで拝見しながら、何故かしら今日になって、その頃のことが頭に浮かんできたのです。

    

それにしても、、、、、、今よりは状態が良かったとしても、、、、、
伯耆大山のあの尾根を団体でゾロゾロ歩いていたなんて、、、、、
今では信じられない話です。


    木の芽雨むかし語りの山の旅   鷹蝶

今のタカ長には、今日の画像で紹介した程度の人数んで歩くのが、身の丈に合っているような気がします。


裏山のネコ?

2020年02月21日 | 山歩きから
    

今日の裏山は見事に晴れました。

裏山を歩くにはもったいないくらいの天気です、、、、、と言って良いのかどうか分かりませんが、、、、

とにかく、最高の山日和でした。

    

今日歩いたのは自然歩道コースです。

そのコースを歩いていたら、先頭のほうか「ネコがいる、ネコがいる」と言う声が聞こえてきました。

何事にも素直なタカ長、このようなところにネコを捨てる人がいるのか???

と思いながら行ってみると、、、、、、

   

これでした。確かに、言われてみるとこの石はネコに見えますね?

この石があるのはいつも歩く自然歩道の、目線より少し高い斜面です。しかし、これまで誰も気がつきませんでした。

人間の目なんてそのようなものでしょうか?

    

天気が良くて風もなし。と言うことで、今日は「カフェ46」の開店です。

いつもながら最高の時間です。

   

    風光る仲間の笑顔山のカフェ   鷹蝶

  

そのままの5・7・5です。

5・7・5の言葉遊びを忘れたわけではありませんが、加藤武三回顧展の記事にはそぐわないと思い、その日は休ませてもらいました。

    

昼前にいつもの駐車場に帰りましたが、その時間もご覧の天気です。

山歩きには最高のシーズンがやって来ますが、暑さ嫌いのタカ長はこの時期からその先のことを心配しています。

心配しても仕方ないと分かってはいるのですが、、、、、、、。



        

加藤武三回顧展~2

2020年02月20日 | 山歩きから
昨日のつづきみたいなものです。

    

加藤武三の詩画集は限定出版されたものです。そのとき大きな力になったが登山家・故高見和成です。

その高見和成との縁で、限定版出版に際して、微力ながら協力させて頂きました。画文集焚火の巻末には協力者の名前が紹介されています。

そのお名前を昨夜タカカノとあらためて拝見しました。
多くはタカ長たちの知らない人たちですが、すべてが知らない人ではありません。
青春のころの山歩きにつながるお名前も見つかり、タカカノと昔語りを楽しむことが出来、いい時間を過ごしました。

    

加藤武三は山の大先輩です。タカ長が生まれた時には山を歩いておられた人です。しかし、タカ長たちが熱心に山歩きをしていた青春のころも健在でした。

物理的には一緒に山を歩くことは可能だった、と言うことですが、落ちこぼれ登山者だったタカ長にはその機会が訪れませんでした。

    

    山で山を見ぬ猟師
    谷で滝を見ぬ猟師
    ピークのみねらう登山家あり
    岩壁にのみ生きがいを感ずる山屋あり


このような作品を拝見すると、一緒に山を歩いて、色々ご指導を受けたかったと言う思いを強くします。

もし、そのような機会が持てていたら、タカ長も、もう少しはマシな登山者になっていたような気がします。

しかし、これも今ではどうにもならない繰り言です。

    

最後にこの作品。

この作品読むと、聖山から見下ろしていた緑の谷を思い出します。タカ長の好きな風景です。

    

そのころの聖山はこのような山でした。山頂から西方向の谷を見下ろすことが出来ました。

今は木が茂って、山頂からの展望はほとんどありません。

あの展望を知っているのは古い登山者、と言うことになるようです。



加藤武三回顧展

2020年02月19日 | 山歩きから
    

昨年11月14日に紹介した、地元紙のコラム記事です。

筆者はタカ長の母校の先生で、この記事で「父」と書かれているのは登山家の加藤武三。

今のことは知りませんが、タカ長世代の登山者では知らない人はいない、広島の登山界の大先輩です。タカ長にとっては雲の人です。

タカ長が歩いた広島県北西部の、芸北山群と呼ばれた山は、全国的にみたらマイナーな山で、その山を紹介するガイドブックなど無かったように記憶しています。

だから、加藤武三の本はタカ長たちのバイブル的な存在でした。その本をもって県北の山を歩いたものです。

    

先日、呉の山を歩いたとき、筆者の友だちだというタナタカを紹介されました。丘の上歌姫さんの配慮です。

そのタナタカさんから「加藤武三回顧展」の案内を頂きました。もちろん、タカ長は行くつもりですが、それを機に「加藤武三詩画集続焚火」に目を通しています。

    

    山で死んではならぬ
    その死がいかに美しく
    孤独がいかに楽しくとも
    石は永遠に冷たい

    だが怖れてはならぬ
    白い山脈にも道はある
    その道の傍に
    花が咲き
    霧の流れる
    季節もある

    ゆっくりゆっくり
    ケルンの
    重さを計りながら
    思い出の残るような
    そんな山登りをしたい


山で死んではならぬ。
それは山を志すものの、当たり前の感覚です。若いころ、多少は怖い思いをする登山を経験したタカ長もその感覚は持っています。

最初の一節は体のどこかにしみついているのですが、それはこの作品をどこかで読んだからなのか、それとも誰か他の人の作品を通して読んだからなのか、そのあたりのことは記憶にありません。

      

この歳になって、多少は感謝することを覚えたようだと自覚しているタカ長
加藤武三の居る雲の下に近づいているのかなぁ、と思うのは買いかぶりでしょうか?

叶わぬ夢ですが、加藤武三の居る雲の下に行って、八十路登山者の厚かましさ丸出しで、加藤武三本人と、最近の登山界の状況など話しあってみたいと思います。

    

スキー場が出来て、山毛欅が伐られ、裸同然になった恐羅漢山の状況をどのように見ているのか、本人の口から直接聞いてみたいのですが、、、、、、、。

これだけは絶対に「叶わぬ夢」です。