タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

寝袋を使って

2020年12月31日 | 日々雑感
年末寒波がやってきました。

タカ長の団地だけで見たら前宣伝が過ぎた感じ、窓から雪景色は見えません。

今朝は友だちの孫と雪だるまを作るのを密かに楽しみにしていたのですが、見事な空振りです。

    

その寒波とは関係ないのですが、タカ長は寝袋にくるまって、このような感じで寝ています。

今朝の室温は4℃まで下がりましたが、寝袋の中ではうっすら汗ばむような感じで寝ています。

自分でも笑うくらいおかしな格好で寝ているのですが、今のタカ長にはこれが最高の睡眠法です。

昨日の記事にした青春のころの大山では、テントは夏用で寝袋は進駐軍の放出品、重い寝袋でしたが暖かさは抜群、テントの中につららが下がるような朝でも熟睡できました。

    

この寝袋は車中泊用に買ったもので、青春のころのような体力がない今のタカ長には山用
には出来ません。

しかし、車中泊用には最高です。それを、ボロ家とは言え屋根の下で利用するのですから、暖かさには問題ありません。

室温がゼロ度くらいに下がっても、毎日山でテント泊していると思えば楽しいものです。

これで今年の更新は終わり、、、、、そしてこのブログの最終日。

同じパソコンを使って新居へ移転するだけですが、それでも今日で終わりだと思うとそれなりの感慨があります。

このブログへの訪問有難うございました。

来年もよろしくお願いいたします。

     

と言うような感慨にふけってはおれないのです。

団地の広報部長としては、いま10ページの紙面づくりを抱えていて、、、、

依頼した原稿の出が悪くて、広報担当者としては年末も年始もないのです。

と言うようなボヤキもこれだけにして、紙面づくりに励むことにします。





初めての冬山

2020年12月30日 | 山歩きから
タカ長にとって初めての冬山も伯耆大山です。

冬に県内の山や久住などに登ったこともありますが、タカ長にとっては伯耆大山が冬山のすべてです。

    
                 画像はネットより借用

初めての冬の大山、リーダーは広島高等師範学校山岳部OBのKさんでした。もちろん、筋金入りの登山者です。

大山北壁の下で、雪崩に埋まった遭難者を捜索しているのを眼下に見ながら宝珠尾根を登り、いわゆる「逆縦走」しました。

冬の大山縦走は、一歩間違えればあの登山家高見和成でも遭難騒ぎを起こすような難所です。

その尾根を4名で縦走しました。

その縦走を終えて下山にかかるころ天気が急変しました。

大山の頂上、弥山は凹凸の少ない広い山です。ここで吹雪かれるととても危険な山になります。

    
               画像はネットより借用

ホワイトアウトと言う言葉があります。

濃霧や吹雪のために視界がきかなくなる状態。地面と空の境界が分からなくなるので、空間を漂っているような気分になる。

と説明されています。

屁理屈を言うようですが、地面や空間が白い(ホワイト)のは太陽の光が届いているからです。ひどい吹雪になると太陽の光が届かなくて、まわりは夕方から夜に近い感じになります。ホワイトアウトではなく、グレイアウト。

その時もグレイアウトの状態になりました。それもブラックに近いグレイです。まさにピンチです。

しかし、リーダーのKさんは冷静沈着でした。さすが筋金入りの登山者です。

その時Kさんがどのようなことを考えていたのか、それを聞いていないのは、今となっては残念でならないのですが、、、、、

とにかく、少し歩いては地図と磁石で進行方向を確認していました。数メートル歩いては立ち止まって方向確認、と言うのは少しオーバーなのでしょうが、とにかく頻繁に確認していたことを記憶しています。

一度に長い距離を歩くとリングワンデルング(環状彷徨)する危険があるからでしょうが、それにしてもあの状況下であれだけ冷静な行動がとれるのはタダものではありません。

お蔭さまで無事にピンチを脱出し、無事に下山出来ました。

    

これは夏の写真ですが、冬の大山の山頂部はいつも雲にかくれ、その中は厳しい状況になっています。

下山して、頂上部分が雲に隠れている山を見た時、涙が出てくるようでした。それまでの緊張が一気にほぐれ、生きて帰ったことを実感できました。

誇るものなど何もないタカ長の山歴ですが、健康登山の世話をするようになってからは、何度か死にそうになった経験を持っていいることだけは誇れるもの(?)だと、自虐的に考えるようになりました。

冷静沈着なKさんも人の子です。何かの間違いを犯してもおかしくありません。

もしあの時にKさんが判断ミスしたら、、、、、
もしあの時タカ長が仲間とはぐれたり、、、、、体調をくずしていたら、、、、、

何が起こったかわかりません。まさに紙一重の生還でした。

初めての冬山は死に損なった(?)最初の山でもあるのです。


歯ブラシと剃刀

2020年12月30日 | 日々雑感
これは緊急投稿(?)です。わが家の失敗に学んで頂ければ、と思っての投稿です。

    

昨夕のことです。洗面所の排水が出来なくなりました。

タカカノが排水管を掃除する薬品を使ったようです。タカ長はまったく知りませんでした。

このような時はいつも同級生の水道屋に電話します。

彼の話だと、、、、薬品と、たとえば人の脂肪分が化合して固まったのかも???

70℃~80℃くらいの湯を入れて様子を見るように、熱湯はいけないと言うことでした。

彼の言うとおりにしましたが、まったく改善しません。

そのことを電話したら、明日、様子を見に行ってやる、と言うことになりました。

その間タカカノが何かしていたら排水出来るようになりました。

タカカノがドジをして、排水管を物理的にふさいでいたようです。

ケアレスミスですが、そのようなことを日常的にするのが高齢者なのです。

    

これだけのことです。

ひと昔前なら、変なことをするなとか言って夫婦喧嘩になっていたかも分かりませんが、、、、、

ドジな年寄りになってからは笑うことはあっても怒ることはありません。

そして思いました。

平素やらないことを年末年始にやってはいけない、と言うことです。

年末年始にトラブルを起こしても業者は休み、、、、

無理に探していたら変な業者に捕まるかも分かりません。

警察情報でも、悪徳業者による被害が報告されています。

    

そこでマジ考えました。

平素ドジばかりしている高齢者はこの時期に、平素やりつけないことをしてはいけない、と。

埃まみれの部屋でも、汚れた排水管の家にも正月はやってきます。

それくらいの気持ちで年末年始を過ごした方が良いと本気で考えました。

タカ長には、こと水回りに関しては正月でも呼びつける(?)ことが出来る同級生がいるので、普通の人より安心ですが、、、、、

だからと言って年末年始にトラブルは起こしたくありません。

と言うことで、タカ長は、、、

電動歯ブラシのブラシ部分の交換とカミソリの刃を交換するだけで新年を迎えることにしました。

これならケガは無いはずですから、、、、、、、。

以下は、様子を見に来てくれた水道屋から教えられたことです。

洗面所でも風呂場でも、日々私たちの体から出る脂肪分が永い時間の間には排水管の中でかたまり、詰まりの原因になるそうです。

それを防ぐには一日の終わりに、手で熱く感じる程度の湯を少量流す習慣をつけると良い、と言うことでした。

熱湯を流すと排水管を傷つけるので、これは絶対ダメです。

風呂場は浴槽はしなくて良いので、洗い場の排水口だけです。

そのような指導をした家からはその後トラブルの連絡が無いようです。


最後の山

2020年12月29日 | 山歩きから
    

仲間たちとの裏山歩き、今日は12名が集まりました。

その12名は、家では邪魔者の男性ばかり邪魔者はタカ長だけだと言う声が聞こえるような、、、、

この時期には女性の参加者はいませんでした。

その12名の目的地は山上の古刹、極楽寺。今年1年のお礼参り、と言うことでしょうか。

    

展望台からの風景です。

ぼんやりともやっていて、遠くの山は見ることが出来ません。

ここから四国の石鎚山が見えるのですが、今日はダメ、石鎚山なんて夢のまた夢の感じでした。

    

    

風を感じながら登ったのですが、牛池はご覧のような鏡状態でした。

モデルが悪いので勝負できませんが、水面の状態だけなら北アルプス鏡池に負けていない感じです。

鏡状態のときが多い牛池ですが、それにしてもこれほどきれいなのは珍しいように思いました。

     

今日の記録です。

気候が良い時はどこかで弁当を食べて帰るプランですが、今は寒いのでほとんどノンストップで歩きました。

アルカディアヴィレッジが閉鎖されたことが、このような時にこたえます。

最後にウラジロを採るために横道にそれましたが、それを除けは丁度4時間の山歩きになります。

皆さん急いでいる(?)ので足もとに目が届かないのでしょうが、、、、、

    

登山道のど真ん中にこのようなものがありました。

帰りに採るつもりでスルーしたのですが、、、、、

ウラジロを採るために横道に入ったら、このナメコを採るのを忘れてしまいました。

こんなことでは人のことは言えませんね。

これが仲間たちとの、そしてタカ長にとっても今年最後の山歩きです。

今日のタカ長の山ときどきタカ見は正反対のタイトルです。

こちらにもお立ち寄りください。





おらが村の氏神様

2020年12月28日 | 日々雑感
団地の編集長はいま、団地新聞の新年号づくり、突然降ってわいたような企画をかたちにするために奮闘しています。

正月に各戸配布することは不可能なのですが、新年号なので氏神様を紹介するページがあります。

    

この神社、タカ長が子どものころの野球場でした。その頃は今のように整備された広場ではありませんでしたが、一応野球らしきものは出来ました。三角ベースの野球ではありません。

子どもの遊び場だった神社なので、正直言って有難い神社だと思ったことはありません。

しかし、高齢になって「歴史散歩」などに参加するようになり、神職も常駐していないこの神社が古い歴史を秘めていることが分かってきました。

    

タカ長が興味を引いたことのひとつがこの「右三つ巴」のご神紋です。

この神社は八幡(やはた)神社と言いますが、、、、、、

平たく言えば明治の一村一神社の勅命によって合併された神社です。

    

その前身のひとつ「中須賀村の八幡神社には、神功皇后が瀬戸内海を航行されたとき立ち寄られ、八幡の神を祀られたと言う言い伝えが残されています。

このことがタカ長が育った八幡(やはた)村の起源になっています。

左三つ巴の神紋は八幡神社の祭神・誉田別命(ほんだわけのみこと)=応神天皇を祀った神社で使われています。後に源氏の守り神になりました。

右三つ巴の神紋は息長帯比売神(おきながたらしひめのみこと)=神功皇后に縁のある神社でわずかに使われているだけだそうです。

    

その証拠写真みたいなものです。

神紋は右三つ巴の神社ですが、軒先瓦は左三つ巴になっています。
軒先瓦を右三つ巴にするためには特注する必要があり、そのためには多額な費用がかかります。

そのため軒先瓦は全国どこでも使われている左三つ巴にしている、と言う説明を受けました。

以上のようなことを団地新聞で紹介することは紙数の関係で出来ませんが、私たちの氏神様は、かの有名な神功皇后に縁があり、全国的には数少ない右三つ巴の神紋が使われていることだけは知ってほしいと考えているのです。

神社に初詣される人は多いと思いますが、そのとき神紋に注目されてはいかがですか?

そこから面白いものが見えてくるかも分かりませんよ。

今日のタカ長の山ときどきタカ見は別記事です。

是非、お立ち寄りください。



変な夢

2020年12月27日 | 日々雑感
昨日あのようなことを書いたからでしょうか、未明に変な夢を見ました。

言葉には書いていませんが、山を歩いている時は自分のラインが見えているので、山で迷うことなど無い、と言うような気持ちを持って昨日の記事を書きました。

そのような生意気なことを考えたのでバチが当たったのか、昨夜は迷った夢を見ました。

と言っても山ではありません。

シッチャカメッチャカな夢ですが、整理すると下記のような夢です。

    

友だち夫婦とタカカノの4名で市内のショッピングモールみたいなところに行ったのです。

入口を入って二階に行き、何故かしら靴を脱いで歩き始めました。初めから変です。

それぞれが自由に歩くのは良いのですが、、、、

まわりの風景はいつの間にか高級リゾートの店のようになり、、、、

ガラスをふんだんに使った通りみたいなところを歩いていたら、自分がどこにいるのか分からなくなりました。

    

分からないまま歩いていたら前方に温泉があったので、えい、ままよ、、とひと風呂浴びて、、、

また歩いていたらポシェットを忘れたことに気づきひき返すことに、、、、

そのポシェットはあったのですが、タカ長が持っていたのは硬い帆布製なのに、見つかったのは柔らかい布製でした。

中身を見ると同じものだったので気にせずに肩にかけ、、、、、

現在地が分からないまま歩いていたら、運よく入口に出て、、、、、

何知らぬ顔で3名に合流できました。

3名が先に車に行くと言うのでタカ長は2階に靴を取りに行ったのですが、、、、

その靴が無くて大慌て、、、、、係の人に手伝ってもらって探すのですが見つかりません。

    

靴はボロボロですが、中敷きはオレンジ色のスーパーフィート、と言いながら探しているとポシェットの中からタカカノたちの声がします。

スマホと取りだそうとするのですが、それが出来ないままあたふたしていたら、、、、

場面は突然鉄道の始発駅みたいなところに変わり、、、、、

何が何だか分からなくなってパにくっていたら目が覚めました。

目が覚めて救われたような気がしました。

それだけパにくっていたのですが、実生活ではパにくった経験が思い出せないタカ長が何故あのような夢を見たのかよく分かりません。

やっぱり昨日の記事が悪かったのかなぁ???

タカ長の山ときどきタカ見では、新年からの引っ越しを前に、助走のつもりで更新を再開しています。

こちらにも訪問して下さるようお願いいたします。


ラインが消えた

2020年12月26日 | 山歩きから
ラインが消えた、と言ってもあのLineではありません。

タカ長が山を歩いている時に見ている、登山道の上の「目に見えないライン」のことです。そのラインのことで他の登山者と話したことはほとんど無いので人さまのことは分からないのですが、タカ長の目には確かに見えています。

たとえば、裏山の椿尾根ルートのように広い登山道でも、その日そのとき自分が一番楽に登れそうなラインがあり、そのラインに沿って歩いています。

登山道の上にトラロープのようなものが延々と伸びている感じです。そのラインに沿って歩くのが習い性になっていますから、平素は深く意識することはありません。

ところが、そのラインが突然消えてしまった経験をしたのです。

    


今年の5月はじめに広島・山口県境の鬼が城山に登りました。

山頂から北に縦走して、馬頭観音の近くから東に下りれば半日コースですが、その日はさらに北方向に歩いて、冠高原の松の木峠を目指すことにしました。タカ長にとっては初めてのルートです。

北方向にルートを取ってしばらく行くと深い笹が現れました。ソロ登山で他に登山者がいないので写真では分かりませんが、背を没するほどの笹です。

当たり前のことですが、ここではそのラインを見ることが出来ません。

苦労してここを通過すると再びラインが見えてきました。

    

875メートル地点の近くでゆっくりとランチタイム。
初めてのルートですが、このあたりはラインが見えているので不安はまったくありません。

昼食を済ませて活動を再開、そのラインにそって下りて行きました。

    

特別な地形があったような記憶はありません。

このような感じのところを歩いて行きました。そして、、、、

    

このような広いところに出ました。放牧地だったところのようです。

ここに出るとそれまで見えていたラインが突然消えてしまったのです。

いくら凝視してもラインは見えません。ルートを間違ったのかと思いひき返してみると、そこまで歩いて来たラインはハッキリ見えるのです。

そのラインを補足するようなテープもありました。

再び広いところに出て見ましたが、どんなに見てもラインが見えないのです。

同じことをくり返すこと3回、どうしてもラインが見つけられないので、有視界飛行ならぬ有視界歩行で松の木に下りることにしました。

     

ローカルな山の地図を出しても意味ないでしょうが、矢印のところでラインが見えなくなりました。タカ長には初めての経験です。

    

このあたりは放牧が行われていたところです。その頃のものでしょうか、古びた柵のような物も残っていました。

今は荒れ地になっているところもあれば畑も見えました。

そのようなところにはラインが残らないのでしょうか?

その原因はタカ長には分かりませんが、ラインを読むことがすべてのルートだったら困ったことになったはずです。

その時は進むべき方向も分かっていたので問題はありませんでしたが、ことラインについてはまったく見えなくなり、マジあわてました。

そのような経験をして、いつも目に見えないラインに沿って歩いていることを実感したわけです。


ノルマを達成したので

2020年12月25日 | 山歩きから
仲間たちとの裏山歩き、タカ長は今年のノルマを達成したので楽をさせてもらえると思っていました。

ところが、仲間が言いだしたのは荒谷林道から71番鉄塔に登り、尾根を南下して50番鉄塔に行き、椿尾根を下りるコースでした。

その提案をしたのは2軍選手だったはずですが、最近は膝の調子も良くなったようで、ジャイアントコースを登りたいとも言っています。

体調が良くなるのは良いことですが、タカ長の歩けないコースを提案することだけは止めてほしいものです。

    

いつものように自然歩道を歩いて荒谷林道へ行き、、、

ラストを歩きながら71番鉄塔への尾根道にとりつきます。

    

山だから多少の急登はありますが、無事に71番鉄塔まで登りました。

前回と違って北から南へ歩く感じになります。

稜線には風があるので71番鉄塔はほとんどノンストップで通過です。

    

窓ヶ山の山頂部に陽が射していい感じだったのですが、手前のブッシュを避けるところまで移動していたら、このような感じになってしまいました。

上空は風が強くて、雲の流れが早いようです。

    

50番鉄塔もノンストップで通過。

天気図が冬型の間は、カフェ50でコーヒータイムとはなりません。

この寒波が去らない限り、瀬戸内のおだやかな里山にはならないようです。

    

この軌跡を反時計回りに歩きました。

タカ長たちの縄張り(?)を半周以上した感じです。

累計の標高差が485メートルで、歩数は14,640でした。

別に誇るような数字ではありませんが、年寄りには丁度いい半日登山でした。


逆取材

2020年12月24日 | 日々雑感
    

団地の日曜市が広島市の広報紙から取材を受けました。

そのため日曜市で活躍している人たちが検温を済ませて集会所ホールに集合。

    

市の担当者から説明を受けて写真撮影です。

広報紙の記事の部分は取材が終わっているのか、タカ長たちの出番は集合写真に写ることだけでした。

しかし、団地の広報部長としては写真に写るだけでは満足できません。

逆取材します、、、、、と断って、、、、、

    

写真に写される人たちが並ぶところから撮影開始。

使われる写真は一枚ですが、担当者が色々な指示をするところを撮影しました。

    

マスクをした状態で座っていたら、、、、、

「はい、チーズ」とか言われて、、、、、

「おいおい、マスクをしていたらチーズもバターも無いだろう」とか言いかえしながら、何枚かの写真におさまりました。

マスクをしたところとマスクをしないところ、2種類の写真が撮られましたが、、、、、

実際に使われるのはどちらでしょうか。

この記事が出るのは令和3年2月1日の予定です。

わが町の皆さん、見て下さいね。

と言っても見ることが出来るのは佐伯区の人たちだけかも分かりませんが、、、、、、。



こりゃぁ戦力外だ

2020年12月23日 | 山歩きから
    

負け惜しみで言うのではありませんが、タカ長はこれまで百名山を意識して登山をしたことはありません。

それでも、、、、何となく、、、、40座くらいは登っているのでは、、、、、

と思っていました。ところが、、、、

「山と渓谷」2021年1月号が百名山のことを特集していたので、これを機に、これまでに登った百名山をチェックしてみました。

すると、、、、たったの32座だけでした。

若いころから登山を楽しんできてこの数字、百名山を意識しないで登っていたとは言っても、チョッと少ないように感じています。

    

そこでチョッと乱暴な計算をしてみました。「山と渓谷」の付録であるData Bookを見て、、、

百名山 花の百名山 標高ベスト100 そして都道府県の最高峰

その数字を単純にトータルすると分母は347になります。その分母の上に、、、

百名山の32や、上記の山に登った数を単純に加えて登頂率みたいなものを計算したら、、、、

たったの2割9分1厘でした。

この数字、野球なら何とか1軍に踏みとどまることができそうですが、一流選手とは言えないようです。

これが登山者ならどうなるのでしょうか???

下手をすると戦力外通告されそうな???

    

ピークハント型の登山をしてこなかったのでこのような数字になったのだと思います。

伯耆大山には何度も、何度も、何度も、何度も登ったとか、、、、

石鎚や久住にも何度も行った、、、と言うような登頂回数を分子にしたら、

間違いなく10割を超えているはずでが、、、、、

でも、このような計算には意味がありませんね。

そのような数字より意味があるのは日々積み重ねている数字です。

    

YAMAPに記録されているタカ長の獲得標高です。

数字が明記されていないところをグラフの高さから類推して計算したら67,265メートルになりました。

ほとんどが裏山歩きで、大きな山に登ることのなかった2020年ですが、それでもエベレストを、インド洋の海面から7.6回登るだけの標高をかせいでいます。

1回あたりにすれば450メートルに満たない標高ですが、継続すればバカにならない数字になります。

同じ数字遊びでも、このような生きた数字のほうが励みになります。

百名山などの成績は散々のタカ長ですが、この数字だけは伸ばしてゆき、、、、

来年もエベレストに数回登るつもりです。