★嗚呼、沖縄戦。
我々は土下座して沖縄の人々に謝らなければなりません。
昭和20年、(1945年3月)、沖縄の14歳から17歳までの中高生1780人を主力とする少年兵部隊、「鉄血勤皇隊」が組織され、米軍との激しい戦闘の末、約半数が戦死した。
鉄血勤皇隊は、不十分な装備のまま戦闘せざるをえなかったという。
米軍大型戦車への斬り込み攻撃では、少年が10キロの火薬を入れた急造の木箱爆弾を背負い、戦車に体当たりして自爆するのである。
その自爆の仕方は、装甲の厚い戦車車体ではなく、キャタピラの切断を狙って、轢かれるようにして爆死する。
鉄血勤皇隊の多くの少年達が自爆斬り込みを命じられたという。
また、伝令の方法も、同じ文書を複数の少年に持たせ、そのうち1人がたどり着けばよいという考えでした。
それは戦闘ではなく、大義なき殺人行為です。(キリッ)
そして沖縄戦を指揮した総司令官、牛島満・陸軍大将は6月23日、自決。
その自決の方法は、短刀を腹に刺し、部下が軍刀で首を斬った。
それを持って沖縄戦は終わった。
牛島満(享年58歳)
鹿児島県鹿児島市出身
薩摩藩士の家系
陸大卒
沖縄戦、総司令官。
最後まで全員玉砕を叫んだ罪は万死に値する。
★神風特攻隊、
海軍飛行隊、ゼロ戦の撃墜王と言われた坂井三郎の言、
「我々飛行機乗りは、いつ死んでもいい覚悟は持っている。
敵と戦って死ぬのは本望だ。
しかし、発令された特攻攻撃は違う。
機銃に弾を装填せず、片道燃料で200キロ爆弾だけを抱え、敵艦に体当たりするのは違う。間違いだ。
俺はそんなものの為に、ゼロ戦乗りになったのではない」
(じゅうめい)