
今回は思い出話です。
先日C58の話をしましたが、今回はその姉妹編みたいなものです。
この間も触れましたが、私を鉄道模型の趣味に引き込んだ親戚の機関士の方が退職の時にC58と共にC54の16番ブラスモデルを購入した事があります。
なぜC58を購入したかについてはおぼろげながら(以前の「大いなる旅路」のブログhttp://pub.ne.jp/arccentral/?entry_id=3253925を参照願います)見当が付いたのですがもうひとつのC54についてはどんな縁があったのかがいまひとつ分かりませんでした。
自分が乗務していたり縁のある車両を買ったり自作されていた方(ED75、481系、583系などや10系などを作っていました。いずれもペーパー製でしたが)だけに意味もなくC54を大枚はたいて購入するとは思えませんでした。
C54は昭和6年に17両製造され当初はC51と共用試験する意味で2・3両づつ各地の機関区に配属されたもののどこでも評判がよくなく、戦後福知山~浜田の機関区管内に集中配備され昭和38年に保存機も残さず退役したと聞いていました。
そこで初期に試験配備されていた機関区のデータを調べてみたのですが私の故郷の機関区はその中に入っておらず、その方がどこでC54と接触を持っていたのかがこれまで私にとっての謎でした。


その謎が解けかけてきたのはつい先々月、帰省の折にその方の蔵書の一部を借り受けて見た時です。
その方の所属していた機関区の写真集をめくっていて見つけた戦前の機関庫の写真で多くの9600が休泊しているなかに1両だけC54の15号機が写った写真があったのです。
写真はその1枚のみでその写真集に付属していた所属機関車のリストにもC54は記載されていませんが戦前の一時期に親戚とC54との接点があったらしい事はおぼろげながらつかめてきました。
C54にどういう思い出があったのかお聞きしたかったのですが今となってはそれも叶いません。
しかし現場の評判の悪かったC54とはいえ、わざわざモデルを購入する以上は悪い思い出ばかりだったとは思えない気もします。

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