光山鉄道管理局・アーカイブス

鉄道模型・レイアウトについて工作・増備・思うことなどをば。
こちらはメインブログのアーカイブとなります。

「真夜中の荷物列車」を走らせる

2022-04-30 05:59:16 | 旅行・探訪・イベントなど
 今回は自宅運転のおはなしです。

 当ブログではこれまでにも時々荷物列車を走らせたはなしを上げていますが、わたしのイメージにある「荷物列車」というのは「草木も眠る丑三つ時に走る列車」と言うイメージがあります。

 と、言うのもわたしの故郷の田舎(家の前から当時の東北本線のパノラマを俯瞰できる位置にありました)で盆暮れ正月どきの真夜中に夜行列車とか貨物列車なんかに混じって荷物列車が疾走するのを度々見掛けていたからです。
 勿論、昼間に走る荷物列車も見ていましたが、真夜中に見る荷物列車は普通の夜行列車と違って独特の頼もしさを感じる存在だったと思います。

 夜行列車だったら車内の乗客の大半が寝台にしろ座席にしろ基本「車内で寝こけているw」事が多いと思いますし、それに合わせて照明も暗かったりカーテンがしまっていたりとかしているものですが、荷物列車の、特に郵便車は結構車内に煌々と灯りが付いているのを見ると「こんな時間でも車内で仕事をしている人がいる」などと漠然と感じたものです(実際、あの当時真夜中に車内で郵便物の仕分けとかやっていたのかどうかは知りませんが)

 そんなイメージも荷物列車の「独特の頼もしさ」に繋がっていたのかもしれません。

 と、いう訳で寝る前のひととき、郵便車を繋いだ荷物列車を走らせるというのも「あの頃の追憶の再現」と言う意味では面白いと思います。
 (実際には別の理由もあったりしますが)

 客車類は主にGMのキットメイク車ばっかりで特に書くような事もありません。牽引機もマイクロとKATOのEF61という、荷物列車の定番みたいなものです。故郷の思い出に準拠するならED75の方が似合うと思います。
 なお、編成は全くのフリーランスで年式も形式もごちゃ混ぜなのはご勘弁いただくとしましょう。

 今では真夜中の荷物列車に郷愁を感じること自体が実車では出来なくなってしまいましたが、模型の世界ならまだまだこういうのも楽しめましょう(2本の荷物列車がすれ違うなんてのもそうしょっちゅうはなかったでしょうし)

そして荷物列車が映えると思える、もう一つの時間帯が早朝です。

 そこで、今度は日の出の前後の時間帯を狙って早起き運転。

 朝日の中を走り抜ける荷物列車を愉しみました。

GW突入・・・のはずなのに

2022-04-29 05:55:40 | 日記
 わたしの勤務先のスケジュール表では5月1日の日曜日以外はすべて出勤日になっていました。
 まあ、要するに今年も明日からの日程は「ただの4月最終週」であり「ただの5月第一週」となる訳です(涙)

 とはいえ、コロナ禍に加えて最近のガソリンの高騰なんかも考えると遠出して観光というのは考えにくいのも確かです。

 せめてもの慰めはこの時期に入荷しているであろう予約モデルの存在くらいでしょうか。
 今年は例年以上に「寝る前のひとり運転会」が増えそうな予感がします。

 それはさておいて

 ここ1週間くらいの気候の変動の激しさには全く参ります。
 前の日が一日雨で最高気温が20℃を割り込んだかと思えば、次の日には30℃台の真夏日がやって来るという変動の激しさに身体がなかなかついていけません。

 おかげで庭の雑草の伸びるのが早いこと!
 普通の連休が来ていたとしても草むしりに忙殺されそうな勢いだたりします。

 今は連休明け以後に来る平日休だけを楽しみにもうひと頑張りしようかと。

今月のTEZMO SYNDOROMEに思ったこと

2022-04-28 05:56:46 | 書籍
 先週、WEBマンガの「TEZMO SYNDOROME」の最新話が公開されました。

 今回は前回の続きという体裁で、ある眠れない真夜中に起きだした主人公の風奈が「前に入手したKATO(関水金属)の中古キハ82のメイクアップに挑む」という展開(そしてさらに次回に続く)
 元のモデルに追加塗装や色刺しを施し、ルーバーに墨入れしてゆく過程が描かれていましたが、これはジャンク品や低年式中古モデルを買った事のある人の大半が一度は経験した事ではないかと思います。

 あるいは首都圏の「ぽち」のジャンクコーナーに群がるお客の何割かは「そっちの方が趣味のメインになっていそうな方々」ではないかとすら思ったりするのですがw

 わたしも何度かそういうのを経験していますし、中古ショップで入手するモデルの何割かは「ここをこうすれば走りが復活するのでは?」とか「兼ねてやりたかった色刺しやリペイントが試せるのでは?」とか言った興味から買われたものだと思います(その最たるものが先日の学研モハ485だったりするのですが)

 今回風奈が実行しているリペイントとか墨入れですが、これがもし定価で買ったばかりのビカビカの新品だったらそこまで試せるかと言ったらわたしなら躊躇します(尤も、腕の立つ工作マニアだったら素材のひとつとして敢えて新品を買うというのも、その武勇伝と共によく聴く話ではあるのですがw)

 が、殊中古モデルの場合にはそうしたメイクアップやレストアを施す事には新品とは別な意味を見いだせる様な気がします。

 中古で買われたモデルの中には前ユーサーの手の入った「半加工品」みたいなのに当たる事があり、手に取って眺めながら前ユーザーの貌を想像する愉しみもありますww
 それとは逆に「いったい前のユーザーは何が面白くて手放したのか」わからないような無加工の新品同様のモデルが拾えることもあります。
 物の安さにもよりますが、わたしがメイクアップを愉しむのは主に後者の方ですが、前者のモデルでも手を加える事は往々にしてあります。

 それらに手を加えている時に時々思うのが「これでようやくこのモデルは自分のものになったな」と言う感慨です。
 手を加える前には前ユーザーの持ち物としての過去を引きずったモデルと言う感覚が付いて回る事が往々にしてあるのですが、そこに一部なりともわたし自身が手を加える事で、初めて「わがものとなる感覚」を得る事があるのです。

 何のことはない、犬や猫が自分の縄張りにマーキングするのと大同小異なのですが、中古モデルに自分なりに手を加えるというのは大なり小なりそういう側面があるのではないでしょうか。

 まあ、これが「工作派の矜持」みたいな高尚なものだったら、そういうのも自慢のひとつにもなるのでしょうが、腕が伴わないわたしにとってはこれもまた「自己満足のひとつのかたち」ではあります。

TOMIXの三陸鉄道36形700番台「イシツブテ」仕様

2022-04-27 05:55:10 | 車両・気動車
 今回も先月の帰省の戦利品から。

 今回に限らないのですが、最近はどういうわけか私が故郷で帰省すると不思議に「地元の車両の出物」にあたることが増えています。
 前回もキハ58陸中の「盛岡色」を引き当てましたし、古くはキハ23の盛岡色のキットも帰省でのサルベージ品でした。

 今回のはそれらの中でも最新作と思います。
 TOMIXの三陸鉄道36形700番台のラッピング車「岩手県✖️イシツブテ」の仕様。
 2019年のリアス線開通を記念して登場したポケモン系ラッピング車。
 そういえばこれのJR仕様とも言える「キハ100のポケモン仕様」も帰省で買っていた編成です。

 実は今回の36形は現住地近くの量販店で店頭に並んでいるのを見ているのですが、その時はなんとなく手が出なかったモデルでした。
 お値段のこともあったのですが、現住地で買うほど思い入れのある車両でもないという方が大きかった気がします。

 ですが同じモデルが地元でもある故郷の中古屋で半額近い値付けで並んでいたらこれは食指が動いてしまうわけで結構いい加減です。
 (それにしても、買ってすぐにこれを売っ払った前ユーザーはどういう人だったのかが謎です)

 走行性については普通に今時のTOMIXらしいスムーズさで文句はありませんし、うるさいくらいのイラスト攻勢のラッピングは文字通り「走るお祭り騒ぎ」的な賑やかさを演出してくれます。

 おそらくですがこれも室内灯を装備させて暮れの年越し運転の主役を張りそうです(笑)

「真夜中の運転」に癒されたはなし(汗)

2022-04-26 05:47:55 | 旅行・探訪・イベントなど

 先日来、日常生活においてストレスのたまる事が続き、気分的にもすっかり塞ぎの虫に取りつかれた状態が続いています。
 何をしていても落ち着かず、イライラとまでは行かなくでも気分が沈みがちになっていました。

 何かが足りない、何かやり残している事があるのではないか?

 「何かこういう状態を以前にも経験した事があるな」と漠然と思っていたのですが、そこでふと思い出しました。
 「そういえばここふた月ばかりレイアウトで列車を走らせていなかった」という事に。

 ここ最近、モデルに触れている事はあっても、日常のいろいろな事にかまけているせいもあって列車を走らせるのからすっかり遠ざかっていたのです。以前にも時々そういう事がありましたが、前にもそういう時に列車を走らせると気分が落ち着いて来るのを感じたものです。

 今回もそれかな?と気づいたので、真夜中の11時過ぎだというのに久しぶりに列車を引っ張り出しました。

 久しぶりの走行なのでまず最初にクリーニングカーによるメンテ走行。
 ふた月ぶりなので吸い込む埃の量も半端ありません。如何に長い事運転していなかったかが一目瞭然です。

 レールクリーニングを済ませて走らせるのはKATOのE353系とTOMIXの211系長野色。
 現住地ではごく普通に見掛ける普通の編成です。

 ですが、その「普通の編成」をレイアウトで走らせるだけで不思議に気持ちが落ち着き、何か満たされるような心持ちになってきたのには我ながら驚きました。
 確かにわたし自身「鉄道模型を趣味にしている」のは認めるところですし、そのアプローチも「手を動かして工作する」とか「寝っ転がって専門誌を読みふける」とかいろいろあるのも確かです。

 が、その中に於いて「鉄道模型を走らせる」その事自体が趣味人としてのわたしの中で意外に大きなウェイトを占めている事に改めて気づかされました。
 列車を走らせる事で一種の鎮静効果が得られる。しかも走らせる環境があればいつ何時でもそれが楽しめるというのは実に有難い事だと実感します。まさにこれこそが趣味のもたらすご利益のひとつでしょう。

アルナインの動力ユニットでふたたび「DC20」に挑む(笑)

2022-04-24 05:11:00 | 車両・ディーゼル機関車
 何を今更のノスタルジック鉄道コレクション第1弾ネタです。

 以前津軽のDC20風の機関車の動力コンバートを行った折に「アルナインからロッド付きDCタイプ動力ユニットがリリースされる」というコメントを頂いた事があったのですが、今になってようやくそのユニットを入手できまして、早速再コンバートを行ったところです。
 (ノス鉄のDB20は都合3両あるので前回のワールドの動力もそのまま他のDB20に転用可能です)

 届いたキットは調整済みのコアレスモータ付き動力ユニット及び、鉄コレ組み込み用のフレームのキット。
 実際の工作は事実上、このフレームを組み立てる工程になります。
 エッチングの板からパーツを切り取り、折り曲げ・組み付けを行うのが主な工程ではめ込みに若干要領を要するものの、組み立て自体は楽です。
 但し、最低限黒く塗装する事だけは必須です。

 組み上がったユニットを再度DB20に組み込みますが、走行性はワールドのそれに比べると設計が新しい分スムーズでした。
 ただ、元々のDB20が実際のDC20に比べて長めのボディになっているため、ボディに対して足回りのショーティさが目立ってしまうのが難。
腕に覚えのある人なら、ボディをユニットの長さに合わせてショーティ化し、見た目のバランスを取った方が良いかもしれません。

 (私はそこまでの根性がないので、そのまま組み込んでいますが、走行性は悪くないので運転派には不満はないかと)

 あと嬉しくもあり、眉間に皺を寄せてしまう(笑)のが「DC20風に近づけるための屋上機器、配管パーツ」も付属している点。
 エアタンク用に3ミリ径の丸棒(と配管用の真鍮線)が要りますが、屋上のエアタンクと配管を構成する事がスクラッチよりもイージーに可能になります。あとDC20のナンバープレートも付いていますし。

 前回のDD20の屋上工作は手間の割りに雑さが際立っていたのでこの機会に屋上機器もリニューアルしようかと思います。
ただ、取り掛かれるのはいつになりますか(大汗)

「紙で作る日本の蒸気機関車」5680を作る・その4

2022-04-23 05:07:59 | 車両・16番
 工作に取り掛かり始めてはや3か月目に突入の「紙で作る日本の蒸気機関車」の製作記、その4です。
 寝る前の片手間の積み重ねとはいえ、塗装も含めると意外なほどの長期戦になりました(汗)

 5680はテンダー蒸機なので炭水車も作らなければなりません。
 最初は単純に箱を作れば済むくらいに考えていたのですが、実際には上部が微妙にしゃくれた構造なので意外と細かい作業になりました。

 あと、明治期の機関車ならではの難工程だったのが「バッファーが標準装備されている」こと
 実はこのスケール、このサイズでもバッファーを紙を丸めて作るとなればかなり細かい作業になります。しかも1両あたり4個も(汗)

 今回は塗装前提で進める事に決めたので車輪類も真っ白という訳に行きません。



 とりあえず輪芯を黒く、車輪は銀色に塗装する事にしましたが、実際に貼り合わせて塗ってみたら「車輪と言うよりも何かの錠剤にしか見えない」見た目なのには驚かされました。
 この辺は模型とペーパークラフトの相違を最も感じた部分ではあります。

 ここまで組んだところでようやく塗装
 艶消しのタミヤラッカーで車体の黒を、アクセントとしてヘッドライト周りを銀、バッファや尾灯は赤で塗ってみます。


 とりあえず「飾り物としての蒸気機関車のペーパークラフト」ぽい外見にはなりました。
 残念なことに私の腕の雑さをごまかすところまで行けなかったのが難点ですが(涙)

 鉄道模型と異なり今回のペーパークラフトの最後の工程は車輪周りとロッド類のディテーリングになります。
 (一番細かいパーツが集積されるのと、走らせるモケイではないので動力類の調整をしないので工程が後回しになる訳で)
 流石に次回辺りは完成写真が披露(というか恥さらし)できるのではないかと。

シンカンセンの代替列車に思ったこと

2022-04-21 05:02:02 | その他
 今回は先日ようやく開通した東北新幹線絡みのネタ。
 メインブログで4月5日に書いた話の再録です。

 先日帰省の折に出会った大地震に関連して勝手に思ったことを。


 往路、復路の東北道から見渡す事の出来た脱線列車のE5系。

 あの時は東北本線でも不通区間がありましたから、北東北、一部北海道と首都圏を結ぶ鉄道が断ち切られた状態でした。
 (この点、道路が地割れにやられていても迂回路が設定しやすい自動車は確かにこういう時には強いと実感してもいるのですが汗)

 その翌々日くらいには新幹線の復旧には相当な時間が掛かる見込みで、代替の列車が設定されるという情報が地元紙に掲載されていました。
 盛岡-仙台間に全席自由席の快速列車を一日2往復程度走らせるという事でしたが、まだ第一報という事もあってどんな車両が充当されるのかはその時はよくわかりません。

 昨日辺りのニュースでは仙台ー郡山間は東北本線を使い新潟から応援に来たE653系が充てられているとは聞いていたのですが、盛岡ー仙台の間を走る臨時快速も何かしらそれに準じる車両でも使われているのだろうかと思っていました。

 結局この区間に充てられたのはキハ110系だったそうで。

 なるほど、あの辺りの手持ちの車両で使えそうなものと言えば701系(笑)よりはキハ110という事になるでしょうか。快速とか急行とか言っても京王の電車みたいに通勤車の停車駅だけ減らしたような物は田舎の場合正直ぞっとしないですし。

 もし、今回の様な事が昭和の終わり頃にでも起こっていたら485系とか475系、或いはED75の牽引する12系辺りかなと想像するのですが、今どきの車種のバラエティの少なさゆえに代替列車を想像しても意外性のあるものは思いつかなくなっている気がしました。

 (写真の車両は手持ちの物から外見上の仕様が近いものを選んだものです。間違っても「食堂車付きの特別快速が走っている」という意味ではありませんので念のため汗)

ノスタルジック鉄道コレクション第二弾

2022-04-20 05:57:54 | 鉄道模型 
 先日入庫の新車ネタです。

 第一弾から1年開けないハイペースでノスタルジック鉄道コレクションがリリースされました。
 今回のラインナップはL字車体のDB機関車(あるいは貨車移動機と呼んだ方がいい?)と2軸ショーティ化された気動車たち、及び気動車を転用した客車群といった趣です。
 前回より幾分一般性に欠けるラインナップではありますが、それでもありがたいことには変わりありません。

 個人的に抑えたかったのはキハ203。
 これについては次の機会に触れるつもりですが、これ以外でもDB30系の機関車は工場の側線なんかで見かけるタイプですし、これまでで最も短躯の気動車のジハ31なんかはデザイン的になかなかと思います。

 その他のモデルについても単行で使えそうな気動車モデルが多く、オリジナルのミニ鐡道を再現したい向きにはなかなか使い勝手がよさそうに見えます。ただ、コレクターの目から見るなら国鉄型のプロトタイプモデルが少ないので、第一弾ほどの目玉商品が少なく見えるのがちょっと難しいところですが。

 個々のモデルについては今後折を見て紹介したいと思います。

春と桜と4月馬鹿

2022-04-19 05:54:22 | 日記
 時節遅れのネタですがメインブログの4月1日付の再録です。

 先月の帰省が大雪に祟られたのは、これまで触れてきた通り。
 そんな大雪の翌日には現住地の自宅へ向けて帰路についていました。

 福島の辺りまでは遠目に見る山々も雪をかぶりまだまだ冬と言った趣だったのですが、

 いざ自宅に着いてみたら、こちらの菩提寺では桜が咲き始めていたのに二重に驚きました。
 こっちはつい9時間ほど前まで雪景色の故郷に居たというのに、この陽気の違いは何だろうと。

 それから10日も経たずに当地では桜が満開となりました。
 コロナ禍の折ですので目立つようなお花見風景はなく(尤もこの辺はコロナ禍の前から人混みと無縁な桜の名所でしたがw)20度を超えるポカポカ陽気の中例年よりも早めの花見(文字通りただ桜を眺めるイベント)を愉しみました。

・・・なんて言っていたのがつい2,3日前です。

 4月1日の朝、外へ出て見まわしてみたら「周りの山々が雪化粧していた」のには驚きました。3月までならこういうのもままあるのですが今日は4月1日。
 手前の春らしい草の萌え具合と遠景の山々の寒々しさが見事なコントラストを描いています。

 
 まさか、季節の神様がエイプリルフールをやらかすなんて思いませんでした(笑)
 困った事にうちの車は先日夏タイヤに履き替えたばかり。まさかこれ以上は積もるまいとは思いますが、空気に肌寒さを感じるだけに油断できません。

 この春は日本列島が縦に長い事を実感すると同時に、同じところに居ても気候の悪戯に振り回される、そんな時期だった様な気がします。

甲府駅舎の里帰り(笑)

2022-04-17 05:42:01 | ストラクチャー
 今回も帰省関連ネタです。
I
 コロナ禍が問題になる前の年、夏の帰省の折に実家に持ち込んだ甲府モデルの「頭端駅」
 元々は山梨交通電車線の甲府駅をモチーフとしたもので、購入後甲府駅風の擬装を施したうえで実家に持ち込んでいたものです。

 当時は盆暮れに帰省したついでに実家で年越し運転や故郷での購入モデルの試運転の背景用に使うつもりのもので、実際2019年の帰省では随分と活躍したものです。

 ですが直後のコロナ禍で帰省の機会が激減したうえに、実家での鉄道模型の運転がスケジュールの短縮化に伴いほとんどできない状態になってしまいました。

 それと前後して、自宅のレイアウトの電気街を「令和から昭和30年代に時代を遡行させる」リニューアルを行なったのですが、ここでのランドマークたるべき駅舎が手持ちのものではどうにも貧弱に感じられたというニーズが生じました。

 こういう風景なら実家においてある「甲府駅」の方がはるかに様になると思えたので、先日の帰省の折に駅一式を持ち帰った訳です。


 帰宅後、早速駅舎を差し替えましたが周囲の街並みに対する親和度が一気に上がった感じがしました。
 昔の地方都市の私鉄ターミナルだったらこれくらいのアクがあった方が周囲の風景も賑々しく見えます。


 何しろ周囲が木造二階建ての店舗ばかりなのでランドマークとしても十分に目立ちますし。
 これで駅舎も落ち着くべきところに落ち着いたような気がします。

帰省の戦利品から・・・

2022-04-16 05:39:58 | アクセサリー

 先日の帰省では大雪と言う条件もあって、土産物ついでに中古ショップを覗く程度の時間しか取れませんでしたが、それでも現住地では拾えそうにないアイテムをいくつか見つけました。
 
 自慢になる様なものはあまりないですが、こういう機会でもないと多分手を出さないような物もあります。

 RM MODELSの100号記念付録「Nゲージ17M旧国ボディキット」
 「鉄道模型雑誌の付録にテツドウモケイが付いて来る」という空前の企画商品で、もし当時わたしが存在を知っていたら随分驚いたであろう代物です。
 ですがこれが出た時は丁度わたしがテツドウモケイ趣味を中断していた最後の時期に当たるのでリアルタイムで触れる事のなかったものでした。これの後に出た営団300の時にはそれこそびっくりしましたが(笑)

 GMのクモハ11のキットの様ですがクモハ12、クハ16も製作可能との事。
 もちろん死蔵させるつもりはなく、いずれ手持ちのクモハとでも組ませてみようかと思います。

 ここ数年のジオコレのアイテムの広がり(とリニューアル再販攻勢)にはなかなかついてゆけない物がありますが、こんなアイテムまで出ていたとは思いませんでした。

 ジオラマ素材の「瓦礫セット」
 以前紹介した事のある「廃墟」に付属していた瓦礫を単品で製品化したものです。この手のアイテムはそこいらのジャンクパーツを適当にでっち上げても表現は可能と思いますが「瓦礫らしい形をした瓦礫」というのは案外作るのが難しい気もします。
 中古アイテムで安価で手に入ったのは有難いですし、収穫だったと思います。

「紙で作る日本の蒸気機関車」5680を作る・その3

2022-04-14 05:38:05 | 車両・16番
 「紙で作る日本の蒸気機関車」のペーパークラフト、5680の製作記です。
 前回の記事から10日ばかり経過していますが、ここまででエンジン部の上回りがどうにか形になってきました。

 全てがペーパー製のこのモデルではドームや煙室扉など曲面で構成されている部品の成形は予想通りの難物でした。
 説明書には「ゴム板の上で先が丸まった棒などで整形してください」とあるのですが、近所の店ではそういうのがなかなか見つけられません。
 まあ、それを言ったら部品に筋を入れるための「鉄筆」だってガリ版印刷が消えてこのかた縁がありません(この話題、歳がバレるな)

 結局ゴム板がわりにスポンジヤスリをベースに、丸い棒の方も塗装パーツで売られていた先端が球形になった棒を代用する形で凌ぎました。
 説明書で図説されていた「彫刻刀のつか」より小さいので細かなパーツの曲面づけにも使えるというありがたい器具でした。

 とはいえ、道具が揃うことと製作がうまくいくことがシンクロするはずもなく、出来の方は相変わらず雑さばかりが目立ちます。

 特に帯材などを曲面のボイラに貼り付けるのは予想以上に大変です。そこに加えてこのキット(笑)「手すり類のパーツの一部は設計図をもとに改めて部材を切り出さなければならない構成」になっているので、それらの切り出しもバカになりません。


 そこへ持ってきて生来の不器用さがもたらす仕上がりの雑さは隠しきれるものではありませんし(大汗)

 本来ならホワイトボディのままで見せると良かったのですが、流石にこの出来だと恥ずかしい事夥しいので、途中から「黒く塗る」方向で行くことにしました。

 要するに「色の黒いのは七難隠す」を狙います(大汗)

「大雪の日に除雪車を買った」はなし

2022-04-13 05:35:40 | 車両・ディーゼル機関車
 今回は先日の帰省の戦利品から。
 サブブログでも書いていますが、帰省の二日目は予想だにしなかった暴風雪で幕を開けました。

 午前中はそれこそ傘も壊れる位の横殴りの風雪で外出など思いもよらぬ状況。
 それに加えて、家族が雪道走行の経験がなく、私自身も二の足を踏むような積雪だったため予定していた墓参がキャンセルされ実家に蟄居する状態でした。
 その風雪も流石に午後になると晴れ上がり、更に除雪車などの大活躍もあって夕方にはどうにか買い物に出られた次第です。

 で、帰省の折によく覗く中古屋さんのひとつで見つけたのがまさにこういう状況にぴったりなジャンク品でした。


 かなり昔のモデルですが、マイクロの「MCR600タイプ 除雪用軌道モーターカー」です。

 このモデルは割合最近まで現住地のショップの店頭で売れ残っていた車両なのですが、当時はあまりにも近代的(笑)かつ「走る十徳ナイフ」みたいな何でもありな雰囲気に乗れないまま、これまで入線を躊躇していたモデルでした。

 ですが大雪の日に除雪車のモデルを見つけるという偶然に何か運命を感じ(あと後述の理由で安価だった)財布を開いてしまいました。

 先に「走る十徳ナイフ」などと書きましたが、事実この除雪車は1台でラッセルとロータリー車の機能を持ち、かつブルドーザみたいな段きりプラウ(雪庇の切り崩し用)まで装備し、鉄道車両と言うよりもモビルアーマーかレイバー的な印象を与える車両です。
 実車はJRE管内の秋田、新潟、高崎などに配備され管区毎に色が異なるという仕様(今回のは新潟支社の越後湯沢仕様)なのもなんだかレイバーっぽい印象に貢献している気が(笑)

 モデルでも(手動ながら)その辺りの可動部をこれでもかと言う感じで表現しています。


 さて、このモデルはジャンク扱いで安かったのですがその理由はいたってシンプル。
 端的に言って「走らないから」
 (あと前ユーザーのウェザリングが入っていたからと言うのもありそうですが)

 最初は「大雪の帰省の思い出のモデル」として飾り物にしても良いかな、くらいに考えていたのですが、帰宅後モータを外して通電するときちんと回ります。
 加えてギアも特に引っ掛かりもなく回りましたから、問題点は通電系と判断。

 調べてみると集電用のスプリングの一部が接点から外れ掛かっていたのを見つけたので修正したら、見事に走り出しました。
 ただ、昔のマイクロらしく走りの繊細さには欠けます(動力機構は同じマイクロのフリータイプ3軸機関車のそれに似ています)が、この小ささの二軸動力としてはこんなものでしょう。

 走りが復活したので、結果としては結構コスパの良い掘り出し物にはなりました。

TEZMO SYNDOROMEとマツダキャロルのはなし

2022-04-12 05:33:03 | その他
 今回は先月更新された「TEZMO SYNDOROME」の姉妹編です。

 今回のはなしでは主人公の「鉄(模)女」風奈が赤羽の模型屋さんで買ったKATOのキハ82系を愛でるのがメインのはなしなのですが、漫画の冒頭で風奈のルームメイトの麻里が同じ店で買った「自動車のプラモ」の製作を風奈に頼み込むくだりがありました。

 で、そのプラモと言うのが「マツダの初代キャロル」それも後期型です。

 これに思わずビビッと来るわたし(爆笑)

 実は私の亡父が50年以上前に免許を取って初めて買ったマイカーと言うのがこの初代キャロルでした。
 サブのブログでは、これまで亡父やわたしのクルマ遍歴について随分と書いて来たのですが、一番最初のマイカーであるにも拘らず、このキャロルの事をまだ書いていなかったのを思い出しました。

 今回の掲載は当時を思い出すにはいいきっかけと思うのでこの機会にそのキャロルの思い出話も書きたいと思います。

 父が初めてキャロルで乗り付けてきたのは確か昭和43年か44年頃と記憶しています。

 あの頃は軽自動車でもスズキのフロンテやダイハツのフェロー、そしてHONDAのN360が台頭してきていた時期でそれまで主流だったスバル360やマツダのキャロルがそれらの新興勢力に徐々に追い立てられつつあった時期でもありました。

 そんな折にキャロルを購入した父の意図は今でもよくわかりませんが、他社の軽に比べるとセダンの様なノッチバックデザインは小さいながらもなかなか立派に見えたものです。

 購入後しばらくは共稼ぎだった父と母、そして当時小学生だったわたしの3人を詰め込んで朝夕の通勤、通学にこのキャロルが供されていました。

 ただ、一応4ドアセダンだったとはいえ後席などは小学生、それも低学年の餓鬼が二人も乗ればキツキツの狭さでした。いわゆるクリフカットのCピラー造形のおかげで頭が窮屈と言うのだけはなかったのですが、横方向の狭さは如何ともし難いものがありました。
 しかもこの状態だと「荷物なんかまず載らない」

 今にして思い出すのですがこのキャロルに乗っていた時期は「クルマで買い物に出掛けたという記憶がありません」3人乗って3人分の買い物荷物を飲み込むほどの余裕はこのクルマには殆どなかったのでしょう。

 走りは他のクルマに比べるとかなり喧しかった筈なのですが不思議とその記憶がありません。
 恐らくですがあの当時は未舗装路がかなり多かった(1972年当時で日本の道路舗装率は20%だったそうです)せいか「砂利道のノイズの方が強く印象に残っていた」せいでしょう。

 一度か二度平坦路で、父が試しに「時速100キロ」を出してみた事がありますが、メーター上とはいえ時速100キロは助手席にいたわたしからするとかなりの恐怖体験でした。なにしろ当時はシートベルトどころかヘッドレストすらなかったのですから無理もない。
 (実際はメーターの甘さを勘案して時速80キロ内外だったのではないかと思います)

 流石に親子3人(翌年弟が生まれて4人)ともなるとキャロルでは余裕がなさすぎるのは明白でした。
 そのキャロルは二年ほどで同じマツダのファミリアプレストに切り替わります。

 今ではそのキャロルは当時撮影された8ミリフィルムの映像かTLVのミニカーで偲ばれる存在になりました。
 鉄道模型用としては確か津川洋行のメタルモデルにこの仕様のキャロル(パトカー仕様も)が出ていたと思いますから、スバル360と並んでこのキャロルもレイアウト上で活躍させることができるのは有難いはなしですね。

 「キャロル」と言う軽自動車はその後20年以上を経て一度復活していますが、復活後の3代目以降はスズキアルトのOEM車になってしまい、街角で見掛けてもキャロルと意識されない不憫な存在になってしまった感があります(涙)

 さて、「TEZMO~」では風奈がキャロルのプラモの製作を約束しているので、次回辺りその漫画が載るのかなとかひそかに期待していたりします。
 何か今回の記事はキハ82の時よりも分量が多くなったような気が(汗)