光山鉄道管理局・アーカイブス

鉄道模型・レイアウトについて工作・増備・思うことなどをば。
こちらはメインブログのアーカイブとなります。

日本型Nゲージの50年と思い出から・チキ1500編

2016-03-31 05:34:19 | 車両・客車・貨車
 昭和39年版の「模型と工作・鉄道模型ガイドブック」から50年前の16番モデル工作とそれ以降のNモデルの思い出を語るある意味支離滅裂な企画(汗)

 64年版工作ハンドブックには他の年次に比べて貨車の工作記事が多い事は前にも触れました。

 運転派にとっては機関車も大事ですがやはり「お座敷運転でも編成ものの貨物列車を楽しみたい」というニーズは強かったであろう事は容易に想像できます。
 ですが一方で「工作にあまり手間を掛けたくない」というのもあったのではないかと思います。

 あの頃から昭和50年頃にかけての16番モデルでは完成品でも機関車にはそれなりに手間が掛かっている一方で貨車の方はかなり簡略化した作りの物が多かった気がします。
 (当時物のエンドウのワム80000を持っているのですが後のKATO製に比べても大雑把さは一目瞭然)作り手にとっては貨車はあくまでも添え物に近い(それでいて必要性は非常に高い)存在でした。
 ですからこれまで紹介してきたものを含めて貨車の工作記事は「切妻の箱を作って台車を履かせるだけ」に近いレベルが大半です。
 確か別のハンドブックでは「マーブルチョコの空き容器でタンク貨車を作る」物もあったと記憶していますが。

 その意味では今回紹介の物などはその極北と言っても良いかもしれません。
 チキ1500長物車。
 これなどは「床板にTR24台車を履かせるだけ」で十分成立するものです。
(因みに台車をアーチバー型にするとチキ4000になるそうですがいずれにしてもお手軽な部類である事は間違いありません)
 台車さえ確保できれば一晩で2,3両位はすぐ量産できそうな気もしますが、それでも床板に筋やストッパーをきちんと入れたり銘板をきちんとつけると意外と貨車らしく見せる事もできるモデルと言えます。
 記事では「積み荷に工夫を凝らせば十分楽しめる」といった意味の事が書いてあります。実際こういう貨車は「なにを積もうかと考えるのが一番楽しそうな気もします。

 そのチキですが16番ではエンドウが早い段階から製品化していました(確か荷物は「山から切り出した様な感じの丸太数本がステーに固定されている」と言う物で雰囲気的になかなかワクワクさせるものでした)
 がNゲージでこの種の長物車が製品化されたのは意外に遅くTOMIXが「操重車のおまけ」と言う扱いで出したのが最初だったと記憶しています。

 そんな具合でしたから床板の上に乗っているのは「クレーンの部材受け」
 ですがこれだけでも操重車のペアとしてはなかなかにプロフェッショナルなイメージを掻き立ててくれています。
 最近ではレールを積んだチキ7000なんかも製品化されていますが上述の工作よりもかなり手の込んだ造形です。
 一方で2軸貨車の方では「チ1」が早い段階で製品化されています。
 但しこちらも「丸太を3本積んだ状態」で特に初期モデルを空荷にすると結構不安定な走りになりました。

 「長物車」と言う存在は鉄道を扱った図鑑では必ずと言っていいほど登場する貨車です。
 が、その割には実際模型を手に取ると「じゃあ、何を積めばいいのか?」と一瞬迷う貨車でもあります。

 大概の場合まず思いつくのはレールとかパイプの類でしょうか。
 最近では時流に乗って(笑)「カバーをかけた軍用車両」なんて作例も結構目にします。

 また、模型工作の観点からすれば「床板が一枚あれば成立しそうに見える」意味ではかなりお手軽なイメージを持たれそうな機種でもあります。
 この貨車の魅力は本体よりも「積み荷のバラエティ」にあると言うのが記事を書く側の感覚ではなかったでしょうか。

 実際は「ただの床板一枚」であるがゆえに「これをどうやって貨車らしく見せるか」に腕の見せどころがある点で意外と難しそうな機種と言う気がします。
 形式の銘板を付けて見るとかステーの取り付け部を表現してみる、床板にも荷物固定用の器具を表現してみるとかして「空荷でも貨車らしく見せる」のは結構面白そうな気もします。

 事実今回の工作記事で幼かった私が一番インパクトを受けた部分は「自動車とボートが積んである完成写真」でした。
 他の貨車と違い「何を積んでやろうか」と思わせる点で本書の中で「一番夢を感じさせる貨車」がこのチキだったと思います。

 ですが、これを運行する場合Nなどは16番よりも軽いのでノーマルの空荷、若しくは軽い荷物などを積み込ませた状態で編成に紛れ込ませると非常に脱線しやすい厄介者です。

 先日の運転会でこのチキを含めた貨物列車の編成を組んでみたのですが
 「とにかく脱線が多い」のには辟易しました。TOMIXのボギー車なのに(汗)

 何しろ床板一枚しか無い車体なだけに本体そのものを重くしない限り軽過ぎて路盤のちょっとした変動でも敏感に拾ってしまうのです。
 その時はやむなく手持ちのウェイトを動員して重さを稼ぎ、どうにか凌ぎました。
 「たかが長物車と侮るなかれ」
 今回チキを走らせて得た教訓はこれだったりします(笑)

スナックコーナーと展示品(鉄道博物館風モジュールを改修する10)

2016-03-29 05:24:13 | モジュール・3
 鉄道博物館風モジュール改装作業の続きです。

 ニ階部分奥に食堂車の車体を並べた一角がありますが、ここも車体だけではどうにも恰好がつかない為、ベンチとテーブルを追加してフードコート風に仕上げる事にしました。
 ここで用意したのはファーラーのベンチとテーブル。
 ランナー一枚にベンチ24脚、テーブル12卓が付いておりそれぞれ足を接着して使います。
 このパーツが細かい事!

 HOZANのピンセットを駆使しても中々骨の折れる作業です。
 それでもどうにかして一通り組み立てました。
 後はこれに「乗客の座り姿」のフィギュアをくっつけるのですがベンチの高さが微妙にあわず、どの客も「ベンチ上でふんぞり返っている」と言う間抜けな構図が出来上がります(汗)

 しかも折角これだけのベンチを作っていながら結局は使ったのは半分程度。
 客の入りもほんの数人と言う閑散たるものです。

 ウェイトレスや店員はKATOのブルートレイン用食堂車のフィギュアを流用。
 鉄道博物館ですから設定的にもちょうど合います。
 まさかここで「メイドっ娘」でもないでしょうから。

 因みにこのモジュールでもメイドっ娘は使われていますが連絡通路上の「旧車展示会」の案内に駆り出されています。
 その展示イベントの方ですが運転会の時はスーパーカー中心の展示でしたが、ミニカーがオーバースケールだったのでカーコレなどの中から選抜したそれっぽい旧車を配置し直しました。

 それとは別に本館2階通路奥、国鉄ハイウェイバスの展示された隣に60年代車のカーコレを配置して博物館ぽくしてしまいました。

 更に1階の展示スペースにもヒューズ500やトミカの川崎バートルを、更に奥には食玩の客船ドッグのミニチュアを配置したので「鉄道博物館」というよりも「交通博物館」のノリに近づいています。
 が、これだけバラエティあふれる展示になったので館内はかなり賑やかになりました。

今月のジャンク車2「中村精密のスロハ31」

2016-03-28 08:11:37 | 車両・客車・貨車
 中古ショップの開店セールの戦利品から

 このショップには悪い事を書かせてもらいますが、この店の場合、鉄道模型の中古は数こそそこそこでしたが「編成の中間車」ばかりがぽつんと置いてある事が多く新参者のユーザーには今ひとつ魅力の薄い品揃えでした。
 ですが開店セールと言う事で探せば多少面白い物が拾えたのも確かです。

 その中のひとつが私にとっては初めての入線となる「中村精密の客車・キット組み品」でした。
 シングルルーフ仕様のスロハ31。
 その名の通りスハ32系の2・3等合造車です。
 キット組み品らしく窓ガラスの塩ビ板が一部はがれていたのですが、2等の青帯も一応貼られていてそれなりに丁寧に組まれています。

 この車両の特徴は「車体中央部にトイレがある」という変則的な構造と昔の工作ガイドブックの解説にあったのですがそのせいで「真ん中にぽつんと白い窓がある」のが外見上のアクセントになっています。
 実際、このショップで売られていた中村の客車はこれ1両だけでしたので見る側からすれば魅力に乏しいのは確かでしょう。
 ですが私の場合、同じスハ32系の「中央線普通列車」のセットが入線しています。
 この編成にスロハを紛れ込ませれば結構良いアクセントになりそうだと思い購入を決断しました。

 その結果は先日の「中央線普通列車」の項でお見せした通りです。
 メーカーが違う上に製造時期も30年の差があるので、かなり違和感があるのではと危惧していたのですが中村のスハ32系は造形そのものはかなり良好でKATOのそれに混ぜ込んでも悪くない存在感を見せました。
 この点は中村のキット組み品を完成品で売っているMODEMOのスハ32系と組ませても同様です。

 結果としては、ですがこのスロハも思った以上の掘り出し物でした。

今月のジャンク車「しなのマイクロの営団地下鉄7000系」

2016-03-26 05:58:28 | 車両・私鉄/民鉄
 先日近所のハード●フがリニューアルオープンし、そこでも中古鉄道模型の扱いが始まりました。
 故郷でも、また首都圏なんかでもこの種の中古ショップが開店やリニューアル著しいですが、今回も含めてどこに入っても店の雰囲気が同じで驚かされます。
 全国チェーンなので当然と言えばそうなのですが、一緒に入ったうちの子供が「東京みたいだ」と妙に感心していたのが印象的です。

 事実、首都圏で最近開店しているチェーン店とほぼ同じ内装と店内配置だったりしますし(笑)

 それはさておいて

 私個人としては今年に入ってから中古モデルの入線がめっきり減っていました。
 出物自体が少ない事もあってこの種の店にサプライズ的な品がなくなっている事やどこの店も秋葉原相場の強気な値付けになってしまっている事が大きかったりします。

 その意味で今回は久しぶりに見つけ物が多かったです。
 とはいえ、そこは私が欲しがるようなモデルですから(自虐)変なのが多いですが。

 しなのマイクロの営団地下鉄7000系などはその最たるものでしょう。
 なにしろ「先頭車1両だけ」ですし。

 このモデルは東京のショップとか、ネットオークションで出物を見る事が比較的多い物ですが昔はGMのキットメイク品と競合したり最近KATOから間然するところの無いプラ製品が出ていたりするので敢えて「しなのでなければ」と言う必然性が希薄なものになっています。
 そんな事もあってこれまで手を出さないでいたものですが店頭で手に取って見たらついむらむらと(笑)

 モデル自体は良くも悪くも「80年代のブラスモデル」
 少なくともディテーリングで勝負していないのは歴然です。
 しかもヘッドライトの点灯なし、それどころか室内のインテリアもありません。
 見様によっては「一種のモックアップが走っている」様なものです。

 ですがその一方できれいに打ち抜かれたサッシの微細さはため息が出るほど見事なものです。
 これが肉薄のボディと組み合わされているのでサイドビューの印象はそう悪くありません。

 流石にこれで編成を組む気にはなれないですし、かといって飾るにはあっさりしすぎですが、電車区のモジュールに置物として使うには悪くない気がします。

中央線の「オレンジ電車」を走らせる

2016-03-25 05:56:23 | 旅行・探訪・イベントなど

 この間のブログでも書きましたが、私自身の精神衛生上たまにはゴーッと列車を走らせてみる必要がある事がわかったので(笑)先日の平日休に時間を作ってメインレイアウトで即席運転会です。

 元々、運転会用のモジュールを転用したレイアウトなので3列車(サブエンドレスを入れて4列車)同時運転ができるのが取り柄のレイアウトですが大抵の場合は1列車しか運転していません。
 3本の編成を用意し、同時に3列車以上を走らせるというのはかなり準備に手間を要します。

 ですがそれだけに3列車同時運転を実行すると自宅での運転でもかなりのお祭り気分になるのはしょっちゅうはできないまでも心理的にかなりのリフレッシュ効果があるものです。

 今回走らせたのはKATOと鉄コレの組み合わせになる「中央線トリオ」
先日紹介した「中央線普通列車」のつながりで引っ張り出しました。
 
 鉄コレの101系、201系試作編成、KATOのE233系の組み合わせです。
 上京の折を中心によくお世話になっている割にはこれらの編成だけで運転する機会はあまりありません。
 何故といってクラブが中央線沿線なだけに運転会では他のメンバーが腐るほど走らせているので私個人では中々走らせようという気になれなかったからです。

 ですが今回は単純に「気分」の問題でこれらが選ばれました。

 物が4扉の通勤車なだけに特に奇をてらった所はありません。
 ですが60年代の101系、80年代の201系、21世紀のE233系と時代とともに着実に変わり続けている事は実感できますし、それらが一堂に走る様はそれ自体が「お祭り」と言っていいでしょう。

 何だか面白くなってきたので今後暇を見てテーマを絞って運転して見たいと思います。

 そうですね、次辺りオハ47系・50系・701系で「東北本線の普通列車」なんてのはどうでしょうか。

「坊さん」「メイド」「ジオンの兵士」(鉄道博物館風モジュールを改修する9笑)

2016-03-24 05:52:52 | モジュール・3
 今年最初の運転会で鉄博風モジュールを試用、おおむね好評だった様ですが、運用上いくつか問題点が出て来たので先日それらの修正を行ないました。
 最初の問題はモジュール内を周回するZゲージのエンドレス。
 屋根が後付けだったために後から追加された支柱にプラッツの新幹線が激突するトラブル発生。
 これに限らず20M級以上の車体が引っ掛かる可能性が高いために一部の支柱を移設しました。
 得られたクリアランスは僅かなものですがこれでリクエストがあっても走れなかった0系のドクターイエローの3連は運用可能になりました。

 次にモジュール手前から本館に繋がる連絡通路の支柱。
 こちらも今回の改修で新製された部分ですが本線とのクリアランスがぎりぎりになってしまったのでこちらも少し奥に支柱を押し込む形に修正です。
 
 そして前回も触れたフィギュアの再配置と増員。
 本館奥のコンコース前の一角は以前から「遠足の小学生+教員」の行列があるのですが今回屋根が被さった事でこれが全く見えなくなってしまいました。
 勿論その周囲の通行人も同様です。

 今回は外から見えやすいターンテーブル前の空間に遠足の列を再配置。
 併せて周囲の通行人も本館入口付近に集中させて人口密度を上げました。

 ですがこれでもまだ不十分。
 手持ちのフィギュアで使えそうな物を数十人追加する事になりました。

 特にこれまで人形が殆ど配置されずスカスカ感の強かった階段に十数人追加。これだけで密度感はそれなりに変わりました。

 更に連絡通路ではこれまた修学旅行を想定した学生たちを追加。
 これまでは線路手前のレストハウス屋上の跨線橋の上り口だけに配置されていたのを上の出口にも何人か並べて動線のつながりを付けて見ました。
 更にブルートレインの乗務員を要所要所に配置して「博物館職員」風に。

 これでもまだ足りないと感じられたので遂に「お坊さん」や「メイドさん」や「ジオンの兵士」まで動員するワンダーランド状態となりました。ここまでの人数はトータルで200人を超えているのではないかと(汗)
 数年前に近場のショップの閉店セールの折にザ・人間の半額処分品を大量に買い込んでいたのにあっという間です。

 但し外から見えにくい部分、例えば食堂車レストランコーナーの裏側などは全くの無人状態ですし、車両の配置時に邪魔になりそうな展示スペース周囲は意識的に人形の配置を避けてはいます。

日本型Nゲージ50年思い出緊急企画(笑)・マヌ34編(一部追記)

2016-03-23 05:50:13 | 車両・客車・貨車
 昭和39年版の「模型と工作・鉄道模型ガイドブック」から50年前の16番モデル工作とそれ以降のNモデルの思い出を語るある意味支離滅裂な企画(汗)


 今回は急遽特別企画を組みました。
 というのも本書に収録されていた製作記事の中に「マヌ34暖房車」の記事があったからです。

 実車のかなりのマイナーさから考えて「まさかマヌをKATOが製品化する」なんて考えもしませんでしたから。

 蛇足ながら「暖房車」というのはストーブ列車の事・・・ではなくて蒸気暖房用のスチームを自力で作れない電気機関車などが客車列車を牽引する時につなげられる「走るボイラー室」みたいな車両を指します。
 大概の場合ボイラーには廃車になった小型蒸気機関車のそれが転用されており、当然石炭庫と水タンクもそれに付属しています。ですから形式名こそ客車の延長の様に見えますが「煙突から煙を吐きながら電気機関車にひかれていく」という今の目から見ると一種シュールな絵面の車両であります(笑)

 このマヌ34、数ある暖房車の中でも最大級の大きさを誇るそうですが、私の故郷では暖房車自体がまず目にしない存在だったので(蒸機からいきなり電気暖房対応のED75に切り替わったため)「模型と工作」の製作記事はかなり物珍しかった記憶があります。
 実車の出自そのものも「トキ900の台枠に2120のボイラーを載せ台車はナハ22000系(オハ31系)の物を転用」というユニークさで印象に残りました。
(ついでながら同記事では2120は明治、ナハ22000は大正、トキは昭和と「3つの時代の車両部材の組み合わせ」という事が記されています。この点でもユニークですね)
 外見もパッと見貨車とも客車ともつかない独特なものでこれまた個性的です。

 「模型と工作」ハンドブック上では工作自体はペーパー車体によるものですが前後にデッキのある金属工作必須の構造な上に「燃料庫のワクの中には本物の石炭を細かく砕いたものをセメダインで貼り付けると実感的です」なんてあって面喰います。
 客車の工作で「石炭」なんて言葉が出る事もなかなかないでしょうし。
 それでもこのマヌ34、そこを除けば独特のボディ構造や「窓や扉が少ないので窓抜きの手間が少なそう」な点に魅力があり「もし製品が出なかったら自作に挑戦してみようか」とかねてから考えていた機種だった訳です。

 と、まあそれがつい先日までの状況でした。

 それがどうでしょう、あのKATOが先日「中央線普通列車セット」の中にそのマヌ34を製品化しているではありませんか(笑)
 ですから、これまで紹介してきた「Nで製品化されたモデル」の中ではこのマヌ34が文字通り最新という事になる訳です。

 そのマヌ34ですが最初手に取って見た印象で言うなら「意外に小さいな」と言う感じです。
 最近のKATO製品らしく細密感は文句なし。確認していませんが車内にはボイラーがきちんと鎮座している様です。
 (このボイラーをベースにKATOの2120が製品化…な訳ないですよね汗)

 製品は「セットの中の1両」でバラ売りがされておらず今回の編成専用みたいな感じになってしまいましたがSGを装備しない機関車と組ませれば客車の編成の融通が利く性質の車両と思います。
 ASSYパーツの組み合わせも意外と高いと思うので個人的にはバラ売り希望ですが・・・

 本書の記事によればマヌと組ませる機関車としてはED16、EF53、ED60が、牽引される客車としてはオハ35系スハ43系辺りが似合うようです。

 この記事の巻末には以下の言葉で締めくくられます。
「さあマヌ34形暖房車は寒い冬にも、みなさんのレイアウトにあたたかみをそえて走りまくります」
 この記事に限らないのですが本書にはこういう素朴かつ情感ある締めの記事が多いのが今となっては懐かしいです。

KATOの「スハ32系中央本線普通列車」から

2016-03-22 05:47:11 | 車両・客車・貨車
 先日サブブログで3年前に入線させたワールド工芸のEF13を紹介したのですが、その真意はと言いますと

 KATOの「スハ32系中央線普通列車」のセットを入れたからだったりします。
 実はこれを予約した時行きつけのご店主からKATOのEF13を勧められたのですが(汗)
 今回の入線の目的のひとつが「ワールドのEF13の有効活用」にもあったので今回は見送らせていただきました。

 この編成はスハ32系を中心に最大10連にもなる中央線夜行編成(つまり登山者ご用達)のひとつです。
 スハ32系は既に中村精密のキットを振り出しにそれを引き継いだMODEMO、TOMIX、たぶんマイクロからも出ている気がします。
 そう考えるとKATOからの製品化は案外遅かったのかもしれません。

 機関車の次位に暖房車を繋いだ編成はなかなかに魅力的でした。
 単品売りのオハ35を繋いだ10連が正式な編成だそうですが、これは手持ちのTOMIX車で代用すれば一応見た目は整います。
 実はこれも入線を決断させた要因でした。

 早速ワールドの13にアーノルドカプラーを装着して編成を組みます。
 動力が同じKATOでも旧式のEF15用ベースなので走りっぷりはまさに「えっちらおっちら」と言う感じなのですがそこがいかにも「貨物機関車が牽く客車列車っぽい」と言えなくもありません(笑)
 個人的に気に入ったのは郵便車のスユニ61。

 極端に窓の少ないボディはなかなかに個性的ですし、これを組み込んだオリジナルの荷物列車を組みたくなります。
 両端に当たるオハフ33とマニ60はテールライト装備ですが手持ちのTOMIXのオハフにはテールランプ装備車がないのでこれも好都合でした。

 わたし的には…ですが単に「中央線編成」という事を抜きにしても結構使い出のある組み合わせなので満足度は高いですね。
 とはいえ、実車準拠の編成を組ませてみるとオハ35系とスハ32系の組み合わせの微妙なちぐはぐ感が感じられるのも確かです。

 そこでこれまた手持ちのMODEMOのスハ32を引っ張り出してスハ32系で編成を組んでみました。
 アクセントとして中村精密製のスロハ31(これについてはいずれ触れる予定です)を入れてみると結構様になります(笑)

 機関車もパッケージに指定の機種(EF13のほかDF50、EF64など)に拘らず、例えばED17とかC59辺りを試してみたい気がします。

「テツドウモケイの細密化」に思うこと

2016-03-20 05:42:30 | 思いつくままに・考察
 先日来私を色々と考えさせてくれている16番の天賞堂ED75を眺めていて思ったことから。
 このブログだけで考察めいた事を3度も書かせてくれていますから天賞堂は偉大ですね(笑)

 最近はNゲージの造形面の進化がかなり急速に進み、それに伴い細密感もかなりのレベルになった事は実感しました。
 事実、模型の進化を実感させようとすればとにかく細密に作る、実物の縮小コピーにできる限り近づけるというのは最も有効な手法です。

 ですが今の模型製品を俯瞰して見ると逆に「細密化以外のベクトルが見いだせないでいる」印象も又あります。

 実はここで先日購入したKATOのミニカー、トヨタスープラが出て来ます。
 KATOが鉄道模型のノウハウを43分の1のミニカーに応用しミニカー市場への本格的な参入を企図したのがこのスープラとFTO(あとフェアレディZもあったかもしれません)でした。
 ですがいざ蓋をあけて見るとこれらのミニカーは意外に不振だった様でこれ以後KATOのミニカーと言うのはついぞ聞いていません。

 値段の問題なのか、プラ製だったからか
 NゲージでのKATOの売れっぷりからすればこれらのミニカーも大ヒットは当然だった筈です。
 しかし実際はそうならなかった。

 長い事その理由が私には分からなかったのですが、昨年暮れにそのスープラを手にして見てその理由の一端に触れた気がしました。

 確かにこのスープラはよく出来ています。
 造形面や細密化への努力は惜しみなく払われている事が感じられますし、製品としての組み立て工程にNゲージ模型のノウハウが注ぎ込まれている事も実感できます。

 しかしこのスープラ、それ以上に私を感動させる物がなかったのです。

 それこそ悪い意味での「実物の縮小コピー」を見る様な一種の薄気味悪さがこのスープラから感じられるのです。
 ですが、もしこれが鉄道模型だったら一定の層の歓迎は受けたと思います。
 事実このスープラの造形センスにはKATOの16番の機関車モデルのそれに共通した物が感じられますから。

 ですがミニカーユーザーにはそれは受け入れられなかった。
 市場で持て囃されているミニカーメーカーの製品も細密感ではこのスープラに負けない物も出ています。
 ですが細密感でこのスープラに劣るはずのモデルがかなり市場で受け入れられているのも現実なのです。

 ここに考える事があります。

 ミニカーコレクターやユーザーは実車が好きでこの趣味に入った人も多いと思います。
 が、その過程で「実車の印象把握のセンス」という価値基準で好みの製品を選ぶ癖を経験的に身につけている節があります。
 更に進めば実車と同じ様に「ミニカーそのものも嗜好する」という価値の転換がごく自然に行なわれている印象すらあるのです。

 ですから実車の設計図をそのまま縮小した様なモデルはなかなか受け入れられない。
 造形の過程で作り手のセンスによるディフォルメが施された、印象把握に優れたモデルが「いいミニカー」として売れていると思われます。

 実はこの点が最近のNゲージモデル(あるいは16番も含めた鉄道模型全体の)が抱える問題なのではないかと思えます。
 確かに細密なのは細密なのに不思議と心を打たない、まるでしんこ細工を思わせるモデルがここ10年位の鉄道模型ではたまに見かけられます。

 かと思うと昔の鉄コレやBトレみたいにディフォルメがあってもそれが味として感じられるモデルもいくつか出てきています。あるいはディテーリングの点ではラフなのに全体の印象で得をしている「むかしのモデル」もありますし。
 この造形センスと言う奴はあくまでアナログの感覚であってデジタルに実物を縮小する様な感覚では決して身に付かない感じがします。

 今の鉄道模型メーカや一部のマニアの中には「実物を正確に縮小する事こそが唯一無二の真理」と思いこむ向きも多いと思います。
 ですがその行き方では早晩行き詰るのは目に見えています。
 何故ならどんなに細密に作っても「実物を超える事は絶対に出来ない」からです。

 むしろディフォルメの名を借りて見た目では粗削りでも「実物よりも実物らしいモデル」を目指す方が精神衛生上良いのではないかと。
 今回の天賞堂のED75は単なる実物の縮小版を超えた「いい印象」を思わせる造形を感じました。


 これに限らず天賞堂のモデルはブラスとプラを問わずに造形面でこの「いい印象」のモデルが多い感じがします。少なくとも「ただ細密なだけではない何か」は確実に持っている気がします。

 なんとなくこの辺りにこれからの車両模型のヒントが隠されている気もします。

今月の入線車・鉄コレの「弘南鉄道7000系弘南カラー」

2016-03-19 05:40:43 | 車両・私鉄/民鉄
 3月に入り暖冬らしさが春らしさに切り替わった様な先日の平日休。
 久しぶりにモデルに手を動かせられます。

 モジュール改修をはじめとして課題はまだ多いですが。
 今回やったのは手軽にできる「鉄コレの動力化」
 これを「工作」と呼べるかどうかは大いに問題ですが(汗)

 先日帰省の折に故郷の模型屋に残っていたTM-06を購入。
 かねて秋葉で買っていた中古の弘南鉄道7000系7039編成に移植したものです。

 ベースとなっている東急7000系は東急の特注品を始め、譲渡先の福島交通や北陸鉄道などの仕様が出ているのですが、これまで何故か弘南鉄道の物だけは掛け違って入線していませんでした。
 先日の秋葉行きの折にようやく入線が叶ったものです。

 最近のこの種の譲渡車は中間車に運転台を追加し切妻ながら妙にのっぺりした前面になってしまった物が多いのですが今回の弘南カラーはオリジナルの先頭車の物です。
 ステンレスボディの地色は中々に精悍ですが前面だけは赤とクリームのツートンに塗り分けられ、弘南を主張しております(笑)
 塗り分けは派手ですが意外と違和感はなくそれなりに個性的です。

懐かしの70年代ジュニア入門書「電車なんでも入門」から

2016-03-18 05:37:34 | 書籍
 今回は今回は趣向を変えて書籍ネタから
 小学館の入門百科シリーズの「電車なんでも入門」を紹介します。

 この本は以前紹介した「機関車入門」の姉妹編とも言える内容で当時の日本の電車を俯瞰して見せるものです。
 著者も「機関車~」と同じ古谷善亮氏なので読みやすい文章という長所もそのままです。

 私自身の思い出に照らし合わせると本書が出た当時は私の故郷の岩手では「電車」というと「急行以上の優等列車」の事を指していました。
 何しろ「普通列車」はイコール「旧客の数両編成」か「キハ20系の3連」でしたし。
 故郷では私鉄電車どころか「3扉以上の近郊・通勤電車」と言う物が絶無に等しい環境だったのです。

 ですからSLブームの当時であっても「電車主体の一冊」と言うのはそれだけで魅力的だった訳ですし田舎者にとっては「トカイの電車」がメインなだけになおさらです。 

 そんな思い出と照らし合わせて本書を読み返して見ると懐かしいと同時にいくつか気づくこともありました。


 当時の国鉄形の電車は特急や急行電車もそうだったのですが普通の通勤電車のカラフルさが強く印象に残ります。
 特に好みだったのがアイボリーとブルーに塗り分けられた近郊電車、いわゆる「スカ色」の一群です。
 本書ではスカ色の電車は裏表紙にちょこっと乗っているだけなのですが。
 それでも私の「スカ色近郊電車好き」の原点に本書があったのは間違いありません。

 一方で湘南カラーの方にはそれほど思い入れが無いのが不思議ですが。

 それと気づくのが機関車と比べた場合のジャンルとしての電車の特徴としての「私鉄の比率の高さ」です。
 関東や関西を中心に大手の私鉄がひしめく日本では各私鉄ごとに特徴あふれる電車が存在しそれらの個性が機関車以上に際立っているのが特徴と言えます。
 本書でも国鉄の電車は形式ごとに頁を割いて解説されていますが各私鉄に関しても全形式とはいかないまでも各社の特徴を中心に要領よくまとめられています。

 小学生の頃本書を初めて読んだ時に一番魅力を感じたのがこれら私鉄の章でした。

 しかも本書に掲載されている私鉄は大都市圏の大手ばかりですから「私鉄電車=都会の象徴」と映りました。
 実際には3扉の電車は関東以西では田舎でも普通に見掛けますし、大概の県に地方私鉄なんて物が存在しますから必ずしも通勤電車=都会と言う訳でもないのですが。
 ですが、それを認識したのはずっと後の事です。
 巻頭のグラビアを覗けば本書の主要部分は白黒ページなのですが私鉄の章に来るとモノクロの写真なのに各私鉄の電車のカラーリングが色鮮やかに脳内に再現されとても楽しめた記憶があります。

 本書でもページ数の関係から地方私鉄や旧国にはほとんど触れられていませんでしたから、余計上述の印象が強められていたと思います。
 (とはいえ、この傾向は当時の鉄道本全般の傾向だったので別に本書だけの責任と言う訳ではありません)

 今になって言える事なのですが「機関車~」で取り上げられていた趣味のコーナーが殆ど無かったのは惜しい点です。
 写真ひとつとっても単体の車両の魅力が主の機関車と編成美がメインの電車とでは撮り方も違ってくるはずですし、模型でも同様に電車ならではの楽しみ方が載っていれば楽しめたのにとか思います。

鉄道博物館風モジュールを改修する8・「まずは運転会デビュー(大汗)」

2016-03-17 05:32:10 | モジュール・3
 前回までさまざまに手を加えてきた鉄道博物館風モジュール。
 ここまでの工程は1月中旬の今年最初の運転会を目指しての改修でした。

 照明を組み込み掃除も済ませて(汗)とりあえず形になってきた所で運転会に持ち込みました。
 とか言いつつも運転会の前夜に博物館下部のプラットホーム(ここだけはミニSLレイアウトの棚幡線に差し替える時もそのまま残っているのですが)に照明を組み込む作業をやっていたほどなのでかなり押せ押せのやっつけ仕事に近かったのも確かです。

 運転会当日。
 持ちこまれた鉄博モジュール
 「屋根がでかい上にテープLEDの光量が予想以上に強かった」ために相当に目立つモジュールになりました。

 屋根の下の部分は車両の入れ替えが難しいので私が持ちこんだ適当な車両でお茶を濁しましたが屋外スペースでは他のメンバーの展示スペースとしてそれなりに活躍できたと思います。
 更に本館内を周回するZゲージの編成はメインラインの列車と併進する「第4の列車」としてギャラリーの目を楽しんで頂けた気がします。

 「屋根ののぞき窓から館内を見下ろす」構造もこれも老若男女を問わず覗き込む人が多く、やはり照明を組み込んだ効果が大きかった様です。
 上の写真を見ると分かる様に「灯りがないといきなりしょぼく見える」辺りは今回のモジュールが作者の技量と言うよりも「一発芸的なインパクト勝負」的な性格を持っていることの表れと言えます。

 とはいえ運転会の場合では上述したように館内照明の光は強めでしたが会場がショッピングセンターで天井の照明も強い環境だったのでむしろ適当な光量だったかもしれません。

 どうにか二日間の日程は無事に終える事ができました。
 ですが運転会の中で問題もなかったわけではありません、いやむしろ多かったと言えます。

 このモジュール、次に大きなイベントを控えており、そこへ向けての更なる改修を目指しています。
 その意味では、更に手を加える必要を痛感させられる運転会でもありました。

「三つ子の魂」運転会(笑)

2016-03-16 05:24:09 | 旅行・探訪・イベントなど
 先日「三つ子の魂~」という話を書きましたが、そこでも書いた通り「昭和39年版模型と工作・鉄道模型ハンドブック」は私の鉄道模型ライフにとって原点ともいえる一冊でした。

 趣味の再開この方ここ10年くらいの車両増備、特に私鉄車両のそれにこの本が無意識のうちに与えた影響は大きかったと最近気づき驚かされてもいます。
 この本に16番モデルの製作記事が掲載されている車両や編成たちでうちの鉄道に入線を果たしている物も気が付くとかなりの数に上っています。

 いずれの車両も16番ですら当時は完成モデルを見かけない物ばかりだったのですが、それが50年経ってみるとNの中古モデルでも出回るようになったのですから非常に感慨深い物があります。

 そこで先日の自宅運転会は「ハンドブック出版50周年」という無理矢理な発想のもと、この本に掲載された車両のNゲージ版モデルを一堂に会して行なう事としました。
 ある意味年越し運転よりもイベント性の高い「お祭り」とも言えます。

 実際、これらを運転してみる毎にあの頃の思い出がよみがえると同時に非常な感慨を感じます。

 客車や貨車の編成も実車に照らし合わせるとかなり滅茶苦茶なのですが当時の記事に出てきた車両を組み合わせたものです。
 たまにはこういうコンセプトの運転会もいいかなと。

テツドウモケイにおける「三つ子の魂」と「世代の違い」に思うこと

2016-03-15 05:18:28 | 思いつくままに・考察
 昨年の春頃でしたか、幼少期に読んでいた本がその後の私のモデルの購入歴に大きな影響を与えていたのではないかと言う意味のはなしを書いた事があります。


 その時のバイブルに相当するのが「日本型Nゲージの50年と思い出から」でよく取り上げている昭和39年版の「模型と工作・鉄道模型ガイドブック」ですがその時の記事の要旨を再録すると

 ~これらに共通しているのは実車に殆ど馴染みがなくこのハンドブックにしか載っていない様な(少なくとも当時のキシャの絵本なんかでは見かけない)車両ばかりである事でしょうか。
 この本ではあおぞら号や151系の様な華やかな編成はごく少ないのですが、恐らくは「短編成でまとまるので工作の手間が掛からない」「同じ理由で運転用途にも好適」と言った基準でこれらの車両がセレクトされていたものと思われます。
 してみるとメジャー級の特急車両とかが少ないのも納得しますし絵本や図鑑とは異なるポリシーであるのも当然と言えば言えます。

 それが絵本代わりに読んでいた当時の幼児の心の底に刷り込まれた揚句、50年近く経ってからの鉄道模型の購買行動に無意識に影響を与えてしまった。
 振り返って見るとそうとしか思えません(笑)

 考えようによっては全く恐ろしい事ではあります~
 (昨年4月30日の当ブログより)
 この感想は書いてから1年経った今でもあまり変わっていません。それどころかあれから車種の追加まであったりしますから怖い。

 それは置いておいて、

 私の場合生まれた時~小学生の頃にかけての時期「テツドウモケイ」と言えば、まず16番のモデルの事を指していました(まあ、中には「人を乗せて走るライブスチーム」なんてのもあったりはするのですが)
 ですから鉄道模型の憧れとはほとんど「16番かHOの車両を走らせてレイアウトを作りたい」というものだった訳です。
 何しろこの時期Oゲージは全滅状態に近く、Nゲージはまだ海の物とも山の物ともしれませんでした。

 してみると私などは「16番が鉄道模型の主流だった時期を知っているぎりぎり最後の世代」と言えるかもしれません。田舎とは言え、「大人の客も出入りするちょっと大きな模型店」には必ずと言っていいほどカツミや宮沢辺りの16番機関車や電車の編成が飾られていましたし「模型とラジオ」「模型と工作」なんかの製作記事も100パーセント16番でした。

 私の場合たまたまNゲージの勃興期と鉄道模型を趣味として始めた時期が一致した事でNから入った形になりましたが、数年前から少しづつ16番やHOのモデルが増え始めているのもそうした三つ子の魂の影響かもしれません。これもある意味恐いですね(汗)

 さて、鉄道模型の様にサイズやスケールの規格化されたフォーマット単位で趣味を楽しむという方向性の強いモデルはどうしても既存の規格に縛られがちです。
 そして大概の場合「自分の子供の頃に主流だった規格」を持って優劣が語られる事が多いようです。

 いま、この趣味のメインストリームを担う世代の半数以上は生まれた時に既にNゲージがあってそれを当たり前として育った世代と思います。
 ですから「テツドウモケイ」のサイズとしてのNゲージのサイズや必然性には大した疑問は持っていない気もします。

 ですが、それと同じ事は(私も含めた)それより上の世代にとっての16番やHOゲージについても言えるでしょうし、それより更に上、戦前からの鉄道模型ファンだとOゲージか1番ゲージ(原鉄道模型博物館で走り回っているモデルがこのスケールです。そう言えば創設者の原信太郎氏は確か大正期からの筋金入りの鉄道模型マニアと聞いています)が普通だったと思います。

 あるいはアメリカンドリーム華やかりし頃の1940年代後半~50年代に少年時代を送った世代のアメリカ人にとってはライオネルやアメリカンフライヤーなんかのOゲージモデルのサイズこそが当たり前の存在かもしれません。

 モデルとしての本質的な部分ではなく「子供の頃からそうだった」のを「だから自分のやっているフォーマットが優れている」と錯覚して解釈してしまう傾向は、ある意味で「一種の世代論」であり、鉄道模型のスケールがどうこうとかゲージとスケールの違いとかとは異質な話ではあるのですが、それでいて趣味としての鉄道模型の本質を考える上では重要な要素ではないかと思います。

 すると私たちの子供の世代にはどうなっている事やら(汗)
(写真は本題とは関係ありません)

鉄道博物館風モジュールを改修する7・「モジュールの大掃除とフィギュアの再配置」

2016-03-13 05:30:02 | モジュール・3
 鉄博モジュール改修作業のはなしから
 前回内部照明を取り付けた事を書きましたが、その際にまるまる2年分の埃に辟易したのは前述の通りです(汗)

 次の日曜日を中心に「モジュールの大掃除」を敢行しました。
 とはいえ厄介なのが製作時にこれでもかとばかりに配置してしまった人形の群れ。

 これを倒さない様に細かく切った化学ぞうきんを割りばしの先端に括りつけ慎重に吹いて行くのですがやっぱりと言いますかベースから外れる人形が続出。
 トータルで50人以上が引き倒されました(汗)

 とはいえこういう機会でないと出来ない作業も一方にはあります。
 このモジュール、製作時には屋根を付ける事をあんまり考えていなかったので人形の配置も全体にまんべんなくと言う具合でした。
 ですがいざ屋根を被せてしまうと屋根の陰になり見えなくなってしまう人形もそれなりの数で出て来ます。

 ですから今回の機会に人形全体を「見えるところに集中的に配置する」作業も加える事にしました。
 再配置後は少なくとも見える範囲内の密度は高まる(それだけ賑やかに見える)様にしたいと思います。
 トータルで移動される人形は100人近くになりそうです。

 もうひとつ、ついでなのでモジュール内に配置されたZゲージのエンドレスも清掃し、先日入線の天賞堂のC62を試運転させました。
 こちらもやはりレールの汚れがひどい。
 どうかするとNより汚れやすいのではないかと思えます。
 おまけにC62はD51よりも車輪の数が多いので先輪の脱線頻度が高く運転には気を使いました。
 とはいえ、車輪も併せて清掃するとどうにかスムーズな走りは可能になりました。

 2年間のブランクの間にベースの板とその上に貼られたグーパネがはがれて反り返った部分もありここの修正も急務です。