光山鉄道管理局・アーカイブス

鉄道模型・レイアウトについて工作・増備・思うことなどをば。
こちらはメインブログのアーカイブとなります。

「モスラと××」(笑)

2014-05-30 23:02:40 | アクセサリー
 今回は番外編みたいなものです。


 先日レイアウトに登場したモスラさん(笑)
 単独で並べてもそれなりに画になるキャラクターではあります

 特にローアングルで捉えるとそれなりにリアルな感じ(笑)にはなります。
 が、折角来てもらったのですから他のキャラクターと競演させてみたくなります。
 常識的に考えるとゴジラとかキングギドラ辺りなのでしょうが、ここは実際には難しい「夢の競演」をやらせるのも一興かと

 モスラ対ウルトラマン

 モスラ対スペクトルマン辺りはまあ常識的な方でしょうか。

 同じ東宝怪獣でも世界観が違い過ぎて競演が難しそうなジェットジャガーとか

 完全に個人的趣味に走ってしまった「モスラ対レオパルドン」辺りまで来ると末期症状ですね。

 実はウルトラマンの足元では「こち亀の両さん」や「ノーマルスーツのアムロレイ」が逃げ惑い、「西●署の課長がオープンカーに飛び乗ったりしている」という殆ど新春かくし芸大会か期首の番組対抗特番なみのノリになっています。

 最近は実際のヒーロー映画自体「夢の競演」ネタが大流行ですが、観ている方はそれなりに嬉しいものの本来はこういうのは個人レベルのお遊びが一番似合っている題材の様な気もします。
 ある意味こういうのも「遊びの原点」みたいなもので、そういった意味では「スハ44系の特急とE351が並走したり」「OE88をC53が牽引したり」という楽しみ方と共通したものも感じます。


ジャンク箱のN車両と無国籍レイアウトに思うこと

2014-05-30 22:59:56 | 思いつくままに・考察
 さて、これまで紹介してきましたジャンク箱のアイテムの大群。
 これらのいくつかを自分のレイアウト上で回送させるのは楽しいものですがそれらを見ていてふと思ったことから。

 最初にも書きましたが、恐らく前のユーザーは60年代終わりから80年代初頭までNゲージをやっていた方ではないかと思います。
 それも最盛期はTOMIXが登場する1975年以前だったのではないかと。

 この時期、日本形のN車両と言えば関水金属(KATO)が全て合わせても10種類ちょっとでよほどの自作能力を持つ人でない限りオール日本形でレイアウトや運転を愉しめなかった筈です。
 実際、この時期のTMSのバックナンバーなどを見ていると半年か3カ月に一回くらいの頻度で日本形N車両の自作、改造記事にお目に掛かります。それらの極め付けとなったのが75年10月号の「流線型C55」でTMS自らが車体キットに乗り出している事、そのおまけに「戦時型D51のテンダー」という「蒸気である事を除けば時代も性格も全く異なる車両」が同じキットに同梱されていました。要はそれくらい車種が不足していたという事です)

 ですからこの時期のN(当時は9ミリゲージと言う呼称が多かった)ユーザーの大半はKATOの日本形と同じくらいの比率で海外メーカーの外国形の編成をチャンポンさせて楽しむのが一般的だったと思います。
 その事は当時のレイアウトを俯瞰していた「レイアウトモデリング」「レイアウトテクニック」のレイアウトの車両のラインナップを見れば一目瞭然です。

 精々が関水のEF70と(当時2種類しかなかった)20系、あるいはC50とオハ31系位しか日本形が無く後はトリックスやアーノルド辺りの欧米型(当時はドイツのメーカーでも結構アメリカ形の製品が多かった)が半分かそれ以上を占めていました。
 まあ、ストラクチャー等のレイアウト用品も外国製に頼らざるを得なかったですからやむをえなかった事情もあると思うのですが、この頃のレイアウトは「山や川のシーナリィテリングは日本風、建物類はヨーロッパ調、列車は無国籍チャンポン状態」というのが大半だった訳です。
 (この状況の変化を実感させたのは1975年の1月頃にTMSに出た純日本風レイアウト「河内鉄道」辺りからでしょう。これ以前にも日本形のNレイアウトはあったのですが、河内鉄道以降日本形レイアウトの比率は急速に上昇します)
 ある意味妥協の産物でしょうし、現に当時のTMSの主筆の山崎喜陽氏もこの傾向を指して「9ミリのユーザーは『線路があって車両が走れば鉄道である』と捉えている向きが多いのではないか」と言った意味の事を書かれていた記憶があります。
 ですが今になってこの当時のレイアウトの記事を見るにつけ、その自由さ、融通無碍さに独特の感銘を受ける事がありました。

 運用上に最低限の決まり(ここでは考証、時代設定など)が無いと「子供の遊びと取られかねない」(当時も今も鉄道模型の趣味をやっている人間には大なり小なり「幼稚扱いへの懸念や恐怖」があったと思います。私の見たところ大半は一種の自意識過剰の産物に思えるのですが)のはわかります。
 ですが趣味のひとつである以上はどこかに「突き抜けた何か」があっても良い様な気もします。

 「無国籍チャンポン状態」がそれだと言い切る訳ではないのですが少なくともそれに近いものはあると思います。
 今回ジャンク箱で入手した100以上のアイテムは半分以上が外国形でした。
 当然これまで私が持ったり見たりした事のない物ばかりなのですが、これと初期の関水金属製品が入り混じる様(さま)に一種の解放感に近い自由さが感じられたのです。

 そしてそれらの一部を自分のレイアウト上で運転して見た時に又別個の感動があったのも確かです。

 これまで私のブログにお付き合い頂いた方ならお分かり頂けると思いますが私のレイアウトは21世紀になって作った純粋な日本形のレイアウトです。
 アクセントに外国形の建造物を混ぜているとは言え、それらの比率は全体の5パーセントもないでしょう。
 当然走る編成もイベント列車などの一部を除けば99パーセントが日本形です。

 ところがそこに持ち込まれたアメリカ形B&Oのステンレス客車やターボトラン、C58風タンク機の牽引するアーノルドの欧州型2軸貨車の編成がKATOの20系ブルトレや、マイクロの483系なんかに混じっていきかう光景はまさに「鉄路のお祭り騒ぎ」そのものであり、これまで日本形しか走らせてこなかった時に感じなかった解放感をもたらしてくれました。
 事によると70年代前半までのNゲージユーザー、レイアウトビルダーの何人かもこれと同じ気分だったのではないでしょうか。

 上述の書籍に出てくるNのレイアウトの作者はその大半がかつて16番の日本形を中心にやってこられた方でした。本来なら外国形の多い当時のNゲージのラインナップに対して拒否反応を示してもおかしくはない筈ですが不思議とそういう所が感じられません。
 運転やレイアウトを楽しむ層というのは車両中心のモデラーに比べて鉄道に対する感覚が良い意味で自由奔放な気もします。

 今回の試運転大会はそんな事を考えながらもとても楽しいひと時ではありました。 

ジャンク箱から・エンドウのスナックカー

2014-05-30 22:57:30 | 車両・私鉄/民鉄
今回もジャンク箱から。前回紹介したエンドウのビスタカーに関連して。

 こちらは同じエンドウのスナックカーの2連です。
 スナックカーはビスタカーとの併結を考慮しているそうで、モデルでも非動力の2連バージョンが存在するそうですが今回は動力つきでした。
 真面目に併結させると2M編成となりかなり喧しそうです(実はまだ試していません)

 この場合、2連の特急列車と言うのは結構珍しいと同時に小レイアウト向けではあります。
 ビスタカーもそうでしたが驚くべき事にこの編成もあの図体でありながら140Rのミニカーブはクリアできます。
 動力は例によってがさつでスピードも出ませんが迫力すら感じさせる走りを見せます。

 この電車、「スナックカー」を名乗る位ですから車内で軽食くらいは食べさせてくれる電車と思っていましたが、実際、運転席後部の一枚窓の部分は売店コーナーが入っていたそうです(地元の人には当たり前すぎる知識かもしれないですね汗)
 この構造だけで何かワクワクしてしまう私ははっきり言って田舎ものです(笑)

 ブラスボディの強みで窓抜きがきれいなのがモデルの強みです。


レイアウトにモスラ来襲!(笑)

2014-05-25 20:17:07 | アクセサリー
 今回はイロモノネタです(笑)
 当レイアウトを闊歩する事のある怪獣たちはゴジラ、ガメラ、メカゴジラと言ったメジャー系からジェットジャガー、レオパルドンと言ったマイナーロボット系まで様々ですがその中でも個人的に本命と目していたのが「モスラの幼虫」でした。

 適当なサイズのソフビでもあればぜひ出演させたかったのですが先日になってやっと出物を中古ショップで見つけてデビューの運びとなった訳です(笑)

 何故モスラかと言うと「街並みの中を重戦車よろしく蠕動するビジュアルイメージ」がレイアウト向けと思えたからですが、今回のソフビはサイズがやや小さいのでNスケールのビル街の中では少々迫力不足を感じさせてしまうのが難です。

 とはいえ、造形自体は非常にリアルでそこそこウェザリングも施されそう悪いイメージではありません。

 「街並みとモスラ」の組み合わせで一番印象的なのはやはり第一作の渋谷道玄坂界隈の場面ですがあの当時はそれほど高層建造物もなかったので建物とモスラの比率も適度のリアルな巨大感を感じさせるもので私も好きな場面です。
 モスラ自体は以後も何度もゴジラと客演したり、リメイクでシリーズ化されたりもしたのですが第1作の持つ「ファンタジー性とリアルな都市破壊シーンの融合」を超えるものは結局出ませんでした。

 ですが私のレイアウト内では建物が大き過ぎて今一つのイメージになってしまいました(汗)
 もう一回り位大きめのソフビがあれば良かったですね。

 こういうお遊びができるのもレイアウトの楽しみのひとつではあります。

今月の古書から「ほろびゆく蒸気機関車」

2014-05-25 20:15:28 | 書籍
 今回はこの間入手した古書から。

 「滅びゆく蒸気機関車(関沢新一著・ノーベル書房)」
 知っている人は知っている昭和40年代SLブームの起爆剤となったベストセラー写真集です。

 ただ、それほどの本でありながら私自身これまで買わず、又機関士の親類やその関係者も持っていなかった(あるいは買わなかった)のでこれまで目を通す機会がありませんでした。
 もちろん故郷や現住地の田舎の様な所では古本の出物もありませんし、秋葉の中古ショップ辺りだとそれなりの値付けになっているのが普通です。
 が、今回は秋葉帰りに大して期待しないで入った古本屋でようやく安価な出物を見つけられました。
 それにしても写真集と言う奴はなんて重いものか(汗)

 マニアと言うよりは一般向けに蒸気機関車の魅力をアピールした写真集だろうという事は購入前から漠然と想像していましたし、以前関沢氏が編集していた「蒸気機関車」という雑誌などと同じ香りがするのではないかと思っていました。

 帰途の電車の中でパラパラと開いてみましたが、その瞬間引きこまれました。
 マニア向け写真集にありがちな過剰なディテール描写こそ少ないのですが「日本の四季の風景の中を煙を上げて疾走する蒸気機関車の編成」という当時はよくある風景のシチュエーションをこれほど叙情的に捉えたものは今でもそうそうない気がします。

 特徴的なのは写真の中で風景や空の占める割合が非常に大きい事。
 「だだっ広い田園風景の真ん中辺にポツンと煙を吐いたローカル列車が走る」といった構図が目立ちます。
 鉄道ファンを自称する向きにはこういうのを嫌う人も多いと思いますが「ページを開くと風景に引き込まれる」と言う独特の感覚に浸らせてくれるのは本書の御利益の気がします。
 これを観た瞬間「四谷辺りを走っている筈のE233の車内が一瞬で勝狩峠に変わった」位ですから(驚)

 この叙情性こそがこの本の肝でありSLブームを切り開く原動力となったのであろう事が容易に想像されます。
 プロカメラマンでなく、鉄道マニアとしての知名度が当時低かった(それでいて趣味に対する見識は非常にしっかりしていた方ですが)一方で作詞家や脚本家として抒情的な描写の要領を掴んでいた関沢氏だったからこそこうした本が出せた様な気がします。

 何よりあの当時の本で「蒸気機関車」に繋ぐ詞に「栄光の」でも「輝かしき」でもない、「ほろびゆく」と冠したところに非凡なセンスを感じます。
 本書の出版当時一部のマニアを除けば蒸気機関車など「けむい上に遅いだけでさっさと淘汰されるべき存在」として一般に認識されていた筈でそれが東京オリンピックを控えた高度成長期の空気だったと思います。
 そんな行け行けムードの陰で「黙したまま滅んで行く物への郷愁」を掻き立てる物として蒸気機関車はわかりやすい象徴たりえた事。これもブームの理由のひとつだったのでしょう。
 (「ほろびゆく0系」とか「ほろびゆくブルートレイン」では今ひとつピンときませんし)
 そういう形で蒸気機関車を分かりやすくアピールできた所に関沢氏の非凡さを感じました。

 とはいえ、ワタシ的には故郷で撮影された写真が多かったのが嬉しかったですね。

ジャンクの玉手箱から「アーノルドのレールバス」

2014-05-25 20:14:04 | 車両・気動車
  今回もジャンク箱の中から

 アーノルドラピードのレールバス。
 聞く所では1960年代頃から出ているNゲージ草創期のモデルで、実際同時期にTMSのNゲージレイアウトの製作記事を見るとこの機種が居るのをちらほら見かけます。
 恐らくオーナーも同じ時期に買ったのではないでしょうか。
 日本型のレールバスは何両かあるのですが、私にとってはこの種の車両の中では初めての「外車」です。

  カタログなんかでは臙脂色の物がポピュラーなのですが今回の個体はクリームとブルーの横須賀色(笑)
 スカ色好きの私なんかからして見ればまずここでそそられます。
  加えて日本型にないのびやかなプロポーションは他のレールバスにないカッコ良さがあります。

 二軸動力でライトも点灯。70年代初め頃のモデルとしてはなかなか充実しています。
 車体はダイカスト製らしくトレーラーでも結構な重量があるのですがはめ込みガラスを使っていても結構な肉厚感があり「動力の付いたトミカ」と言った趣です。
 走行性はこれだけの年式の機種なのでスムーズとはいきませんが一応走ると言った所でしょうか。
 ここなどは今後の調整でどうにかしたい所ではあります。

 残念な事にこのレールバス、ホイールベースが長い上に車輪の横方向の遊びも余りないのでミニカーブの通過は出来ません。
 せっかく棚幡線の新星と期待したのですが(笑)

 更に欧州規格の1/160スケールの為に日本形と並べるとやや小ぶり、と言うか車高の低さが目立ちます。
 どうかすると日本形のホームにも高さが合わない感じで路面電車として使った方がいいのかもしれません。

ジャンク箱モデル関水103系のクーラーを補充する

2014-05-25 20:09:47 | 車輌・電車
先日紹介した関水金属の103系の話の続きです。

 前にも書きましたが、この103系真ん中辺りのグローブベンチレータが外されそこにGMの物らしいクーラーが乗っかっていました。
 とはいえ、全部がそうだったらよかったのですが中には数両くらいクーラーが外れて紛失するか何かしてベンチレータの台座だけが残っている寂しいモデルも結構ありました。
 
 今回の103系のレストアはまずこの部分のクーラーを補充する所からです。
 その集中式クーラーのパーツですが偶然と言うか近所のHARD ●FFの処分品の中にGMのパーツがあったのでそれを使う事にしました。
 定価が400円位の所300円ですから新品でもそう大きい出費ではないですがキットもトータルが主流の今、今でもこのパーツがあるのかどうか(?)

 早速空いた車両からクーラーをつけ直してゆきました。
 こうして編成の上ではほぼ全車が冷房装備となりましたが。

 ここである事に気付かされます。
 前のユーザーが付けていたクーラーと今回リペアしたクーラー、形は同じですが造形がまるっきり違います。
 全13両の103系を見回すと今回追加した物と併せて都合3タイプの異なる造形のクーラーが視認できました。

 恐らく真ん中のファン周りがただの穴になっているのが最も古いバージョンと思われます。
 それとは別に穴の中にファンのプロペラらしき造形をしたものもありました。
 今回追加したバージョンでは同じ穴にメッシュ表現がしてあります。

 リペアの過程でパーツの進化を一望できるとは思いませんでした(笑)
 Nゲージに限らず個人レベルで鉄道模型を走らせる時は大概上から眺める事が多いのですが、今回の103系や屋根上のバラエティも楽しめるというおまけが付きました。


ジャンク箱モデル関水103系の動力ユニットをいじる

2014-05-23 22:57:28 | レイアウト・竹取坂
 先日のジャンク箱入手以来旧モデルのチェックとレストアが続いています。

 今回はKATOの旧動力の整備と分解を行ないました。
 この動力は70年代から80年代にかけて103系電車やキハ20系等によく使われていた凸型のユニットです。 
 75年にGMが完成品の111系をリリースした時、動力を自社で賄えなかったためKATOのモハ103から動力をコンバートできる設計にしていたというのは有名な話でしたし、70年代末の電車のエッチングキット(SHOEIの東急8500など)も同様にこの動力を使うようになっていました。
 それ位当時は工作派にとっては最もポピュラーな動力ユニットとしても機能していたものです。

 今回のジャンク箱にはその103系だけで3編成、中には2M仕様の編成もありましたからトータルで5両の同形のユニットが入っていました。
 事前のチェックでは曲がりなりにも走れる物は3個。
 残り2個は引っかかりが激しかったり当初から動力が不動でした。

 今なら当のKATOの現行品の動力を拾ってきてコンバートした方が性能面では安定していますし、大体、鉄コレの動力ユニットならもっと簡単に入手可能です(予算があればの話ですが)
 とはいえ、せっかく入手したものですし換算で1両辺り500円位の動力ですからこの機会に分解整備を試みるのも無意味ではないと思います。

 これまた幸いな事に科学教材社の「Nゲージ」でKATOクモハ103の動力を分解する項があり、全くの五里霧中だけは避けられそうです。
 早速時計ドライバーとHOZANのピンセットの出番です。

 この動力もウェイトのダイカストの塊を通電材の一部として使っています。
 片方の極はそれでいいのですが、反対側の極はどうやって通電しているかと言うと床板に這わせるように針金が渡してあり、これを使って通電している構造です。

 モータから台車までの間はウォームギアでつながっていますが、真ん中辺にボール状のジョイントを介してあり少しなら折れ曲がりに対処できます。
 GMとかしなののオリジナル動力ではこの種の継手が無く、モータ軸から延びたシャフトが直接台車上のギアに伝達する構造でした。
 当時からKATOの動力ユニットは他社に比べて先進的かつ安定していたと思いますが、動力開発での気配りの点で他社から頭一つ抜け出た存在だった事がわかります。

 当然そのままだと通電しているウェイトがどこかで対側の配線に触れてショートする恐れが高いのですが、片側の床板固定ねじは樹脂製の絶縁パーツを介する構造にする事で対処しています。

 さて不動品のユニットからチェックしたのですがモータ内部から何本かの釘が出てきたのには驚きました。
 恐らくレイアウトの線路固定用の釘を巻き込んでいたものと思われますが、こんな状態でまともに走れる訳もありません。
 早速釘を撤去して動力を再度組み直し、露出したギアにはオイルをひとたらし、車輪もクリーニングしました。

 その結果不動品の方は好調とはいかなかったもののどうにか走らせる事が可能となりました。

 もう1両の走りが引っ掛かる方は、走行中に派手なノイズを出していた為ギア周りのトラブルと見当をつけました。
 この場合ギアのかみ合わせが悪くなっていた事が原因でしょう。
 ですが、こうなると素人にこれ以上の調整は難しい感じがします。

 両軸駆動のユニットでもどちらか片方のギアに不調が出ると反対側のギアも動きが悪くなる事からノイズのひどい方のギアを台車ごと取り外しました。
 片側駆動の変則的な動力になりますが、短編成の範囲なら問題なさそうです。

 早速片方のウォームギアを取り外して試走して見たところ引っかかりも多少あるものの前よりはましな走りになりました。

ジャンクの玉手箱から「KATOの初代DD13」

2014-05-23 22:55:45 | 車両・ディーゼル機関車
 今回もジャンク箱から。

 KATOのDD13の初期モデルです。
 DD13は先日初期型が同じKATOから現代の水準でリリースされたばかりですが、丸目二灯式の後期形は登場以来30年以上を経ながら全く魅力が色褪せません。
 考えてみればこれはとてもすごい事だと思います。

 このDD13はタキ3000と同様に当時としてもかなりの傑作モデルに数えられると思います。
 と言うか、このモデル自体が以後のKATO製品の質的なベンチマークとなったほどの機種だったそうです。

 たしかにそれ以前のKATOのモデルは車体はディテールを含めて一体成型なのが基本、一部の蒸機を除いて箱型ボディが中心でした。
 それがこのDD13は凸型の複雑な形状なうえに前後にデッキを持つ関係上手すりの表現は必須。
 おまけに当時の国鉄型ディーゼル機の3色の塗り分けも表現しなければならないですから量産品メーカーとしてはかなりハードルの高い素材だった事は容易に想像できます。
 もちろん動力も他から転用できず全てをゼロから作らなければなりませんし。

 それだけの課題を突き付けられながら(手すり表現については先行していたタキ3000でノウハウを蓄積していたにせよ)それをかなりの高水準でモデル化したのですからまったく大したものです。
 以前紹介したナインスケールのDD13と比べるとあらゆる点で雲泥の差を見せつけられます。
 (とはいえナインスケールのも当時としてはかなり凝った構造でしたし、KATOのそれより安価な上にリリースも4年近く先行していた点は大いに評価されるべきと思います)

 手すりのクリーンさ、車体表現の的確さ、塗り分けの良さ、どれをとっても現行の平均的なモデルと並べても遜色ありません。
 しかも走行性も十分スムーズですしヘッドライト点灯も当時の新世代モデルにふさわしいものです。
 外見上気になる点と言えばカプラーが台車マウントの関係で前面デッキ下に大きな欠き取りがある事位でしょう。
 それにしたところで「現在の最新モデルと比べて」始めて気になるレベルです。

 改めて触れてみるとその凄さ、そして当時のKATOの技術陣が全力を出し切ってモデル化した事がよく伝わってきました。
 もし鉄道模型に「カーオブザイヤー」みたいなものがあったとしたら1978年の大賞は間違いなくこのDD13になっていた事でしょう。
 もちろんN・16番を問わずです(笑)

ジャンクの玉手箱から「クモヤとクモニペア」

2014-05-23 22:52:23 | 車輌・電車
 今回のジャンク箱の中から。

 しなのマイクロのクモヤ143&クモニ143のペア。
 しなのの荷物電車は以前にクモユニ82を入線させていますが今回は塗装も窓周りも異なる事業車&荷物車です。

 例によってブラスボディの一発成型みたいなボディ構造ですがこの種の切妻電車の場合には向いていると思います。
 窓がクリーンに抜けている事、最小限とはいえプレスの浮きだしによる表現もあっさりながら良い味を出しています。
 昨年ペーパーで似た様な車両(クモユニ74)を大惨事な出来で作った事のある身にしてみればこのクリーンさはとても眩しく感じます(汗)

 動力はいわゆる「フライホイール付き」でそこそこスムーズな走りを見せます。ごく微妙ですが蛇行もしますし。
 それにしてもこの種の荷物電車は単行でもよし、編成の先頭に立てても良いアクセントになり中々侮れません。

 クモヤの方は偶然にもほぼ同じ形式のGMのモデルが既に入線(しかもこちらはトレーラー)しているので2連編成が組めます。
 回送編成なんかに使えるかもしれません。

ジャンクの玉手箱から・「Nゲージ2軸客車の百花繚乱(驚)」

2014-05-18 18:15:41 | 車両・客車・貨車
 今回もジャンク玉手箱から。客車のはなしです。

 こちらのジャンク箱にはアーノルドやリマ等複数のメーカーの二軸客車が計8両も入っておりました。
 特に棚幡線のミニ機関車に牽引させるには好適なものが多く助かります。

 これまで当鉄道に在籍していた2軸客車というとKATOのチビ客車(通称ユーレイ)とマイクロが1号機関車に牽引させる明治初期のマッチ箱位しかありませんでした。
 例えばミニトリックスのT3とかフライッシュマンのBR86辺りに牽かせる事を考えた時前者は悪い意味でオモチャっぽ過ぎましたし、後者はあまりにも素っ気なさ過ぎて何れも微妙に似合わない感じがします。

 これが貨車だと客車より実用性を重視したデザインなので国籍の異なる編成でもそこそこ見られるのですが、二軸客車の場合だとデザインのマッチングは考えさせられる要素です。
 その点今回入線の二軸客車はいずれもセンスも良く、派手すぎないところが何よりの美点です。
 この種のセットは2連編成を基本としているらしく丁度2両づつ異なるメーカー、デザインになっているようです。

 それでいて(臙脂色の客車)の奴等は窓が半開きになったモールドになっていたりと小技も効いています。
 又、殆どの客車がデッキ付きなのでここに人形を立たせてみるのも面白そうです。

 この中でリマの奴だけが若干大きめですが、それとて日本形のKSKタイプCタンクに似合いそうです。
 主に運転会での棚幡線のミニエンドレスへの運用や年末年始の年越し運転などでも活躍が期待されます。

 それにしても歴史が長いせいなのか欧州型は2軸客車のラインナップが相当に豊富でバリエーションも広い事を再認識させられる出来事でした。


鉄道コレクション・富士登山電車から

2014-05-18 18:12:48 | 車両・私鉄/民鉄
 先日は連休が明けて最初の平日休だったのですが思い切って河口湖まで足を延ばしてみました。

 この辺りはまだ桜が散り切っていない様子で春の残渣のようなものを感じます。
 とはいえ、そこここで電線や斜面の補修工事をしているところに2月の記録破りの豪雪の傷もまた感じてしまいます。
 その意味では春どころか冬すらもまだ終わっていない気にもさせられますが。

 さて、今回ここまで出かけた目的のひとつは「富士登山電車の鉄コレ」だったりします。

 実を言いますとこのモデルがリリースされていたのをまるで知らず、知った時には2週間以上経過(大汗)
 以前、富士急行の事業者特注品の鉄コレを買った時の行列の長さを覚えていたので今更入手はできないだろうと半ば当てにしないで出かけたものです。
 幸いと言いますか場所によってはまだ入手可能な様でほっとしました。

 富士急行の主力は京王5000系でこれまでにもマッターホルン号やエヴァンゲリヲン電車などのバリエーションがモデル化されていますが今回の富士登山電車は私にとっては本命だった編成です。
 実車そのものも前述のバリエーション車に比べてかなりスペシャリティ度が高く、内装のいじり加減などはこれがついこないだまで通勤電車だった車両かと疑いたくなるほどです。
 何しろカウンターやショーケースはもとより展望台や本棚までついていますし。
 小レイアウトでもそのスペシャル性は高いと思います。

 モデルですがいつもながら車体のレタリングの細かさには頭が下がります。これを自分で塗る事を考えるとこれだけでも製品化の有難味を感じさせる部分で(笑)
 このモデルはインテリアも専用の物を奢っており、他の車両では観られない特異なシート配列もきちんと再現されているのが一番のポイントと言えます。
 この点だけでも抜かりはありませんが、実車のインテリアが結構カラフルなだけに見ていると色差しをしてみたくなる衝動にかられます。
 また、この車両ほど人形を乗せるのが面白そうな車両もないのではないでしょうか(ポージングへの対応度が他車に比べて高い気がします)

 それだけに動力化が何となく憚られてしまうのがこのモデルの辛いところです。
 元が京王5000なだけに「到底登山電車に見えない」問題(笑)もあるのですが、中身のスペシャル度が高いだけに当面は通常編成との併結で対応しようかと(実車はそんな使われ方はしていないことが多いのですが)

 個人的な感想ですがこれだけ内装に凝った小編成の車両なので16番でモデル化しても面白い感じがします。


関水金属の初代EF70の動力のはなし(涙)

2014-05-18 18:09:31 | 鉄道模型 
 今回はジャンク箱のはなしの番外編です。
 前にも触れました関水金属の初代EF70の動力のその後について。

 このモデルは現在の様なスナップオンの組みたてとは異なりかなりの部分にねじを使っています。
 時計ドライバーとHOZANのピンセットを動員して動力を見てみます。

 モータは前回紹介の通り16番用モータをベースにした棒形です。両軸のシャフトから一直線のウォームギアで台車に伝達する所はGMの初代動力やしなのマイクロのそれに似ています。
 試みにモータを手で回すと楽に回ります。
 通電して見ると非常に元気よく回りました。とても50年近く前のモデルとは思えません。

 ですから以前のエーダイDD54の様なモータのトラブルではないらしいです。
 すると残りは伝達系です。
 よく見ると台車のギア部やモータのシャフト基部を中心にかなり埃が絡まっています。
 これはHOZANのピンセットでつまみ取りました。個々の製品はこういう用途にも非常に重宝します。

 と、同時に分かる事は以前紹介したしなのの不動品ED15とは異なりこちらのEF70は一定期間は現役で活躍していた(ギアに埃を噛みこむ位には走っていた)事が示唆されます。
 ただ、そうなると今度はギアや伝動機構の劣化の可能性がかなり高い事になります。

 自己流でギアの清掃と調整を済ませてレールに載せて通電。
 最初の数センチは走りましたが、そこで再び不動になります。
 しばらくするとモータが暖かくなってきました。やはり通電ではなくギアのかみ合わせの様です。

 モータやギアを手回しして確認するとやはりウォームギアと台車のギアのかみ合わせが不安定で一定回転すると引っかかる事が判明しました。
 つまり、走ったとしても最初の数センチで再び止まってしまうという事です。これでは到底実用にはなりません。
 
 せっかくここまで来たのですが…
 とりあえず現段階では今以上の走行性は望めそうにありません。

 今後はこの部分の調整をどうするかもう少し検討してみる積りです。。
 出来るなら再び走らせてみたいですし。

ジャンクの玉手箱から・「103系の大量入線(驚)」

2014-05-16 21:31:05 | 車輌・電車
 今回もジャンクの玉手箱から
DSCN9842.jpg
 今回は関水の103系です。
 じつは当鉄道のラインナップでは103系は少数派でした。

 GMのATC仕様の完成品の他は仙石線仕様のラウンドハウスのモデルが目立つ程度。
 ましてや初期の低運転台モデルなどは殆どありません。

 私がこの趣味に入った1975年当時はNゲージの電車と言うと後にも先にも関水金属の103系しかなかったのですから考えようによっては異常とも言えなくもありません。
 ですが当時の私にとっては4扉で鮮やかなモノカラーの103系と言うのは無条件に「大都会の象徴」以外の何物でもなく当時から私が志向していた「地方都市~近郊ローカル線」というシチュエーションからは0系新幹線と並んで最も遠い存在でした。

 実際旅行などで上京しても「むやみに人を詰め込んだベンチシートの4扉電車。車内には吊皮と雑誌広告の群れ」というのは「絶対に田舎では見られない」ものでした。
 (大体当時の私の故郷の普通列車はオハ47とかオハフ61ばかりで吊革どころか車内広告にも縁のないハコでしたし)

 そんなわけで103系と言うのは私にとっては空白区みたいな存在でした。
 ところが今回のジャンク箱の中には103系が出るわ出るわ。
 スカイブルー9両、オレンジとイエローが4両づつ、何と4編成17両の大量増備となったのです。

 ただ、どれもこれも40年以上前のモデルの上に前のユーザーが手を加えた部分も多いので「骨董品」としての価値はまずありません(笑)
 尤も私もそんな値打ちは殆ど期待していないのですが。
 重要なのは「これらは走るのか?」ですし、将来的には色差しやパーツ追加なども考えています。

 それでもこれらのモデルが「どんな時期に作られたどういう特徴を持ったモデルか」には少なからず関心があります。
 前のEF70みたいに現行品と違いすぎる中身だとレストアの時に悩まされますし(笑)

 例によってこういう時には非常に役立つ「鉄道模型考古学N」をひっくり返してチェック。
 オレンジの中央線仕様ですが車体表記が「クハ103-1」と言った具合にファーストナンバーになっている事から見て1970年代初めから中期のモデルと思われます。
 他の編成もスカイブルーのサハ103のナンバーが異なる位でおおむね同じです。

 実はこの103系も関水の最初期のモデルはカプラーはドローバー、動力は片側台車伝達と機構的に癖の強いモデルとされ、コレクターでない運転派にとってはやや厄介な編成のひとつと思えます。
 が、今回増備された物は私も持っているキハ20系とほぼ同じ機構な上に当時の科学教材社の「Nゲージ」にも詳細な動力分解図が掲載されているので動力系の調整はやりやすそうです。

 簡単なチェックの範囲ではオレンジはスムーズ、イエローとスカイブルーはやや引っ掛かりが感じられますが走らない訳ではないようです。
 その意味では掘り出し物かもしれません。

 外見上では前のユーザーの趣味なのか、ほとんどの車両で中央部の決まった位置のグローブ型ベンチレータが外れたり欠落しており、そこに当時のGM製の集中式クーラーが付いたり、ついていた形跡があったのが面白いと感じます。
 これも70年代後半には誰でも出来る103系のグレードアップの定番でしたし、後にGMがクハ103のATC仕様を出した時にも中間車を揃えるためにクーラーを追加していたユーザーが多かったと思います。
 おまけに実質GMのエンドウ103系の編成までありますし。
 今回のジャンク箱にはGMのクハはありませんでしたが幸いな事にGMのクハ103は私の手持ちにもありますので(オレンジのみ)当時の編成の再現は容易です(笑)

 なお、ここで言う「当時の編成」というのは実物に乗っ取ってと言うよりは「70年代のNゲージャーがよくやっていた事の再現」と言う程度の意味ですが(汗)

 それにしてもここに来て103系も一気に世帯を増やしました。
 実物のみならず、当鉄道でも103系の「偉大なる凡庸」の殿堂(爆)入りは確実でしょう。

ジャンクの玉手箱から・「Nゲージ最古のコキフ10000」

2014-05-16 21:27:50 | 車両・客車・貨車
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 ジャンク袋の骨董品シリーズ。
 今回は私にもやや意外な掘り出し物です。

 前回紹介した関水金属のEF70ですが記述の通りカプラーは今のカプラーと全く互換性のないX2Fです。
 ですが同じジャンク箱に入っていた他の車両で同じカプラーの付いたものが殆どありません。
 事によると前のユーザーは単機回送で使っていたか牽引していた客車や貨車をなくしていたのかもしれないと思えました。
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 そんな折にジャンク箱を整理していたところ中にあったコキフ10000の車掌室側の片方がX2Fを装備していたのを発見して謎が解けました。
 実はこのジャンク箱にはコキ10000、コキフ10000も何両かあったのですが殆どがアーノルドカプラーを装備していたので一つだけX2Fだったのを見逃していたのです。

 驚いて早速手持ちのRM MODELSの「鉄道模型考古学」をひっくり返してみたところ、初期のコキ、コキフの記事を見つけ出す事ができました。
 以下はそこで書かれていた記事を整理したものです。

 コキ・コキフはEF70の登場と前後して1967年頃にリリースされ、以後いくつかの改良を加えながらも形態上は今売られているKATOのコキと外見上は「殆ど」変わらないまま現在まで出続けているロングレンジモデルとの事です。
 ですが製造時期により様々な差異が存在しやはり旧製品には独自の特徴があるとの事でした。

 それを参照しながらチェックして見ると今回のコキフ10000の最初期型モデルはX2Fカプラーを装備していたそうですがごく短い期間でアーノルドに変更されたとの事です。
 そのアーノルドカプラーも最初のモデルは黒ではなく微妙に茶色っぽいパーツが使われているとの事。

 チェックして見ると車掌室側がX2Fなのは前述の通りなのですが反対側のアーノルドカプラーも茶色っぽいのが視認できました。
 X2Fの台車はカプラーポケットと一体なのは良いとしても形状が特殊な為手持ちのアーノルドとコンバートするのは不可能なようです。

 又、台車の取り付け方法がねじ止めなのも初期型の特徴で現行のASSYで代用するのは難しそうです。
 
 また、これも初期型の特徴だそうですがコンテナと車掌室が一体のパーツとなっている事、車掌室にガラスが無く内部に取り付け用のねじぶたが見えるという独特の構造があるそうです。
 これも実物を取って視認できました。
 コンテナのレタリングも今の物より単純でしかもかすれが目立ちます。
 不思議な事にこの個体は車掌室側と反対側の手すりの取り付けが逆になっているのですが製造上のエラーなのか前のユーザーがカプラーをコンバート(後述)した際にミスったのかは不明です。

 このコキフは車掌室側のみX2F、反対側はアーノルドという特異な構造ですがこれはメーカー品ではなく前のユーザーが手を加えた可能性が濃厚です。

 というのはX2Fを装備したコキは登場後のごく初期の時点しか存在せず、後に冷蔵コンテナ仕様が追加された頃には全てアーノルドになっていた(以後の貨車も全て同様)ためそのままではEF70に使えない問題が生じ、コキフをカプラーコンバート用の控え車に改造したのではないかと思われるのです。
 同じジャンク箱にはコキ・コキフと共にこれまた初期バージョンのワキ10000やス二40(いずれも形式番号がファーストナンバーでこれも最初期製品の特徴のひとつです)があったのでこれらと組み合わせるにはこういう貨車の存在が不可欠だったはずです。
 (時代は下りますが、私自身貨車の中に何両か片方アーノルド、反対側にKATOカプラーと言う控え車を何両か作っています)

 さて、このコキ、全般に現行製品と比べると見劣りするポイント(特にレタリング)が多いのですが、
 この「東」の表記だけは後の製品に見られない美点と思います。

 それにしても
 最古のEF70のみならず最古の高速貨車群まで入っていたとは恐るべしジャンク箱・ですね。