光山鉄道管理局・アーカイブス

鉄道模型・レイアウトについて工作・増備・思うことなどをば。
こちらはメインブログのアーカイブとなります。

レイアウトで富士急まつり・その3

2020-07-30 05:32:35 | 車両・私鉄/民鉄
 自宅運転会富士急行編その3です。

 これまで2回にわたってラッピング車の運行でしたが今回は昭和30年代以降の「ノーマルカラー(車種によってはリバイバルカラー)」の富士急電車で行きます。

 1000系以前は富士急の主力だった5700形。
 元は小田急の2200形だった通勤車です。
 種車の違いで元2220の貫通扉付きと元2200の前面二枚窓の仕様が存在し、後者は事業者特注モデルでリリースされています。
(これを買ったときの騒ぎは一生忘れないだろうなあ汗)
 因みに実車は引退後、甲府盆地を見下ろす某工場の敷地内に旧小田急塗装に復元されて保存されています。
 甲府盆地と小田急塗装の組み合わせ、なんだか妙な感じもしますが。

 元京王5000系の1000系リバイバルカラー。
 これもイベントの限定品で最初にリリースされた鉄コレの「元5000系」モデルでもあります。通常品で5000系の譲渡車が出るのはこの少しあとだったのですが、このモデルを手にして「これなら京王仕様も期待できそうだ」と胸を躍らせたものです。
(でも実際はGMの京王5000系で満足してしまい、鉄コレオリジナルの京王5000系にはいまだに手を出せないでいるのですが)
 こちらの編成は昨年の電車祭りの折、実車を見ています。

 富士急オリジナルの3100形。
 独特の湘南顔と伸びやかなフォルムが特徴の2扉車です。
 この編成は2編成4両が存在していたのですがそのうちのひと編成が昭和46年に踏切衝突~暴走転落事故に巻き込まれて廃車になってしまいます。踏切でぶつかったトラックがたまたまブレーキ配管を直撃、破損したため列車がそのまま下り坂を暴走、急カーブで転覆してしまうという惨事でした。
 (前回紹介の5000形は実質的な後継車の意味合いもあった様です。また5000系が当時としては異例な前突対策・ブレーキ保安装備を施されているのもその際の教訓があったのでしょう)
 モデルは鉄コレ初期の20M車で当時の動力ユニットを使っていますが今でも元気に走ってくれます。
 残り2両の実車はごく最近解体され残っていないとの由。

 ブルーを基調とした富士急行の通常塗装(あるいは旧塗装)は夏場などに見るととても涼感があふれるカラーリングと思います。

シンカンセンでテツドウモケイが買えた頃 パート2

2020-07-29 05:30:05 | 鉄道模型 
 今回は5月に当ブログで上げました「シンカンセンでテツドウモケイが買えた頃(笑)」の続きというか補足の様なものです。

 先日の平日休も押し入れの整理に勤しんでいましたが、先日紹介したJREの通販雑誌「TrainShop」の2007年の号が2冊発掘されました。
 ここでもやはり鉄道グッズに「Nゲージのレイアウト」が掲載されています。それも前回紹介したものとは別の奴ですから、案外「新幹線で買うレイアウト」というのはそれなりに売れていたのかもしれません。

(NRE TrainShop 2007年1・2・3月号1Pより画像引用)

 2007年の1・2・3月号に掲載されていた奴は「TrainShopオリジナルジオラマ・懐かしの田舎町」
A2サイズのベースにファイントラックのレールとパワーパック、ジオコレの一般建物が配置された引き込み線付きのエンドレスという構成。
右奥におまんじゅう体型の山とトンネルがあるのがご愛嬌です。
付属の車両はKATOのキハ20首都圏色です。
このレイアウトで驚かされるのは「駅以外の建物はお届けする商品によって異なります(中略)どんな建物がセットされているかは届いてからのお楽しみ!」「ハンドメイドの為ジオラマの情景は写真と異なる場合があります」「ストラクチャー(建物・人物・車)の指定はできません」という項目です。

 確かに当時の街並みコレクションは基本ブラインドパッケージでしたが7万5千円出して自分の好みの店舗やアクセサリが当たるかが未知数という「博打度の高いレイアウト」というコンセプトは空前と思います(笑)
 ただ、7万5千円という価格はこれまで紹介してきた通販レイアウトや16番車両に比べると最も安価な部類ではあるのですが。

 因みにこの号の表紙を飾っているのはマイクロエースのDD14だったりします。


(NRE TrainShop 2007年11・12月号1Pより画像引用)

 そして同じ2007年の11・12月号は再びKATO・NOCHのタッグによるデスクトップレイアウトが登場します。

 (NRE TrainShop 2007年1・2・3月号1Pより画像引用)
 お値段は13万円に跳ね上がりますが、車両はキハ110の2連に格上げ(笑)
 レールはユニトラック、ポイントも電動化された2つが付き、トンネルが2箇所について建物類もジオタウンにバージョンアップ。
 「人形31体、自動車7台、自転車4台、警官4人、バイク2台」が付属し、配置だけはユーザーが自由に選べるという「なんとなくレイアウトに手をかけた気分が味わえる」というレイアウトのセミキットとも言えます。

 安っぽさがないだけにインテリアとしてもそこそこ通用しそうなレベルですし。

(NRE TrainShop 2007年1・2・3月号1Pより画像引用)
 このほか1・2・3月号では「アメリカのレトロな信号機が貯金箱に!」のキャッチフレーズで「お金を入れると警報機が点滅する、幼児よりも背が高い貯金箱」もラインナップされていますが製造元がなんと「ライオネル」です。アメリカではメルクリン並みに有名なOゲージのブランドなのですがそのライオネルの名前を「新幹線の通信販売カタログ」で目にしようとは(笑)

 (NRE TrainShop 2007年1・2・3月号1Pより画像引用)
 もう少しお手軽なレイアウトと言う向きにも「ぷちらまレイアウト」がラインナップ!
 Nの車両は無理でもBトレ辺りならギリギリ行けそうなシーナリィ付きエンドレスですが付属車両のボディと足回りのバランスを見るとボディはNよりやや大きめの様です。

 以前にも書きましたが「Train Shop」の鉄道グッズがマニアックかつ元気だったのはせいぜいこの時期位まで。以後は同じホビー物でももう少し大人しいラインナップになり扱いも順次縮小したと記憶しています。
光山鉄道管理局

ジオコレの「教会」

2020-07-28 05:24:25 | ストラクチャー
先日みにちゅあーとのレストランの製作記事で「街並みを作るのにはまだ数が不足」とか書いた折、ある方から「ジオコレの教会や写真館が使えるのではないか」と言うご指摘を頂きました。

 喫茶店や写真館は初期の街並みコレクションから出ているアイテムで私も今回の街並み創生に一部を使っているのですが「教会」と言うのには正直意表を突かれました。
 と、同時にこれまで今回のキットメイクを含めて手持ちの建物を色々と並べていて妙に物足りない印象を感じていた理由がわかり、目からうろこの思いでした。

 つまり、これまでハーフティンバーの欧州風の店舗ばかり調達してきてはいたのですが、町の核となるランドマークがなかったのです。
 普通欧州風の街並みとくれば教会はつきもの。
 現に製品化された教会の建物はジオコレだけでも3種類もリリースされ、ファーラー、フォルマーなどの外国製に至ってはもっとリリースされていたのに今回の工作に関していえば全くの盲点だったのです。

 コメントを頂いて早速行きつけのショップに直行し最後の1個を入手しました(ハーフティンバータイプの「C」は他の二種に比べて捌けるのが早かったらしくまさに滑り込みでした)
 ジオコレのモデルらしく造形は大味ですが、塗装は済んでいますし組み立ても実にイージー。
 神社やお寺と異なり、周囲は塀と焼却炉のパーツのみで地面のベースがないので配置の自由度が利くのはこのモデルの美点です。

 購入5分で完成させ(こればっかりはみにちゅあーとにはできない芸当ですねw)試作ベースの街並みに紛れ込ませてみるとそれだけで街並みに一本筋が通った様な感じがします。
 

鉄コレの「富士急行6000系開業90周年記念車両」

2020-07-26 05:13:03 | 車両・私鉄/民鉄
 しばらくぶりの新車の入線です。ひょっとしたらNゲージとしては今年最初の新製品車両の入線かもしれません。

 ものは鉄コレの富士急行6000系開業90周年記念車両の3連。

 6000系のカラバリはトーマスランド号、マッターホルン号が出ていて今回のが第3弾という事になります。
(困った事に肝心の通常塗装の仕様は現在事業者限定品でしか出ていません。尤も実車でもその仕様は現在2編成しかないそうですが)


 富士山に一番近い鉄道という事で、金色の車体に富士山をモチーフにした意匠が浮かび上がるという、6000系のラッピング車としては一番シックな雰囲気の編成になっています。
 モデルとしての仕様はこれまでに出ている6000系と変わりありません。

 このカラーリングが気に入っているので、今回は当初から動力化させる事にしました。
 例によって装着と車輪・カプラーの交換で15分もあれば走行可能。

 トーマスやマッターホルンの様な賑やかさはないのですが記念ラッピング車としては割と落ち着いた雰囲気で、走らせてみてもなかなかいい感じでした。

 ベース車も含めて元205系のカラーリングとしては個人的には一番好きになれそうな仕様です。

 さて、記念ラッピング車としてはこれまでに鉄コレでも出ていますがそれについては次回辺りに。

レイアウトの琴電まつり・2・元京急車編

2020-07-25 05:10:55 | 車両・私鉄/民鉄
  先日第一弾を行った「レイアウトで琴電まつり」第二弾をば。

 全国各地から旧車の譲渡を受けて「走る電車博物館」とも呼ばれる高松琴平電鉄。
 しかしこの私鉄にはもうひとつ地方私鉄としては珍しい「標準軌採用」と言う特徴があります。

 そのせいか主力車種は標準軌か路面電車軌間の私鉄から転入するパターンが多い私鉄と思います。
 その中でも印象が強いのがもと京浜急行の車両たち。
 ごく初期の機種から60・70年代の主力車種までバラエティ溢れる編成が見られました。阪神を思わせる赤胴塗装、最近の黄胴とでもいうべきカラーリングのどちらもこれらの車両には似合っている感じがします。

 今回はその中から3編成を走らせました。

 元デハ230のだった30形、元デハ1000の1080形、元デハ600の1070形。
 京浜急行の個性を現す「真っ赤なボディに白帯」がカラーリングの変更でここまで印象が変わるのかと驚かされる組み合わせです。

 特に1070は2連化でかなり軽快な印象になっていて個人的にお気に入りです。

 さて、前回「鉄コレの登場で琴電の車両増備が進んだ」と言った意味の事を書いたのですが、実は今回の組み合わせに鉄コレの車両はありません。
 実は鉄コレの登場以前にGMが琴電セットと称するキットを出していた事があり、今回の組み合わせもそれに準拠したものです。
 キットの中身は1070、1080、1100の3編成6両で、すべて組み立てればまるで琴電と言う私鉄ひとつを物したような満足感が味わえるお得さでした。

 動力はGM純正(エンドウ製?)なので豪快なノイズを出してガラガラ走って見せますが、鉄コレのスムーズな動力よりも堅実さを感じさせる走りで不思議な安心感があります。

棚幡線の7周年

2020-07-23 05:08:25 | ミニSLレイアウト

 今年の七夕は生憎曇り空で、星も雲の切れ間からいくつか見える程度。
 本当に今年の梅雨は雨が多いです。

 実は昨年も同じ様な気候でしたが、晴れ渡った夜空の七夕という奴にはこのところご無沙汰しています。
 まあ、それは置いておいて、

 7年前の今日はミニSLレイアウト「棚幡線(ネーミングは「七夕」に因んだものです)」の開業記念日でもあります。
 そんな訳で夕食もそこそこに開業記念日の運転を行いました。

 昨年の記念日の折にくたびれた個所の改修とリペアを行うと言っていたのですが、実際に1年経ってみるとレールクリーニング以外手を付けず仕舞いで今日まで来てしまいました。我ながら反省しきりです。

 記念運転では本来このレイアウトで走らせるためのミニSLの編成と先日入線した甲武鉄道ロハ5(IORI工房)のコラボ。
 もともとこういう編成を走らせるためのレイアウトでしたから風景とのマッチングは悪くありません。
 むしろ架線柱一本ないのに電車を走らせる無神経さの方が(苦笑)

 ミニSLの大半はよく走ってくれていますが、それでも最近はポイント部分でぎくしゃく感が目立つようになりました。
 ミニカーブのポイント部分は殊の外レールやフログが汚れやすくメンテも最近では楽ではありません。

 それとこれもいつも思うことですがシーナリィ部分はこっちもまた埃や劣化が目立ち始めています。ここはレール以上にメンテナンスが難しい部分ですが、7年も経つと流石に無視できません。


 やっぱりシーナリィも含めて改修とリペアがそろそろ必要になっているのを実感します。

 ところで今回の運転を機会にそろそろ取り掛かろうかと思っているキットメイクの車両があるのですが、それについては次の機会に。
 (尤も、動力は完成済みですが)

テツドウモケイと隠語のはなし

2020-07-22 05:03:22 | 思いつくままに・考察
今回は60年以上前のTMS特集シリーズを読んでいてふと思った事から。

 物は1960年刊行の「レイアウトガイド」です。
「ロコを作り始めても浮気の虫は収まらず、ユーレイのムキを1台作り、MRやクラフツマンを読んではムラムラしている僕の事だから、安楽マニアがやってきて工作の邪魔をされるのは全く困る。
しかしテンダーがドリルレースの手伝いをしてくれたり、ヤードのヒントに丁度良いのが見付かったりしたのは嬉しかった。
ゲテマニアの友人がくれたダミイのカップラーはそのまま使用、それで完成した。
今度は1200Rのエンドレスに取り掛かるつもりー」


(機芸出版社 レイアウトガイド52P「新読者の為に」から引用)

 今から60年以上前の記事ですから今のファンが読んでも全く持って意味不明な暗号にしか見えない文章です。
 ですが、これがあの時代の「マニア同士しか使わない隠語」あるいは「専門用語」だったようです。
 
 生憎本書の時代から一回り後の世代の私も当時のTMSなんかを読んで半ば腰だめで意味を類推していったものですが、それでも今となっては歯が立たない文章などに当たる事がよくあります。

 同好の士がある程度集まり、更に知識や嗜好が深まるにつれてこの種の「第3者から理解できない内輪の用語」と言うのはどんどん増えるものです。
 それらのあるものはごく短期間で消滅する流行語となりますが、たまにはその中から趣味の一般用語として定着してゆくものもあります(例えば上の文章ではダミーカプラーとかエンドレスが該当)
 やがてそうしたマニア用語の乱用は時代が進むにつれてある程度先鋭化し、同好の士を通り越したマニアの囲い込み的な世界に行きつきやすい気もします。

(筑摩書房刊 とり・みき著「愛のさかあがり(上)58Pより画像引用)
 例えば鉄道模型に関して門外漢と思うマンガ家のとり・みき先生もエッセイ漫画で「マニアが観ると普通の広告だが、そうでない人には何に使うどんな製品だかさっぱりわからない」の例えとして
 「HO,13ミリ、12ミリ、ナロー トミックス カトー グリーンマックス」と言うのを上げた事があるくらいです(因みに「Nゲージマガジン」に掲載の広告だそうです)

 そういえば私も10年位前に家内の知り合いを交えてたまたま買い物の話をしていた時「ポポンデッタ、モデルスイモン、ぽち」とよく行く店名を羅列したら「相手に風俗店と間違われた」事がありました(まあ、鉄道模型のお店には聞こえない字面ではあります)
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 この種の隠語や専門用語を駆使して同好の士の確認を図るというのは鉄道模型に限らず、どの趣味でも言える事なのですが、それがあまり行き過ぎるとおかしなエリート感覚が醸成されたり、閉鎖系の中に閉じこもる傾向に繋がりやすいと思います。
 そういうのが行くところまで行くとまずビギナーが寄り付かない。
 その時はそれでいいかもしれませんが、長い目で見るとビギナーが入り込みにくくなるほど先鋭化した趣味はあるタイミング(それは専らマニアの中心世代が一気に高齢化するタイミングであることが多い)で一気に衰退してしまうケースが多いと思えます。
 そこは気を付けなければならない所でしょう。

 もっとも同じ言語で語り合える仲間がいるという事は私自身を含めた当人にとっては嬉しい事ですし楽しい事でもあります。
 (その意味で近所の鉄道カフェがあるという有難味を最近つとに感じている訳ですが)

 ですからこの種の隠語を否定したくもないし、完全に消し去るべきでもないと思います。
 ですが、この趣味に関心を持ちつつあるビギナーが居たら、その意味をその場で解説できるくらいの度量は必要なのではないかとも思うのです。
 ビギナーと言うのは(私自身の経験から言って)マニアが考えている以上に臆病なものですから。

 という訳で最後に上の暗号文を私なりに解読した文章を記して締めにいたします。

 「(模型)機関車を作り始めても移り気な制作意欲はおさまらず、動力化した貨車(ショーティのボギー車)を1両作ったり、モデルレールローダーやクラフツマンなどの海外専門誌を読んではワクワクが止まらない僕の事だから、工作よりもおしゃべりが好きなマニアがやってきてせっかくの工作時間をつぶされるのには閉口する。
 しかし女房がドリルレース※技法を手伝ってくれたし、名古屋の鉄道模型クラブ会報から工作のヒントを見つけられたのは嬉しかった。
 ゲテモノモデル好きのマニアがくれたダミーカプラーは手を加えずにそのまま使用し(機関車は)完成した。次には半径1200ミリのぐるぐる回り線路の製作に挑戦する積り」

 隠語を使わないとこれはこれで無味乾燥な気はします(笑)

※ドリルレース・・・手動(今なら大概電動)ドリルの先端にドリル刃の代わりに材料を咥えさせて回転し、そこにヤスリ掛けする手法ですが、昔はこれを二人がかりで行うのがポピュラーだったのでしょうか。

みにちゅあーとの「鋭角ビル」

2020-07-21 05:58:01 | ストラクチャー
みにちゅあーとの積みキット消化のはなし

 今回は「鋭角ビルA」を製作しました。
 以前このブログで製品版の日本型ストラクチャーのビルは単純な箱形態が多く単調なのが弱点といった意味の事を書きました。
 その考えは今でも大きく変わっていないのですが、さんけいさんの鋭角ビルはその意味で私の琴線を大いに刺激してくれたキットです。

 都市部は勿論ちょっと大きな町並みでもこういう三角の敷地に合わせたビルというのは意外に多くお目に掛かります。
 市街地のY字路の角、田舎だと旧街道からバイパスに分岐する場所なんかに使えますし、どうかすると碁盤目状になりがちなレイアウトの街並みに変化をつけてくれそうな好アイテムと思います。

 今回のは説明書によればみにちゅあーとの中で星4つの難易度との事で手間はかかりますが、時間をかけて腰を据えればそう難しい事はありません。
 ただ、このキットの場合敷地形状に合わせた壁面の組み合わせに個性は感じるものの「建物の組み立て自体には面白みが薄かった」のは確かです。
(それでも過去に紹介した2種のビルよりははるかに楽しかったですが)

 ですがこのキットの真骨頂は建物の形状が仕上がったあと、テナントをはじめとするアクセサリの擬装工程にあります。
 以前紹介の本屋と同様、1階部分のコンビニ店頭には自販機やごみ箱、のぼりやポスターまで店頭のアクセサリが豊富に用意されています。、
 これらが全て付くと相当に細密感(と生活感)に溢れた雰囲気が出せるのです。
 2階、3階部分は床板だけなのですが、窓の大きい建物だけに仕切りやインテリアを工夫したらさらに見栄えがする事でしょう。
 (私の場合素組みに拘り過ぎてインテリアをつけなかったのを今になって後悔しています)

 実はこのキットの工作で一番手間がかかったのがこの擬装工程だったのですが、一番楽しかったのもこの擬装工程でした。
 実際、キットバッシュでも自作でもビルの工作の一番の楽しみはこれではないかと思えます。

 テナントが入り看板やアクセサリが追加されることで街並みの中で生きるビルの雰囲気は創生されますし、それがなければただの箱作りになってしまう事が大半な気もします。
 (因みにみにちゅあーとでも店舗や住宅の類は建物の構造それ自体に個性があるので前半の組み立ての方が楽しい事が多かったです)

ED75のロストナンバーのはなし

2020-07-19 05:32:55 | 趣味の原点をふり返る

  7月5日に因んで無理やりに「ナナゴの日」とこじつけ、今回はED75のはなしです。
 とはいえ、当鉄道で「偉大なる凡庸第一号」の認定を受けているED75ですから、このブログだけでも年に一回か二回はED75の話をしている訳で、なかなかネタが発掘できないのが辛いところです。

 この趣味を始めたときに最初に入線させた交流機がED75なら、趣味を再開した時真っ先に増備したのもED75.しかもその時には市場から新車のED75が払底していて唯一残っていた「コンテナ貨車のセットもの」を探し出したという思い出も(汗)

 そんな訳で現在当鉄道に在籍するED75は二桁の数。変わり種も結構あったりするのですが、一方で現在ロストナンバーになっているED75も複数存在します。
 ひとつは趣味の中断時に親類の子に譲渡してしまったナインスケール仕様。
 そしてもうひとつが十数年前に親類の元機関士の仏前に上げたKATOの初代モデルです。

 このブログで度々取り上げてきた機関士だった親類の小父さんは若い頃は蒸機にも乗務していたそうですが、現役の最後の時代にはED75も運転しており、16番のモデルも2両自作されていました。
 その小父さんの訃報を聞き、故郷に駆け付けた時の事はまるで昨日の事のように思い出されます。
 
 私の趣味の形成の上で大きな影響を与えてくれた方だっただけに、新盆の折になにか私なりにお礼になるようなお供え物はないかと考えていた時、思い出されたのがED75だったのです。
 現住地で買い揃えたED75を持って故郷に向かい、仏壇にそれを供えた時、小父さんと私との関係に一区切りがついたことが実感されるとともに、趣味人としての私の中で小父さんの存在がますます大きく、強くなっていくのも感じました。

 それから大分時間がたつのですが、今でも店頭や中古屋でED75を見るたびにそんな感慨が胸をよぎります。
 実車も引退してしまい今では鉄博くらいでしか見られなくなっていますし。

 今回並べたED75は歴代のKATO製品ですが、TOMIXも含めてED75はモデルチェンジ・マイナーチェンジが頻繁なモデルでして初期モデルと比べると現行品は走りと言い細密度と言いほぼ文句のないレベルと思います・・・とか書いていたらTOMIXがまたED75をリニューアルするとか。
 ED75の当鉄道での「偉大なる凡庸」の地位は当分安泰ですね(笑)

みにちゅあーとの「レストランB」

2020-07-18 05:30:22 | ストラクチャー
 みにちゅあーとネタから一席

 前回紹介しました「木組み風のレストラン」
 実はこれにはAとBがあり前回紹介のはAのほうです。

 実はこのレストランにB仕様があった事を知ったのは割合最近。
 丁度「グーチョキパン店」「ラビットハウス」などの木組み風建造物を次々に作っていましたから街並みのバリエーションをつける意味で敢えて通販で入手しました。

 木組み風とはいえ形態が単純なので組み立てに要する時間は2時間ちょい。
 もちろん日曜日の昼下がりの昼寝タイムを潰すくらいの手間で作れます。

 が、出来上がったレストランはこれまでの建物に比べて妙にパチモン臭いのです。
 欧州風の建造物にしては屋根の傾斜が浅く、窓がいっぱいある割には一つ一つが小ぶり。
 しかもこの種の建物には大概ありそうな「窓の鎧戸」がないのです(尤も、組み立ては非常にイージーに進んだ理由のひとつがこの『鎧戸がない』でもあるのですが)

 要するにこのレストランは本格的な欧州風の建物というよりは「日本人の頭の中で考えたヨーロッパ風」を具現化した建物と言えます。
 ですから、これが似合いそうなのは「田んぼのど真ん中とか山の中の国道沿いなんかにある観光施設とか道の駅のおまけに追加されたレストランまたは田舎の博物館」というノリだと思います。

 実際、田舎ではこういう建物が本当に増えました。

 で、完成したそれをこれまでの欧州風の街並みに混ぜ込んでみると本当に「日本のどこかにありそうな田舎のスイス村・ドイツ村」みたいに見えてきて困りますw
 否、今回の街並み改修の狙いもそこですから問題はないのですが。

レイアウトと街並みのコーディネートに思うこと

2020-07-16 05:27:01 | 思いつくままに・考察
 先日来さんけいのペーパーキットを作っていて「できたそばから既存の街並みに組み込んでみる」というのを繰り返しています。



 レイアウトと言えども固定した時間軸で風景を冷凍するような物よりも、常に変わり続ける風景も表現したいという個人的なポリシーから運転会やイベントに持ち込まない自分用のレイアウトでは基本建物類を固定せず入れ替え可能にしています。
 ですからその時の気分とか、新しいモデルが出たとかすれば適宜入れ替えもありますし、模型らしいというか入れ替わる建物も新築ではなく時代的に却って遡行してしまうように入れ替える事もあります。

 こうして少しづつ私の好みやノスタルジーの風景に近い街並み(勿論架空の街並みですが)が構成されてゆくのですが今回はその過程にまつわるはなしをば。

 今回のTamTamとか自転車屋さんなんかがそうなのですが、レイアウトの配置に使いたくなる、私の琴線を刺激してくれる建物というのに時々出会う事があります。
 過去ではジオコレの商店長屋とか、ジオタウンの角店、TOMIXのアパートとか近代住宅なんかがそうです。GMのキットだと店蔵や看板建築が入ってきます。
 これらの建物に共通しているのは「どこにでもありそうな普通の建物」である事、それも「普段何気なく見ているがゆえにその場の記憶に残りにくい建物」という事です。

 こうした建物という奴は気が付いたらいつの間にか見なくなっている事が多いものですが、たまに当時の形状を再現した建物が製品化されて出てくると非常な懐かしさと愛おしさを感じる事が多いのです。
 そしてこの手の建物は一軒だけぽつんと建っていてもあまり気を惹かないものですが、他の建物に混じって街並みの一部になった時、予想もしなかった存在感を放つものです。
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 そういう建物というのは、ついさっき差し替えたばかりなのにまるで何年も前からそこにあったかの様な存在感を放ち始めます。
 で、気が付くといつのまにかそれが風景の中の重要な構成要素になっていたりします。

 そうやって構成された情景は(少なくとも作り手である私にとっては)一種の心の故郷となりうると思います。
 で、その過程の中で自分のイメージ通りの建物が製品化されていないなら自作、または改造して風景を作るというのが理想ではあるのですが、ごくたまに市販品のストラクチャーの組み合わせだけでもそれなりに見られる風景になる事も多いです。

 むしろ不器用にはその方が有難かったりするのですが(汗)かつてのような市販品のストラクチャーが極端に少なかったころと違いかなり建物のバリエーションが増えてきた現状からすれば「並べ方、組み合わせ方のコーディネイトで自分のお気に入りの街並みを構成する」という方向もあっていいのではないかと思えます。

レイアウトで「富士急まつり」その2

2020-07-15 05:22:37 | 車両・私鉄/民鉄
 自宅運転会富士急行編その2です。

 富士急のラッピング車のベース車は今は元205系の6000系、元京王5000系の1000系なんかが中心ですが、いずれもオリジナルからは想像がつかないカラーリングの物が多く、前回話したような「お祭り騒ぎ状態」の印象をより強めています。
シンカンセンの500系ならいざ知らず、京王5000系の車体に「エヴァンゲリオンのコスプレ」をさせるという発想は少なくとも私にはありませんでした(笑)

という訳で第二弾もラッピング車が中心です。


 元165系パノラマエクスプレスアルプス「フジサン特急」(KATO)
「あれ?前回も走っていなかったっけ?」と思われる向きもあると思いますが、実はこの編成は元々6連の編成を買い入れ、3両2編成に仕切り直したものでそれぞれラッピングの絵柄が異なっている特徴があります。
 もっとも興味のない向きにはどっちを見ても見分けがつかないのも確かですが。
(なのでKATOのフジサン特急のセットは「6両セットでM車が2両」という、ある意味アルプスよりもお得なセットではあります。また引退直前にはオリジナルカラーに復元された仕様も走っています)
 ですから、今回のは前回とは別の編成です。

 現在のところ富士急行最後(最新、と言いたいですが何しろ45年も前の車両ですし)の自社発注車両になる5000系
登場当時はローレル賞を受賞した事もある富士急のシンボルみたいな車両だったはずですが晩年は「トーマス電車」の仕様にラッピングされています。
 このモデルが出たときには妙に毒々しい配色に一時嫌悪感を感じていた事もあったのですが、のちに実車を見たら「本物もこんな感じだった」ので二重に残念だった記憶が。
 元々中央東線で使われていた115系と共通の部材を使っていたそうなので別物の電車でありながら妙に親しみやすさを感じさせる車体でもあります。
(また、後述の事情でこの時期の電車としては異例な事に「前面に内蔵式のバンパーを装備していた」のも特徴的です)


 元京王5000系の1200系「マッターホルン号」初代。
 現在は6000系が二代目マッターホルンをやっていて昨年乗る機会がありましたが、雰囲気的には1200系の方が「マッターホルン」ぽいと思います。
(いやそもそも「4扉の通勤電車でマッターホルン名乗られてもなあ」なのですが)
 元々の編成は後に大改装されて「富士登山電車」をやっています。実はこっちを購入して動力化する積りでいたのですが「カウンターをはじめ図書室まであるオリジナルの内部配置がきちんと再現されている」のを知ったので勿体なくなってしまい、現在は4連の片割れという実在性の薄い使い方になっています)
 鉄コレの1000・1200系は通常カラーをはじめ富士急リバイバルカラー、エヴァンゲリオン仕様、京王オリジナル塗装、富士登山電車など実にバリエーションが多く、どうかすると電車祭りで限定品が出る事もあるので油断ができません。



バックマンストラクチャーの「学校」

2020-07-14 05:16:59 | ストラクチャー
 懐かしのバックマンNゲージストラクチャーから

 今回は「小学校」をば。
 日本型のストラクチャーで学校の校舎がモデル化されたのはGMのキットからです。こちらは二階建ての本格的な校舎で誰もがイメージする「木造校舎」のモデル化として傑作の部類に入ると思います。
 (ただ、図体が大きすぎて一般的なレイアウトに組み込むのが困難なせいか、積みプラは見かけても作例にはそれほどお目に掛からないですが。

 その後、ペーパーキットでもその種の校舎がモデル化され、より小型のモデルとしてジオコレから中学校と小学校(分校レベル?)も製品化。
 まさか「テツドウモケイのストラクチャーで学校の校舎が選べる」とは思わなかったですから全くすごい話です。
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 ですが、GM以前ですと「学校のストラクチャー」はトミーナインスケール扱いのバックマンのそれが唯一の存在でした。
 モデルはご覧の通りの真っ赤な外壁が目立つもので、これだけで引いてしまったレイアウトビルダーは結構いたような気がします。
 が、単に形態だけに注目すればかなり好ましいデザインと思います。

 校庭は小さいながら「遊具が一通り揃っている」のは当時も今も大きなメリット。
 学校というよりも幼稚園や保育園に使うなら今でも通用すると思います。いや、むしろ日本型のストラクチャーが拡充している今なら存在意義が大きいのではないでしょうか。

 例えばジオコレのお寺の裏にこっそり配置するとか(お寺が隣接の敷地を使って保育園を開業しているケースは結構あります。うちの菩提寺なんかもそうw)


 面白いことにずっと後から出たジオコレの分校、やや大きめながら形状がバックマン製品によく似ています。
 遊具のついたベースをコンバートすれば面白いかもしれません(尤も今ではバックマンの学校の方が入手が難しいですが)

今月のジャンク車から エンドウの京阪5000系のはなし

2020-07-12 05:26:20 | 車両・私鉄/民鉄
 今回は久しぶりの入線となったジャンクモデルから。
 二月ぶりくらいに覗いた中古ショップの掘り出し物です。

 物はエンドウの京阪5000系。通称「三津五郎」と呼ばれる18M級の5扉車の4連です。
 一部パーツの欠損がある事、ヘッドライトが点灯しない瑕疵があったせいか1両あたり1000円ちょっとという割合リーズナブルな値付けでした。
 エンドウのブラス造形の電車モデルの中でも5000系は先頭車の庇部分をブラスの厚みで処理している点、また塗装も結構複雑な塗分けをクリーンに仕上げている点で模型として私の好みにぴったりくる車両でもあります。


 さて、この5000系ですが実はすでに4連の編成を別なショップで既に入手しています。
 それなのになぜ今回わざわざ二編成目を入線させたかと言いますと、実車の7連編成、または4連と3連のコラボ運用を期待しての事です。

 実際、モデルのパッケージに掲載されている編成表でも4+3の7連となっていましたしこの編成の場合18M級なのでフル編成でも長すぎて困る事がないのが有難い。

 ・・・とそこまでは良いのですがこの5000系、前回のも今回のも先頭車のカプラーがスカート一体のダミーカプラーなのが悩みどころ。
 同じエンドウの電車でも近鉄のスナックカーなどは増結専用のT車セットと言うのが出ていたのですが、そこまでの配慮はこの5000系にはないようです。

 となると先頭車の加工以外方法がないわけですが、カトーカプラーにしろTNカプラーにしろスカート部の加工は必須。
 元の台車がカプラーポケットをごっそりカットしているうえに台車自体も他メーカーと異なる構造なので他社の台車でコンバートと言うのが考えにくいのです。
 どうしたものか、当分は悩みそうですね(汗)

 (店頭で「パーツ欠損」との表示があったのは片側の先頭車の検電アンテナの欠落ですが、これはまだ自作パーツによるリペアが利きそうです)

「上野発の夜行列車・名列車~駅と列車のものがたり」とあの頃の上野駅

2020-07-11 05:23:20 | 書籍
 先日久しぶりに覗いた古本屋で見つけた一冊から
 JTBキャンブックス「上野発の夜行列車・名列車~駅と列車のものがたり」(山田亮著)です。

 かつて日本人の多くが「ハワイにはハワイという島が一つしかない」と思い込んでいた時期がありました(笑)が、それと同じ様に田舎者のガキにとっては「東京」と言う都会は「東京」という町がひとつしかなく「新宿も渋谷も品川も東京とは別なところ」と認識されていたものです(大爆笑)
 そんなガキの一人だった私が初めて上京した時、特急列車も当然東京駅に停まると思い込んでいたのですが、いざ実際に着いてみるとそこの駅名は「うえの」だったので「あれっ東京とはちがうぞ」とか言って同乗していた両親に大恥をかかせた事がありました。

 ですがそれ以来、上野駅と言うのは行くにも帰るにも東京の玄関口として私の中でずっと機能してきました。

 私が現住地に住み着いてから30年以上が経つのですが、そのうち前半の15年くらいの期間、故郷への帰省と言えば電車であり、その始点は大概上野駅と相場が決まっていた訳です。
 ただし、年代によってその上野駅の印象はめまぐるしく変わり、昭和40年代は電気釜やブルートレインの巣窟として櫛型ホームに列車が勢ぞろいしている(そして帰省時期にはホームから溢れんばかりの群衆が新聞紙を地面に敷いて座り込み大汗かきまくりながら缶ビールを傾けている)イメージでした。

 1982年の新幹線開業直後は大宮発の「リレー号」のイメージだったのですが、90年代に新幹線が開通すると「めちゃくちゃ長いエスカレーターを降りてたどり着く荒涼とした地下ホーム」と言うのが上野駅のイメージとなり、以後東京延伸までその印象が固定することになります。

 そんな訳で上野駅と言うのは私個人にとってもそれなりに馴染みがあるターミナルでしたし、東京にありながらどこかしら「東北」を感じさせる独特な印象が付いて回る場所でもあります。
 その上野駅の歴史と、そこを発着した特急、急行を手軽に俯瞰できる一冊が本書です。

 駅そのものの歴史もそれなりに興味はありますが、やはり読んでいて懐かしさと活気を感じさせるのはいわゆる「ヨンサントオ」以後の在来線の特急、夜行列車全盛時代の描写です。
 彩度の低いローズピンク系の電車や古ぼけたEF57/58などが牽引する旧客が多かったせいか東京ほどの華やかさはないのですが、最盛期の上野駅は殆ど無数といっていい位の特急・急行が発着し独特の活気を感じさせていました。
 ページをめくるたびに当時の活気(と暑苦しさw)が瞼の裏に蘇る感覚は上野駅に思い出を持ってきた世代ならではのものかもしれません。

 列車名鑑は誰もが知っている「はつかり」「ゆうづる」「ひばり」「とき」などが載っているのは当然ですが、当時ならではの「分割併結のるつぼみたいな気動車急行」とか「完乗するのに23時間かかる普通列車」「名前を覚えるだけで地理の博士になれそうなバラエティ溢れる急行の名称」なんかに琴線が刺激されます。
 (そういえば「盛岡発盛岡行の急行があったなあ」なんて思い出すのもこういうページを繰った時ですね)

 私の場合最近は電車の帰省でも始点が大宮になっているのですが新幹線ホームに上ってみると東北・上越・長野・北陸の各新幹線が同じ一角を行き来する様にかつての上野駅の名残を感じる事が多くなりました。
(そのせいか改札口からコンコースにはいると「かつての上野駅的な独特の田舎臭さ」もふと感じたりもするのですが)

 そんな訳でターミナルでなくなった上野駅と言うのには最近トンとご無沙汰しています。
 件の騒動がひと段落したら、一度覗きに行って見ようかとか考えていますが。