光山鉄道管理局・アーカイブス

鉄道模型・レイアウトについて工作・増備・思うことなどをば。
こちらはメインブログのアーカイブとなります。

モジュールの再改修・その6 屋上遊園地の恥さらし(大汗)

2017-03-30 05:15:35 | モジュール.1
 モジュール改修のはなしから。

 ここ数日は第一モジュールのビルのモディファイとメイクアップに費やしています。
 中でも駅前デパート。

 このブログにずっとお付き合いしてきた方しか分らない恥ずかしい話です。
 7年位前、この第一モジュールの製作記の最後の方で「デパートに屋上遊園地を付ける」というのを書いた事があります。
 一番新しい段階で食玩のミニ新幹線をモノレールに転用するところまで書いていたと思います。

 実は第一モジュールはその後運転会に参加していなかった事、更に棚幡線や鉄博風モジュールの追加製作なんかが掛かっている内に中断状態が7年以上続いてしまったのです。

 今回はターミナル駅モジュールに接続して使うために、流石にグランシップには間に合わせなければならないという事もあって工事が再開されました。
 モノレールとメリーゴーランド、コーヒーカップの遊具は前作からの引き続きですが、これに食玩の雪像をミニ御殿に見立てて配置。
 適当にテーブルといすを付け加えました。

 ここまで作って思い出したのですが工事の中断のもう一つの理由が「これだけではスカスカ感が強いのでもう少し他の遊具に使えそうな材料が出てきたら続きをやろう」と思ったからでした。
 ですが以後7年間でそういうのは見つからず(汗)
 精々がジオコレのバス停を転用したアーケードが増えた位です。
 
 結局今の段階でもスカスカ感は残っています。
 さて、これからどうしますか。

「ひとり運転会」をやっていて思ったこと

2017-03-29 05:14:18 | 思いつくままに・考察
「初心者の小さなレイアウトなら何でも走らせたいのが当然で、特急らしきEF58の4両編成が出発した同じホームに、弁慶号のひく2両の古典客車が到着するという様な、列車の長さも実物が走っていた時代も無視した鉄道となる事が多いと思います。さらに、その駅は外国製キットを組み立てたものだったりもします。
時代も国も超越してしまうのも最初のうちはよいでしょう。また模型でこそできる楽しさでもあります」
 「C62の5両編成でも、客車の種類を選べば往時の特急を思い起こさせるような列車にすることができ、それが模型という物です。しかし、弁慶号に新型の客車を引かせるようなことはやめてください。せめて、列車としては一応纏まった形を取りたいものです」

 (保育社カラーブックス 山崎喜陽著「鉄道模型」25Pより引用)

 先日このブログに頂いたコメントをきっかけに「レンタルレイアウト店で時代設定の合わない編成を排除しようとした方々にあったという出来事」が周囲でちょっとした話題になりました。

 これとは直接関係ないのですが以前、行きつけのショップの貸レイアウトで「自分は昭和××年代の車輛が好きなので自分が走らせている間は他の人も同じ年代の編成を走らせてほしい」とか言った客がいたというのをそこの御店主から伺った事もあったりします。
 趣味である以上どこかしらこだわりを持つこと自体はそう悪い事とは思わないのですが、パブリックなスペースで同席している他者にそれを押し付けるというのは明らかにやり過ぎではあります。

 私の所属しているクラブの運転会、あるいはグランシップとかJAMなんかを覗いてみて思うのですがそうしたスペースで手持ちの編成を走らせるのはそれ自体が一つのお祭りのようなものです。
 内輪だけのお座敷運転とか自宅の中のレイアウトだけでやるのとは根本的に異なる事だと思います。

 GD LINEのJOHN ALLEN氏はレイアウトを走らせる車両の種類や年代に厳格な規定を設け、他所からの持ち込みであっても設定が似合えば入線させた反面、レイアウトに似合わないと思えばどんなによく出来た車輛であっても入線させなかったという逸話があります。
 但し、これは「個人の自宅にある個人用のレイアウト」だから成立する話です(あるいは完全に趣味嗜好の一致したクラブのレイアウトなんかも入るでしょう)

 少なくとも他の客もいるであろう場でのそうした試行の押しつけは好ましい事ではありません。

 この出来事を纏めたサイトではコメンターの方々が(多分に皮肉を込めて)わざと時代設定や地域性の異なる編成の並びの写真を並べていたりしてそれはそれで楽しませていただきました。
 ただ、よく見たらこれ、2年前の出来事だったようですね。


 そうしたはなしを聞いていて思い出したのが上記の1節です。
 こちらの筆者も「時代設定の超越、国籍の混在は初心者のうちの楽しみでありキャリアを重ねれば徐々にそうした物から離脱してゆくもの」だと暗に語っている様な気がします。
 但し結びの「弁慶号に新型の客車~」というのについては時代設定に拘るというよりも「編成としてまとまったかたちをとる」という事に真意があると思います。

 実を言いますと7100形蒸機(義経号)は昭和30年代にイベントなどであちこちを練り歩き、その際に明らかに大きさの異なる昭和30年代当時の客車などにつながっていた事もあります。単に事実という点でもそういう実例があるのです。
 或いはOE88、実際にこれを牽引したのはD51でしたが、本当ならば列車の性質上C62とかC53の方が似合うのにと思った方も結構多かった様です。

 この種の架空編成、あるいは異なる時代や地域・国籍の編成の組み合わせを楽しむことはある意味「やる人のセンスが問われる」事でもあると思います。

 例えば編成を同系色で揃えるとか、同系色の中にピンポイントで反対色を混ぜて目立たせるとかもそうでしょうし、実在しない編成であっても形態の共通点から敢えて異なる時代や国籍を組み合わせてみるというのも大いにありだと思います。
 それを思いつくにはそれなりに基礎知識も必要でしょうが、それに加えて知識の量だけでは測れない「センス」が大いにものをいう世界だと思います。

 これはモデリングというよりも「コーディネイト」の感覚ですし、殊完成品の種類が無闇に豊富になっている今どきのNゲージには似合う遊び方ではないかと思います。

 なんて堅苦しい事を書きましたが、こんな事を書いている私のセンス自体非常に疑わしい。
 先日も自宅のレイアウトで「313系と京阪1900系と京王6000系」を同時に走らせていた位ですから知れたもんです(大汗) 

SONYのED75に感じたこと、そして

2017-03-28 05:09:54 | 車両・電気機関車
 さて今回はボディ編
 このED75、NゲージのED75としては初のモデル化なのは当然なのですが、実はもうひとつ特徴があります。

 歴代の量産品ED75で唯一のブラスボディモデルな点は前にも触れました。
 ブラスですからプラに比べて見事なまでに肉薄。
 前に触れた「Hゴムへの色刺し」という加工が実に効果的なのです。
 同じ事はサイドのモニタ窓についても同様。

 お陰でこれより10年近く後のナインスケールのED75よりもはるかに好印象。
 こればかりは前ユーザーのリペイントに大いに感謝するところです。前にも書きましたがSONYのED75への悪印象の大半は「実車に似ていないカラーリング」が負っていましたから。
 これならうちのレイアウトでも活躍できます。

 造詣の粗を探せば窓ガラスが入っていないとか、側面ルーバーの間隔が離れすぎとか、スカートが首を振る(笑)とか挙げて行ったらきりがありません。
 ですが50年前の試作品である事を考慮するなら十分以上の出来とは言えます。
 更に前ユーザーはカプラーの片側をアーノルドに交換する改造を加えていました。

 同様にスハ43の中の1両の片側もアーノルドに交換済です。

 おかげで理論上「SONYのED75がKATOのOE88やTOMIXの50系客車をけん引できる」訳でもありますし「SONYのスハ43をTOMIXのEF81が牽引する」事も可能な訳です。
 KATOの初代C50&オハ31はカプラー交換がやや難しい(というか怖くてできない)ので単機回送か2両編成でしか走れない事を考えると、実質カプラーのおかげで編成の自由度の高さが保たれるありがたさを強く感じます。

 これなどはオリジネーション重視のコレクターからすれば許しがたい暴挙な筈ですが私はそうは思いません。
 むしろ前ユーザーの愛情が非常に感じられるのです。

 少なくともこの方は「SONYのNゲージ」というブランド縛り、レア物目当ての骨董趣味には興味がなかった事が分ります。
 それどころかカプラーの改善、リペイントしてまで実車に近づけようと努力している点は正に模型ファンの鑑だとすら思います。
 現にこのED75が結構な期間、走る模型として使われていた事は車輪の汚れ具合を見ても分りますし、それでこれ位のコンディションを保っている事を思うと悪い気はしません。
 (現に書籍で見掛けるオリジナルモデルの写真ではこれより足回りが劣化している物を散見するからです)

 今回の試運転では「もしED75が普通に市販されていたら当時のNゲージャーがやったであろう組み合わせ」です。60年代の終わり頃までNゲージのレイアウトでは日本型の客車を外国型の機関車が牽いているとか日本型の機関車が外国型の貨車を牽くというのが半ば常識でした。
 これは日本型のラインナップが貧弱だった事も理由のひとつですがそれ以上に「線路があって列車が走れば鐡道である」と言う割切りと夢が詰まっていたがゆえにできた事だったのではないかと思います。

 そんな訳で牽引するのは当時物のアーノルドの客車。B&Oの展望車ですが車体はショーティです。
 更にその後尾にはKATOのアメリカ型ビジネスカーが締めくくります。こちらはKATO USA設立10周年記念モデルだそうで車体表記も「KATO」になっているのが何とも(笑)

 ショーティのアーノルドと組み合わせるとプロポーションの差は大きいですが今回は記念のお祭りみたいなものです。
 何よりカプラーのおかげで50年前のモデルと21世紀のモデルが混結できるのですから規格と言うのは大事ですね(笑)


趣味の原点を振り返る・23「ふすまの上でレイアウトごっこをやった頃」

2017-03-26 23:05:24 | 趣味の原点をふり返る
 前回のはなしの続きです。

 さて、クレイドルレイアウトの中にフラットスペースが納まりその上に市販の建物類が配置された今の我が家の運転風景。

 ここで運転をしていてふと思い出した事がありました。

 つまり「こういうの、前にもやっていたっけ」という感慨です。

 ここで話は40年位前に飛びます。

 当時学生の身分ゆえに実家の中に畳一枚のスペースを捻出することすらできなかった私。
 TOMIXの線路などでお座敷運転をしていても列車の屋根しか見えないですし床に寝っ転がっているのもけっこう疲れます。

 そんな折に実家の改築で押し入れのひとつが階段に変わった関係で「押し入れのふすまだけが壁面にはめ込まれる(押し入れを開いても向こうは壁w)」というフェイク処理がされた事があります。
 そのふすまを試しに取り外しテーブルの上に置いてみると中々具合がよろしい。
 ふすまゆえにレイアウト並みの強度は期待できないのですがNの線路と建物を並べるだけなら問題はなさそうです。

 翌日から早速このテーブルトップのベースにエンドレスが敷きまわされる事になりました。

 常設という訳にはいかないので一度に精々が一週間程度の敷設期間でしたが、それでも当時出たばかりのTOMIXの113系やKATOの153系の4~6連が走るには問題ありません。
 何よりテーブルの高さにまでベースが上がったのでそれなりに列車の足回りが見やすくなったメリットは絶大なものがありました。
 当時買ったばかりだったTOMIXの対抗式ホームと木造駅舎を中心に足りない一般建造物は自作品も混ぜてふすまの上に配列し、その上で113系やら153系やらを走らせまわっていました。

 この方式は私が現住地に引っ越す2,3年位前までは続けていました。

 そして今回、クレイドルレイアウトにフラットなベースが配置された時の印象が正にその「ふすまレイアウト」のそれだったのです。
 あの頃も、建物は固定できなかったのを逆手にとってリアルに見える建物の配置はどうするかなんかを研究できましたが、それと殆ど同じ事を今回の仮配列でまたやっていたりするので既視感が出るのも当然かもしれません。
 (「一般建物を線路に平行に置くより少し角度を付けて斜めに配置した方がリアルに見える」なんてのもその時に腰だめで身に付けたノウハウだったと思います)

 して見ると今回の仮配置は単純に「40年前の先祖がえり」と言えなくもありません(笑)

 今時の住宅は開閉式のクローゼットばかりですし、引き戸もキャスターでレールにきっちりはまっていますから、この方法は精々が平成初め頃までの日本家屋にしか使えないノウハウですが、レイアウトの前段階としては悪くない物だったと思います。
 その割には当時の入門書や専門誌でもあまり(というか殆ど)見かけないものでしたが。
 ただ、ベースの線路だけ固定した(これだけでも走行時の安定性は飛躍的に高まります)物を普段は立てかけて置き、運転時に建物だけを配置するやり方としては今でも使えるやり方の様な気もします。

「SONYのNゲージ・スハ43」に50年前の逡巡を見る(笑)

2017-03-25 05:57:52 | 車両・客車・貨車
 SONYのNゲージのはなし
 これまではED75について書いてきましたが、牽引されるスハ43のはなしが残っています。

 今回はそちらから。
 このED75にはスハ43が3両付いてきていました。
 
 形はどうにかスハ43していますが、当時の欧州型や初心者向けのHO・16番によくあった様に車体が実物よりも短くディフォルメされています。
 大体17M級程度でしょうか。しかもスケールは160分の1に近い様ですから全体に小ぶりで現行規格のNゲージに混ぜ込むとちぐはぐ感はそれなりにあります。

 おまけに連結面の造形がこれ以上ないというほどにラフな事、床下機器が「板状のシルエット」と言う思い切った処理など、マニアが見れば相当に玩具っぽく見えるモデルなのは間違いありません。

 ですが造形や機構面ではこのモデル特有の特徴も見られて意外と面白い物がありました。

 カプラーが独自規格だった事はED75の所でも触れましたが、安っぽい外観に反して連結はスムーズで確実。
 しかも下部にアーノルドのそれを思わせる突起があり、明らかにアンカプラーによる遠隔操作による自動解放を念頭に置いた設計と思われます。

 アーノルドと違うのはカプラーを上下でなく左右方向にずらして連結(解放)させる点。実はこれはZゲージでもメルクリンミニクラブがやっています。
 アーノルドのやり方だとどうかすると解放時に軽い車両なら上に吹っ飛んで行きかねない(笑)危険が横動方式なら少ないという事は言えそうです。

 カプラー部の動きも50年前のモデルとしては意外とスムーズでしたし。

 台車は金属板のフレームにプラ製の台車枠の別パーツを取り付けるというこれまた独自方式。
 まあ、これについては「同じ金属フレームを他の形式に使いまわせる」という程度のメリットしか感じませんが(笑)現行の一体成型の台車枠の精度に自信が持てなかったのかもしれません。
 尤も、考え様によっては鉄コレの動力車の交換できる台車枠のやり方を先取りしていると言えば言えます。

 車体はプラ成形ですが床板が金属製というのも他のNゲージ量産モデルでは見られないところです。
 エンドウの金属車体の24系ですら床下周りはプラでしたから。この辺は模型的な造形よりも玩具としての耐久性を重視している様にも見えますが、Nゲージ最初期の製品ゆえの細密さと耐久性のどちらを重視すべきか作る方もよく把握しきれていなかった節も感じられます。

 とはいえ、ショーティである点を除けば印象も悪くありません。むしろED75とのバランスの面ではぴったりと言えます。

趣味の原点を振り返る・モジュールを移動する

2017-03-24 05:55:38 | 趣味の原点をふり返る
 ひさしぶりの「趣味の原点を振り返る」ネタ。

 実は今回の題材はグランシップに出展するためにモジュールの改修を行なったから思い出したネタです。
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 今回の出展では自宅の運転スペースにクレイドルレイアウトとして収まっていたモジュールのひとつを取りだして改修するものです。
 当然そのモジュールの開いた後はまるっきりの空き地になりますが、実は鉄博風モジュールの方が上屋(博物館本体)を外して純粋な線路の付いたフラットスペースに出来るところから、代わりにそのモジュールを差し替える事で対応できます。
 
 先日の日曜日は半日、その入れ替え作業に費やしました。
 元々のレイアウトの半分が「線路とホームがあるだけののっぺらな空き地」になった訳ですが。これではあまりに味気ない。

 そこでここ数年の間に買いだめていたもののレイアウトの固定できずに宙に浮いていたストラクチャー群を並べて街並み風にする事にしました。
 建物類は殆どがジオコレの新製品とかGMのキットの改造品、あるいは中古が手に入った海外ブランドのビルなんかです。

 線路配置が単純な上に奥行きが結構あるのでただ並べただけでも(実際にはひとつひとつについて「どうすればそれらしく見えるか」の検討は加えていますが)それなりに街並みらしくは見えます。

 ついこの間まで運転会に供していた事もあって線路自体もほぼ問題なし。

 3時間位後には試運転列車が走行を始めました。

 ・・・などと書きましたが、実はここまでが今回の題材の前振りだったりします。
 前振りが異様に長くなってしまったので続きは次回に。

ターミナル駅モジュールの再改修・その5・モジュールを繋げる

2017-03-23 05:53:04 | モジュール4

 昨年のトレインフェスタの時にはターミナル駅舎のモジュールの隣には鉄博風のモジュールを配置していましたが、今回はここに7年前に製作した私鉄ターミナル駅と駅前風景のモジュールを改修の上で接続します。

 今回はターミナル駅に隣接するビル街(と私鉄ターミナル駅ビル)モジュールの仮合わせと改修作業の計画から。

 本来このモジュールはターミナル駅と組み合わせる事を想定していなかったので「同じ線路の100メートルも離れていない区間にホームがふたつある」という少々お間抜けな配列になってしまっています。
 とはいえ、地上部分に限定すればJR(国鉄)駅に隣接して私鉄のターミナルがあるというのは少し大きな都会では珍しくないシチュエーションではあるので、今回は敢えてこのふたつをつなげる事にしました。

 モジュールですので線路配置は規格化されているので接続自体はどうにか可能。
 後はシーナリィ面で違和感なく繋がるかという話になります。

 私鉄駅モジュールをそれまで使っていたクレイドルレイアウトから外してターミナル駅モジュールと仮接続。
 ふたつのモジュールを視覚的に繋ぐのは私鉄駅の右側、ターミナル駅の左側に配置された向かい合わせのビル街とそれらをつなぐ大通り(通称「青葉通り」)

 仮配置して思いましたが予想していた以上に散漫な印象です。
 それぞれのモジュールにランドマークが複数存在(ターミナル駅では駅舎と超高層ビル、私鉄駅も駅ビルと12階建て以上はありどうな放送局舎)し、それぞれが自己主張しているのですから無理もありません。
 まるで出来の悪いお神輿みたいなものです。

 今回の仮配置で気になったのは製作を急いだ影響でディテーリングやウェザリングが不足している所。
 それと元々デコレーション用のカラフルな物を使っていたLEDの照明。ここは他と同様にテープLEDのAC電源式に切り替える積りです。
 尤も、それ以上に「照明に頼らなくても観られる作りにする」方が大事ですが(汗)

 ここだけでもこれからの改修期間でどうにかしたい所です。

SONYのED75に深謀遠慮を見る(笑)

2017-03-22 22:44:03 | 車両・電気機関車
SONYのED75のはなしその3です。

このED75ですが単にSONYが出しているNゲージというだけでなく、このモデルが唯一と言う特徴がいくつかあります。
曰く「唯一のブラスボディのNゲージED75」
曰く「唯一の160分の1スケールのED75(KATOやTOMIXより心持ち小さい。これはスハ43でも同様)」
曰く「手で屋根板が外れるED75(爆笑)」

書籍などで取り上げられている様にこのED75は屋根板を外すと、意外なほどスカスカな空間が出現するという特徴があります。
ウェイトもありますが、ただ載せてあるだけなので「屋根を外して裏返すとウェイトだけがポロリと落ちる」
そうそう、ウエイトがないと「モニタの明り取りの窓の向こうが透けて見える唯一のNゲージED75」と言うのも入れておきましょう(笑)これは運転席でも同様なので上半身だけの運転士の人形を接着したらTOMIXやKATOよりも良い雰囲気になる事は間違いないと思います(肉厚な透明プラではひずみのせいで歪んだ見え方になる事がある)

冗談は置いておいて。

ウェイトが外れるとその下には基盤の一部が露出しています。このモデルでは一部のねじの頭の部分を除いて透明なビニール板が貼られ絶縁対策となっている構造です。前のユーザーが敢えてそうしたという可能性もありますが私個人としては「電気屋さんらしい心配り」と解釈すべきかと思います。
屋根が外れやすく出来ているのも端子以外の露出部に絶縁体のカバーがされているのもスカスカな上部空間に何かの回路を組み込む事を前提にしているとしか思えません。
ここまでは大概の資料で私も知っていた所です。

問題はその基盤で「ねじの頭のところだけカバーに穴を開けて露出させている」事です。
しかもそのねじの一部はモータの電極に向かって配線が走っています。
これは何を意味するか。
明らかに架線集電、又はヘッドライト点灯用の回路を接続するためと思われるのです。

だとすればこの端子に電気を流せば何らかの反応があるはず。
早速ED75を線路からおろし、机の上で屋根を外して端子を露出させました。

手直な線路にわに口グリップをかませて通電、反対側をそれぞれのねじ頭に当てて電気を流してみます。
すると

思った通り線路の無い所に置いてあるED75のモータが勢い良く回り始めました。
パンタグラフが金属製で裏側にコイルばねを巻いた独特な構造だったのも、屋根だけがすべてプラ成形だったのも「結線さえすれば架線集電で走行できる」ための前振りだった訳です。
恐らく今のままでも片方をパンタに直接接続し、反対側は線路から給電する形での架線集電走行は可能と見ました。
ですがこのモデルでの端子はプラス・マイナスのふたつ。つまり両方のパンタからプラスマイナスを切り替える(あるいはAC3線での運用を計画していた?)可能性も否定できません。だとするとそのための切り替えレシーバーをこのスカスカな空間に収める意図だったとも考えられます。

もしそうなら、SONYのNゲージは私が当初考えていたよりもどえらい事をやろうとしていたのかもしれません。DCCに先んじた機関車ごとの個別コントロールか、あるいは架線集電との組み合わせでDC、ACの両方に対応できるNゲージというのも考えられます。それを50年前のモデルで企図していたとしたら!
(まあ、単純にヘッドライトの点灯用という線もあるのですが)

今回電極に通電させてモーターが回り出した時の驚きは一生忘れないでしょう(大袈裟な)

電気屋さんのテツドウモケイだけあってモーターと走行系はKATOのC50やアーノルドの同年式のロコより安定している印象です。それにしても裏返してみると何という思い切った構造なのか。


SONYのED75から・その2

2017-03-19 05:30:33 | 車両・電気機関車

 さて、このSONY製ED75、やはり気になるのはその走りっぷりです。

 購入時に自走できる事は確認していたのでその点では関水金属のC50よりは幾分気楽ではあります。
 このモデルは動力に特徴があり4軸の内中央の2軸が固定された動力車輪。外側の各1軸は台車マウントで首を振る設計です。

 これは以前に紹介した50年前のアーノルドラピードのDLのそれに酷似した設計なので走りっぷりもそれに準じる事は容易に想像できます。
 念のためにギアにグリスアップして車輪も清掃。
 メインレイアウトのエンドレス上でこれまたSONY製のスハ43を3両を繋いで試走。
(この「スハ43が3両」というのも驚くべきポイントです。通常のセットではスハは2両しかありません。一体、前のユーザーは一体どういう条件でこのモデルを入手していたのか非常に気になるのですがこれは余談)

 パワーパックのスロットルを徐々に開くと案外するすると走ります。
 但し「50年前のモデルとしては」という条件が付きますが。
 加減速に対する反応性はがさつの一語。スロットルを開くとかなりの勢いで流れる様に走る辺りはアーノルドよりもスムーズなくらいです。
 ただ、走行中に台車から盛大に火花が散る所もアーノルドと同じ。
 これも例によってROCOを集電部に軽く塗布するとかなり改善して走行も安定しました。
 こういう時はROCOは絶大な威力を発揮します。
 (さすがに最近のモデルにこれを使うのは躊躇しますが)

 このED75はブランドこそSONYですが実際に作っているのは「マイクロトレイン」というブランドの町工場だったそうです。
 ここがどれだけ模型に対する造詣があったのかよくわからないですが、とりあえず走らせる模型としての基本は押さえていた事は分りました。

 ・・・そういえばこのED75「日本初のアゴ割れスカートモデル」の栄誉もになっていたりします(爆笑)

 カプラーはこれまで見てきたどのモデルとも異なる金属製の引っかけカプラー。
 とはいえ左右に振れても復元できる様に線バネを組み込んでいるのが興味を引きます。

 さて、このED75ですが実は前ユーザーが手を加えたポイントがもうひとつありますがそれについては次回に。

非凡なるED75の入線

2017-03-18 05:27:02 | 車両・電気機関車
 今回は前にも書いたED75のNモデルに関連した話です。
 端的に言うと「偉大なる凡庸の中に非凡なる怪物が入って来たはなし」とでも言いましょうか。

 ですが同時に私のNゲージの骨董趣味も遂に行く所まで行ってしまったという感がします。

 何がって、かねてこれだけは入線する事がないだろうと思っていたし、事実このブログでも前からそう書いてきた「SONYのED75」を入手したからです。
 あとスハ43が3両にレール一式も付いて。

 入手経路は伏せますが価格はSONYのNゲージの走るモデルとしてはそこそこ妥当な価格でしょうか。

 とはいえ実はこのED75、SONYそのまんまの仕様だったらまず手を出さなかったであろうモデルです。
 何故って以前のブログでも触れましたがこのモデル「あまりにもED75に似ていないから」です。

 (TMS403号 ミキスト 75Pより画像引用)

 ボディが交直流機みたいなピンク色なのはまだしも屋根が別パーツでおでこまで灰色というのがなんとも萎えます。
 この事については正月のこのブログでも書いた事がありますが。

 ですから希少性こそ認めても、これまではほぼ私の関心外のモデルだった訳です。

 ところが今回見つけた物は前ユーザーの手でリペイントがされていたものです。
 もし私がこのED75を入手したらやって見たかったであろう事をほぼ実現しているモデルといえます。

 色は交流機の赤でおでこの部分も赤と屋根上の黒が塗り分けられています。
 とどめにHゴム類に白の色差しがされており、まるでこの間入手した天賞堂のトレーラーのED75にごく近い雰囲気だったのです。
 造形上の粗を別にすればかなりED75らしく改装されていたのが今回のED75でした。
 少なくともナインスケールの初代モデルのED75よりは好感が持てます。

 こうなると財布の状態がとても気になるのですが遂に清水の舞台から飛んでしまいました。
 SONYのNゲージはパワーパックや線路マットまで含めた1セットなら軽く20万から30万円コースになる事の多いモデルです。
 それどころか以前、出品者が「不動品」を公言していたED75だけの単品が30万円で落札された事すらあったくらいです。
 今回のは流石にそれよりはかなり安かったですがNゲージとしては高額なのは間違いありません。
 (ユーザーの手が加わっていた事も安価だった理由の様な気もしますが)

 詳しい事については追々紹介したいと思います。

鉄道ミステリとNゲージ21・「汽笛が響く」とコッペル

2017-03-17 05:22:13 | 小説
久しぶりに鉄道ミステリとNゲージを語るネタ。

今回は「見えない機関車」所収の南部樹未子作「汽笛が響く」
(以前同タイトルのテレビドラマのはなしを書きましたがこれは本作とは別物です)

本作は息子一家に心理的に虐げられ続けた老女の未必の故意に近い復讐譚の形をとっていますが、題材の陰惨さとは裏腹な不思議とからりとした作風が印象に残っています。
(本作は「見えない機関車」の書き下ろし作なので再読するには文庫版の「見えない機関車」を読むのが早道かと)

さて、これまで20作以上の鉄道ミステリ短編を紹介していますが、そこでは鉄道車両を舞台としたもの、鉄道がトリックに使われた物、鉄道施設を舞台としたものといろいろな題材が登場しています。
が、本作は(未紹介のものも含めて)それらの中で唯一「鉄道の玩具」が小道具に使われた作品なのが特徴です。


鉄道模型を題材にしたミステリではだいぶ前に紹介した土曜ワイド劇場の西村京太郎サスペンスくらいしか記憶にありません。

最後の階段をのぼりながら、彼女はどこかで汽笛が鳴っているような気がした(中略)5階のフロアに立って、彼女はすうっと息をのんだ。汽笛はすぐそばのショーケースから聞こえてくる。
音の周りに数人の男の子が集まって、「すげぇ!」「カッコいい!」とさわいでいた。彼女は近寄って子供たちの後ろに立った。精巧な鉄道模型を陳列したガラスケースの上を、かわいい汽車がコトコト走っていた。この四十年間、彼女の心に響き続けてきた音と共に(中略)
<これを毎日、おらの部屋で走らせてえ。この汽笛を聞けば、春彦に会えるような気がする。康子や国夫に邪険にされても、これがあればきっと平気でいられるさ>

(光文社カッパノベルズ「見えない機関車」所収「汽笛が響く」305Pより引用)

車体の下に隠されたネジを巻いてハルは、玩具の汽車を走らせた。ところどころすり切れた畳の上で、ポォッ、ポォッと小さいが本物そっくりな汽笛を響かせながら、汽車は白いピストンを動かした。
機関車の先についていた短い煙突は煙こそ出さないが、汽笛を鳴らすたびに赤い火の色に染まった。ネジの横にセットされた二本の乾電池で、煙突の中の豆電球がともる仕組みなのだ。
運転台の石炭の投げ入れ口には、青い制服を着た身長3センチほどの人形がスコップを持って立ち、彼の背後に石炭を積んだ炭水車と客車がついていた。石炭は貨車に黒く描かれ、客車にも白い車窓が一つ一つ描かれている。
しかし乗客の顔はなかった。
(上掲書304Pより引用)


この描写からお分かりのようにここに登場する玩具の汽車は主人公の老女にとって、過去の楽しかった思い出に誘う触媒としての存在意義をもっています。
それだけに単なる玩具としてでなく主人公の思い入れの象徴として大きな存在になってゆくプロセスの描写は本作の白眉となっています。

この先の展開はネタバレの防止と同時に私には少しきつい内容もあってここでは書きたくありません。ぜひご一読願いたいと思います。

私個人は題材とテーマが有機的なつながりを持つこと、何よりも購入の時のドキドキ感、買った後の無心に汽車を楽しむ老女の心理描写などに一種共感を感じました。
周りの鉄道ファンたちもいつかは誰もがこの主人公位の年齢になると思いますが、その時にこれだけの境地に達する事が出来るだろうかとも思えます。
汽車と自分の人生を重ね合わせ、あの頃の思い出の感傷に浸りながら汽車を走らせる様は、玩具に限らず鉄道模型の趣味の原点のひとつとも言えるところかもしれません。


さて、本作に登場する汽車の玩具ですが、上述の描写からサイズはOゲージ以上の編成物で線路のない所でも走れるぜんまい仕掛けの玩具という事になっています。

実は鉄道模型もヨーロッパで登場した当初はぜんまい駆動の物が主流だった時期があったそうですが、形態も今の玩具よりもトイライクだったようです。
最近、中野の流線型とか静岡のポポンデッタ、あるいは神田のカラマツなんかで見るからに年代物のラージモデルの鉄道模型の中古が売りに出ているのを見かけるのですがサイズ的にはその辺りが近い気がします。

とか書いているとこのはなしをNゲージと結びつけるのが難しくなってしまいます(16番でもきついかも)


実は本作の事をこのブログで取り上げようと思った時に念頭にあったモデルが2,3年前に出た津川洋行のコッペル蒸機でした。
作中の描写では機関車はテンダーだし、客車まで牽いているので些かイメージとは違うのですが、個人的に本作に似つかわしい印象のNゲージモデルがこれかTOMIXのKSKタイプ位しか思いつけないのです。
あとはミニトリックスのT3蒸機くらいでしょうか。実はこれも元々は鉄道模型でなく手押しの玩具として商品化されていたものだそうです。

そんな訳でこの先は多少強引な紹介になります。

小指の爪の先位のサイズでありながら自走が出来、2軸客車の1両くらいなら牽引できそう
な蒸機として津川のコッペルが運転会デビューした時、私も含めた誰もがその小ささに目を見張ったものです。
プロポーションもかわいい上に走る様が意外に一生懸命感があるので、多少のオーバースピードもお目に見てやれる気がするのがこのロコの人徳ではあります。

偉大なる凡庸の系譜それから・ED75編

2017-03-15 05:15:50 | 車両・電気機関車

 偉大なる凡庸・それからのはなしです。

 今回はこのシリーズでも第一回に取り上げたED75から。
 あの当時ですら10両以上が在籍していた(派生機のED79を含む)ED75ですが、それから5年。

 更に数量が増備され賑々しさを増しています(笑)

 Nでは手持ちで唯一となった「KATOのアゴ割れモデル」と「重連用無動力機を含んだマイクロのセット」
 更にはジャンク品とはいえ前ユーザーの趣味が伺われる「カシオペアカラーのED75」という珍車まで増えました。

 一方、あの当時は持っていなかった16番のED75もTOMIXと天賞堂が入線。
 特に天賞堂のそれはこれまた「重連用の無動力モデル」でした。

 こんな風に順調に増え続けるED75ですが、EF65と違ってただ何となく増えたというよりもショップで指名買いみたいにして見つけたというパターンが多いです。
 これはED75が故郷で唯一見る事の出来た「デンキキカンシャ」だったというのが大きいでしょう。

 ファン以外には「ただの赤いデンキキカンシャ」でしかないのですが、風景の一部に常に75があったという原体験は強い物があります。

 その75ですが通常運用はもとよりレールクリーニングカーの牽引や救援列車の先頭に立つことも多く、実用面でも「偉大なる凡庸」しています。

 これだけ無闇に増えているED75なのですが、まだ最後の大物ともいうべきアイテムが控えていたりします。
 それについては次の機会に。

ターミナル駅モジュールの再改修・その4・ビル街に灯を入れる

2017-03-14 05:35:06 | モジュール4


 モジュール改修その4から

 前回配置の修正、照明の組み込みと漏光対策、一部ウェザリングを済ませたビル街のブロック。
 ここまでやった時点で改めてターミナル駅のモジュールに組み込んでみました。

 勿論、AC化したLEDの配線は駅モジュールのそれに直結です。
 点灯してみると相変わらず光が強いのですが、最初に比べると少し落ち着いてきた感じがします。

 背後の34階建て超高層ビルがやや街並みに近すぎるのですが、スペースの制約上これは仕方ありません。
 これでターミナル駅ビルの高架ホームの側から見た街並みは前とは趣を一新しています。

 とりあえず多少は見られる夜景になりましたが、これでまだ終わりません。

 というのもこのビル街の並びは本来隣接する第1モジュールのビル街に通りを挟んでつながるものだからです。
 この次の第1モジュールの改修で向こうのビル街と上手くマッチングできるかまだわかりません。

 それらの工程については次の機会に。

今月のジャンクから・TOMIXの富士重工車

2017-03-12 05:33:11 | 車両・気動車
 今月のジャンク車から。

 「富士重工」というと一般にはスバルのクルマのイメージが強いと思いますが、富士重工としては船や飛行機も手掛ける乗り物の総合百貨店みたいなメーカーでした。

 当然鉄道関係も車両の製造などをしていた訳ですが、Nゲージのモデルで「富士重工」の名を冠したモデルは珍しいと思います。

 モノはTOMIXから出ていた「富士重工 LE-Car」
 近代型の二軸のレールバスで昭和末期から平成はじめにかけて雨後の筍のように出現した第3セクター鉄道の旅客用に製造されていたものです。

 この頃のレールバスはまだ二軸が主体だった頃。 
 TOMIXの二軸動力は香港製のキハ02以来絶えてなかったのですが、将来のバリエーション拡大を見越してか新型動力を奢っての登場となりました。
 カタログモデルとしては他に樽見鉄道のハイモ180というのがあり(これについては後述)今もカタログに載っていたと思います。

 今回行きつけの中古屋で1両500円でジャンク売りされていたものですが動力車の他にトレーラーと樽見仕様のトレーラーが同じ値段で置いていたので動力車としては結構なコストパフォーマンスではあります。

 件のLe-Carですが当初は目論見通りにあちこちの第3セクターに出ていた様ですが、鉄道事業そのものの頭打ち傾向に加えて信楽高原鉄道の事故などでレールバス自体の衝突安全性の問題がクローズアップされる等した事、2002年に富士重工が製造から撤退した事などから急激にその姿が見られなくなり現在では一部の小私鉄に残るのみとなっている様です。

 上述の樽見ハイモも現在は紀州鉄道に譲渡されているそうで。

 とは言う物の、うちの棚幡線なんかでは十二分に新鋭車臭いモダンなデザインで気を吐きます。
 ジャンクゆえに気になっていた走行性能もまずまずで、ドローバーを介して2連走行にも対応します。ただ140Rの側線進入ではS字カーブが曲がりきれず脱線が頻発。やはり2軸としては異様に長いホイールベースが祟っているようです。

 おまけにショップが検品をきちんとやっていなかったらしく台車周りからこんもりと埃が出てきたのには参りましたが(笑)

 そして件の樽見のハイモもトレーラーが入手できました。

 見た目だけは棚幡線も平成初め頃位にはずいぶん近代化した様な気が(笑)

DD13入線!・・・但しトミカの(笑)

2017-03-11 05:31:35 | 車両・ディーゼル機関車
 今回はDD13のモデルのはなし。
 元日に昨年夏にリリースされたばかりのKATOのDD13が入線しましたが、それから三月とあけずにまたもや後期形DD13が入線しました。

 来月はたしかTOMIXも40周年記念モデルと称してリニューアル版のDD13をリリース予定で、昨年来時ならぬ「DD13ウォーズ」の様相を呈している感があります。

 今回入線したのもトミーの製品ですが、実はこれ「TOMIX」ではありません。

 以前リリースされていた「トミカのDD13」だったりします。
 先日行きつけの中古ショップで出物を見つけたものですが、トミカのDD13は店頭ではたびたび見ていたものの、実物を手に取るのは初めてです(汗)

 トミカは製品の性格から「外箱のサイズに合わせてスケールとサイズが決定される」ためNサイズとは言いながら結構寸詰まりで小ぶりなのが特徴です。
 そのくせNの線路にはきっちり載りますから面白い。
 とはいえカプラーは玩具によくあるひっかけ式だったりします。

 前面手すりが意外と細かく、香港TOMIXよりはるかに良い印象です。手すりの間のチェーンまでモールドされている辺りは当時出ていたKATO製品を多分に意識していそうです。一方で側面手すりは全て省略されているのはトミカのコストの制約を考えると無理もありません。

 造形はボディカラーごとに色分けしたパーツを組み合わせたものでトミカとしても思い切った構造ですが、これなどはEF65などでN、それもTOMIX辺りでも常套手段にしていたやり方です。

 これを取り上げた鉄道模型関連の書籍なんかではよく「プロポーションの似ているDD11に改造しては?」なんてのを見かけましたが確かにこれを見ているとそう言う衝動にかられます(笑)
 ただ、貨車をユーレイ化してトレーラーにするにしても、カプラーや足回りなどクリアしなければならない問題は多いですが、これについては気長に検討してみたいです。