ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

森永ヒ素ミルク中毒事件での証言

2010年10月26日 16時20分36秒 | その他
今日は、幼稚園の芋掘りだった。雨もふらずによかったのだが、今日から突然寒くなった。とはいえ、子どもたちが大きなお芋を掘りあげて、見てみてとかざしている姿はほほえましい限り…。日頃の運動不足もあり、スコップをつかったりしての筋肉痛も…。1回生のゼミの担当が先週で終わったので、少しは時間ができた。いろいろ本を見たりできている(本当は、研究費の申請の文書を書かないといけないのだが…)。

兵庫に行ったことにふれて堀木訴訟のことを書いた。コメントしていただいたように、同時期になされた田中昌人先生の森永ヒ素ミルク中毒事件に関する法廷証言にふれずにはおれない(堀木訴訟での証言より2年後、1974年3月19日)。京都府森永ミルク中毒追跡調査委員会の臨床心理検診の責任者として、法廷での証言である。この証言は、検診当時、15~16歳の被災者に対して13歳前後の重要な発達の質的転換期をどのように乗り越えていっているのかを中心に心理学の立場からその被災の実態や因果関係を明らかにすることを課題としたものだった。9~10歳の発達の質的転換期、そして14歳頃の転換期について、今日に至るまでどのような研究の成果と到達点、そして課題があるのかは一度考えてみる必要がある事柄だが、今はふれない。

堀木訴訟の際と同じく田中昌人先生の証言の最後がどのようなものであったのかだけ、森永ミルク中毒被害者弁護団編『森永ミルク中毒事件と裁判』(ミネルヴァ書房、1975年)より紹介しておきたい(pp.321-333)。

田中 (前略)公害被害者の問題に対して、臨床心理学の基礎としての発達心理学が、医学、疫学と協力して初めてとりくむことができました。その結果は、本件被災者は集団特性として、森永ミルク中毒症候群という名称で呼ばれなければならないような問題を持っていると言うこと、それは生理学的には中枢神経系の症状・障害を中核症状としてもっている状態であり、社会的には放置されてきたことによって社会的にその解決を要請している問題を中身に持っているという症候群であるわけです。そして、それは現在、青年期前期の人格発達の上で行き届いた手だてを必要としている。そういう発達要求を示していることが、はっきりいたしました。この人たちに、この恒久救済対策案に示されいるような対策というものが1日も早く、そして、現在家庭の負担でなされているようなことが一人の漏れもなく、すべての人たちに対してしっかりとなされている(く)ように、対策がとられていかなければならないと思います。岡山のほうで、病気がちでとても仲間と一緒にお互いの悩みを出し合うことができなかった人が、ようやく青年期をして自覚をもつようになり、お互いの悩みをほんとうに共通のものにしていき、支え合ってしっかり生き抜いていこうと、私たちは被災を受けて障害をもっているけれども人格の尊厳の上では立派な人間として成長していこうと、障害をもっている人たちが新しい人間としての生き方を実現しつつあります。こののところを社会が、それぞれの責任においてしっかり支えていく必要があると思います。現在の被災青年にとって何よりも必要なのは科学的な真実に裏づけられた正義であります。これが被災者を今後強く育てていく精神的な栄養となることを申しあげておきたいと思います。

森永ヒ素ミルク中毒事件と田中先生の関係については、京都大学から近江学園にうつる直前に事件が起こり、そして、1970年に京都大学に戻ったときから心理学の社会的責任を果たすべくこの問題に取り組んだものである。1969年に、「14年目の訪問」が公衆衛生学会において報告され(このことについてもいつかふれたい)、社会的にも大きく取りあげられ、その救済がもとめられたものであった。

この事件については、この大学に導いてくれた先生達の森永ヒ素ミルク中毒事件への関わりもあり、教室の財産として大切にしていきたいとも思う。被災者と同じ学年として育ってきたものとして、自分自身の歴史を振り返ることにもつながるということもあり、なぜかためらいを持っていたが、田中先生の証言記録なども含めて取り組む時期になっているのかなと感じている。